― 芙蓉 ―
何度も遠くから見ていたゲートキーパーの元へ向かう。
砂漠の向こうの大きな扉。
間近に来ると上が見えないくらい大きく、砂で出来てそうな色だけど固い。
力を込めて押してみた。
フワッ、っと風が吹いた。
ゲートは勢いよく開いた。なんの力もいらなかったのではないかと思う。
ゲートの中は、十五メートルほど向こうにもう一つ門が見え、その手前に薄い水色の幕みたいなものが架かっている。
さらに幕の手前に同じような色の屈強な男がいた。上半身はムキムキで、下半身は雲のような形をしていた。昔読んだ本で、似たような男の絵を見たことがある。ジンとか書いてあった気がする。
「そうか、これがキーパー」
思わず口に出した。
「ようこそ、紫の御仁よ。行先は『芙蓉』」
「いや、そんな場所は知らない。俺はノウトへ行きたい」
パスというものを見せる。
しかし、キーパーは見ることもなくアンリを送り出す。
「残念ながら、行先は決まっておりまする。行ってらっしゃいませ」
水色の幕が上がって、正面の門が開く。
外は淡い色らしく、どうやらノウトには行かせてくれないらしい。
アンリは諦めて、門をくぐる。
「できればこの次はノウトにお願いしたいよ」
少々の愚痴をゲートキーパーに言う。もちろん完全無視されたけど。
白一色の花が咲き誇る庭園の一画。池の上の四阿。
此の地でもなく彼の地でもない『芙蓉』。
いくら酒を呑んでも酔わないのは、体質のせいではなく、甘くない香りを運ぶ心地いい風。そして、話し相手の鋭い目つきのせい。
立派な顎鬚のご老体と飄々とした壮年の男性が、向かい合わせで呑み交わしている。
「赤いのは、ずいぶんと張り切っておるようじゃの」
「そうですねぇ。張り切られると困るんですけど」
「我らのように、ゆったりと事を構えることは出来のかの」
「青の翁は無理をおっしゃる」
「黄のDr.は、新しい芽を育てる立場であろう? アレが気にならんのかの」
「アレがここに来なかったら、虹ではなかった。それだけのことですよ」
「冷たいのぅ」
酒瓶を逆さにして恨めしそうに、控えている女中におかわりを頼む。
「あの子の望むモノは何でしょうねぇ」
Dr.と呼ばれた男性は、席を立ち池の中に落ちた月を見つめて呟いた。
息を吐き、くるっと回ってアンリに視線を合わせた。
「よく来たね紫の」
そんな話の途中で顔を向けられたアンリは、少し気後れしていた。
歩いてきた道は、白一色の花道。だから最初に目が奪われたのが花の群生。そして、次に何とも言えない青のような緑のような、ピンクのような黄色のような、口では言い表せられない空。
風はサラッと気持ちのいいもののように思える。
「お待ち申し上げていました。皆様お待ちです。こちらへどうぞ」
と、手も足も見えないくらい長く軽そうな
服をなびかせて、長い髪の横部分だけを頭上で結んだ女性たちに、言われたアンリは恭しく案内されてきた。
聞きたいことがたくさんあるのだけれど、なんだか無言を強要されているような、厳粛とした感じがあって、挙動不審になってしまっていた。
「やっときたかの。待ちくたびれたわい」
石の椅子に座っている髭のおじいさんがニマッと笑った。
「こちらへどうぞ。紫のアンリくん」
細身の男性が手招きをする。
「あの俺、ノウトに行きたいんですけど。ここにしか来させてもらえなくて。それに……」
「まぁまぁ、聞きたいこともたくさんあるだろうから、全部説明するよ。ここは時間が止まっているかのようだからね」
「まずは自己紹介とでもしとこうかのぅ。わしは青の翁と呼ばれておる。まぁ、長生きだけが特技かの」
ずいぶんと立派な髭が印象的。
「私は黄のDr.と呼ばれています。アンリくんのような若者を育てるのが趣味です」
趣味? 仕事じゃなくて?
