2 赤髪の少女 #5
入学式を控えた朝、昨日積み上げた制服や学校で使う物をまとめた箱を開けた。最初にカーディガン二種類に、紺色を基本としたブレザー、真っ白なブラウス、それから白のチェック柄の入った深い紺色のお洒落なプリーツスカートをベットに広げる。やっと今日から高校生だという事を実感できた。早速ワイシャツを手に取って着ようとするが、糊が効いていて硬く袖を通すのに一苦労した。
次に私は持ち物を広げたまま戸惑った。正直何を持っていったらいいのかも分からない。今一度入学の資料を再確認する。そのとき、紙がファイルからすっと床に落ちていった。手に取ってみると入学式当日の持ち物が書かれていた、ふと小さい文字ではあるが『入学式典時は指定の制服を着用、男子はブレザー制服、女子はブレザー制服に赤色のリボンも忘れずに着用。なお、所定の書類提出は後日通達』と細々書かれていた。安心したのも束の間、ともかく時間が迫っているので急いで部屋をあとにした。
慣れない高層マンションのエレベーターを降りていくが、通勤時間の影響か三〇階までほぼ各階に止まった。三〇階からは目的の二階まで止まらないものの思いのほか時間がかかった。加えて到着するころまでには満員になっていたので軽く参ってしまい思わずため息が出る。明日からは出発の時間をもう少し早めてみよう。
駅のガードを北口方面に抜けるが、通勤・通学の時間帯だからか、昨日と比べ物にならない程の人通りの数に圧倒されながらも、何とか人が自然と作る流れを見つけそこに溶け込むようにして進む。途中改札付近からふわっと吹き込む風にかすかにシナモンの香りが乗っている。食べたこともないし、それがどんな形をしているのかもわからないが何故かおいしい食べものだと推測しながら通り過ぎた。頭上の看板案内に従いようやくバスターミナルがある北口の二階デッキへと到達できた。私はカバンの中からバス乗り場の図が載っているリーフレットを取り出し注視する。だがあまりにも雑で簡略化されていて正直場所がわかりづらい。仕方がないのでそのリーフレットを片手に、近くの案内板に向かいバス停の位置を確認する。
ふと後ろから誰かが慌ただしく走ってくるような足音が聞こえた刹那、背中に「ドン」とぶつかってきた。状況が理解できていないまま、反射的に後ろを見てみると、鮮麗で濃い赤色の髪が視界入った。それは私にとって最も好きな色合いの赤だった。ハーフアップに結ばれたその赤髪は、なんの混じりけなくその子によく似合っていて可愛らしい印象を受けた。
「ごめんなさい、あたし焦っていたのでつい……」
「大丈夫? 私は別に気にしていないですよ」
華奢な体つきの彼女は深呼吸を二、三回してから息を整え私の制服を見つめた。
「その制服? ひょっとして飛桜高校に入学する一年生ですか?」
「そうですけど……」
彼女は私の入学する学校を言い当てた。その服装に目を向けると、同じブレザーの制服だったのでしどろもどろになりながら聞いてみた。
「もしかして、あなたも飛桜高校に入学するの?」
赤髪の彼女は安心した様子でにっこりとほほ笑んだ。
「よかったー、同じ学校に入学する子がいて安心した。ちょうどバスの場所も分からなくて、焦っていたから」
安堵した様子で話していたが、次第にキョロキョロと辺りを見渡し始めた。
「ヤバイ、もうすぐバスの発車時刻だよね? これを逃したら次は……」
私はカフスのボタンを外し、すっと袖をまくってから腕時計を見た。するとまもなく発車時刻になるところだった。微妙に長いのでカフスは外したままにしておいた。リーフレットの時刻表と見比べながら彼女の言葉を続けた。
「次は一五分後みたいだね」
「主役のあたしたちが遅刻したらまずいよ! もうこのバスに乗っちゃおう! でも場所がわからないよ」
彼女はまた辺りを見渡した。私は改めて行き先を示す案内板に目線を向けた。すると目的地の学校名が目に飛び込んだので、指で対応するバス停の番号をなぞって確認する。ちょうど学園都市線が右回り左回りのバスがあることも分かった。
「えっと、一七番乗り場の学園都市左回りに乗れれば、大丈夫みたいだよ」
私が説明すると彼女は威勢良くバス停を指した。
「よしじゃあ急ごう!」
元気がいいのは良いことだが、指さししている場所が違う。七番ではなく一七番。私は仕方なく彼女の腕を握って、乗り場への階段を駆け足で降りた。視界に入ったバスは既にエンジンをゴウゴウと唸らせながら今にも発車しそうだった。バスに乗り込むと同時に扉が音を立てて閉まる。なんとか置いて行かれずに済んだ。彼女が腕時計を読み取り機にかざし、私も続けて今日だけ乗車券を手に取る。あとで学校側にて定期の登録をして貰えるようだ。
呼吸を落ち着けながら二人分開いている席に腰を降ろした。
