蒼攻烈射
破壊された無数の車両、鼻をつく錆びのような血の匂い……辺り一面に広がった、無数の屍。変革を謳う革命軍と、大陸一体を支配する第四帝国の間で起きた、第一次反帝国戦争。たった一度の戦闘で終結したこの戦いには、革命軍から二個軍集団二十三万人、帝国軍から四個軍集団四十二万人が参加。一万輌以上の走行車両と数百万発の弾薬が使用されたこの戦争では、両軍合わせて六十万弱、つまり八割近くの兵士が死亡。史上最悪の戦争は、帝国の辛勝で終結した。
大陸全土を支配した帝国。帝国の最盛期は、ただ一度の戦争によって終わりを告げた。帝国の支配に苦しむ傀儡国では既に帝国に対して戦闘行為を行う国家も出始めている。喉元をさらけ出した覇権国の終わりは早い。周辺国は、新たな覇権国となるため急速かつ大規模な軍拡を開始。ガソリンを巻かれた炎は、もう収まることは無い。
「中将、帝国領南部にて、所属不明の機甲部隊から大規模な攻撃を受けたと報告がありました。上層部は、先日帝国に宣戦布告したオーレリア王国の軍隊と判断しているようです。そのうえで、第八機甲軍団に対して出撃命令が出されています」
「分かった。既に出撃準備が完了している二万人の部隊を出撃させろ。私も後から向かう」
「帝国領土を防衛せよ!」
九月一日、国境紛争が拡大したことでオーレリア王国は第四帝国に宣戦布告。その日のうちにオーレリア王国主力部隊が越境を開始。歩兵のみで構成された南部防衛部隊は、王国の機甲部隊の猛攻にずるずると撤退。帝国上層部は帝国領土の防衛のため、第八機甲軍団に出撃を命令。その日のうちに第八機甲軍団は南部へと出撃。日をまたいだ頃に会敵、そのまま戦闘になだれ込んだ。第八機甲部隊は地形を生かしたヒットアンドアウェイで敵戦車を次々と撃破。三日に渡る戦闘でオーレリア王国主力部隊は壊滅、そのまま撤退していった。第八機甲軍団は一万人を追撃部隊として残して本部へ帰還、凱旋する暇も無く北部に向かうことになる。九月四日に、北部に位置する強国、ルナヴィア皇国が第四帝国に宣戦布告。攻撃に対処するため、第八機甲軍団は損失を補う暇も無く戦地へと向かうのであったーー。
第八機甲軍団司令官、二階堂中将。そして軍事参謀、白石軍曹。先の革命軍との戦争での戦果から、互いに帝国内では英雄とも呼ばれる存在である。しかし、崩壊した無数の部隊、統合に統合を繰り返さなければ戦えない旧主力部隊……多くの部隊が帝国防衛のために東西南北ありとあらゆる国境に配備されているが、どれも戦闘で被った損失を補えていない。彼らが指揮する部隊もまた、その影響を受けていた。既にオーレリア王国との戦闘で数十輌の戦車と装甲車両が破壊されているが、一輌たりとも補充されることはない。師団や軍団等の主要大規模部隊にすら補給が届かないこの国で、更なる地獄の戦闘を生き抜くことは出来ないだろう。それでも軍人は戦いを辞めることはない。帝国存続を信じて、最後の一兵になっても戦い続けるだろう。例え、それが崩壊への一歩だとしても。
戦場に着いた第八機甲軍団が見たのは、焼け野原となった帝国領だった。数十万の帝国軍人の屍と、破壊された数千輌の走行車両が転がるこの地で、生存者などいるはずも無い。
「中将……これは……」
白石の顔は青ざめている。齢十六の子供には、インパクトが強すぎる映像だろう。
「……きついならあまり直視するなよ、生きているのが嫌になる」
白石を労わるように声をかけた二階堂であったが、その顔からは動揺が隠せていなかった。戦車から降りた二階堂は、埃を被った戦車の装甲を手でなぞる。そこに書かれていた文字列、それは「第一機甲軍集団」。それを見た二階堂は、硬く、硬く拳を握る。それは、絶望。膝から崩れ落ちた指揮官の背中を、兵士は涙でぼやけた視界で見守った。十八万の兵士と二千輌の戦車を基軸とした、第四帝国最大の主力部隊。最強とも言える戦車部隊は、たった一度の戦闘によって灰と化したのだ。地平線の向こうには、第一機甲軍集団が命をかけて殲滅したであろう敵主力部隊の屍が転がっている。
中将の歩みに合わせて、部隊は前進する。中将は歩きであるから、その速度はあまりにも遅い。だが、軍団の兵士からしてみれば、同胞の死体を踏みつぶすより、危険を冒してでも同胞を安全な場所で眠らせてやるほうがはるかにマシだった。
