妖精
俺は平日の公園でイライラを募らせていた。それも、最悪のイライラだ。この暑い最中、一時間経っても二時間経っても一向に相手が現れないとくれば誰だってこうなる。電話しても呼び出し音が聞こえるだけで酷く虚しくなって仕方がなかった。。
「何だあいつ。バッカじゃねえの?もう知らん、帰ろ」
俺は出口に向かって細い散歩道を歩き始めた。
もう、午後三時を過ぎている。せっかく休みを取ったのに、この時間じゃもう何もする気なんか起きやしない。
「くそっ」
俺は吐き捨てるように言いながら、それでも出来るだけゆっくりと歩いた。途中、何度も何度も振り返りながらね。
30メートル程歩いただろうか。
「助けてください。見逃して下さい〜」という声が聞こえた。
このか細さからすると声の主は若い女性、または、女の子。どちらも余り変わりはなさそうだが、だいたいそんなところだろう。
「えっ?」
俺はそれとなく辺りを見廻した。
流石に平日の昼間だ。それにこの暑さ。人の姿なんてまるで見当たらない。俺は散歩道に沿ったツツジの木から顔を覗かせるようにして下の狭い広場に視線を落とした。するとそこには中学生ぐらいの男子が四人固まって何かしている。一応念の為に再び左右を見たり振り返ったりしたが他に人は見当たらなかった。待ち合わせ場所にも、だ。
するとまた、「やめて下さい」と聞こえた。今度はさっきよりハッキリと聞こえた。
もう、決定だ。怪しいのはあいつら以外に考えられない。どうせ通り道だ。状況を確認して、見過ごし出来ないようなら声を掛けてみよう。
俺は散歩道を回らないで土手からそのまま飛び跳ねるように降りていった。ガサガサ派手な音がした。
少年達はあっけに取られているように俺を凝視した。それもそうだろう。彼らから見たら俺は立派なオッサンだ。そんな見知らぬオッサンが土手の草むらを物ともせずに駆け降りて来たのだ。ビビらないはずがない。
俺は一旦立ち止まると、「すうー」と息を吸って、それからゆっくりと間を詰めていった。
「さて君たち、こんなところで集まって何をしてるの?何か悪さでもしてるんじゃないだろうな?」
俺はさも偉そうに言ってみた。少年たちは何を勘違いしたのか、四人が顔を見合わせるとその瞬間慌てて走り去って行ってしまった。風を切るようにという言葉がピッタリと当て嵌まるようで、彼らの背中を見ながら俺は堪らず苦笑した。
「あ、しまった」
助けての声のことを問い詰めて無かったことに気が付いた。だが、少年らの姿はもう見えなくなっている。今更、走って追いかけてもなあ。
何だか、笑える。
諦めて俺が歩きだそうと右足を上げた時、「きゃー、ちょっと待って」
という叫び声が聞こえた。すぐ近くのようだ。
「おーい、何処なんだよ。大丈夫なのかー?」
俺は相手の声の大きさに合わせるように呼び掛けた。
「足元に気を付けて。私を踏みつけてしまいそうだから」
俺は言われたように自分の足元を見た。
「えっ?」
こっちを見上げて右手を小刻みに降っている姿が視界に入った。
「誰?」
咄嗟に口をついて出たのはそんな言葉であった。
「誰って言われても」
俺はその場にしゃがんだ。そして出来るだけ視線の高さを同じようにしようと顔を地面にくっつかんばかりに無理な姿勢をとった。
これって騒ぎたてても決して可笑しくはない状況なのだか、何故か妙に受け入れてしまっている自分がとても不思議であった。夢というか、おとぎ話でも見ているような、そんなふわーっとした気分だったからだ。
「あのう、助けてくれてありがとう」
「あ、うん。それより、どうしてそんなに小さいの?」
「私、人間じゃないのよ」
「それは見たら何となく分かるけど。まさか、魔法使いとか?」
「ううん、ただの妖精」
「妖精って、あの妖精のこと?」
「あなたがどの妖精のことを言ってるのかは知らないけど、とにかく妖精なの」
「だから小さいのか」
自分の言葉に妙に納得してしまった。
妖精は、淡いピンクのワンピースに金色の変なペンダントをぶら下げていた。
「お礼をしたいので私の世界へ来て頂けますか?」
妖精はお願いするように言った。
俺は少し考えたが、どうせやることも無いし、気分転換になるかもと思い、妖精の気持ちを受け入れることにした。
「そうしたら、先ずは私と同じ大きさになって貰いますね」
妖精はペンダントを口に加えた。
俺は慌てて「元に戻れるのか」と確認した。妖精は、「勿論です」と微笑んだ。
ヒューイという音が鳴った。その瞬間、俺は妖精と同じ大きさというか、小ささに縮んだ。すーっと小さくなるというよりも、ポンッと小さくなるような感じだった。
妖精は俺の肩に片手を置くと、またあのペンダントを吹いた。今度は、「シュラー」と聞こえた。
