― ダグルとノウト ― 2
翌日、夕方まで働きづめだったアンリは、夜もやっている呑み屋に直行した。夜に出入りする人はなく、上の階に宿泊スペースがあるため、泊まり込みするのだ。雑魚寝するような場所だが、一応、男女別。
「遅い」
「悪い」
席に着くと、友人たちはデキつつあった。
「大変そうだったね、昨日。テレビで見たわ」
ルイの隣に座るショートカットの女性、マリーがトロンとした目で話す。
「まぁね」
アンリはドカッと端に座った。L字のボックス椅子にはタケとスエインもいる。
「機嫌悪そうだな」
マッドブラックのフレームの眼鏡をかけたスエインが楽しそうに言う。
「またあったのぉ? 例の紙」
「ああ。置いてあったよ『CAIN』。ご丁寧に、リンゴにナイフ刺さって蛇がトグロ巻くっていう、いつものイラストと共にね」
「早く解決できて良かったねぇー」
「冗談じゃない。警察の面目丸つぶれだ。死者まで出して」
ルイは笑う。
「人質には怪我すらなかったんでしょう? テレビで言ってたよぉ」
「それはそれ、これはこれ。そりゃ、人質が無事だったのは嬉しいよ。だからって、犯人だからって死んでいいとは思わない」
「真面目ねぇ」
「あぁ! 奴はなんでいつも簡単に中へ入り込める!」
アンリは頭を抱える。
「お前らに穴があるからだろう?」
「タケぇ~」
「そうそう、しっかりしてくれよ。国家公務員」
「スエイン、お前だってそうだろ。医者なんだから」
「アンリ君は頑張っているでしょ」
「マリーがそんなこと言うからぁ、アンリは甘えるのよ?」
ルイはため息をつきつつ、サクランボのサワーを呑みほした。
「あ、店員さん。もう一杯これー」
「私も同じの」
「俺、エール。それと味付けチキンと焼きライスボール」
「アンリ、そればっかだな。ライスボール以外も食えよ」
「うるさい。タケに迷惑掛けているわけじゃなし、いいだろっ」
「良くないわ。アンリ君はもう少し野菜を摂らないと」
「マリー、過保護ぉ」
「もう、ルイは~」
「それにしても、『CAIN』か。ちょっと、格好良くね?」
タケがニヤッと笑う。
「ほんっと、勘弁してくれ」
アンリはテーブルに運ばれたジョッキを持ち、軽く乾杯の動作をしてグイっと半分ほど呑みこんだ。
みんな乾杯に付き合ったが、すぐに興味津々で話を聞く。一番前のめりなのがタケで。
「人質となった人に話聞いたんだろ? どんな奴だったかわかったのか?」
「いや。予想通りというか、相変わらず誰も『見てない』『知らない』と首を振るばっかりでさ」
「ホントに見ているのかな?」
「え?」
「いやさ。チラッとくらい、こんな奴っていう噂の一つでもあっていいと思わないか?」
「全員が全員、しゃべらないんだから噂にさえならないんだろ。あ、でもそういや一つだけ気になることがある」
「なに、なに?」
全員が一斉に前のめりに。
「人質の男性に話を聞いていた時、一瞬ビクッとしたんだ。別に俺が何か言ったとか、そういうのじゃなくて、後ろから同じ人質になった女性が歩いてきただけ」
「その女が『CAIN』かもってぇ? そんな単純かしらん?」
「じっくり見たんだけど、普通の女性なんだ。多少、見た目は派手だけど、ルイほど目立つ感じはないし」
「褒めてないわよねぇ、絶対ぃー」
「アンリ君が言う派手は、派手じゃないかもしれないわ」
「たしかに。自分が着ない服を着ているだけで派手とか言うからな」
うんうんと全員が頷く。
「どういう意味だよ。派手だと思ったのは、口紅とかネイルが赤々していて、苦手なタイプかなって思っただけだろ」
「仕事中に何思っていんだよ」
スエインが呆れて言う。
「ま、誰だろうと捕まえるけどね」
「おー。かっこいー。これっぽっちもデータがないのにすごい自信」
「うるせえ。タケにも手伝わせてやろうか?」
「いらねえ。見たい気持ちはあるけど俺って体育系じゃないから」
フッと笑うと場が和む。
「エール、おかわり!」
この日は、遅くまで呑み明かした。皆、テイルのことを知っているのに、話題には出さなかった。
女性陣と分かれて雑魚寝をする。ここを使っているのはほぼアンリたちだけ。みんな夜出かけたいという思いはないのだろうか。
「アンリ、明日も外歩きだろ。早く寝ろよ」
窓の外の月をぼんやり見ていると、タケが背中越しに言う。
「あぁ。タケ、起きていたのか」
