39. どうして好きだったんだろう
またたく間に学園中に広まったフィールズ公爵家のそのスキャンダルで生徒たちの話題は持ちきりだった。そしてその日の放課後のこと。
帰宅の準備をして廊下に出たところで、私は突然ダリウス様に呼び止められた。
「クラリッサ!よかった、捕まって」
「……?はい、何でしょうか」
私の気持ちは不思議なほどに凪いでいた。もうダリウス様の顔を見てもドキリともしないし、欠片ほどの動揺もない。そんな自分の変化に少なからず驚いた。
「いや、ちょっとここでは話せない。……また前のあの教室に来てくれないか?」
「……。…今からですか?」
「ああ、すぐに頼む」
「いえ、あ……」
それだけ言うとダリウス様は私の返事も聞かずにサッサと先に言ってしまった。私と喋っているところを人に見られたくないのかもしれない。特にアレイナ様には。
私は深い溜息を一つつくと、仕方なくダリウス様の後を追おうとした。その時だった。
「そうなのよぉ。もう私も驚いてしまって……本当にすごくショックで…。……ええ、そうなの。この顔の傷も全部ミリーの仕業よ……あの子錯乱していたの……。怖かったわ、とても……!」
(……ん?)
大きな声に何気なく振り返ると、隣の教室でアレイナ様がたくさんの人に囲まれていた。ドアが開け放たれているから会話が外まで丸聞こえだ。廊下にも他のクラスの生徒たちが集まり中を覗いている。
「傷のことはいいのよ、全部浅いからそのうち治るわ。それよりも、まさかあのミリーがあんな大それたことをしでかすなんて……!いえ、でも私には何となく分かる気がするのよ。あの子って周りから見ればものすごく優秀で賢い子ってイメージだと思うけれど、姉の私からすれば昔から時折疑問に思う行動もあったの…。あんなことをしてしまうのが、あの子の本性なのかもしれないわね…」
(…………。)
その様子や声色に、違和感があった。なぜだか私にはアレイナ様が喜々として妹君の醜聞を触れ回っているように見えて仕方がなかった。
「……何でしょうか」
以前話をした例の教室に入るなり、私は切り出した。ダリウス様は机にだらしなく腰かけたままではぁーっ、と息をつく。
「いやぁ、参ったよ、本当にさ…」
…例のフィールズ公爵家の話だろうか。
「…ええ、聞きました。本当のことならば……大変ですわね、アレイナ様もさぞご心配なさっているでしょうし」
「……?……ああ、ミリー嬢の話か。いや違う違う。今はそっちはどうでもいいんだよ。…いや、どうでもよくはないんだが……フィールズ公爵家が莫大な慰謝料を抱えるはめになるわけだからな……たしかにこっちにも……、いや、だが今はまぁ、それより」
「…………?」
ダリウス様は何やら考え込んでぶつぶつ言っている。…何が言いたいのかしら。
私は早く家に帰りたくてそわそわしてきた。
「なぁ、クラリッサ。もうすぐ学期末の試験がまたあるだろ?俺はそっちの準備で手一杯でさ。提出物の方だけでも助けてくれるか?また外国語と作文と自由課題があっただろ」
「……。……なぜですか?」
「……。ん?」
「なぜ、それを私に頼むんですか?」
ダリウス様はキョトンとしている。まるで私が何か訳の分からないことを言い出したとでもいう風に。
「…なぜって、当然だろう?他に誰に頼めっていうんだよ、こんなこと。お前がずっと俺のことを助けてくれていたじゃないか」
キョトンとしたいのはこっちの方だ。私の言っていることが分からないのかな。
「…ですから、それは私があなたの婚約者だったからでしょう?あなたのことを生涯を共に過ごし、支え合っていく相手だと思えばこそ、困っていたら助けてあげたいと思っていたのですわ」
「だっ!だけど!…こないだだって助けてくれたじゃないか!ほら、何ヶ月か前のあの…」
「あれはあなたの曖昧な言い回しに混乱していたからです。今思えばあれも私の大間違いでしたわね。引き受けるべきではなかったと後悔しました。では、私早く帰りたいので失礼いたしますわね」
「っ!!ち、ちょっと待てクラリッサ!!」
放課後の貴重な時間を無駄にしたくない私はそそくさを教室を出ようとするが、後ろからダリウス様に大きな声で呼び止められる。
「そ、そんな冷たいことを言うのか?!前にも言ったじゃないか!家のことやあれこれは置いておいて、俺たちはこれからも良き友人関係でいようって…」
私はムキになっているダリウス様の顔をまじまじと見つめた。
この人のことを、私は幼い頃から本当に大好きだった。あなたが将来結婚する相手よと母に言われたあの日から、この人が私の世界の中心だった。
だけど今こうして二人きりで対峙して見つめあっていても、ほんの少しのときめきさえも湧いてこない。見るだけで幸せだったこの整った顔も、ただの赤の他人だとしか思えない。
身勝手で、思いやりの欠片もなくて……私、どうしてこの人のことをあんなにも好きだったんだろう。
長かった盲目の恋は、いつの間にかすっかり終わりを迎えていたようだ。もうこちらも気遣いや遠慮は必要ないだろう。
「良き友人関係って何ですか?あなたにとってだけ都合のいい友人関係ってことですよね?」
「……は……、……え?」
「私には何のメリットもありませんわ、そんな関係」
「…………ん?ク、…クラリッサ…?」
「調子に乗るのは止めてください、ダリウス様……、いえ、ディンズモア公爵令息。あなたが私に一方的に婚約破棄を突きつけてきた時から、あなたと私はもう赤の他人なんです。である以上、私の貴重な時間をあなたのために浪費する理由は一つもありませんわ」
「おっ…………おいおい……ははっ……。ど、どうしたんだよクラリッサ…、お前……」
顔をどんどん引き攣らせるディンズモア公爵令息に向かって、私は淡々と言いたいことを言った。
「今後私にはこのようなお声がけは一切止めていただきます。ご自分のことはご自分でなさってください。では、さよなら」
私が再び教室のドアに手をかけると、ディンズモア公爵令息の焦った声が飛んできた。
「なっ!何だよそれ!お、お前……そんな感じの女じゃなかっただろう!!何で急に、そんな、べ、別人みたいになるんだよ!冷たすぎるだろ!!」
「……。」
はぁ、と一つ溜息をつくと、私は渋々振り返って言った。
「当たり前でしょう。だってもう私、あなたのことを少しも好きではないんですもの」
私は今度こそ教室を後にした。