すると、辺りが真っ白になって霧の中に包まれた。数秒後、霧が晴れて明るい景色が見に飛び込んできた。
「ここは?」
「妖精の世界に着きました。これから、妖精主様の所へ挨拶にいきましょうね」
「一番偉い妖精の人?」
妖精は返事に困るような表情を見せると、
「えっと、この世界で位があるのは妖精主様だけで後はみんな同じで平等なので、一番というのはちょっと違うかな。あるじ様なのでただ一人の方という認識なんです」
「へえ、そうなんだ」
分かったような分からないような。まあ、どうでも良いけどね。
「お礼って、何かをくれるってことかな?金銀財宝とか」
「それは、妖精主様が決められるので今ここでは分からないけど。でも、お礼なんだからきっと喜ばしいものだと」
妖精は笑みを浮かべながらそう言うと、遅くなるので早く行きましょうと俺の手を引いた。
妖精の世界は想像とは違い都会的なところであった。と言っても東京みたいな高層ビルが立ち並ぶような都会ではなく、所謂、地方都市のような感じで、道路には車のようなものまで走っている。
妖精は、白いポシェットから何かを取り出すと、停留所にあるような標識板に向けてボタンのようなところを二度押した。
「すぐに来るから」
妖精は俺を見てニッコリとした。
すると本当にすぐにやってきた。
「これに乗るの?」
俺が聞くと妖精は頷いた。
スライドドアがすっと開く。
「さあ、乗って」
俺はそう言われると、戸惑うことなくすんなりと乗り込んだ。
二人がシートに座ると、
「妖精主様のところまでお願いね」
と、妖精が言った。運転手は「承知しました」と答えた。
まるでタクシーだな、と俺は思った。
スライドドアが静かに閉まる。
「どの方法で行きましょうか?」
「飛んで行きます。お願いします」
「分かりました」
車は周りの建物より少し上まで上昇すると、ゆっくりと動き出し、徐々に速度を上げていった。
「どの方法って?」
俺は妖精に聞いた。
「貴方が人間なのが分ったのね、きっと。だから気を回して景色を見ながらゆっくりと走って行きましょうかという事だと」
ここでは人間ってそう珍しいものでも無いらしい。他の人間が何をしにここに来てるのか聞こうと思ったが、何となく運転手が気になってここでは聞かずじまいになった。
上空から街並みを観ようと窓から下に視線を移したが、視界には何も映らなかった。というより、あっと言う間に到着したようだ。
車は下降している様子も全くないまま、白い建物の前に静かに停まっていた。
「さあ、行きましょう」
妖精が門の前に立つと、扉が勝手に開いていった。
「へえ、自動ドアか。人間界と同じなんだな」
俺は感動するというよりも半ば小馬鹿にするような気持ちになってきた。
もしも、此処に住めと言われても、今と全く同じ生活が出来そうで何ら違和感が無かったからだ。
門の中は意外と広そうではなかった。ただ、建物だけがミスマッチ感バリバリで、どうして白くて丸いものがてっぺんに乗っているのか、それが可笑しかった。どこからどう見ても、まるでアラビアンナイトの建造物そのものだったからだ。
中に入るためには頭にターバンを巻かないといけないとか、そんなルールがあるのかも知れない。
そんな事を考えながら、俺は妖精の後について中に入っていった。
「あのさ、黙って入ってもいいの?門のところでもそうだったけど、誰にも何も断って入ってないよね?」
「大丈夫ですよ。妖精主様は此処のことは全部見えてられますから」
「じゃあ、ここでこうやって話してる内容とかも聞こえてるとか?」
俺は笑いながら言ったが、妖精が「そうですよ」と答えたので、今後ここでは小馬鹿にするような事は言いまいと強く決心した。
「エレベーターに乗ります」
妖精と俺はエレベーターに乗った。エレベーター内は酷く狭かった。四人も入れば狭苦しさを感じる程の空間で、そのせいか妖精との距離感に不意にドキドキしてしまって、その鼓動が聞こえるのがとても恥ずかしく思わず心臓に手を当ててしまった。
今、このエレベーターが故障で止まったらなんて、そんなドラマみたいな事さえ想像してしまうような密室であった。
いや、駄目だ。今すぐにこの変な邪念を振り払わないと主様に知られる。そうなったらもう赤面ものだ。
気持ちを切り替えるために何か話をしよう。それで主様は何階に居るのかと聞こうと思ったが、相手はもうすぐそこだろうし、聞いている間にも扉が開きそうで、そんなこんなで何も聞くことも出来ずにいた。
エレベーターの扉がすっと開いた。動いている様子も止まった気配も全くしなかった。あのときのタクシーと同じだ。
「では、行きます」
妖精の声がわずかに緊張しているようだ。
正面の廊下を真っ直ぐに進み、突き当りの部屋の扉の前まで歩を止めた。
「要請主様、人間様を連れてまいりました」
