八年ぶりの光景
「私の……、誕生日?」
アンドレウスの言葉を繰り返す。
それほどに衝撃的だったからだ。
幼少期、お母さんとアンドレウスに祝われたものの、数字が読めなかった私は自身の誕生日を知らなかった。
孤児院では、引き取られた日を誕生日とし、同じ月の子たちと一緒に祝われる。
クラッセル家に拾われたときは、ちょうど誕生月だったため、現在まで拾われた日を誕生日として祝っている。
今日が自分の本当の誕生日。
「十七歳の誕生日、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「八年も離れていると、君へのプレゼントが分からなくて」
ブティックを貸し切ったのは、私自身で好きなものを選んでもらうためだったのだ。
「フォルテウス城にあるものは、すべて僕が選んだものだからね」
「あれで充分です。さらに欲しいとは思いません」
私はぶんぶんと首を振る。
ドレスは一月に一度の採寸の後、知らぬ間に増えている。他のものも同様に。
収納しているクローゼットはパンパンになっており、サーシャが『どこに仕舞いましょう……』と困っている。
「お父様、誕生日プレゼントありがとうございます」
「……はあ、嬉しいなあ」
私がニコリと微笑み、アンドレウスに礼を言うと、彼は胸を抑え、悶えている。
「ということは、今日は夜会があるのでしょうか?」
「いいや、ローズマリー生誕の夜会は明日だよ」
「直前まで伝えて下さらなかったのは……、サプライズですか?」
「う、うん。まあ、そういうことになるのかな」
アンドレウスの返事がたどたどしい。
きっと私が自身の誕生日を知っていると思っていたのだろう。
「次はどちらに向かうのですか?」
「……もうじき着く」
アンドレウスは窓の方を見つめる。
場所は貴族街から離れ、平民が住む集合住宅を走っている。
ここはーー。
(あっ……)
一瞬、公園が目に入った。
あそこは、お母さんと遊んだ場所。
確か、公園は自宅から近かったはず。
ということは、私たちが向かっている場所はーー。
「着いたよ」
馬車が留まる。
アンドレウスは隣に置いていた、バックの中から灰色のカツラを取り出し、それを被った。
幼少期に会っていたアンディおじさんに変装し、馬車を降りる。
「君が育った場所だ」
私は差し出されたアンドレウスの手をとり、馬車を降りた。
見覚えのある、集合住宅が目の前に建っていた。
「ここ……」
「さあ、行こう」
アンドレウスに手を引かれ、私は思い出の建物に入る。
☆
集合住宅の三階の一部屋。
そこが私とお母さんの住居だった。
この場所に来ようと、トゥーンの街を訪れた度に、探していたがたどり着けなかった場所。
扉を開けると、キッチンとリビングが見える。
「あ、ああ……」
家具の配置も全て当時のまま。
大きなテーブルに三脚の椅子。
うち一つは小さかった私のために脚の高さが長くなっている子供用のもの。
個室へのドアは開かれており、そこへ入るとお母さんの仕事道具であるミシンが置かれた作業台、私が我儘を言った時に閉じ込められていたクローゼット、お母さんと一緒に眠ったベッドが置いてあった。
私はそっと掛け布団に触れる。
布地のカバーには、模様が刺繍されており、モチーフとして植物のローズマリーが縫われてあった。
「お母さんは、私がローズマリーだってこと……、知ってたんだ」
自分の名でもある模様を見つけ、当時を思い出し、私の頬に涙が伝う。
「お母さん……」
お母さんを失った、ひとりぼっちになったあの事件から八年が経った。
ようやく私はこの家に帰ることが出来た。
私とお母さんが九年間暮らした場所。
私の大切な場所の一つだ。
「この部屋は当時のままにしている」
個室にアンドレウスが入り、クローゼットを開いた。
衣服は入っておらず、空である。
「昔の君は、この中に入れるほど小さかったんだよ」
「今は、無理ですね」
「今年の君の誕生日はね、ここで祝いたかったんだ」
私とアンドレウスはリビングに戻り、席に着く。
私はお母さんが座っていた椅子に座った。
「この部屋は……、お父様が私の成長を見守る場所だったんですよね」
「ああ。この階は僕が買い取っていた。君のお母さんに毎月生活費も収めていたはずなんだが、今の生活と比べれると充分な生活とは言えなかったね」
「えっと……」
アンドレウスの発言には引っかかるところがあった。
毎月生活費を収めていた?
それだったら、お母さんは商品を作ってバザーに出品する必要はなかったはず。
家賃と生活費はアンドレウスの仕送りでまかなえてたのではないか。
何故、私とお母さんは質素な暮らしを強いられていたのだろうか。
(ううん、考えても、もう遅いわ)
八年前のことをあれこれ考えても、もう遅い。
過ぎたことは戻らないのだから。
「なんでもありません」
「ここで待っておくれ、今、料理を持ってくるから」
「え、あ、はい」
アンドレウスは部屋を出て、階段を下りた。
窓から出口を見下ろすと、アンドレウスが部下に何かを指示している。
少しすると、彼らを連れて部屋に戻ってきた。
「よく噛んで食べる固いパンにふわふわの卵にウシ肉のシチュー……」
テーブルの上に私の大好きな料理が並ぶ。
現在の豪華な夕食に比べたら劣るが、一つ一つ思い出のある料理たち。
「三段パンケーキ」
三段に重ねられ、その上にクリームがかかった甘いパンケーキ。
間には細かく刻まれた季節の果物が挟まれている。
これは誕生日にしか食べられなかった特別なケーキだ。
「とても懐かしいです」
「僕もだよ。さあ、冷めないうちに食べよう」
私とアンドレウスは、お母さんの味が再現された料理たちを二人で食べる。
パンの固さも、ふわふわの卵の食感も、ウシ肉の柔らかさも全て懐かしい。
最後に三段パンケーキを一口。
「あれ?」
ふわっとしたパンケーキとクリームの食感はするが、ほのかな甘さと果物の酸味しか感じられない。
記憶の中ではもっと甘かった気がするのに。
「甘く……、ない」
「当時もこれくらいの甘さだったよ」
「そうでしたか?」
「あの人はローズマリーにお菓子を買い与えなかったからね。成長してゆくうちに、君の舌が甘味を覚えてしまったんだろう」
「……」
「これを食べ終わったら、城へ帰ろう。明日の君は一日中大変だろうから」
アンドレウスの皿が空になる。
私の皿には三段パンケーキがまだ残っている。
これを食べ終えたら、私とアンドレウスはフォルテウス城へ帰る。
明日は、私の生誕を祝いに様々な貴族が城を訪れる。
盛大な夜会も開かれるだろう。
とても忙しい一日になりそうだ。
「あの、この部屋は――」
「もう少し残しておくよ。時間が出来たら、また一緒にここへ来よう」
「……はい」
この部屋はそのままにしてくれるようだ。
私とお母さんとアンディおじさんの部屋。
残してくれてありがとう、最高の誕生日プレゼントだと私は心の中でアンドレウスに感謝した。




