父の指導
制服を脱ぎ、アンドレウスが用意した黒いドレスに着替える。
今日は休日用ということで、飾りのない膝丈のシンプルなものだった。
襟袖も広がっていなくて動きやすい。
髪や化粧も簡単なもので、装飾品もいつもより質素だった。
「では、私たちはこれで」
身支度を手伝ってくれたメイドたちは、脱いだ制服を持って、私の部屋を出て行った。次の登校日までにきれいにしておくのだろう。
部屋には私とサーシャの二人だけ。
「リボンのこと……、素敵と褒めてくれてありがとう」
サーシャは先輩のメイドに怒られ、元気がなかった。
二人きりになったところで、私はサーシャにお礼を言った。
「ローズマリーさまにそう言われると……!」
サーシャは真っ赤な表頬を押さえ、その場で震えていた。
これが彼女の喜びの表現だということは一緒に居て分かっている。
私はくすっと笑いながら、その様子を見ていた。
「城を出る前にはなかったので……。触ってもよろしいですか?」
「ええ」
サーシャはリュックを持ち上げ、テーブルの上に置いた。
持ち手に結ばれた緑色のリボンに触れ、ぱあっと明るい表情を浮かべる。
「飾りや布地からして、髪飾り用ですね!! どなたから頂いたのですか?」
「……マリアンヌから貰ったの。私に似合うと言われて」
私は嘘をついた。
本当はルイスから貰ったもの。
だけど、それをサーシャに伝えたら、異性から贈られたものとして処分されてしまう。
マリアンヌから贈られたものだと伝えれば、アンドレウスも不審に思わないだろう。
私とマリアンヌは姉妹のように育ったのだから。
「髪に結わえないのですか?」
「そのつもりだったのだけど……、昨日は夜遅くまで絵を描いていて、結わえる時間がなかったの」
「でしたら、私にお任せください!!」
「サーシャに?」
「通学までにローズマリーさまに似合いそうな髪型を考えてまいります」
誰かに髪型を考えてもらうのも悪くはない。
サーシャのことだから、一人でも結わえられるものにしてくれるだろうし。
「あっ」
「もう、時間だったかしら」
「はい。絵はお持ちになられましたか?」
「えっと、リュックの中に入れてきたはず……」
私は筒状になっている紙を取り出した。
「夕食はアンドレウスさまのお部屋で摂ることになっています。ですので……、自由な時間は湯汲みの時間以降となりますが――」
サーシャが不安そうな表情を浮かべている。
いつもは予定を淡々と伝えてくれるはずなのに。
「この前のように、お疲れになっていないかと心配でして」
「この前……、ライドエクス邸へ向かうときのことかしら」
「はい。そちらの絵を夜遅くまで描いていたと聞いたので、十分な睡眠時間を取られていないのではないかと」
サーシャは私の事を心配してくれていたらしい。
疲労で足がおぼつかない姿をみていたから、今日もそうなってしまうのではないかと心配してくれていたのだ。
私はサーシャの心配を微笑みでかき消す。
「安心して。馬車で移動しているときに、仮眠をとったから」
サーシャは胸に手を当てほっとしている。
「それなら大丈夫ですね」
「心配してくれてありがとう」
「もちろんです! 私はローズマリーさまの専属メイドですから!!」
サーシャの笑顔が戻ってきた。
胸を張って堂々としているのがサーシャらしい。
「サーシャ、またね」
サーシャとのお喋りもこれまで。
私は部屋を出て、アンドレウスの部屋へ向かう。
☆
「お父様、失礼します」
アンドレウスの部屋に入ると、布に掛けられ隠された絵があった。
大きさからして、この間未完成だった絵だろう。
額縁があるところは、沢山の画材がテーブルや床に乱雑に置かれていてごちゃごちゃしているが、他は整頓されていた。
アンドレウスは上着を脱ぎ、軽装姿だった。
上下、黒いズボンとシャツを着ていた。
絵を描くためか袖をまくっている。
「さあ、ローズマリーが描いた絵を見せておくれ」
私は筒状になっている紙をアンドレウスに渡した。
彼はそれを開き、一口サイズに切った果実の絵を真剣に見つめる。
「絵を描いたのはいつぶりだい?」
「えっと……、美術の授業ぶり、です」
「美術の授業……、二年前ぐらいか」
視線を絵から離さず、アンドレウスは私に質問をする。
十歳から十五歳まで、私はマリアンヌと共に家庭教師から勉強を教わっていた。
メヘロディ王国は貧富の差関係なく、十五歳まで義務教育を受ける。
その中に美術や彫刻、建築、音楽史などの科目があり、さわりは受けている。
関心があり、授業の成績が良かったり、家庭が裕福であれば専門性の高い学校へ通う。