妖精が落ち着いた声で言った。
「どうぞお入り下さい」
まさかの男性の声だった。
妖精界のトップは綺麗な女性だとばかり思っていたので、瞬間左足の膝がカクンと折れそうになった。
妖精が扉を開きすぐに俺を紹介した。
俺は「こんにちは」と挨拶をした。
「そうか、そういう事があったのですか。それは大変お世話になりましたね」
主様の言葉に俺は照れながらも、「いやー、そんな大したことでは無いですよ」と答えた。
「今日はゆっくりできるのでしょう?すぐに準備をさせます」
主様はそう言って妖精に俺を案内するように言った。俺は頭を軽く下げると主様の部屋を後にした。
妖精が案内した部屋に入った。
「すぐにお持ちしますのでここで座って待っててください」
そういわれて俺は部屋を見渡した。絵画の最後の晩餐。それを思い浮かばせるような重々しい雰囲気が漂っていた。
どこの席に座ったら良いのかさえ分からずに暫くテーブルの前をウロウロとしていた。
カチャリと微かな音が鳴り、俺は慌てて目の前の椅子に腰を降ろした。ちょうど真ん中の席だった。
すると、料理や果物の器を抱えた女性達がわんさかと入ってきて、テーブルの上に並べ始めた。
まさに、豪華絢爛であった。一通り食事を済ませると、女性達から隣の部屋へ案内された。
小さなテーブルを赤い大きなソファーで囲まれていて、少しだけ照明を落としたそんな雰囲気の場所であった。さっきの部屋との時代錯誤が甚だしい。しかし、それが尚更嬉しく思えた。
「じゃあ、真ん中に座ってーー」
女性から押されるように中央の席に座ると、酒を持ってきた女性が俺のグラスに波なみと注ぎ入れた。
「さあ、盛り上がりましょう」そう言って、女性達は「かんぱーい」と声高々にグラスを掲げた。俺も急いでグラスを頭の上まで掲げると、女性達に煽られながら一気に飲み干した。洋酒みたいだが飲んだことが無い味であった。だが、酒が進む進む。ずっとほろ酔い気分のままでいくら呑んでも泥酔などしなかった。
それがまた楽しく、ついつい俺は長居をしてしまった。
そろそろ少し飽きてきたな。あれから何時間が過ぎたのかさっぱり分からないが、俺は家に帰ることを伝えた。女性達は大変残念がっていたが、もうかなり経ちましたものねと言って、「それではこれを」と綺麗な紙に包まれた高級そうな手土産を持たせてくれた。
「これは?」
と、一応聞いてみた。
手土産を渡した女性が、「何か困ったことがあったらこれを開けて下さい」と言った。
別に困ることも無いだろうけど、取り敢えずは新しいバイトでも探さないとか。
女性に門の外まで見送られると、既にタクシーが止まっていた。
俺は女性達に礼を言うとタクシーに乗り込んだ。
運転手の横顔がさっきの運転手と同じように見えた。
「行き先は、えっとどう言ったら良いんだろ」
俺がそう呟くと、運転手は「聞いております」と言った。
そうか、彼女達が気を回してくれたんだなと思った。
またさっきと同じように辺りが白くなると、さっきと同じようにすぐに到着した。
タクシーから降りると運転手が笛を吹いた。
「キューンキューン」と聞こえた瞬間、俺の体は大きくなった。
タクシーの姿ははもうそこには居なかった。
「楽しかったな」
俺は思い出すようにニヤニヤとしながら、家路につこうとして公園の出口に向かった。「その前にちょっとトイレに」
流石に呑みすぎたのか、我慢の限界をとうに過ぎていたことに気付いた。
トイレを済ませ、手を洗いながら目の前の鏡を見た。
「ん?」
俺は振り返った。だが、後ろには誰も居なかった。
再び、鏡のほうを向いた。出来るだけゆっくりとゆっくりと。
だが、鏡の中の男は俺では無かった。頭や顔を撫でまくる。鏡の男は俺と同じ動きを繰り返していた。
今がいつなのか、ポケットからスマホを取り出した。いくら電源を入れようとしてもスマホは起動せずに真っ黒な画面のままであった。
確か、2日半ぐらいだと言ったよな。俺は女の言葉を何度も思いだした。やっぱり間違っていない。2日半だから50時間ぐらいですね。と俺に答えたのだ。
鏡の中の爺様は80歳位に見えた。爺様と言うが、まさしく俺だろう。まだ27歳の俺が何故こんなになったのか検討もつかなかった。
そうだ。困ったことがあったらこれを開けろと言ってたよな。
俺は包装紙を乱雑に破ると、中から黒い四角い箱が出てきた。これを開けると俺は元に戻れるのか。そう思うと涙が溢れ頬を伝わり落ちていった。
俺は、大切そうにそっと蓋を開けた。
ただの弁当だった。
念の為と食べてはみたがやっぱり普通の弁当であった。更に念の為、完食してみたが腹が満たされただけで、やっぱり普通の弁当のままであった。
俺は空の弁当箱を地面に叩きつけた。
あの妖精、絶対に許さん。
完