3 決心への勇気 #21
「ちょっと待ってください。まだたいした時間を飛んでいないのですが……」
違う。主張したいのはそんなことじゃない。
本番で思い通りに飛べるか自信がない。そもそも航空法に『公共の福祉を増進』とあるのに争いをしていいのだろうか? 最も会議でお互いに納得のいく話し合いが出来なかったから、この状況になったというのも事実だけれど。
「もちろん無理にとは言わない。でも学年一位の君なら」
また、どうしてみんな『学年一位』という文字にこだわり縋ろうとするのだろうか? 誰かが評価した結果に、こんなにも圧力をかけられるなんて……。ふと両肩をポンっと悠喜菜と華雲に叩かれた。
「別にはっきり断っても間違いじゃない。無理に飛ぶ必要もないと思う」
「ゆきなちゃんの言う通りだよ。今がダメでもまたいつか権利だかを取りに行けばいいじゃん」
私は目を瞑り考える。確かに二人の意見も一理ある。断ったとしても問題はなさそうだが……。でもそのあとに後悔しか残らないのでは? そもそも、飛んだとして滑走路使用権が取れなかったら? それに失敗したら? 思い詰める中、桜ヶ丘先輩に声をかけられる。
「有斗とある程度点数を稼いでおくから。愛寿羽っちはただ飛ぶだけで大丈夫」
「…………」
飛ぶだけなら何とかなるかもしれない。……ただ私の中でどうしても覚悟が決まらない。ただ飛ぶだけでも、十分難しいのは恐らく先輩も分かっているはず。それで私のせいで足を引っ張ることになってしまったら? と考えると無理することもないが、その選択しも選べない。見渡すとみんなが私に視線を向けている。いつの間にかザーザーと格納庫の屋根を打ちつける雨は止んでいた。雲の切れ間から差し込む夕日の影が少しずつ動き長くなっていく。
「俺ら、いやこの部活には二稲木が必要なんだ。この通りお願いだ!」
部長が頭を下げる。自分が誰かに必要とされているのだと実感させられる。私は自分のことばかり考えていて、肝心な周りが見えていなかった。嬉しさと期待、圧倒的な不安に襲われる。
「あずちゃん」
「愛寿羽」
呼ばれた二人の方へ振り返り、脳裏に浮かんだ内容を小声で話す。
「華雲ちゃん悠喜菜ちゃん、確かに安全を考えればやらない方がいいのかもしれないけれど、私が辞退したら他に誰がやるの? 例え身を削ろうとも私がやらなくちゃ」
「じゃあ、本当にやるのか? でも、無理はするなよ」
「……うん。もちろん出来ることは全力でやるつもりだよ」
手足を震わせながらも、覚悟を鳳部長に伝える。
「可能な限り全力でやってみます」
「ありがとう、本当にありがとう。この部活や皆のために頼むよ」
こうしてグライダー部からは桜ヶ丘先輩、清滝先輩と私が選ばれた。当日の流れを話し合うため、皆で運航室まで移動した。途中で何も状況が分からず困惑している、竹柳君が合流する。
「それにしても機体がグライダーじゃないとか、ハンデがデカ過ぎるだろ。いくら飛べる日がなくて決着が出来ないからって……」
「機体も合わせないと採点に大きな影響を与えるのと、安全重視の結果飛行部側の機体になってしまうなんて。楓も含めひたすらイメージトレーニングをするしかないですね」
状況を鳳部長から説明された竹柳君は、ようやく状況を理解出来たようだ。
「……とりあえず、フライトメンバーはこれを持って帰って」
同じく柊木先輩も部長から説明を受け、課題内容のプリントと今回使用する飛行機の規程ファイル一式をフライトする人の人数分用意してくれた。私たちがプリントを眺めている傍ら、柊木先輩がノートパソコンを立ち上げる。
「いまからブリーフィングをするからこのパソコンを見て」
フライトをする先輩たちと肩を寄せ合いパソコンの狭い画面を注視する。
