第25話 努力が、“ヒーロー”になった日
五回表――同点のまま迎えた最終回。
秋の午後の陽射しが傾き、グラウンド全体を黄金色に染めていた。
観客席のざわめきが遠くで波のように揺れ、
いつもなら軽口ばかりのクラスメイトすら、今は息を潜めている。
金属バットを構えた相手四番の影が、夕陽に伸びて土の上に濃く落ちた。
肩幅も広く、構えに一切の隙がない。
“ここで一発”――そんな気配が、距離を隔てても伝わってくる。
(ここで打たれたら、終わる……)
(絶対に守る――)
センターの芝の上。
俺は、グラブを構えたまま小さく息を吐いた。
汗で張り付くTシャツの内側を、冷たい風がすり抜ける。
手のひらはもう汗で滑っていたが、不思議と怖くはなかった。
心臓は激しく鳴っているのに、頭の中だけはやけに静かだった。
佐藤が大きく振りかぶる。
指先から放たれた白球が、鋭い弧を描いて吸い込まれていく。
バットがしなり、金属の音が空を切り裂いた。
カキィィン――!
高々と上がる打球。
夕陽を反射して白く光り、一直線に俺の頭上を越えていく。
視界の端で観客が立ち上がるのが見えた。
だが次の瞬間、思考より先に体が動いていた。
―
【スキル発動】
・瞬発力アップ(小)
・身体強化Lv1
―
空気が薄くなる。
周囲の時間がほんのわずかに遅くなったような錯覚。
右に二歩、後方へ五歩。
足が地面を蹴るたび、土が飛び散る。
跳ぶ。――全力で。
空を切る風音と、乾いた衝撃。
グラブの芯に伝わる確かな重み。
白球は、落ちなかった。
「キャッチ――!」
審判の声と同時に、歓声が爆発した。
スタンドが揺れる。ベンチから佐藤の拳が高く突き上がる。
俺は土に膝をついたまま、息を吐き、二塁へ送球。
ランナーは戻れず、チェンジ。
校庭の空気が一瞬で解放される。
耳の奥がジンジンして、世界が眩しく見えた。
(……まだだ。勝負は、ここから)
―
五回裏。最後の攻撃。
スコアは一対一。
二死二塁――打席は俺。
「佐久間、頼むぞ!」
「落ち着け!」
仲間たちの声が飛ぶ。
観客席の女子が身を乗り出し、グラウンドの熱が一段と高まる。
白線の向こうに立った瞬間、心臓がまた跳ねた。
空気が熱い。
捕手の構えがいつもより近い。
(……詰めてくる気配)
体が勝手に反応した。
(逃げない。ここで振る)
呼吸を整え、指の感覚に意識を集中させる。
二球目――来た。
わずかに高い。
体が自然に反応した。
スイング。
金属バットが空気を裂き、
カキン、と乾いた快音が校庭に響く。
打球は一直線に左中間へ。
転がりながら外野フェンスへと弾んでいく。
「走れぇぇぇ!!」
ベンチから怒号にも似た声。
二塁ランナーが全力でホームへ突っ込み、
俺も踏みしめるように一塁、二塁へ。
土が跳ねる。肺が焼ける。
判定の声が響いた。
「――セーフ!! サヨナラ!!」
歓声が爆発した。
グラウンドが揺れる。
仲間たちが雪崩のように飛び出してくる。
背中、肩、腕――無数の手が俺に触れる。
「やった!」「最高だ!」「佐久間!」
その声の渦の中で、俺は笑っていた。
倒れた。
でも、その土の感触が、ただ温かかった。
―
【クエスト達成/クラスを勝利に導け】
・報酬:筋力+1/耐久+1/SP+5
【特別ボーナス/劇的サヨナラ】
・報酬:筋力+0.2/耐久+0.7/魅力+2/SP+1
・新称号『ヒーロー』獲得(魅力補正+0.5/信頼上昇)
―
「佐久間、マジでやべぇ!」
「一番活躍してたぞ!」
普段は俺を見向きもしなかったやつが、今は満面の笑顔で肩を叩いてくる。
佐藤がゆっくり歩み寄り、泥のついた手を差し出した。
佐藤がゆっくり近づき、汗をぬぐいながら笑った。
「……やっぱお前、やるな」
「そっちこそ、ナイスピッチ」
「いや、マジで。お前が後ろにいるだけで安心できた」
拳と拳をぶつけ合う。
乾いた音が、やけに響いた。
――あの頃は殴られるだけの音だったのに。
今は、戦った仲間の証みたいに聞こえた。
観客席では担任が腕を組み、
「よくやったな」と静かに頷いていた。
クラスのグループチャットは試合直後から鳴り止まない。
『#佐久間やばい』『#ヒーロー降臨』『#惚れた』――
そんな文字が飛び交い、笑いが止まらなかった。
画面を閉じる指が、少し震えていた。
―
片づけを終えた夕方、校舎裏の廊下。
西の空が茜色に染まり、風がカーテンを揺らしていた。
「――陽斗くん!」
振り返ると、水城遥が立っていた。
黒髪が夕陽を受けて輝いている。
その姿を見ただけで、心臓が跳ねた。
「最後の打席、見てたよ!
本当にすごかった!」
「見てくれてたのか……いや、ただ、必死で振っただけだよ」
「その“必死”が、一番かっこよかったんだと思う」
彼女は少し恥ずかしそうに笑って、
手にした紙袋を差し出した。
「クッキー焼いたんだ。……よかったら食べて」
「えっ、俺に?」
「うん。ヒーローに渡さなきゃ、でしょ?」
その言葉に、思わず固まった。
胸の奥が熱くなって、言葉が出てこない。
やっとのことで「ありがとう」とだけ呟くと、
彼女は小さく頷いて微笑んだ。
――その笑顔を見た瞬間、
球技大会の歓声よりもずっと強く、
胸の中で何かが鳴った。
―
夜。
布団に潜り込み、ステータスを開く。
淡い青光が部屋を照らし、新しい通知が次々と表示される。
ピコン、と軽い電子音。
視界の端で、淡い光が瞬いた。
―
【新称号:ヒーロー】
―
その文字を見た瞬間、呼吸が止まった。
(……称号、また出たのか)
文化祭のときは「注目の存在」。
けど今回は――“ヒーロー”。
名前の重さが違う。胸の奥で何かが静かに燃えた。
(こんなゲームみたいな世界でも、努力が形になる)
(……悪くない。いや、最高だ)
光の余韻が消えても、
画面の向こうに残ったその一言だけが、
ずっと心の中で輝き続けていた。
―
※【 】内は今回上昇分
【現在のステータス(球技大会終了後・称号反映)】
・名前:佐久間 陽斗
・年齢:16
・身長:168.1cm(+8cm)
・体重:62.0kg
・体脂肪率:15.0%
・筋力:21.9(+1.5)【+1.2】
・耐久:21.7(+0.5)【+1.7】
・知力:14.2(+1.5)
・魅力:26.7(+3.0)【+2.5】
・資産:180,000円(+2000/日)
・SP:28.0【+6】
・スキル:11(展開可能)
・称号:注目の存在/ヒーロー
・特別イベント:水城遥との関係(進行中)
―
画面を閉じたあとも、胸の奥は熱いままだった。
(もう、逃げてばかりの俺じゃない)
(いつか――守るだけじゃなく、導ける存在になりたい)
そう心の中で呟きながら、
静まり返った夜に身を預けた。
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