国王の不満
食事室を出て、私はアンドレウスの私室に招かれた。彼の部屋の部屋はベッドやソファなどの家具。他には絵画が飾られていて、絵を好んでいるのがよくわかる。
自分でも描いているようで、ロウペや筆などの画材道具があった。
アンドレウスと私は向かい合う形で、ソファに座った。
「悪口を言われても、あいつらを気に掛けるなんて……、君は優しい子だね」
「お父様はお兄様たちのこと……、お嫌いなのですか?」
「ああ。嫌いだよ。あの女の血が流れているなんて、反吐が出る」
ここまで、家族仲が悪いとは。
アンドレウスにとって、イスカとトテレスは王位を継承させるための道具とスペア。
「トテレスはまだまともだが、イスカは最悪だ。身分にかまけて絵も音楽も上達しなかった。あいつに甘やかされて育ったからだろうな。顔だけは広い」
「イスカ兄さまは私のこと……、お嫌いのようでした」
「安心して。この部屋にも近づけさせないから」
アンドレウスは微笑みを浮かべながらも、恐ろしいことを口にした。
今回の件で、イスカはアンドレウスの部屋に来れなくなったようだ。
私から彼を離すため。
これ以上、アンドレウスの気分を損ねれば、勘当されかねないだろう。
「ローズマリー、見て欲しいものがあるんだ」
アンドレウスは席を立ち、デスクに置いてあった自立型の小さな額縁を持って、戻ってきた。
そこに飾られていたのは、幼い頃、私が色付きのロウペで描いたアンドレウスだった。
「幼い頃の絵です……、恥ずかしい」
昔の絵を見て、私の両頬が熱くなる。
まさか、私の絵を額縁に飾るほど大切に持っていたとは。
「当然だ。君の絵は全部持っているよ」
「えっ」
「君が住んでいた部屋から全部持ってきたんだ」
絵はよく描いていた。
でも、アンドレウスにあげたのは、これだけ。
私がぽかんとしていると、アンドレウスは再び席を立とうとする。
「絵はもう……、十分ですから」
これ以上、恥ずかしい思いはしたくない。
私は、デスクに向かおうとするアンドレウスを止めた。
アンドレウスは残念そうな顔をしていた。
「熱心に絵を描いていたから、今も続けているのだと思ってた」
紙と様々な画材を使って絵を描く姿。
それがアンドレウスが思い描いた私の姿だ。
もし、母が亡くなった後、孤児院ではなくアンドレウスに引き取られていたら、私は音楽ではなく絵の道に進んでいただろう。
「お父様は私が音楽の道に進むことをよく思っていない気がします」
「……態度に出てしまっていたかな」
ここで私は核心を突く。
音楽の道ではなく、絵の道に進んで欲しいのではないかと。
私の問いに、アンドレウスは苦い顔をする。
「君のヴァイオリンの演奏は素晴らしい。六年で習得したとは思えない」
「褒めてくださり、ありがとうございます」
「だが、それは僕が教えたものではない。クラッセルが教えたものだ」
アンドレウスの不満を聞き、私は理解した。
音楽の話題に棘のある発言をしていたのは、クラッセル子爵のことが浮かぶから。
私はクラッセル子爵に六年間、義理の娘として育てられた。
アンドレウスがやりたかったことを、クラッセル子爵はやったのだ。
不満に思う理由として妥当である。
「僕は君が成長する姿を傍で見ていたかった。絵を教えたかった……」
「今からでも間に合います。お父様のお時間がよろしい時に、絵を教えていただけませんか?」
これがアンドレウスの望む言葉。
娘である私の務め。メヘロディ王室の平穏を保つのに必要なこと。
今夜、家族の食事会に参加して、アンドレウスと息子たちの関係が冷え切っていることが分かった。
アンドレウスが愛しているのは私だけ。
その私が反抗的な態度を取ったら、王室は崩壊する。
きっとそれは政治にも影響してくるに違いない。