「まぁな。生活の時間帯が夜中心だからな。……おっと、夜の住人ってわけじゃないぜ」
「わかってるよ」
タケは、なんとかという名義で歌手に詩を提供している、と聞いている。
「なんでわざわざ夜に仕事するんだよ?」
「静かでいいぜ?」
アンリと肩を並べるように、窓辺にもたれる。
「そうなんだよね。日が暮れたら誰も街に出ないだろ?」
「当たり前だ」
「でも、夜になると誰か出てくる? 出てこないよな。誰も存在しない街中で出歩くことが、なんで駄目なんだ?」
前から不思議に思っていたことだ。
「夜の時間帯だからだろ」
「だから、可笑しくないか。ノウトの人間は、この街に来ない。アンダーグラウンドでしか、活動してないんだろ? なのに、俺たちがきっちり時間を守って建物内に入るのって、やっぱり可笑しいだろ」
「うーん、そうはいってもなぁ。皆、長年の習慣になっているし、外にいたらどうなるかなんて考えたこともないんじゃないか? って、おい、まさかアンリ、お前……」
「しないよ、そんなこと」
「ならいいけどさ。あんまり変なこと考えるなよ。もう、寝ろ」
「おう」
二人は薄い絨毯の敷かれた床に寝そべった。
出勤すると、署内が慌ただしかった。
「どうしたんですか? 先輩」
ジェフは眉をひそめた。
「なんだ、お前? 昨日と同じ服で出勤か?」
「あ。呑んでいたもんで」
今度はため息をつかれた。しかも、大きく。
「署に着替えくらい置いとけ」
「はい。えーっと、それで」
「朝早くに死体が上がったそうだ」
アンリは息を止めた。
「上がった? まさか……」
「この街唯一の水辺だよ」
砂漠に囲まれている街のオアシス。小さな小さな湖。キラキラ光る湖面が魅力的で、皆が笑顔でいられる場所。
「そんな場所に死体が?」
署内の安置室にすでに運ばれているらしい。ジェフがアンリの前を歩く。
煙草を持つかのように紙を上げた。
「でな、これ」
顔を上げハッとする。
『CAIN』あの絵だ。
「あったんですか」
「ご丁寧にね」
この紙が置いてあることは多々あった。
そのたびに悔しい思いをしてきた。だが、なにもない場所にあったということは初めてだ。人工物もなければ人質もいない。無差別に目に入る場所になぜ、そんなところになぜ?
「その、亡くなった人って言うのは?」
「教授じゃねえよ。だが、『CAIN』が狙うには、今までとちょっと様子が異なるな。人質がいるわけじゃねえっていうのが第一だが、過去『CAIN』が手を出したやつらは、顔を見たこともなかったし、ひどい格好をしていた。なのに、今回はきちっとした身なりの、この街の人間だ。しかも、ついこの前見かけたばかりの、な」
アンリは目を見開き、動揺を前面に押し出していた。
遺体は先の事件で見かけた派手な女性だった。
テイルではなかったという事にはホッとしたけれど、先輩の言った通り違和感がある。
「なんで、この人を殺害したんでしょうか? 『CAIN』の名まで残して」
「だよなー。わざわざ紙を置かなくてもいい案件だと思うがねぇ。とりあえず、この女の歴を調べてからだな」
安置室を出てから、自分の机に座ってデータ収集を始めた。
調べるほど、不可解だった。
その女には前がなかった。犯罪歴という意味ではなく、存在自体に歴がなかった。
「どういうことでしょう?」
「彼女が『CAIN』で自殺したってことで、納得できるか?」
アンリは答えなかった。
いつも飲み屋ばかりじゃ公務員としてどうかとスエインが言ったので、ルイの家にみんなが集まることになっていた。アンリが戻ると、みんな立ったまま呆然としていた。
「どうした?」
「マリーが……いなくなっちゃったって」
「えっ! まさか!」
「誰も見ていた人がいないの。だから確かなことは言えないけど」
ルイが目を伏せる。アンリは苦々しい表情を浮かべ、また情報が上がってないことに苛
立っていた。
「スエインはどう思う?」
「誰も見てないのは、夜なら当然だ。けど、マリーは真面目だから、俺らとの呑み以外の外泊は無かったはずだ。それが帰ってきてないとなると、やっぱりそう思うしかないよな。アンリが知らなかったんなら犯罪に巻き込まれたっていうわけでもなさそうだし」
ため息が漏れる。数人分の。
「アンリはホントに聞いてないの?」
「聞いてない」
「タケは家が近いし、夜も起きていたんでしょう? 知らない?」
