別れのワルツ
部屋で一人になった私は、これから身に着けるドレスの前に立った。
このドレスは私がメヘロディ王国の王女ローズマリーである証。
「……ルイス、私は強くなんてない」
私は長い独り言を呟く。
「”ロザリー”でなくなることが、とても怖いの」
不安と恐怖で震える己の身体を抱きしめる。
「お母さんと過ごしたこと、孤児院での日々、クラッセル子爵家での思い出。十六年間の思い出がなかったことになるんだから」
これから始まる”ローズマリーの生活”は決して楽なものではない。他人から見れば、優雅で羨ましい生活なのだろうが、その裏では私を亡き者にしようとしている集団が暗躍しているからだ。
「でも、私、戦うから」
決意を口にすると、身体の震えがぴたっと止まった。
ルイスとの幸せな生活を得るために、独りでアンドレウスから与えられた運命から抗い、私の命を狙う集団から身を護ってみせる。
コンコン。
「ロザリーさま、着替えの時間でございます」
メイドが定刻通り、私の部屋を訪れる。
私はメイドの手を借り、再びドレスに袖を通した。
☆
「ロザリーさま。お綺麗です」
ドレスを着て、化粧を施し、髪を結わえた。
私の姿を見て、メイドが褒めてくれたが嬉しくはない。
「ありがとう」
嬉しくはないけれど、メイドの”綺麗だ”という誉め言葉には感謝の気持ちを告げる。
「旦那さまを含む、皆さまは演奏室でお待ちしております」
「すぐに向かうわ」
私はトランクをメイドに預け、ドレス姿で演奏室へ向かった。
足をくじかないよう、細心の注意を払いながら階段を降り、廊下を進む。
演奏室の扉を開くと、皆、正装姿で待っていた。
「ロザリー。話は娘から聞いた」
クラッセル子爵が前に出る。
話というのは、クラッセル領に私を捜索している騎士や兵士が現れたということ、彼らを指揮している騎士団長のカズンが今夜屋敷を訪問すること。私はその時にグレンと共にフォルテウス城へ向かおうということ。
それ以上のことを言わないから、私の行動に了承してくれるのだろう。
「君の最後の望み、叶えよう」
「ありがとうございます」
白いピアノの椅子にクラッセル子爵が座る。
「皆より下手だけど、気にしないでね」
クラッセル子爵がピアノの鍵盤を叩く。
ワルツの旋律が室内に響いた。
クラッセル子爵がピアノを弾くのはとても珍しい。
昔に当人が呟いていたが、ピアノの腕は私よりも下手だそうだ。そう自虐するものの、譜面を見て少し指を動かすだけで曲が弾けるのだから基礎は出来ている。
「ロザリー、俺と踊ってくれませんか?」
「……はい」
ルイスの手を取り、私たちは音楽に合わせて踊った。
クラッセル子爵、オリオン、グレンと私はこれまで三人の男性と踊った。三人とも上手く、私をリードしてくれた。
三人と比べると、ルイスは私と同じくらいの実力。動きがぎこちなく、何度か足を踏みそうになった。
「ご、ごめん……。俺、授業でしか踊ったことがなくて」
私の耳元でルイスが謝る。彼のダンスの経験は私と同じくらい。容姿端麗で勉強も剣技も得意なスキのない人だと思っていたから、不得意なこともあるのだと笑みを浮かべてしまう。
「一緒に上達してゆきましょう」
次にルイスと踊るまでにダンスの練習をしよう。
上手になって、ルイスを驚かせるんだ。
「ふふ、ダンスってこんなにも楽しいのね!!」
「マリアンヌ! ステップはそうじゃないって」
傍でマリアンヌとグレンが楽しそうに踊っている。
特にマリアンヌはステップを無視して、グレンをぐいぐい引っ張っていた。
今の私はステップを踏むことで精いっぱいになっていて、マリアンヌのように楽しめていない。
次にルイスと踊るときは、マリアンヌのように楽しく踊れたらいいなと思った。
「次のダンスを楽しみにしているわ」
クラッセル子爵が一曲弾き終えた。
ピタッと動きが止まる。
「ロザリー、満足したか」
「……うん」
私は一歩後ろへ下がり、ルイスと向き合った。
「ルイスはどうだった?」
「その……、ロザリーとダンスできて楽しかった」
「それにしては、ぼそぼそと話すわね」
「ドレス姿のロザリーがさ――」
ダンスの感想をルイスに問うと、彼はぼそぼそと話す。
ルイスらしくない話し方だと、私は彼をからかうと、真っ赤な顔をして理由を話してくれた。
「綺麗だけど、ロザリーじゃないみたいだ」
「どうして?」
「俺の手が届かない、お姫様みたいだって」
今のドレス姿の私を、ルイスはそう評価した。
ルイスの口から『お姫様』という言葉が出て、私はきゅっと胸が締め付けられた。
「私の心はあなたのものよ。それはローズマリーになっても変わらないわ」
私はルイスをギュと抱きしめた。そっと胸に触れた手は、首筋、頬に伸びた。
「ルイス、好き、愛してる」
私はつま先立ちになり、ルイスの顔を引き寄せ、彼の唇に自分のそれを押し当てた。
愛おしい気持ちを何度も口にするよりも、長い口づけの方が、私のルイスに対する愛情が伝わると感じたから。
何回か息継ぎをして、互いの唇が離れた。
「ロザリー、騎士さまが来たみたいだ」
カズンの訪問をクラッセル子爵が告げる。
それは私たちの一時の別れでもあった。
「今、行きます」
私はルイスから離れた。
「またな」
ルイスは震える声で私に言った。くしゃくしゃな顔をしていて、今にでも泣き出しそうだった。
本当は私に話したいことが沢山あったと思う。それを一言に詰め込んだのが痛く伝わる。
私はコクリと頷き、ルイスと別れた。
次話は4/22(月)更新です。
お楽しみに!!




