テロル四式(三十と一夜の短篇第65回)
少年が大臣を刺した。
繊細で守ったり忠告をしたくなる少年。大勢の男たちがその少年を取り押さえたが、それは必要ないように思えた。なぜなら、少年には三年に一度、大病とは言わずとも中程度の病を患い、療養所でベッドに縫いつけられ死んだように眠る、蒲柳の質がありありと見て取れたからだ。恰幅のいい、紙でできた花を背広のホールに刺した男たちが何人も抑えにかかるのは、繊細なガラス細工に特別な機械でじわじわと圧力を加えているのを見るようで、いつ割れてしまうのかとハラハラさせるものがあった。この学生服をつけた、万年筆で引いた線のように細い少年が〈虎〉と呼ばれた大臣を匕首でもって刺したのがわたしには信じられない。だが、ロープシンの小説に登場し爆弾を投げたり拳銃を撃ち込んだりする人物のうち、生まれながらのテロリストといえる野蛮な態度を取るものがいただろうか? あのなかで〈詩人〉は大公の馬車に爆弾を投げなかった。大公と一緒に夫人と子どもが馬車に乗っていたからだ。少年はきっと詩を書く。それは大胆にして繊細、だが浅はかで技巧においては稚拙なところも見えるが、詠むものの心をつかんで離さないだろう。多くの人びとがその詩を詠むだろう。その詩のなかに愛国壮士は大臣を刺すような大事を為す若者の焦りを読み取ろうとするし、ボヘミアンなニヒリストは命に対する儚さを見つけようとするだろう。だが、どちらも目当てのものは見つからないだろう。それはただの技巧において稚拙なひとつの詩があるだけだだろう。だが、そもそもそれに意味はないだろう。壮士にしろニヒリストにしろ、彼らはそこに確かに存在した、と嘘偽りを言うことに慣れている。彼らはテロルを自分たちの側に引き寄せようとするが、その亜鉛の釣り針はいつだって魚がくわえて逃げてしまうだろう。
少年が総裁を撃った。
燃えるような少年。夏のあいだ芝公園のプールで小学生たちに泳ぎを教えていそうな活発そうな、目を爛々とさせた燃えるような少年。彼がブローニング拳銃を手に入れた日のことを、わたしは考えずにはいられない。小さなボール紙の箱、それにはFN――ファブリック・ナショナルの印が押されているだろう。箱の蓋を開けたとき、そこには出荷されてから彼のもとに届くまで、何人も触れることのなかった冷たい鋼鉄があったことだろう。滑らかなスライドを指で撫で、弾を入れずに引き金を何度も引くだろう。彼には伊豆の下田に住む祖父母がいるだろう。祖父母が住むのは海の近くのイギリス風の邸宅で誰もがうらやむ家だろう。彼の一族だけが入ることのできる小さな入り江があるだろう。抱き込もうとする腕のような緑深い陸地があり、白い砂浜があるだろう。彼は死んだ珊瑚の上で肩幅に足を開いて立ち、両手でその弾倉をはめ込んだ握りを包み込み、引き金を引き、空を、海を殺すだろう。だが、空と、海は何度でも蘇るだろう。だが、財界の長老が蘇ることはない。少年は大きな声で笑ったであろう。その笑い声は彼が殺し続けた、空と、海へどこまでもどこまでも、透き通る日光のごとく飛んでいき、それがやがて宇宙へ触れたとき、美しい虹の幕となったことだろう。
少年が将軍を吹き飛ばした。