「使用する飛行機はシーラス式SR22で登録記号はJA4397HS。その優れた安定性と訓練に特化した機体で初心者にも飛ばしやすく、万が一の場合でも機体全体がパラシュートととなって降下できるほど安全性に優れている。二〇三〇年代の飛行訓練機の殆どを締めるのがこの機体。課題はバンク角六〇度旋回を左右それぞれ三周して、パラボリックフライト(無重力飛行)、最後にフォワードスリップでのアプローチと、どれも難易度が高い内容となっているようね」
正直もう少し時間があれば、何とかこなせるのだろうか。
「そういえば部長さん、確かシミュレーションソフトにSR22の機体データって入っていましたっけ?」
「そうかそれだ、桜ヶ丘! 運航室のパソコンなら教育用として入っているはずだ」
「……待ちなさい。あなたたち三人分の用意があると思っているの?」
柊先輩は水を差すかの如く発言する。微かな高揚感が一瞬にして現実へと引き戻された。
「そうさ、フライシミュレーターソフトが入っているノートパソコンも、二台しか無いのさ。部活で貸し出し出来る数も限られているし……そうだ教育方のなんちゃらでソフトを丸ごとコピーしちゃえばいいさ」
「残念ながら前に聞いたけれど、ライセンス丸ごとのコピーは出来なくて仮に出来たとしても動作しないって。ともかく愛寿羽っちを優先するとして、あとはどうする? 楓は最悪確認出来れば大丈夫だけど、でも出来ればちゃんと特性を勉強しておきたい」
「あいにく僕もそんなに飛んだことがない機体なのさ」
華雲は私の袖をつまんで引っ張った。
「ねーあたしの家に泊まりで練習しない? さっき見たけどあのソフトはあたしも持ってるしSR22の機体データもパソコンに入っているよ」
「本当に? いいの?」
全く予想していなかった好機が訪れ、思わず聞き返す。
「うん、もちろん! あたしには、これぐらいしかできないけどね。えへへ。それとゆきなちゃんもサポートお願いね」
「役に立てるか分からないが、協力する」
「そうと決まればあたしが先輩に説明してくるね。ソフトの互換性を確かめてくる」
華雲がソフトのファイルを開き何かを確認するとニヤリと笑った。それから部長に説明をした。
「なるほど……今泉の環境なら大丈夫だ。そしたら二稲木は今泉の家ってことでいいかい?」
「イエッサー、お任せください鳳部長!」
敬礼のポーズをしながら華雲が返事をする。
「ありがとう、華雲ちゃん」
「いいよお礼なんて。むしろ覚悟を決めたあずちゃんのサポートをしたくてしょうがないから」
そんな言葉かけ、行動をしてくれる華雲のためにも失敗したくない。
「結果的に三人に押しつける形となってしまい申し訳ない。短い時間ではあるけれど各人しっかりと、できる準備をするんだ。絶対あいつらを見返してくれ! 今日のところは解散!」
部長が拳を前に突き出した。するとつられるように次々と拳が突き出される。私もぎゅっと拳を握り突き出した。
『ラジャー!』
※ ※ ※
ひとまず華雲の家に泊まるための荷物を取りに戻るため、バス停に向かう。まだ気持ちの整理がつかないし、本当に明日、試合が行われるのかにわかに信じ難い。
バスに乗り席に腰を下ろし、気持ちを落ち着けるためにぼうっと外を眺める。発車間際に一人乗ってきた。何気なく乗ってきた人見ていると、目を合わせるつもりはなかったが、パッと合ってしまった。
「よう二稲木といつものお二人さん」
「どうも幡ヶ谷君」
「いつもあずちゃん以外のあたしたちは『お二人さん』で括られるからヒドい」
華雲が後ろの席から小さな声でこぼす。私はただコクコクと頷いた。
「なんや、どエラいことになったんとちゃうか?」
幡ヶ谷君は通路を挟み反対側に座った。バスも動きだす。
「うん、そうだわね。そういえば確か野球部なのに、どうしてこのことを知っているの?」
「実は俺な、野球部やなくて飛行部に入ったんや」
