第35話 トップ女子と勉強したら、心拍数が上がった
一月二十七日。
冬の空は灰色で、吐く息が細く伸びて消えた。
期末テストまであと一ヶ月――。
放課後の昇降口で靴を履き替えていると、背後から名前を呼ばれた。
「佐久間くん」
その声を聞いただけで、心臓が一瞬止まる。
振り返ると、一ノ瀬凛が立っていた。
肩のあたりでまっすぐに揃えられた黒髪。無駄のない姿勢。
整った顔立ちに、ほんの少しだけ冬の光が差し込んで、まるで冷たい宝石みたいに見えた。
「な、なんだ?」
「学年末テストの勉強、してる?」
「そ、そりゃ……一応」
「……よければ、一緒にやらない?」
唐突すぎるその一言に、思考が真っ白になる。
「え、えっと……俺と?」
「そう。ライバルとして確認したいの」
いつもの無表情。けれどその瞳の奥には、わずかな熱が宿っていた。
(い、一ノ瀬凛と勉強? 学年トップのあの一ノ瀬と!?)
心の中で警報が鳴る。
けれど、返事をしない理由もなかった。
「……わかった。どこで?」
「図書館」
その一言で、静かに“勉強会イベント”が始まった。
―
休日の午後。
駅前で待っていると、現れた一ノ瀬の姿に言葉を失った。
淡いグレーのニットに黒のロングコート。
シンプルなのに、どこか息をのむほど清潔で美しい。
制服姿のときとはまるで違う――“高校生”というより、“誰かのヒロイン”みたいだった。
「……なに?」
「あ、いや……その、似合ってる」
「そう」
そっけない返事。けれど、耳の先がわずかに赤く見えた。
(……おい、これ反則だろ)
そんな内心を悟られないように、無理やり咳払いをして歩き出す。
だが、目的の図書館は人で溢れていた。
満席の掲示を見て、俺たちは顔を見合わせる。
「どうする?」
「……仕方ない。うち、来る?」
――え? 今、なんて?
「い、一ノ瀬の……家?」
「うん。集中できる場所だし」
さらっと言われて、完全にCPUがフリーズする。
「い、いや……その……迷惑じゃ……」
「別に。あなた、うるさくはなさそうだし」
(ハードル低ぇ……!)
逃げ場を失い、結局うなずいた。
「い、行く」
―
連れてこられたのは、街の中心にそびえる高層マンション。
オートロックの扉、静かなエントランス、香るアロマ。
(……すげぇ。住む世界が違う)
部屋に入ると、上品な香りとともに女性の声。
「凛? あら、男の子?」
「今日、テスト勉強するの」
一ノ瀬の母親が軽く目を丸くした。
「まぁ……あなたが友達を? しかも男の子なんて」
「お母さん、余計なこと言わないで」
そのやり取りに思わず背筋が伸びる。
「ど、どうも。佐久間です。お邪魔します」
丁寧に挨拶すると、母親が微笑んだ。
「どうぞ。仲良くね」
(“仲良くね”!? プレッシャーが重い!)
―
案内された部屋は整然としていた。
机の上にはペンが二本。
本棚には参考書、ノート、数冊の小説。
色使いもシンプルで、彼女らしい静かな空気が漂っている。
「そこ、座って」
「あ、ああ……」
机を挟んで向かい合い、勉強を始めた。
最初の五分は、心臓の音しか聞こえなかった。
でも、彼女が淡々と問題を解いていくうちに、空気が変わっていく。
「ここ、公式間違ってる」
「え、マジで? ……あ、ほんとだ」
「ここは、こう変形したほうが速い」
「おお……助かる」
クールな口調のまま、淡々と的確に指摘してくる。
ペンを走らせるその姿に、思わず息をのんだ。
――あれが、“本気で努力してきた人”の集中力なんだと思った。
ペンの音とページをめくる音、そして冬の風の微かな音だけが、静かに部屋を満たしていた。
―
二時間が経ち、少し休憩を取ろうとしたとき。
消しゴムを取ろうとして、一ノ瀬の指先に触れた。
「っ……ご、ごめん!」
「……別に」
表情は変わらない。けれど、耳の先がまた赤くなっている。
(……いや、これは……気のせいか?)