「外は何も音がしてなかったよ。いつもと変わらずの静寂だ。もっとも、俺の部屋の中は音楽がなっていたから、気付いてやれなかっただけかもしれない」
「ここに来てないだけ、電話に出られなかっただけ、よね? じゃあ、いつものように、あの飲み屋に行っているかも。アタシ行ってみる」
「待て。ルイ。次はこの家で飲むって言ったら、ちょうどいいから店休むって言っていただろ。当然、マリーは行ってない」
「じゃあ……?」
「明日になってまだ連絡着かないようだったら……そういうことなのかもな」
全員が俯き無言になった。
飲んだり食べたり、ガヤガヤする予定だったが、言葉数少なく静かな食事会となった。
飲み込んだ言葉はみんな一緒かもしれない。この先もしかしたら自分も? という漠然とした不安。
アンリに至っては、警察官としての存在意義までもが揺らいでいた。
翌朝、ボロボロの状態で出勤した。
「元気ないな。アンリ」
「先輩……」
「わかっているって言うのは失礼だな。俺には特に親しい奴がいないから、お前の身近な誰かがいなくなった気持ちはわからねぇな。だが、だからこそ冷たいことも言えると思う。夜へ走る者たちは、別に無理矢理連れて行かれるわけじゃない。自分の意思で行ったんだ。お前が落ち込もうが、元気でいようが、関係ない」
「……はい」
「まぁ、そんなすぐに気持ちが変わるわけでもないし? とりあえずは飯食いに行こうぜ」
「先輩の奢りですか?」
「そういうとこだけはきっちりしてやがる」
優しい先輩とのお昼は、ローコスト・ハイカロリーだった。
けれど、食欲があることはいいことだ。しっかり食べないと、何事にも集中力に欠ける。食べ過ぎて眠くなることも多々あるけれど。
外回りを任されて、いつものように街を歩く。
空は青く、緑は煌めき、人々は楽しそうに会話をしている。そんな同じ日が続いているはずなのに、心は曇天の下にいるようだ。
元気か? という投げかけにも、はい。
暑いね。という投げかけにも、はい。
声をかけてきてくれた人が、首をひねっているのもわかってはいるのだけれど、今はどうしようもなく、立ち直れそうにない。
途中で引き返して署に戻った。
「早かったな」
「はい」
「まあ、やることはいっぱいある」
ジェフはコーヒーを手渡し、資料をアンリの机に投げた。
「はい」
アンリは席に座り、データーを読み始めた。事件の概要。『CAIN』が現れだしてから、一連の流れに関連している事項を探す。
リンゴと蛇の紙が落ちている。
人質(いる場合)は顔を見ていないと言う。
犯行開始時間から二十分以内で犯人に対峙している。
その時間のうち実質一分で犯人を殺している。
凶器は犯人に合わせている。
拳銃を持った犯人であれば拳銃。ナイフだったらナイフと。素手の時もあり。
街のヒーロー気取り。(アンリ談)
「たまらないなぁ」
エールをグッと一気に呷った。店だろうと家だろうと結局、毎日のように呑み会になる。ここのところは、愚痴も多くなってアルコール摂取量も比例しているみたいだ。
「いきなり何言いだすんだよ。とうとう警察が嫌になったか?」
スエインが揶揄う。
「ここんとこ忙しい気がするよ。病院は暇そうだな」
「まぁ、基本的にお年寄りの話し相手みたいなもんだからな」
「あーーー。今日は飲む!」
「やあねぇ、いつもは飲んでないみたいじゃない。スエインを見習いなさいなぁ」
エールをひたすら飲んだ。ひとりずつ周りの誰かがいなくなっていく焦燥感。何一つ結果を残せない不甲斐ない自分。
結果、目が据わる。
「いつも不思議に思っていたんだ。なぜ夜の街
に出たらいけないのか。この間はタケに止められたけど、やっぱり、出る」
「アンリ、やめとけって。タケのが正しいよ。何があるかわからないだろ」
「行く!」
「おいっ! ちっ、酔っぱらいが」
「スエイン、どおするのぉ?」
「追いかける。あいつ何するかわかんね」
「あたしも行くわ」
「ダメだよ。ルイはここにいて」
二人の制止を振り切って暗い夜の街へと飛び出した。スエインがルイを押し留めて追ってくるのがわかる。けれど、普段から動き回っているアンリに追いつくことは出来ず、お互いの位置はわからなくなっていた。
アンリは、ゲートが見える位置まで走り切ったが、昼のそれと何の変りもない風景だった。
「ほら、昼と何ら変わりない! なぜ、夜に出歩いてはいけない?」
ずっと疑問だったことが、心の中で、頭の中で渦を作ったまま。