ほかにも人がいたようだ。なんとなく色のついた風に残り香がまとわりついてたなびいていた。アンリは微かにしか感じなかった。
「さっきまで、『緑の淑女』と『橙の学者』がおったんじゃが。すまんのぅ。逃げられた。あれらは自分の好きなことをやっとるでの。まぁ、それが仕事でもあるんだから文句も言えんのだけどね」
「ちなみに『藍の放浪者』は捕まりませんでした。そして、きみが『紫の探究者』。きみの追っているのが、『赤の異端』。これで七人、虹と呼ばれるものたちだ」
「虹には他の虹がどこに行ったか分かると聞きました」
「うん。わかるよ。正確にはゲートキーパーに聞けば教えてくれる。けど、同じ場所に着いたら、その場所にいる虹にも誰が来たかバレてしまう」
「それは初耳です」
「まぁ、知らせないほうが都合いいからね」
そして言いにくそうに続けた。
「特に紫のきみは場所が限定されてしまうことが多い。探究者であるがために、どこかで起きている事件の匂いというものを嗅ぎ取ってしまう。それは、ゲートキーパーが選択肢を与えるわけだが、行きたいところに行ける確率はほぼ無い」
「俺は、ルイに勝たなくちゃいけないんです」
「焦らない焦らない。赤の異端のいる場所には行けると思う。問題がある街を徘徊するのが彼女の趣味みたいなものだからね。だけど、今のきみでは無理だね。足元にも及ばない。赤いのは、最古参で実力も経験も十分にある。きみは虹だけれども、未だ普通の成人男性だ。いや、普通よりは少し上か。警察だったんだから。基礎があるから、あとは努力かな」
「お願いします。育てるのが趣味なのであれば、俺を強くしてくれますよね?」
「ま、できるだけやってみるけどね。とりあえずは体力づくりから」
「そんな悠長なことしてられません。今すぐに強くなる薬とかないんですか?」
「そんなものないよ。私がしてあげられるのはきみの実力アップくらいだ」
アンリはかなりがっかりした。こんなことでルイに追いつける日が来るのかと。
「大丈夫。力押しでイケるって」
Dr.の怪しい指導で打倒ルイが開始された。
朝早くから夜が更けるまでみっちり筋力づくり。腕も足もパンパンになる日が続く。
一週間続けたら、なんとなく痛さは取れた。そう思ったのも、つかの間。実践が始まる。
Dr.と戦うのかと思ったら翁が相手だという。
「よろしくお願いします」
アンリは頭を下げる。
「うむ。挨拶がきちんとできる奴は伸びるでの。じゃ、いくぞ」
「え、どこに?」
「わしが散歩するから、いつでも攻撃してきなされ。ほれ、そっち邪魔じゃ」
「夕ご飯までに帰ってきてください。僕が作っておきましょう」
「げー。健康オタクの飯かぁ。年寄には食べたいものを食べさせるのが長生きをさせる秘訣だろうに」
渋々、歩き出す。翁は長い服で、歩くのに邪魔じゃないのだろうか。手は後ろに組んで飄々と歩いている。
攻撃、か。バレないように後ろからとかでもいいのだろうか? よし。蹴り、軽く。
「ていっ!」
さんっ。
ぽてぽて。ぽてぽて。
横腹を狙った蹴りは、風にかき消されたように威力を失くされ、翁は全く変化なしに歩いている。蹴りが届かなかった?
前に回ってすぐ右肘で腹を狙う。よし。
「はっ!」
ぶわっ。
ぽてぽて。ぽてぽて。
軽くかわされている。真ん中を狙ったのは、避けているところが目に見えるだろうという、それだけのものだったけど。飛んだ?
とりあえず数打って一発でも当てないと。
「うーん。紫の。何を出すのか悩まずに出せるようになりなさいよ。警察の型にはまった攻撃術は我らには効かないでの」
「そうは言っても俺はそれしか習ってないので」
「それをベースに強化していくのがいいのかの。Dr.と協議じゃ」
そうした日々を過ごし、さらに数ヶ月もかかって、やっと、やっと、ルイを追える。
「きみのほうが重い攻撃ができる。それくらいが突破口かな。赤いのは素早いから近距離で当てたいね。そこで勝ちが見える。赤いのに頭で勝つと思うな。力で勝て。と熱血講師は言っておこうかな」
「結局、力押しじゃないですか」
訓練に付き合ってくれたのは翁で、Dr.は最初に相談したきりなにもしていない。どこに熱血講師感があったのだろうか。