うち沈んだ、ただただ痛みに敏感な少年。ある作家は言った。あなたは醜い、わたしも醜い、それについて考えることは途方もなく苦しいのです。わたしは言った。あなたは醜い、わたしは美しい、それについて考えることは途方もなく愉快だ。ただ生きているだけで受ける少年の痛みを考えてみて欲しい。それは手製爆弾で内臓を全て吹き飛ばされ、空っぽの体のまま病院に運ばれた将軍が受けた痛みよりも激しいだろう。足蹴にされ、張り倒され、罵倒され、顔を切りつけられ、口に含んだ焼酎をふきつけられ、ガラス片の散らばる床に顔を押しつけられ、口のなかにガラス片を突っ込まれ、ガラス片と一緒に刻まれた血肉を吐き、熱したヤットコで肉をちぎられ、腹が餓鬼のごとくふくらむまで水を飲まされ、さかさまにされて全ての水を吐き出され、また水を飲まされ、また吐き出させされ、水を飲まされ、吐き出させられ、気絶して目を閉じられないようまぶたを切り取られ、ハンダごてで目を突かれ、沸騰した眼球が破裂させられ、目玉の代わりに小さな美しく宝玉を埋め込まれ、肋骨を踏み折られ、腕をねじきられ、脛の肉をそぎ落とされ、髪をむしられ、皮膚を引き剥がされ、頭蓋骨にドリルで穴を開けられ、硫酸を流し込まれて、神経を引きずり出され、針金で脳をかき回され、頭蓋の内側から夢と希望を残さずこそぎ落とされ、線路の上に放り出され、機関車の車輪でズタズタに引き裂かれ、頭蓋から引き剥がされた少年は死んだ神経のために顔がかためられたまま滂沱の涙を流すだろう。
少年が少女を殺めた。
珠のような肌をして、華のように可憐な、美しい少年。わたしは夢や熱病、苦痛とは無縁の、創造主に愛された少年だった。創造主が美しいものを作ろうと思ったとき、全てのものたちが列をつくったとき、最も前に並んでいたのが、このわたしだった。神に愛されたわたしには純粋な悪が巣食っていた。それは魂とはまた別に存在していて、その悪がわたしの四肢の動き、頭脳の思考を支配した。良きことをしようとするとき、必ずわたしのなかの悪が邪魔をした。わたしはわたしのなかの悪がどれだけのものであるか常に不思議に思い、そして試してみたいと感じていた。わたしはアメリカの愛国党のごとく独立戦争を仕掛けたのだ。もし、わたしのなかの悪が己の関与しないところで罪を犯されたとき、どんな反応をするのかが見たかった。わたしの両手が三重子さんの首をきつく締めているとき、わたしのなかの悪はすぐにやめるよう、わたしに命じた。だが、悪はわたしの行動を止めさせることができなかった。彼はあらゆる悪がなされるように世界に命じられていたので、わたしが三重子さんを殺そうとすることを止めることができなかったのだ。すると、悪は手口を変えて、わたしを甘い言葉で誘った。また市電を転覆させて気の毒な老婆を真っ二つに裂いたり、飛行船を燃やして、乗客たちにそのまま焼け死ぬか、大西洋の真ん中に飛び込むかの究極の決断をさせてやろう、と。だが、それらは退屈だった。わたしにとってはとても退屈だったのだ。わたしの思考も四肢も動かせないと知ったとき、悪は懇願した。懇願したのだ、この世で最も純粋な悪が。身もだえし、血反吐を吐き、死にたくないとわめき散らし、そして、気づいたとき、わたしの両手にかかっていたのは三重子さんではなく、わたしのなかの悪だった。
そして、いま、わたしは病院にいる。医者たちはわたしに自分の罪に対する責任能力があるかを話し合い、話し合い、話し合い、そして、死に、若い医師が話し合いを引き継ぎ、話し合い、話し合い、話し合い、老いさらばえて死に、若い医師が話し合いを引き継ぎ、話し合い、話し合い、話し合い、老いさらばえて死に、わたしはいつまでも美しい少年のまま、病院にいる。
わたしはわたしのしたことの理由を知っている。
誰も認めようとしないが、知っている。
だが、同じ時期に病院にいた三人の少年について、わたしが申し述べたことは仮説にすぎない。
ひょっとしたら、彼らもまた純粋な悪に巣食われていて、それに反抗したのかもしれない。
だが、さっきも言ったようにそれは仮説に過ぎない。
いまとなっては分からない、なにひとつ。
彼らはもう川の向こうの住人である。