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「うん……早く、戻ろうよ。夜が明けるといけないし」
ロイスは焦っていた。
焦っていた故、取り敢えず思いついた適当な理由を口走った。
家を出たのは日付が変わるか変わらないかの真夜中だ。
ここまで来た体感時間を考えて、ロイスもそんな事は無い、とは思った。
焦りには、もしかしたら誰かが来るかもしれない、という心配も有った。
だがそれ以上に、先程の嫌な感じが消えないのだ。
何かを頭の奥が拒絶する、この感じ。実は、外へ出た頃から強まっていた。
外へ出た喜びというのも確かに感じていたのだが、今はこの気持ち悪さの方が遥かに上回ってしまっている。
いつの間にか小刻みに震え出していた両手に、ロイスは強く力を込めた。
「……どうしたよ」
ロイスの様子に気付いたのか、心配そうにヴェンが声を掛ける。
と思えば、そんな心配を軽く振り払うように大袈裟に両手を広げて見せた。
「だーいじょぶだって。まだこんな真夜中なんだぜ? 誰も来やしねぇだろ」
とその時、微風と共に何かが二人の耳に運ばれた。
ボソボソとはしていたが、紛うことなき人の声。
「……誰も来ないんじゃなかったのか?」
じろりと睨む様に、ヴェンに目線を送った。
「そのはずだったんだけどなぁ。だけど誰だ? こんな時間に……」
何を思ったか、ヴェンは声のする方へと、足音を立てないように近づいて行く。
「ちょっ……何処行くんだよ。そっちは……」
「見るだけだよ。大丈夫だって、死ぬわけじゃねぇんだから」
ヴェンはどんどん先へと進んで行く。
ロイスはもう、呆れたのを通り越して言葉すら出なかった。
せめてこちら側の声が、正体不明の人声らしきものに届いてなければ良いのだが。
声しか聞こえていない筈なのだが、ヴェンは迷いなく何処かへ向かってひたすらに足を進めている。
興味津々で進んで行くヴェンと、半ば強制的にその後を追うロイスは、やがて森の少し開けた場所が目に入った。
それと同時に人の影が見えたので、二人は道中までで手慣れてしまった動きで、素早く草木に身を潜ませる。
「ここからなら、声も充分聞こえるな」
視線は前へ向けたまま、ヴェンが小声でロイスに喋りかけた。
草木の隙間から顔を覗かせると、確かに人が居る。二人だ。
一人は遠目から見ても大きいと判るくらいの身体で、焚き火の前にどっしりと座っている。
もう片方は細身の銀か白の髪色をした者。
パッと見て男か女かの判別は難しい。灯りに照らされた髪はそれでも少し暗かったので、銀髪寄りだろうということが辛うじて判別出来たくらいだろうか。
影が見えたのは、そこに焚き火の灯りが広がっているからであった。
これなら、成る程。
ヴェンがどうやって一直線にここまで辿り着けたかも頷ける。
これだけ大きな火元があれば、この暗闇の中では嫌でも目立つ。
「本当に上手くいくか?」
二人の内の、巨体の男の方が喋った。
男の前には、焚き火に照らされて光る不気味な大振りの斧が地面に刺さっている。
さらにそれを挟んで、小柄で長い銀髪の身体が微妙に揺れた。いや、片方が巨体過ぎるのか。二メートル以上はありそうだ。
それに比べれば銀髪の方は、華奢な体型と言えるかもしれない。
顔が銀の前髪で殆ど隠れているが、かろうじて見えた口元はどうやら笑っているようで、こちらも斧に負けず劣らずの不気味さであった。
銀髪の男はニタリとした口元のまま表情も身体も動かさず、ただ一言だけを巨体の男に返す。
「無論」
男性の声だ。
細く、口から零れ落ちたような、しかし鳥肌を全て刺激してくるような声。
その言葉を、いや声を聞いた途端、ロイスのピアスがぼんやりと光った。
右手で自分のピアスにそっと触る。ヴェンは気づいていないようだ。
「それに」
銀髪の男が続け、ロイスはハッとなった。