「……こんな、こんなことがあり得ていいのか?」
目の前に広がる惨状は、仕方がなかったでは済まされない。帝国軍人からすれば、目の前に広がるこの地獄は、信じがたく、そして耐えがたいものであった。それでも戦場を進み続ける彼らの心は、何を思って前を向いているのであろうか。それはきっと、負の感情だけでは無いだろう。絶望に飲まれて終わるほど、きっと彼らは弱くない。叩き潰されても立ち上がり、立ちはだかる壁は団結と忠誠でいくつも突破してきた。そんな彼らに、信じていた同胞の死は、どう映るのだろうか。
「……第八機甲軍団に告ぐ」
軍帽を深く被り直した二階堂は、振り返り、そして告げる。
「我々は、団結と忠誠を実現する。これよりルナヴィア皇国領に向けて前進、これを破壊する。総員、戦闘準備」
九月十日、第八機甲軍団は越境を開始。復讐に燃える彼らは国境付近の防衛部隊を一蹴、首都を目指して進撃を開始した。途中で敵部隊の奇襲作戦により包囲寸前まで陥ったが、戦車の突破力でこれに突貫、無理矢理前線をこじ開けて攻勢再開。九月十二日、第一都市を奪取。そこを補給拠点にして損失をカバー、そのまま前進を再開。その日のうちに皇国主力部隊をほぼ無傷で壊滅させ、防衛力の少なくなった市街地を走破、一週間でルナヴィア皇国首都に到達した。勢いのままに国家元首である皇帝の住む皇居を砲撃によって破壊、主力部隊と国家元首を同時に失ったルナヴィア皇国は九月十六日、降伏した。
第八機甲軍団による吉報は、帝国軍の士気を底上げした。劣勢だった帝国は各地で敵部隊を撃破し、一気に攻勢、流れるようにオーレリア王国を降伏に追い込んだ。一時的な安定を取り戻した帝国は、部隊の補充を再開。前線で戦わずして地獄を見ていた兵士達は、歓喜の渦に包まれた。
しかし、当然平穏は長くは続かない。帝国支配からの脱却を夢見る国々は、オーレリア王国そしてルナヴィア皇国の救援に向かうことを決断。二か国の降伏後、そう時間の経たないうちに、帝国傀儡の八か国、そしてこれを支援する超大国ノルトヴァハト共和国が帝国に対して宣戦布告したのだ。先の二か国は平地故に勝機があった。しかし、今度は状況が違う。傀儡国のほとんどは国境部が山脈で構成されており、戦車を基軸とした機甲部隊を主軸に戦う帝国からすれば、この自然の要衝を踏破するのは極めて難しい。傀儡国を征服した時も、同様の問題で突破に苦戦している。更に、禁止していた軍拡も、それを防ぐだけの余裕は今この国になかった。既に、傀儡国だけで帝国の三倍近くの兵力を保有している。危険は承知、それでもノルトヴァハト共和国軍の到着前に決着をつけたい帝国軍は、総軍を国境線に貼り付け越境を開始。突破に苦しむ機甲部隊がゲリラ戦でいくつも被害を受け、山越えに成功した部隊は待ち構えていた敵部隊に包囲殲滅された。総軍の三分の一が撃滅されたところで帝国軍は撤退、防衛線に切り替え、傀儡国軍の攻勢をはじき返そうと試みた。だがーー
間に合わなかった。
ノルトヴァハト共和国軍、その主力部隊が前線に到着。攻撃を仕掛けてこない帝国軍に対して攻勢を開始した。勢いそのままに全部隊が越境を完了させ、帝国軍は数の暴力によって次々と敗北。撤退に撤退を重ね、最終防衛ラインまでの退却を余儀なくされた。この間にも主力部隊がいくつも包囲殲滅され、既に帝国軍は瓦解、都市部から無理矢理徴兵した民兵でどうにか前線を保っている。
「二階堂中将、上層部から敵部隊への攻撃命令です」
それでも、二階堂、そして白石に休む暇は無い。今この国は勝利への布石を欲している。こんな絶望的状況でも、勝ちを確信している。英雄は、文句を言いたくなる気持ちを喉元で抑え込み、また戦車に乗り込む。ふざけるな、という気持ちは偽りの忠誠で蓋をした。攻勢をしかけてきた敵部隊を火力で制圧、運悪く主力部隊に当たっても、逃げることなど許されない。どうにかして撃滅の道を模索するのだ。帝国に必ずしも勝利を。それが、英雄に与えられた責務であった。