(いやでも、さっきより確実に赤い……?)
思考が渋滞する。
そのとき――視界に小さなウィンドウが浮かんだ。
―
【クエスト発生】
・内容:一ノ瀬凛と共に勉強をやり遂げろ
・報酬:知力+1/SP+5/一ノ瀬の好感度+10
―
(きたな……!)
息を整えて、再びペンを走らせる。
わからない問題を尋ねると、一ノ瀬は即答で解説してくれる。
その説明が驚くほど的確で、まるで授業みたいに頭に入ってくる。
(これが……学年トップか)
集中が続き、気づけば外は夕暮れだった。
―
「今日は、悪くなかった」
「え?」
「一緒に勉強するの。思ったより効率よかった」
「そ、そうか……ありがと」
「……また、やってもいい」
その一言が、妙に心に残った。
―
【クエスト達成/知力+1/SP+5/一ノ瀬の好感度+10】
―
ウィンドウが静かに光る。
同時に、一ノ瀬の頭上に新しい文字が浮かんだ。
―
【一ノ瀬凛 好感度:58/信頼】
―
(信頼……か)
その言葉が、やけに温かく響いた。
帰り際、ふと気になって――
俺は小声で呟いた。
「……《鑑定》」
視界の端に、淡い光のパネルが浮かび上がる。
対象:一ノ瀬凛。
(……一ノ瀬の知力って、どれくらいなんだ?)
数字を確認した瞬間、思わず息が止まった。
(……は!? 桁が……違う)
(嘘だろ、教師より高いじゃないか……)
そこに並ぶステータスは、まるで“別の世界の人間”みたいだった。
圧倒的な知力。精密なスキル構成。
どれを取っても、努力と才能の結晶そのものだった。
けれど、不思議と悔しさはなかった。
(……やっぱり、すげぇな)
あの集中力も、言葉の重みも――すべて、この数字の裏づけなんだ。
画面を閉じながら、胸の奥に小さな決意が芽生える。
(いつか……追い越してやる)
―
【ステータス:一ノ瀬 凛】
・年齢:15
・身長:162.0cm
・体重:47.0kg
・体脂肪率:17%
・筋力:7.5
・耐久:8.0
・知力:38.0
・魅力:28.5
・資産:¥35,000
・スキル:速読Lv3/論理的思考Lv2/記憶定着Lv2/問題解析Lv2/茶道Lv1
―
エントランスで別れるとき、一ノ瀬が短く言った。
「気をつけて」
「……ああ、ありがとう」
その声が、夜の冷気よりも柔らかかった。
しばらく歩いてから振り返ると、彼女はまだ入口に立っていた。
街灯の光に照らされた横顔は、どこか切なくて――
気づけば、俺は小さく手を振っていた。
―
※【 】内は今回上昇分
【現在のステータス(一月下旬・一ノ瀬宅勉強会後)】
・名前:佐久間 陽斗
・年齢:16
・身長:168.1cm
・体重:62.0kg
・体脂肪率:15.0%
・筋力:22.9
・耐久:23.7
・知力:21.2【+1】
・魅力:28.7
・資産(現金):263,000円
・投資中:60,000円(評価額:65,500円/利益:+5,500円)
・総資産:328,500円
・SP:24.0【+5】
・スキル:13(展開可能)
・称号:注目の存在/ヒーロー/聖夜を共に
・特別イベント:水城遥との関係(進行中/好感度:76)/一ノ瀬凛との関係(進行中/好感度:58/信頼)【+10】
―
布団に潜り込みながら、今日の出来事を思い返す。
緊張して、うまく話せなかった。
でも、不思議と心は軽かった。
(……次は、もっと近づけるだろうか)
目を閉じる。
まぶたの裏に浮かぶのは、ノートの向こうで微かに笑った彼女の横顔。
そして――その胸の奥で、ひとつの予感が灯る。
(もう二月か、バレンタイン……だよな)
(義理でもいい、ひとつ……いや、ゼロはやめてくれ)
ここまで読んでもらえて嬉しい気持ちでいっぱいです。次も楽しみにしてもらえたら幸いです!