だから、フォルテウス城では”いい子”にしていなきゃ。
「もちろん!! 明日から描こう」
アンドレウスに笑みが戻る。私は彼に微笑み返す。
「ローズマリーに紹介したい人が沢山いるんだ。戻ってきたばかりで悪いけど……、明日から公務に入ってくれないかな」
「はい。公務は朝からでしょうか?」
「うん。朝食を食べたらすぐだね。他の予定は全て君のメイドに伝える。君が眠る前には明日の予定が分かっていると思うよ」
「それでしたら、今日はすぐに寝ます。おやすみなさい。お父様」
「おやすみローズマリー。また明日」
私は明日の予定を聞き、忙しくなると考え、アンドレウスの話を切り上げて彼の部屋を出た。
廊下にはサーシャが待機しており、湯汲みの準備が出来たことを告げられる。
私はサーシャの言う通りにし、ドレスを脱ぎ、汗を流した後、寝間着に着替え、自室に入る。
「サーシャ、私の明日の予定を教えて」
私は明日の予定を訊く。
サーシャはポケットから折りたたまれた紙を広げ、そこに書かれている私の予定を全て読み上げてくれた。
朝から夜まで予定が詰まっており、自由な時間は朝と就寝前くらいだ。
「では、私はこれで退室いたします。ご入用がありましたら、女性騎士を廊下に待機させておりますので、彼女に告げてください」
「ええ。おやすみなさい、サーシャ。また明日」
「っ!? おやすみなさい! ローズマリーさま」
王女である私が、メイドに夜の挨拶をすると思っていなかったのだろう。
サーシャは私の言葉に飛び跳ねるほどに喜んでいた。彼女は上機嫌で私の部屋を出る。
部屋のドアが閉まり、一人になる。
私は息をつくと、クローゼットの中に入り、そこに隠した宝石箱を持ってきた。中から指輪を取り出し、それを天井に掲げる。
「一日が終わった……」
吐き出されたのは疲労の言葉。
ローズマリーとして生活を始めてまだ一日目だというのに、疲れた。
自由を制限された暮らしに、私の家族のこと。
特にアンドレウスの機嫌をうかがいながら言葉を選ばなくてはいけないことが。
「あ、デスクに洋灯が置いてある」
視線を部屋に向けると、デスクに明かりのついた洋灯が置いてあった。サーシャが用意してくれたのだろう。彼女に頼んですぐに物が届くとは。
持っていた指輪を右手の薬指にはめ、デスクの前に座った。
「ノートブックにインクにペン。私が書きものをしたいと言ったから、用意してくれたのね」
デスクの上には洋灯の他、筆記具たちが置いてあった。
私はノートブックの表紙を開き、白紙の紙に何を書こうか考える。
考えた結果、日記にすることにした。
ペン先をインクに浸し、今日の出来事を順番に書いた。
クラッセル子爵邸からフォルテウス城へ帰ってきたこと。アンドレウスを説得し、グレンを無実にしたこと。
時間がある時にアンドレウスから絵を学ぶことになったこと。
全て書き終わったころには、見開き一ページが文字でいっぱいになっていた。
「一日に沢山起こったんだもの。疲れて当然か」
文字に起こした内容を読み返し、私は一人、納得する。
インクが乾いたら、私はそれを閉じた。
明日は朝から晩まで公務がある。
王女として初めての仕事。
ほとんどが上位貴族との顔合わせだろうが、今日以上に疲れてしまうだろう。
「今日はもう寝よう」
私は指輪を外し、宝石箱に仕舞う。
宝石箱をクローゼットの奥に隠し、大きくフカフカなベッドに横になった。掛物も羽毛を使用しているのか、軽くて暖かい。
「……抱き枕を頼もう」
昨日、隣にいたルイスに抱き着いて眠っていたせいか、寝心地が悪い。
明日、サーシャに固い感触の抱き枕を頼もうとぼやいたところで、私の意識は途切れた。
次話は5/19(日)7:00更新です!
お楽しみに!!




