P.1
綺麗な夕焼けだ。
空一面が薄赤に焦がれたその光景は、一日の終わりを憂き感傷に浸るよりも前に、美しさを感じさせる。
もっとも、今のロイスには浸る事も感じる事もする余裕すら無かったが。
「はあっ!」
天井が無く、夕暮れの光が落ちる開放的な訓練施設で、一人の男に向かってロイスが木刀を振り下ろした。
ロイス・グラント。港町マグレブに住む、十八歳の青年である。
同じ年頃の男性と比べると軟弱そうな体付きは、人によっては振るう木刀の方が強く見えてしまうかもしれない。
読書や花を育てる事が趣味、と言われても違和感が無さそうな体格をしていたが、今までそう言われた記憶が無いのは、明るいオレンジ色の瞳が活発な印象を与えたからだろう。
それに対しているのは彼の父親である、ネフィ・グラント。
木刀を振るう様子だけ見れば豪快そうではある。顔は掘りが深く、ロイスから見れば夕日が差して黒く染まっているその髪は、本来ならロイスと同じ茶髪である。
この世界では珍しくもない無骨な石造の建物に、砂埃が舞い上がった。
ネフィはロイスの攻撃には一歩も引かず、まるで木の葉を払うが如く振り上げた木刀で弾き返した。
上げた木刀の先を再びロイスに向けて下ろし、その場で次の一手を待ち構えている。
空の青いうちから繰り返されたこの光景は、それでも一向に変わる気配は無い。
ロイスの顔にだけ疲弊が見えるのは、彼らの足跡を見れば理由は明白であった。
ネフィは自身の足元に、ロイスは至る所に。
打ち込む度に増えるのは、やはりロイスの足跡である。
間も無く、夕日の半分近くが沈もうとしていた。
「ロイス、次で最後だ」
ロイスは返事の代わりに、顔を引き締めた。
ネフィとの間にある僅かな距離。
ロイスは一度息を吐き切ると、顎を伝う汗が地面に落ちる前に一気に加速をつけて木刀を振るう。
だが、またもネフィは軽く腕を上げただけで彼の一太刀を去なした。
ネフィの左側へと流されたロイスはそのまま踏ん張った左足を軸に反転し、続けて上段斜めから木刀を振り下ろす。
反転した勢いの乗った太刀筋はネフィに当たると思われた……が。
「甘い」
ネフィは造作無く互いの木刀を交差させると、自身の後ろに払って受け流した。
「う、わっ……」
ロイスがバランスを崩して前のめりによろける。
行き場の無くなった木刀の切っ先が、虚しく宙を切って地面に投げ出された。
その背中に、ネフィは容赦無く木刀を叩き落とす。
ロイスからその剣筋は見えない位置にあったが、時間が経てば背中側の胸と胴の間で綺麗な一直線の赤い筋が浮き上がってくるだろう。
木刀とはいえども、当たればさすがに痛い。
ロイスは空いた片手に力を込めて起き上がろうとしたが、途端背中に走る鈍い痛みに抗えずに呻き声を洩らして地面にうつ伏せた。
「ここまでだな」
見下ろしてネフィが言う。
ロイスはそれを見上げる形になるが、丁度沈む直前の夕日の逆光は浴びるし背中は痛いしで、まともに見る事は敵わなかった。