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ロイスが腹部の鈍痛を感じながら手を突いて四つん這いで上体を起こした時、視界に映ったのはジャクアに殴り掛からんとしているヴェンの姿だった。
「おらぁっ!」
ジャクアはそれを容易く避け、拳が届かない位置まで跳び退くと両手を胸の前まで掲げた。
空振りに終わったヴェンはすぐさま地面を蹴って追撃を仕掛ける。
ヴェンが左の拳を構えた時、それは突然現れた。
「飲まれるがいい……」
漆黒の空間。
ロイスにはどうしても、そうとしか表現出来なかった。
周囲は夜だというのに、その夜の暗闇さえ塗り潰してしまうような闇。
ジャクアが掲げた両手の間から現れた人間の頭くらいの大きさをしたその闇は、今まさに殴り掛かる体勢に入ったヴェンの前に球状に現れた。
「何っ……!」
「ヴェン! その闇に触れちゃ駄目だ!!」
ヴェンが驚くのと同時に、無意識にロイスは叫んでいた。
闇はヴェンの目にも認識出来たが、既に打ち出した拳を止める事が出来ない。
「くぅっ……!」
ヴェンは咄嗟に体を目一杯捻り、拳の軌道を目の前の闇の球体空間から何とか逸らした。
「ふむ、ならこれはどうだ」
今の攻防でヴェンが警戒している、と判断したのか、今度はジャクアから攻撃に移る姿勢を見せる。
自らその闇の中に腕を入れ、まるで泥の中から引き抜くような遅さで中から棒状の物を取り出す。
徐々に姿を現すそれは、持ち手からは蛇の尾が絡みつき、蛇が伸びる先には刃の根本で髑髏に喰らいつく頭の装飾が施された、実に禍々しい赤黒い槍であった。
木刀やマグレブを訪れる旅人の、無骨な装備しか見た事が無いロイスでも一目で理解出来る。
あの槍は、普通じゃない。
「止めろ……」
ロイスが地に吐き捨てるように声を漏らした。
今から妨害出来るか?
自分が?
歯牙にも掛けられなかったこの僕が?
どうやって?
武器すら使い物にならなくなったのに?
腹部を押さえながら力を込めたロイスの足に、何かが当たる。
先程ヴェンに伸された野盗の長剣だ。
訓練でも扱った事は無い。
持てばアイツを殺す事も出来る。
一瞬だけ、迷った。
そんな時間すら無い事は、本人が一番解っていた。
既に半分に割られた木刀を放り捨て、傍らに落ちていた野盗の長剣を握り締める。
初めて手にした鉄の剣は、木刀に比べれば当然のように重い。まともに振るう腕力が有るのかと言われればまだ足りないだろう。
それでも、ロイスは四つん這いの姿勢から長剣を両手に駆け出した。
「止めろぉッ!」
ジャクアが槍を構えた横っ腹から無我夢中で振り被る。
突然の急襲ではあったが、ジャクアは大して焦った様子も無く槍でロイスの剣を受け止めた。
「貴様に用は無いと……」
そこまで言って、ジャクアは気づいた。
ロイスの着けているピアスが強く光っている事に。
ピアスだけでは無かった。
彼の持っている長剣、そして彼自身の身体も、脈打つ様に発光しているのだ。
「これは光の……」
ジャクアの顔に初めて、戸惑いの色が見えた。
その時。
ヴェンではない、別な人物がその場に飛び込んで来た。
その人物は腰に帯刀した剣を抜くと、迷うこと無くジャクアへと振り下ろす。
ジャクアは受けていた槍の腹でロイスを突き放し、今度はその人物と組み合った。
「ロイス、ヴェン、無事か!?」
灰色の髪が揺れた。
「……ゼア」
「ゼア!」
ロイスは片膝を突き、ヴェンはロイスに駆け寄りながら、その名を呼んだ。