「そうなのね……」
あまり深々と理由を聞く余裕がなかったので、素っ気なく返してしまった。
「まあ俺は飛ばへんけどな。そっちは誰が飛ぶんや? もちろん密告はせぇへん。俺らでの秘密や」
「先輩二人と私だよ」
「そうなんやーお前、スゴイやん」
「そんなことないわ、たまたま人数が少なかったから」
「せや、俺らのところは二年生フライト学年一位の先輩、あとは三年生の副部長と部長が飛ぶ予定や」
「……」
多分一番知りたくなかった情報だろう。せっかく気持ちを落ち着けていたのに、また振り出しに戻ったのかのように呼吸が乱れ、手の中で汗が滲みはじめた。
「俺もな、ホンマは皆で楽しく飛べればええと思ってんねんけどな。どうして使用権でこんな争いせなアカンやろうか」
「それを私に聞かれても……」
そろそろ私の気持ちを察して欲しいところ……。奥歯を噛みながら気持ちを鎮める。それから無言のまま駅の大通りまで戻ってきた。
『まもなく八王子駅北口に到着いたします』
バスから降りると、幡ヶ谷君にまた声をかけられる。
「ほなまた、本番まで頑張れな。勝っても負けても友達やからな」
何とも怒りたくても怒れなく、もどかしさだけが残された。
「ありがとう、それじゃあ」
そう伝えると幡ヶ谷君は足早に先に行ってしまった。一瞬ガッツポーズをしたように見えたかと思うと人影に消えていった。軽くため息をつきながら、そのまま三人で駅のガードを抜け、マンションの入り口付近までやってきた。
「あずちゃん準備してきて、あたしたちは中のロビーで待っているから」
「分かった、すぐ戻るわ」
もどかしく感じられるエレベーター内での時間をやり過ごしたあと、部屋へ戻り、泊まるための支度をできるだけ早く済ませる。電気を確認して、戸締まり、ゴミ出しと洗濯は……時間がかかるので帰ってきたときで。ひとまず部屋着と洗面用具、日用品を鞄に詰め込み急いで出発をする。
降りるエレベーターには白い大きな布を持ったコンシェルジュが乗っていた。
「これはこれは二稲木様、こんばんは」
「こんばんは、大きな布をお持ちでクリーニングですか?」
もどかしいエレベーターの時間を紛らわすため何でも良かったので質問してみた。
「先ほどゲストルームを清掃しておりました。貴方様も大きな鞄をお持ちでどこかにお出かけですか?」
「これから友だちの家に泊まりに行ってきます」
「そうですか。ここのところあなた様の雰囲気が随分と変わりましたね。初めてお会いした頃は気鬱そうなご様子で心配していました」
「おかげさまで毎日楽しく過ごせています」
「それは良かったです。当方も安心しました」
ちょうど二階に到着しエレベーターのドアが開く。
「すみません、これから急ぎの用事があるので失礼します」
「気をつけて行ってらっしゃいませ。また何がございましたら遠慮無くお申し付けください」
「ありがとうございます」
急いで悠喜菜と華雲が待つロビーへと向かう。二人は寄り添って雑誌を読んでいた。
「お待たせ」
「あずちゃん私服に着替えてきてもよかったのに」
「待たせたら悪いと思って」
「戸締まりは大丈夫か?」
「うん、あとは空から入ってこない限り大丈夫」
「……そうか。それと、なんだか言い顔してるな、何かあった?」
「いや、何でもないわ。行こう!」
もしかすると内心ワクワクしている自分もいるのかも知れない。
駅のホームまで移動すると、タイミング良く電車がやって来た。都心部から帰ってきたであろうたくさんの人が波のように降りてくる。逆に電車に乗る人はあまりいなく、車内も点々と人がいるだけで閑散としている。私たち一列丸々空いている席に腰を下ろした。今思えば引っ越して以来、久しぶりに電車に乗った。
