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ヴェンは突進した勢いのまま腰を捻り、男に目がけて右拳を叩き込む。
だが、胸部に命中した筈のその拳は巨体を一、二歩押し下がらせただけである。
巨体の男は不敵に笑うと、その身体に合わせた大斧を負けじと振り回したため、ヴェンは次の打撃を加える前に一端後ろへ飛び退かざるを得なかった。
「クソッ! でかい図体は伊達じゃないってか!?」
ヴェンの左肩から、小さな服の残骸が宙を舞う。
充分な間合いを取ったヴェンは、巨体の男から視線を外さないまま己の左肩にそっと手を置いた。
血は出ていない。斧が掠めたのは服だけで済んだようだ。
「何やってんだ、ジャクアさんよぉ!!」
巨体の男は、戦ってくれ、という意味を込めて後ろの銀髪の男に向かって言った。
先程までは圧倒的に優勢、余裕と思い込んでいただけに、今の状況は信じられないという気持ちからか口調も焦り気味だ。
しかし、ジャクアと呼ばれた銀髪の男からの返答は無い。
ジャクアは逃げるでもなく、加勢するでもなく、この状況を不気味に口角を上げた口元のまま、ただ傍観しているだけだった。
まるで、楽しんでいるかの様に。
「よそ見、してんなっての!」
突然目の前に居た筈の声が頭上から振って、巨体の男は大斧を構えもせずに顔を上げた。
ジャクアへ視線を移した今の一瞬で、ヴェンはこの場を囲む周囲の木の幹と太い枝を足場に移動して、接近しながら巨体を超える高さまで跳び上がっていたのだ。
巨体の男が顔を上げる頃には、ヴェンの踵落としが顔の縦に綺麗な正中線を作る最中であった。
巨体の頭が、僅かに傾く。
ヴェンは続けて、着地する事なく間髪入れずに顔の側面へ回し蹴りを叩き込む。
巨体がゆっくりと、重たい音を上げ、地に伏せた。
結局ロイスは木刀を身体の前に突き出したままで、微動だにする事無く九割方が片付いていた。
訓練と実戦。
全く違うものだと散々教えられはしたが、命を曝け出すとなるとこうまで身体が動かなくなるのか。
何も出来なかった悔しさと自分への怒りが同居して、ロイスは顔をしかめて歯ぎしりをした。
「さってと、後はアンタだけだな」
着地したヴェンは既に巨体の男には目もくれず、再び構えを取ってジャクアへ向く。
「そのようだな。ヴェントレット・G・ベルトス」
返って来た言葉に、ヴェンは思わず驚いた。
「何で俺の名前を知ってやがる!?」
銀髪の下で変わらない口角。
「まさか、私がヤるハメになるとはな」
一度、直線上に並ぶヴェンとロイスが睨まれた。それだけで充分だった。
動けなかった。
これが殺気というものなのか、何なのかは解らない。
でも、ロイスには相手の目を直視することすら出来なかった。
見たら、その瞬間に意識を持っていかれそうで。
構えのまま固まっているヴェンも、恐らく同じだろう。
唯一二人に理解出来たのは。
「どうした、掛かって来ないのか?」
圧倒的な力の差。
「うあぁぁああ!!」
先程の自分の不甲斐無さを振り払うためか、またはこの空気に耐えられなかったのか、これまで静観していたロイスが一度慣れない雄叫びを上げると、木刀を両手に構えてジャクアへと弾かれる様に走り出す。
今のジャクアは無防備だ。武器すら手にしていない。
背後からヴェンの声が聞こえた気がしたが、土を蹴る音と目の前の男への集中でまともに耳には入って来ない。
上段からロイスは木刀を振り下ろす。と、同時にジャクアは避けようとする気配も無くロイスをチラリと見た。
「フン、貴様に用は無い」
ジャクアは羽虫を扱うかの如く、ロイスに手刀を突き出した。
「うぐっ!」
受けた瞬間に思ったのは、鉄か鉛でぶん殴られた感じだ、だった。
ロイスはこの一撃だけで、遥か後方で倒れている野盗の所まで弾き飛ばされた。
ただの突きなのに、威力が重い。
受ける直前に振り下ろした木刀が防御の代わりになってくれたお陰なのか大した打撃にはならなかったが、その木刀は真っ二つに折れていた。