美術の履修は十四歳で終わるため、アンドレウスの指摘通り、絵を描いたのは二年ぶりである。
「オランジか……。形、色、正確に描けているね」
「ありがとうございます」
良い評価を受け、私は素直に喜んだ。
絵に関しては、娘だからというひいきはなく、真剣に向き合ってくれている気がした。
「美術の成績はどうだった?」
「美術史は満点でしたが、実技は”良”でした」
「ふむ……」
アンドレウスは画材置き場の方へ向かい、絵を立てる台を持ってきた。後から教えてもらったが、これはイーゼルという。
そこに朝食を食べるときに使っていた椅子を二脚並べ、隣に座るよう促した。
「じゃあ、僕が君の絵を参考にオランジを描いてみるね」
イーゼルに縦長の木の板を立てかけ、上に私が描いたオランジの絵を木製の留め具で挟む。
下に真っ白な紙を置き、動かぬよう、左右を同じもので挟む。
ペンを持ったアンドレウスの手が動いた。
力の入れ方で線の太さや細さ、濃淡が出ている。
横でじっと見ているだけだったが、アンドレウスの手が動くたびに、オランジの外の皮、薄皮、果肉が描かれてゆき、胸が躍った。短時間で、オランジの一切れが完成した。
「わあっ」
まるで実物があるのではないかというくらい、精巧だった。
思わず感嘆の声が漏れてしまうくらいに、私はアンドレウスの絵に心を動かされた。
「ローズマリーの絵はオランジの外の皮と果肉は分かるけど、薄皮が付いているかは分からないよね」
「お父様の絵は薄皮に包まれているのがよくわかります」
「ローズマリーの絵だと、色を付けないと美味しそうに見えないと思うんだ」
アンドレウスの評価は正しい。
私は絵の具に頼ったけれど、アンドレウスはペンの濃淡だけで、オランジを表現した。
もし、どちらが美味しそうに見えるかと訊ねられれば、皆、アンドレウスの絵を指すだろう。
「それをこれから僕がゆっくり教えてゆくからね。五年もすれば、美術館に飾れる絵ができるよ」
「五年……」
「さあ、今日は線の書き方から勉強しよう」
「……はい」
私がアンドレウスに認められるまでには五年もかかるのか。
その間、隣で絵を描き続けないといけないのか。
それはヴァイオリンやピアノを学んだ年月と同じだが、はるか遠くのものに感じられた。
それから私はアンドレウスからペンの使い方を教わった。
外側は濃く、内側は薄く。
それだけでも、アンドレウスが書いた手本に似てきた気がした。
「そういえば、昨日、手紙が届くのが遅かったね。何かあったのかい?」
「昨日はこの絵を描いていたので、返事を書くのが遅れてしまいました」
「そうか……」
少し経ち、アンドレウスは手紙の話題を出してきた。
昨日は届けるのが遅く、彼の起床時間に間に合わなかったようだ。
事実はウィクタールが悪いだが、アンドレウスの前ではただの言い訳。
私は自分に非があったことを認め、素直に謝った。
「君の返事からして、学校生活を楽しんでいるようだね」
ぼそぼそと私が書いた手紙の内容について語る。
声音からして、私が学校生活を楽しんでいるのが嫌みたいだ。
楽しいと思える理由をしっかりアンドレウスに話しておこう。
「マリアンヌやグレンと一緒に勉強できること、オリオンさまとチェスの続きが出来たこと、あとチャールズさまが用意してくださるマジル王国のお菓子が――」
私は学園内で楽しかったことをアンドレウスに語る。
手紙で書いていたことだが、アンドレウスはうんうんと話を聞いてくれた。
笑みを浮かべているが、アンドレウスは私を進級させてはくれない。
喜んでいるのは、私と会話ができる。ただ、それだけ。
内容などアンドレウスにとってどうでもいいことなのだ。
「お父様、一つお願いがあるのですが――」
「なんだい?」
「手紙はウィクタールさまに預けるのではなく、女子寮宛に送って欲しいのです」
「わかった。カズンにそう伝えておく」
一通り話したところで、私は一つお願いをした。
手紙の送り先を変えて欲しいと。
それに対して、アンドレウスは『何故』と尋ねることなく、あっさり了承した。
次からはウィクタールに影響されず、手紙を受け取ることができる。
「ありがとうございます」
私を進級させてほしい。
マリアンヌとグレンと共にトルメン大学校を卒業したい。
そしてルイスと――。
これらのお願いはすぐに受け入れてくれないだろう。
だから、絵の上達と同じく、一年という年月をかけてじっくりお願いするのだ。
そうすればきっと、アンドレウスは許してくれる。
私はそう信じて、再びペンを紙へ滑らせた。
次話は8/5(月)に投稿します!楽しみに!!