英雄になんてなりたくなかった。なりたくてなったのではないのだから。それが、この二人の指揮官の本音であった。いや、正しく言えば、第八機甲軍団全員の本音と言うべきかもしれない。今、滅びゆく帝国のために戦う意義とは何だろうか。このまま降伏して、新時代で覇権を握るであろう新勢力に身を委ねた方が遥かに楽ではないだろうか。この軍団に属する者の中で、そう思わなかった者はきっといない。いるがずがない。
それでも、彼らは戦うことをやめない。この新時代に逆らうことを、この新時代に見捨てられ、切り捨てられる道を歩むことをやめない。どんなに苦しくとも、どんなに辛くとも。彼らは唱える。
――団結と忠誠を、帝国に未来を。
エンドジークは近づいている。
圧倒的劣勢に立たされていた帝国軍であったが、少しずつ優劣の天秤は傾き始めていた。首都という補給に最適な地点を囲むようにして防衛を行っていたため、少なからず防衛戦闘中だけは優勢を確保していた。圧倒的優勢であるはずのノルトヴァハト連合軍が半年経っても帝国を陥落させられないことは事実であり、帝国兵士も少しづつ自信を取り戻しつつある。状況を鑑み、上層部はついに帝国軍の方針を決定。軍部は全部隊に攻勢を命令。この戦争の更なる泥沼化を狙い、敵の損耗を待つ作戦に出た。ついに、団結力が試される時が来た。帝国軍総兵力六十万が一気に攻勢を開始。三倍の戦力を誇る敵部隊相手に優勢を保ったまま、積極的な戦闘が各地で行われている。
第八機甲軍団には第十二歩兵師団、第十八砲兵連隊、第二十一砲兵連隊が合流し、攻撃を開始した。敵歩兵部隊は戦車の突破力で蹂躙、機甲部隊は戦場の女神とも言える砲兵部隊で次々に破壊していった。大量の敵部隊を前にしながら進撃を続ける第八機甲軍団は、敵に休ませる暇を与えない連撃で前線を押し上げていく。帝国の夢は終わらない、その願いを具現化したかのような快進撃である。しかし、その夢は少しずつ、しかし着実に崩れることになる。部隊の安全を度外視した攻勢は、着々と継戦能力を削いでいった。始めこそ砲兵の十分な支援があったものの、戦闘が続くにつれて砲弾も不足。支援砲撃も無く、ほぼ完全体の敵軍との正面衝突を強いられる第八機甲軍団。二つあった砲兵連隊はどちらも壊滅、歩兵師団は機甲部隊に殲滅された。
多くの犠牲を払って傀儡国軍とノルトヴァハト軍に損害を与え続けていたが、新式装備に対する乏しい対抗手段、届かない補給、減り続ける兵士と装備……。敗色濃厚だった帝国にしては、よく粘ったほうだ。多くの部隊が、帝国の未来を信じて戦った。皆が命を散らし、戦場に消えていく。次々と戦闘に敗北した帝国軍だが、最後の一兵まで戦い、帝国の、そして兵士としての生きた証を、大地へと刻み付けた。
攻勢開始から一か月後、帝国軍は崩壊した。かろうじて戦線を保持していた数多くの師団や軍集団は、多方面からの多国籍軍による猛撃に耐えられず崩壊。撤退も逃走もできないまま、撃たれ、轢かれ、蹂躙されていった。最後の一兵まで。
「結局、我々は神のオルガンに合わせて踊っているに過ぎないのでしょうね」
「元々、崩壊する運命だったというわけか」
迫り来る敵を前にして、二人の指揮官の顔は清々しいものだった。
「……抗わないのですか?」
白石は、ズレた軍帽を被り直す。風が強くなってきた。一段と雲が速く流れていく。
「これだけ帝国と他の国を破壊しておいて、どうして新時代に何食わぬ顔で参加できる?」
後続の味方戦車が少しずつ追いついてくる。前衛を担当する数百の戦車に、一発目の砲弾が装填された。
「……それもそうですね」
大陸を支配し、拡大を続けた第四帝国。いずれ忘れ去られるその日まで、彼らは人々の心の奥底に呪いとして受け継がれるであろう。そして、帝国の再興を望む者達によって、何度でも復活することだろう。しかし、その時代に帝国は存在し得ない。旧時代の狂犬無くして、この国は存在すらできないのだから。
「全軍、突撃せよ」
雨が降り出した。厚く薄暗い雲は、青空を押しこみ、削り取っていく。数百輌の戦車が敵陣へ向けてゆっくりと前進。熱を帯びた排気口は、陽光の届かぬ冷え切った大地で少しずつ温度を失っている。戦場にいる誰もが、この戦闘における勝利を、そしてエンドジークを信じていた。第八機甲軍団に、希望を抱いて。
「では、中将……いえ、元帥」
――地獄で、お会いしましょう。