恋人のウソ
「……」
私は盤上に集中していた。向かいのオリオンも同じく。
互いに手を抜かず駒を動かした結果、最終局面へと入っている。
一手間違えれば負け、そのようなゲームだ。
「ローズマリーさま」
「っ!? サーシャ!!」
オリオンの部屋にサーシャが現れ、驚いてしまった。
「声をかけて申し訳ございません。そろそろ湯汲の時間ですので――」
「……もう、そんな時間ですね」
サーシャに言われ、私とオリオンは時計を見る。
食事の時間からずいぶん時間が経っている。
サーシャの言う通り、湯汲をして就寝の準備に入る時間だ。
予定は午後だとはいえ、カズンたちと朝食を摂る時間、ドレスに着替える時間を考えるとそろそろ眠らないといけない。
「オリオンさま、いいところなのですが――」
「盤面を記録しますので、今度、時間が出来たら続きをやりましょう」
オリオンは紙とペンを取り出し、盤面を記録している。
「その……、とても楽しかったです」
私はオリオンに感謝の言葉を述べる。
時間の経過を忘れるほど、チェスに夢中になれたのは久しぶりだ。
婚約者候補でなければ、いい友人になれたと思う。
「いつ、会えるか分かりませんが――」
「大丈夫です」
「えっ」
次、いつオリオンに会うのか。
ゲームの続きの間隔が伸びてしまうのではないのか。
別れ際、オリオンに告げると、彼は寂しがることなく平然としていた。
「すぐにまた会えますから」
気になる言葉を私に残し、彼と別れた。
オリオンと別れた私は、湯汲をしドレスから寝間着に着替えた。その後、カズンに与えられた部屋に入る。
天蓋つきのベッドに、書き物ができるテーブルに椅子。
絨毯が敷かれ、高位な人が滞在する客間なのだと一目で分かる場所。
「ローズマリーさま、こちらを」
「あっ……」
サーシャから抱き枕を受け取る。
綿の感触は固く、私の要望通りになっていた。
「感触はいかがですか?」
「とてもいいわ。ありがとう!」
「喜んでいただけて良かったです。それでは、また明日」
サーシャが部屋を去り、一人になった。彼女から貰った抱き枕はベッドに置き、窓を開け、ベランダに出る。
ライドエクス邸の庭園がみえる。外の空気を吸ったら、どっと疲労が押し寄せる。
私はベッドに横になり、抱き枕を使って明日のために眠る。
☆
「……ザリー」
ルイスの声がする。
夢にルイスが現れるなんて、今日は幸せだなあ。
「ロザリー」
「んっ……」
もう一度、ルイスに名前を呼ばれた。
誰かが私の身体を揺すっている気がする。
冷たい風が頬に当たっている。
寒い。
身体に掛けてある毛布を引っ張ると誰かに遮られる。
「起きてくれ、ロザリー」
「ルイ……、ス?」
誰かが私の寝室にいる。
それに気づいた私は夢ではないことに気づき、目を開けた。
私に覆いかぶさるように、ルイスがそこにいた。
「ルイス!!」
「しっ、外の奴にバレるだろ」
私はルイスの頬に手を伸ばす。
柔らかい。温かい。
夢じゃない、実体のルイスだ。
私は喜びのあまり、ルイスを抱きしめた。
ルイスは私をベッドから抱き上げてくれる。彼の腕の中にすっぽりとおさまる。
「ベランダから忍び込んだの?」
「ああ」
ルイスはベランダからこの部屋に忍び込んだらしい。
元ライドエクス侯爵の使用人だ。屋敷の構造は私よりも詳しいだろう。
「その……、さっきは悪かった」
「ウィクタールさまとは連絡を取ってなかったんじゃないの?」
「それは――」
「怒らないわ。ルイスに隠し事をされたくないの」
「……」
ルイスが謝ったのは、ウィクタールと二人で私の前に現れたことだろう。
連絡を取ってない、会っていないといったのに。
ルイスは私に何か隠している。都合が悪い話を。
間を置いて、ルイスは私の耳元で告げる。
「毎週、ウィクタールさまは俺を屋敷に呼ぶんだ。士官学校に入学してからずっと」
「私に嘘をついていたのね」
「この話をしたら、お前は俺のこと……、好きにならなかっただろ?」
予感はしていた。
カズンとウィクタールの衝突は一過性のものではないと。
もしかしたら、ルイスはウィクタールと関係を続いているのではないかと。
そんな状態で私のことを想っていたと告げられたら、こんなに夢中にならなかっただろう。
「ずっと、好きな人がいると断っている。でも、諦めてくれないんだ」
「嫌。私のルイスに触らないで欲しい」
ウィクタールとルイスが並んで歩いていた時、私は嫉妬した。
どうしてルイスの隣が私じゃないんだろう。
好きな人が別の女の人と二人きりなの、と。
「ルイス……」
私はルイスの唇を奪った。
柔らかい感触。触れ合うたびに熱を帯びる。
「ここを出たら、ウィクタールさまの部屋に戻るの?」
「……ああ」
「すぐに出ないと……、だめ?」
傍にいてほしい。
もっとルイスと話したい。
今日のお披露目会でイスカ兄さまに虐められそうになったのをトテレス兄さまが助けてくれたこと。
公務ごとにドレスを着替えて大変だったこと。
疲労困憊な夕食会だったけど、オリオンとのチェスがとても楽しかったこと。
我儘を言っても、ルイスは寂しそうな表情を浮かべている。
「そうしないと、ウィクタールさまが俺の行方を探し出す。長くは居られない」
「私がこの屋敷に来たら……、また、ルイスに会える?」
「会う。こうやってお前に会いにくる」
きっと、ライドエクス侯爵邸に訪れる機会は増えるだろう。
アンドレウスが私とオリオンを結婚させたがっている限り。
この状況を利用すれば、一時でもルイスに会える。
「ロザリー、もしかして……、眠いのか?」
「うん。今日はね、色々あって疲れたの」
「なら、お前が眠るまでここにいる」
「じゃあ……、手を繋いで」
傍にルイスがいるのに、意識が飛びそう。
恋人がいるのに、公務で蓄積された疲労が勝っている。
正直に答えると、ルイスは私をベッドに優しく寝かせてくれた。掛け布団をかけてくれる。
頭を優しく撫でてくれる。
もう、別れちゃうんだ。
いつ会えるか、分からないんだ。
私はルイスに手を伸ばす。
ルイスは私の手を握ってくれた。
「おやすみ、ロザリー」
「うん」
ルイスの顔が近づき、私とルイスの唇が軽く触れた。
おやすみのキスとルイスの手の感触に心が満たされ、私は幸せな気持ちで眠った。
次話は6/10(月)7:00更新です!
お楽しみに!!