ドア上のモニターに目線を当てると高尾駅まで七分と表示されている。手前には立川などの表示自体があるものの、到着済みなので文字が薄くなっていた。この先は西八王子と高尾だけに到着予定分数の数字が振られている。もう一つ横にあるモニターには無音ではあるが、アクション系アニメの広告が流れている。やがて電車のドアが閉じ、駆動モーターの音が車内に響きわたる。北海道の石北線のように床下から一定のジョイント音がなく、まるで滑っているかのように流れていく景色を置いていきながら進み始める。本当に私にとって東京という場所は何もかも新鮮。そういえば……。
「二人は普段行くとしたら、どこら辺へ出かけるの?」
私は買い物などにおすすめな場所を聞いてみた。せっかく東京にいるので少しは知っておきたかった。本当に行くかどうかは別として。
「そうだね、基本的に吉祥寺か新宿で、余裕があれば秋葉原まで行っちゃうかな」
どれもテレビで聞いたことがある地名だ。
「私も出かけるなら都心部へ行くけどな。華雲は高尾からだと遠いっしょ」
「ふふーん、高尾は中央線の始発駅だから、むしろ絶対座って行けるのがメリットかな。時間こそかかるけどねー。そうだ、今度皆でどこかへ行こうよ」
「そうだね。その時は、華雲ちゃんに案内お願いするわ」
『まもなく終点、高尾、高尾、お出口は右側です。中央線相模湖、大月方面と京王線はお乗り換えです。今日も中央線をご利用いただきましてありがとうございました』
電車の自動アナウンスが流れ、乗客に終点を知らせる。
「そういえば高尾なんて小さかった頃に来て以来だな」
「小さかった頃って、ゆきなちゃんはいつから高身長になったの? あたしなんて小学低学年は列の後ろの方だったけど、学年が上がっていくにつれ段々と、校長先生の顔が近くなってきたっていうのに……」
「そうだな、私は少なくとも小学生から列の後方だったな」
「ねぇゆきなちゃん、あたしにも身長分けてよ」
電車が停車し間もなくドアチャイムを合図にドアが開く。席を立つと、私の横から「コツン」と物が軽くぶつかる音がした。
「イッテー」
何事かと横を見ると悠喜菜が頭を押さえている。
「背が高いと私のようによく吊り革とかに頭をぶつけるんだよ。それでもいいならあげる。むしろ遠慮しなくていいよ」
「……やっぱり今は小さいままでいいかな。気が向いたらもらいにいくよ」
「了解、それまで気長に待つとするよ」
一見すると話が噛み合っているように聞こえるが、そもそも身長をどうやって分けるの? 考えただけで背筋がゾッとする。
改札を後にし、華雲の自転車に荷物を載せてもらい、高尾駅から山の方へ足を運ぶ。途中坂を登ったり入り組んだりする道を進み、方角が分からなくなりそうになる頃ようやく華雲の家に着いた。陽もすっかり山の向こうへと沈んでいた。
「ただいま! 二人も入って、入って」
「お帰り、お友だちは一緒なの?」
「うん連れてきたよー」
居間の方から華雲のお母さんが顔をだした。目元と口が華雲そっくりなのが印象的。
「「お邪魔します」」
「どうぞどうぞ、華雲から話は聞いているよ。ゆっくり――は無理かもしれないけど遠慮しないでちょうだい」
「じゃあ二階にあるあたしの部屋まで誘導開始!」
ニコニコしながら華雲は私たちの前に立ち、電車ごっこのように列になって階段を上がる。
「そうそう、部屋には手を付けていないよー」
「げ、うそ! こめん、そしたらちょっとだけ部屋の前でまってて」
日頃の彼女から、何となく部屋が汚いだろうと想像がついていた。部屋のドア越しからでもガチャンとか、パリーン、ドカンと騒々しい物音が耳に入ってくる。心配もしているが、自然と口元に笑わないよう力がかかる。変に様子を見に行くのも失礼な気がしたのでただ待つことにする。
すっと隣の扉が開き、中から中学生だろうか、黒の学ラン制服を着たままの男の子が出てきた。