飛桜高校——二〇一〇年あたりから日本政府は、航空業界のパイロットや整備士が定年による大量退職と増え続ける航空需要による人員不足について対応に追われていた。そこでかつて、東京都八王子市の学園都市化計画で航空学校を建設する構想を復活させ、頓挫していた間にお偉い方御用達のゴルフ場の土地に滑走路を整備し、共学の航空従事者養成学校通称『飛桜航空高等学校』を建てたと耳にしている。
日本には他にも宮城県、石川県、山梨県、兵庫県と宮崎県に経営者は別だが同様の航空学校がある。この飛桜高校は、他の航空関連の学校中ではトップ圏のため入学希望は多め。入学試験は一般教養の筆記試験に加え、面接とパイロット学科はフライトシミュレーターによる試験があった。なお筆記試験よりも、飛行に関しての技量が重視されるようだ。私はフライトシミュレーター試験で、学年一位になったので、特待生で入学することになった。試験自体は札幌で受けたので学校へ行くこと自体は初めて。心の中で不安と期待が入り交じる。
「そういえば名前は? 東京に慣れていないよー、みたいな顔しているけど、出身はどこ?」
どうしよう、あまり名前を出したくないのだけれども、でも変に嘘をついても仕方がない……。
「私の名前は二稲木 愛寿羽。出身は北海道北見市。よろしくね」
苗字がバスのエンジン音に程よくかき消されながらも、下の名前はしっかりと伝えた。
「北海道から来た、二稲木 愛寿羽ちゃん。いいなー、都会の人はセカセカしているから、もっとゆっくりとした時間を味わいたいなーってね」
こういった会話を時々耳にするけど『田舎の人は都会にあこがれ、都会の人は田舎にあこがれる』というのは何処でも共通なのだろうか。
「私は東京と聞いて最初は気分が高鳴っていたけれど、今となっては人の多さに面食らっちゃったわ」
「そういえば二稲木って……どこかで聞いたことがあるような気がするんだけど、昔どっかで会ったことあるっけ?」
やっぱり来た。想定していた通りの質問。ただ聞かれるタイミングがいくらか早かっただけ想定外なのは仕方がない。今ここで知られてしまったら後々面倒ごとになるのはある程度予測していた。出来れば気のせいでとどまってほしいところ……。ここで変に動揺したらすぐに私が何者なのか悟られるだろう。そうだ適当に今日の晩ごはんをどうしようか考えよう。
「……」
「……」
お互い別々のことではあるが何かしら考え合っていた。はたから見るとどんな風に見えているのだろうか?
一〇秒ほどの沈黙後、結局彼女は考えるのをやめたような顔をした。
「……ま、わかんないや、でもよろしくね。あたしは今泉 華雲だよ。あずはちゃんはあずちゃんでいい?」
「別にいいけどー」
あどけない笑顔で喋る彼女。これならしばらくは正体がバレずに済みそう。
六年前にあった航空機事故は一時的ではあったが、四六時中ニュースで取り上げられていた。連日どのニュースにも私の両親の名前が出ていたのだから、知らないはずはないだろう。結局当時の見出しはどのテレビ局も『事故原因はパイロットによる致命的な操縦ミス』と報じていた。いつからだろうか私はこの報道に対し、心底納得がいかなくなっていた。みんなが出来なかった飛行方法をやってのけ賞賛されていたお父さんが、色々なことに気を抜かずあんなに用心深かったお母さんが、操縦ミスなんて起こすのだろうか?
ふと今泉さんに顔を覗き込まれる。私は考えごとをやめた。
「やっぱりだ。あずちゃんの目、空みたいに透き通った青色でとてもきれい」
うっとりとした表情で、私のコンプレックスである碧眼を褒めてくれた。
「そう? ありがとう。これはね、母方の遺伝みたい」
今までこの碧眼のせいで、別人扱いやいじめを受けてきたので、褒められたことが純粋にうれしかった。見る人の価値観が違うことを改めて知らされた。
バスの窓が開いているのか、空気の流れでなびく赤紅の髪が時折視界に映る。思わずその美しさに見とれてしまった。加えてやわらかそうな頬が、より一層純粋さを引き立てている。不意にぷにっと触れてみたくもなる。
「どうかした? あたしの顔に何か付いている? もしかして今朝顔のニキビ潰しちゃったのが分かっちゃった?」
「あ、いや、今泉さんの髪、綺麗な赤色と思って……」
本当はもっと言葉を繋げたかったがこれ以上口から出てこなかった。褒められ、調子付いたことに少しだけ後悔した。
「……あたしも生まれつきなの。家族ではあたし以外弟も含めて、普通の黒髪だよ」
今泉さんは静かにそう口にしながらグラデーションのように黒くなっている毛先を指でくるくると巻き付ける。その言葉には何か良くない記憶があるようにも聞こえた。きっと私と同じ境遇を過ごしたことがあるのかも分からない。それから一五分ぐらいだろうか、今後についていろいろ思案しながらバスに揺られていると、木々の中から丘上に開けた敷地が一瞬目に飛び込んだ。交差点を曲がり角度が強めの坂を登る。左右に緑を交えている桜並木が、まるでアーチのようになった中をくぐるように進んでいく。葉桜でも四月に見るのはかなり久しぶり。
ほどなく『飛桜航空高等学校 正門』とある門を通りバス停に着いた。