座り込む。
砂が昼の暑さを吸い込み、冷たい石を感させる。
目はひたすらゲートを見ていた。誰もいない。いないんだ。
「なぜだ」
トボトボと家路につく。
「スエインが帰ってこないの!」
ドアを開けるなり、ルイがアンリに縋りつく。
「まさか、スエインが……? なんでだ! 俺が何も考えず、飛び出していったから?」
「なんか、寂しいねぇ。三人しかいないなんて」
「そんな冷静に……」
「泣かないとダメかしら? あたしもあたし
なりに悲しんでいるつもりなんだけどな」
「…………。スエインと合流してからここに来るべきだった」
「この街はどうなるのかしら?」
「何かがおかしい。おかしいんだ。止めないと」
「何を? わかんないわ」
何も考えたくないときは、ゲームをしながら時間を進める。このまま俺たちは、街はどうなるのだろう。そう考え始めると、食事も睡眠もとれる気がしない。
ルイがそう思っているのかわからないが、ゲームに付き合ってくれているということは、多少なりとも同じ気持ちでいるのではないだろうか。
そう思った矢先に、新たなる疑問を投げつけられた。
「ねぇ、アンリ。あなた自分の親のこと憶えてる?」
「え?」
ルイが唐突に言いだした。
「あたし、知らないのよ」
考えるまでもない。
「俺も知らない」
ゲーム機のボーーーという音と、コントローラーをカチャカチャいじる音が絶えず聴こえる中で、一瞬の静寂がおとずれ、無機質な実況がエンドを告げる。
「私たちどこから来て、いつからここにいるのかしらね?」
「先輩。どうしても気になることがあるんですけど」
「なんだ?」
「今日は何月何日でしょうか?」
ジェフはキョトンとしてアンリを見た。
「ボケたのか? 六月二十一日だろう?」
アンリは真剣に向かい合って口を開いた。
「では、昨日は? 明日は?」
「何言っていんだ、お前。大丈夫か?」
アンリの額に手を置いて熱を測るしぐさをする。アンリは手を振り払って、尋ねるとも言い聞かせるとも思えるように言った。
「でもね、先輩。夏が来ないんですよ」
不審者が捕まったのは、夕方だった。
何かしらの事件が起きた時に、よく見たような……ぼさぼさ頭で、薄汚れた服を着て、顔は見えないほど汚れていて。
「彼は何を?」
「公園でばあさんに襲いかかったらしい」
鉄格子の向こうの男は、ぼそぼそとした音を発しながら丸まっている。
「理由は聞いたんですか?」
「言わない」
真昼の公園で犯罪が行われ、死者もいない。『CAIN』の紙もない。
「初めてですね」
「俺が知る限りではないな。一応これから取り調べだが、お前も来るか?」
ジェフは、アンリの心の声を読みとって答えた。
「いいんですか?」
「お前のオトモダチが面通しに来るしな」
取調室に向かう途中で、署内がざわついた。
「おい。待ちなさい!」
見知った顔がひどい格好で歩いている。後ろから職員が止めるが、構わず足を進めている。
「タケ! どうしたんだそれ! 大丈夫か?」
アンリに向かって来ていたのは、タケだった。頭から血を流し、目は腫れて、手や足、肋骨まで折れていそうな気がする。ここまで歩いてきたのが不思議なくらい。
「俺の知り合いです」
とりあえずそう言って、皆を落ち着かせた。タケを抱え込んで静かに寝かせる。
「アンリ……。ルイが……」
「ルイがどうした? それより何があった?」
「おい、大丈夫か? 面通しに来たんじゃなさそうだな。救急車を呼べ」
「はっ」
ジェフが制服を着た職員に言った。
「あ、ああ。タケが面通しするはずだったのか。気にするな、どうでもいい。しゃべるな、すぐに病院へ行こう」
「どう、でも、よくな、い。あの男、襲い掛、かる前に、女、と、話していた。……遠く、て、よく見えな、かったけど、あの髪、服、た、ぶん、そう思っ、て、ルイに聞きに、行った、ら、このザマ、だ」
「ルイがタケにこんなことを……?」
「めちゃ、くちゃ、つええ。たぶ、ん、『CAIN』だ」
「なっ!」
「止めろ……お前な、ら、できる……っ」
「タケ‼」
タケが気を失った。息はある。救急車はまだか。
タケに付き添って病院へ行った。なんとか命は繋ぎとめることができた。
ホッと息を吐く。しかし、まだ緊張する事項が残っている。
タケが残した言葉。ルイが『CAIN』だというそれ。
眠っているタケに行ってくると呟くと、ルイがいるはずの我が家と呼ぶ家へと急ぐ。