第30話 努力は数字になる。――そして“彼女”が現れた
十二月八日。冬の匂いが校舎の奥まで染み込んでいた。昇降口のタイルは朝の霜で薄く濡れ、歩くたびに靴底がきゅっ、きゅっと鳴る。息を吐くたびに白い煙が広がり、まだ冷えきっていない心臓の鼓動がやけにうるさく響いた。
期末テストから一週間。ついに、結果発表の日がやってきた。廊下の突き当たり、掲示板の前にはすでに生徒の輪ができている。教師がホチキスで紙を留めるたび、ざわめきが波紋のように広がる。紙が貼られる“カシャン”という音が、教室中の誰よりも大きく聞こえた気がした。
「やば……緊張してきた」
自分でも笑ってしまうくらい小さな声だった。けど、胸の奥では別の音が鳴っていた。ドクン、ドクンと、速く、強く。夏のリレーのスタート直前よりも、文化祭で客が押し寄せたときよりも、ずっと。
――ここに書かれた数字が、俺の努力のすべてを証明する。
人垣を抜け、視線を名簿へ滑らせる。
50位、40位、30位……。一人ひとりの名前を追うたびに、呼吸が浅くなる。
(いない……まだ、いない……)
20位を越えた瞬間、手のひらがじっとりと汗ばむ。17、15、12……そして――そこに。
【第8位 佐久間陽斗】
視界が一瞬にして静止した。空気の音が消え、周りの声が遠のく。
まばたきをしても、名前は消えない。間違いじゃない。俺の名前が、上から数えたほうが早い場所に、確かに刻まれていた。
「……マジか」
喉の奥から、かすれた声が漏れた。けれど次の瞬間、肩を思いきり叩かれる。
「おい佐久間、8位!? 本当かよ!」
「圏外常連だったのに、何したんだよ!」
「英語あれで取ったの? チートでも使った?」
笑い声と驚きの声が混ざり合う。けれどどれも嫌味じゃなかった。
そこにあったのは、純粋な“驚き”と“興味”だった。
夜中にめくったページの音。
折れた鉛筆の芯。
凡ミスノートに増えていく赤い×印。
あの全てが、いま報われた気がした。
―
【特別ボーナス獲得】
・内容:学年10位以内に入る
・報酬:知力+1/SP+5
―
半透明のパネルがふっと浮かび、淡い光が胸の奥を温める。
(……やった。数字になった)
「佐久間、長文って先に設問読む? 俺いつも本文から行って爆死すんだよ」
「設問先読み。根拠探しながら読む。段落ごとに印をつけて、設問語と一致したとこ拾う感じ」
「数学は?」
「凡ミスリスト作って、“単位・桁・符号”を声に出して確認。図形証明は図を描く。難問は後回し」
「社会は暗記ゲーだろ?」
「そう。カード読み上げ→目閉じて頭の中で再生。三分でも効く」
自分でも驚くほど自然に言葉が出た。
特別な才能なんてない。ただ“やることを決めて”毎日繰り返した。それだけだ。
(あの日の俺なら、絶対に信じなかっただろうな)
ふと笑いそうになったそのとき。
「佐久間くん」
背後から静かな声がした。
振り返ると、廊下の向こうで、黒髪を肩で切り揃えた女子が立っていた。
切れ長の瞳。冷たい冬の光をそのまま閉じ込めたような透明さ。
彼女の名前を知らない生徒はいない。――学年トップ、一ノ瀬凛。
「今まで50位以内に名前なかったよね。一気に8位。数字が嘘をつかない努力だと思う。おめでとう」
まっすぐな声。褒め言葉というより、観察のような響きだった。
「……ありがとう」
一ノ瀬は名簿にちらりと視線を戻し、またこちらを見た。
「勉強法、ひとつだけ教えて。時間が足りなくなる科目、どうしてた?」
「優先順位を固定した。配点と時間あたりの得点効率を見て、先に取りきるところを決める。捨てる問題は印をつけて、最後まで触らない」
「……“捨てる勇気”。合理的だね」
彼女の声は穏やかだけど、瞳は冷静に、正確に“測っていた”。
(この人……俺を試してる)
「次も8位以上、取れる?」
挑発ではない。まっすぐな確認。
「……取る。もっと上を狙う」
「そう」
短い返事。わずかに唇が上がる。
笑った――そう思った瞬間、背筋にぞくりと冷たい電流が走った。
学年トップの視線は、ただの優しさじゃない。“その場所”に立ち続ける者の厳しさを含んでいた。
「また気になることがあったら、聞くね」
それだけ言って、凛は踵を返す。
足音は雪を踏むように静かで、やがて人のざわめきに溶けていった。
―
昼休み。教室の空気は落ち着かない。
「一ノ瀬が佐久間に話しかけてたってマジ?」
「マジ。あの一ノ瀬が、だぞ?」
「次どこまで行くんだよ、お前」
冷やかしと好奇心が混ざる声。俺は苦笑して肩をすくめる。
「同じことを続けるだけ。派手なことはしない」
机に手を置き、拳を軽く握る。
派手じゃなくていい。でも――もっと速く、もっと高く。
あの言葉は彼女への宣言であり、自分への誓いだった。
夜。布団に潜り込み、ステータスを開く。
―
【現在のステータス(十二月上旬・期末結果後)】
・名前:佐久間 陽斗
・年齢:16
・身長:168.1cm(+8)
・体重:62.0kg
・体脂肪率:15.0%
・筋力:21.9(+1.5)
・耐久:21.7(+0.5)
・知力:20.2(+4.0)【+1】
・魅力:26.7(+3.0)
・資産(現金):224,000円(+2000/日)
・投資中:60,000円(評価額:61,500円/利益:+1,500円)
・総資産:285,500円
・SP:9.0 【+5】
・スキル:13(展開可能)
・称号:注目の存在/ヒーロー
・特別イベント:水城遥との関係(進行中)/一ノ瀬凛との接触(開始)
―
数字は確かに伸びていた。
努力は、ちゃんと結果になる。
でも心を一番動かしたのは、数字じゃなかった。掲示板の前のざわめき、肩を叩く手、一ノ瀬凛のまっすぐな瞳。
(“次も”8位以上……いや、もっと上だ)
画面を閉じ、天井を見上げる。
心臓の鼓動が速い。でも怖くない。燃えている。
「――やる」
小さく呟いたその声は、誰にも届かない。
けれど確かに、次の物語のページをめくる音になった。
そしてその“次”が――一ノ瀬凛と過ごす初めての放課後へと、静かに続いていく。
ご覧いただき、本当にありがとうございました。皆さんが読んでくれたからこそ、この物語は続いています!




