第33話 一年の終わり、成長の証は数字の中に
十二月三十一日。
一年最後の日。
外の空気は、まるで張り詰めたガラスみたいに冷たく澄んでいた。
吐いた息が白く弾け、頬を刺す風が痛いほど心地いい。
どこかの家の煙突から、ストーブの煙がゆらゆらと上っている。
人々の足音が少ない静かな夜。それでも、世界が少しずつ“年を終えよう”としている気配があった。
家の中はその逆で、やけに温かかった。
台所からは母の煮物の甘辛い香りが漂い、テレビでは紅白の特集が流れ、妹の笑い声が絶えない。
ビールを片手に新聞を読む父。
ストーブの音と、みかんの皮の匂い。
そのすべてが、「あぁ、今年も終わるんだな」と教えてくれた。
炬燵に潜りながら、俺はそっとスマホを手に取る。
投資アプリを開くと、見慣れた数字が“少しだけ”変わっていた。
【資産(現金):¥207,000】
【投資中:¥60,000(評価額:¥65,500/利益:+¥5,500)】
【総資産:¥272,500】
「……マジか、増えてる」
思わず声が漏れた。
たった5,000円。でも、“自分で生み出した5,000円”だ。
夏、図書館で借りた投資の本。
ノートにびっしり書いたメモ。
最初は数字の意味もわからなかったのに、今はその“上昇”が何より嬉しい。
(昔の俺なら、この金、課金ガチャで溶けてたな……)
苦笑しながらスマホを伏せた。
利益の額なんて小さい。けれど、“努力の跡”は嘘をつかない。
筋力や耐久が上がったときと同じ。
数字が、“自分の歩み”をちゃんと記録してくれている。
「陽斗ー! ごはんできたわよ!」
母の声が廊下の向こうから響く。
「今行く!」と返事をして、スマホを閉じた。
リビングのテーブルには、年越しそばにおせちの準備、煮物にだし巻き卵。
食卓の匂いが混ざって、胸がほっと温かくなった。
「お兄ちゃん、早く食べなって。そば伸びるよ」
「わかってるよ」
妹の小言に軽く笑いながら箸を取ると、母がふと顔を上げた。
「陽斗、なんだか今年は頼もしくなったわね」
「は? なに急に」
「この前のテスト、8位だったんでしょ? あの陽斗が」
「“あの”って言うな!」と返そうとしたところで、妹がニヤニヤしながら口を挟む。
「いや〜ほんと奇跡。どうしたの、頭でも打った?」
「お前な……!」
家族の笑い声が響く。
小さなちゃぶ台の上で、笑いが弾んでいく。
この何気ない空気が、なぜかやけに心地いい。
(……去年の俺なら、きっとこの時間を鬱陶しいって思ってたかもしれないな)
でも今は違う。
この“穏やかさ”が、何よりも幸せだった。
―
食後、部屋に戻ると、外はもう深い夜。
遠くで小さな花火の音が鳴り、窓の外の街灯が白く光っている。
布団に潜り込み、再びスマホを手に取る。
LINEの通知が一件。
【水城遥】
陽斗くん、今年は色々ありがとう。来年もよろしくね。良いお年を!【雪だるまのスタンプ】
ふと、指が止まった。
たった二行。でも、その文字の一つひとつが温かい。
雪だるまのスタンプが、まるで笑ってるみたいだった。
(……ありがとう、か)
それだけの言葉が、胸の奥をじんわり満たしていく。
文化祭で笑い合ったこと。
放課後に話した小さな会話。
クリスマスの夜の光。
その全部が、一瞬で蘇った。
俺は少しだけ迷ってから返信を打つ。
《こちらこそ。今年は本当にありがとう。来年もよろしく》
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥が熱くなる。
ほんの一文なのに、まるで告白したみたいにドキドキしていた。
(……くそ、落ち着け俺)
―
数分後、もう一件の通知が鳴る。
【一ノ瀬凛】
来年は、もっと高みを目指すから
たったそれだけ。
けれど、彼女らしい“無駄のない言葉”に、ゾクッとした。
文面からでも伝わる、冷静で真っすぐな強さ。
(さすがだな……)
俺は自然と笑みを浮かべながら指を走らせる。
《望むところだ。俺も負けない》
送信。
数秒後、“了解”の二文字。
まるで、勝負の合図みたいだった。
「……あっさりしてるな」
口に出して笑う。
でも心のどこかで、その短いやり取りが誇らしかった。
もう、彼女にとって俺は“ただの圏外”じゃない。
ちゃんと“同じ土俵”に立てている。
その実感が、何よりの報酬だった。
―
リビングからは家族の笑い声と、テレビのカウントダウン。
炬燵の中は暖かく、眠気が少しずつ体を包む。
目を閉じながら、思う。
(ほんの数ヶ月前まで、俺に連絡をくれる相手なんていなかったのに……)
今は違う。
努力が、つながりを生んだ。
つながりが、俺を変えた。
そして――今、その変化が“確かな形”になっている。
遥と、一ノ瀬。
二人が、俺の世界を広げてくれた。
―
一月一日。
新しい年の朝。
父に「初日の出見に行くか?」と誘われたが、寒さに負けて布団から出られなかった。
代わりにリビングでお年玉を受け取り、妹に冷やかされる。
「兄ちゃん、去年よりちょっとはマシになったね」
「おい、それ褒めてんのか?」
「まぁ……悪くはないってこと」
そっぽを向く妹の頬が、ほんの少しだけ赤かった。
(なんだよ……まぁ、これでいいか)
炬燵に潜り、テレビの正月特番をぼんやり眺めながら、いつものようにステータスを開いた。
―
※【 】内は今回上昇分
【現在のステータス(正月・一月一日)】
・名前:佐久間 陽斗
・年齢:16
・身長:168.1cm
・体重:62.0kg
・体脂肪率:15.0%
・筋力:21.9
・耐久:21.7
・知力:20.2
・魅力:28.7
・資産(現金):209,000円
・投資中:60,000円(評価額:65,500円/利益:+5,500円)
・総資産:¥274,500
・SP:14.0
・スキル:13(展開可能)
・称号:注目の存在/ヒーロー/聖夜を共に
・特別イベント:水城遥との関係(進行中/好感度:76)/一ノ瀬凛との関係(進行中/好感度:48)
―
画面に並ぶ数字。
ただの数値に見えて、そこには“俺の軌跡”があった。
夏の失敗も、冬の努力も、全部ここに刻まれている。
(……今年は、もっと大きく変わってみせる)
胸の奥で、静かに火が灯る。
焦りでもなく、野心でもない。
ただ――“進化したい”という、まっすぐな願い。
外から、除夜の鐘が響く。
百八つの音が夜の空気に溶け、まるで古い自分を洗い流していくようだった。
炬燵の温もりの中、まぶたがゆっくりと落ちていく。
(来年は、もっと遠くまで行こう)
そう心の中で呟きながら――
俺は“新しい年の始まり”を、確かに感じていた。
お時間を割いてくださり、ありがとうございました。その気持ちにただ感謝します!




