スープのかくしあじ
「ちがう……何かちがう…………。」
みこちゃんはキッチンで首をひねっています。
「何がどうちがうって……うーむ、それがわかっていたら……ちがわないのか。」
みこちゃんはお鍋からスープをすくい、一口飲むと肩を落としました。
「バジルを足してみようか……。それより、パクチーを少し刻んだ方が近いかもしれない……。いや、パクチーはちがう。そんなの使った記憶がないし、そんな簡単に手に入る食材じゃなかった。」
「ううん、やめておこう。前にそうやって少しずつ味を足していったら、ひどいことになっちゃったもん……。」
「何がちがうんだろうなあ……。これはこれで悪くないんだけど、どうにもすっきりしないなあ……。ま、しようがない、次がんばろう。」
みこちゃんは諦めて、パンを切り始めました。
★★★
「ただいま、お父さん。」
「おかえり、みこ。お前のリクエスト通り、スープ作っておいたぞ。」
「わーい!!」
みこちゃんはそそくさと食卓に着きます。
「手ぐらい洗ったらどうだ?それに、お母さんにごあいさつも。」
「ああ、そうだった。」
立ち上がろうとしたみこちゃんの前に、お父さんはスープ皿を置きました。
「まあ、いい。飲みなさい。」
みこちゃんは丸いスプーンを手に取って一口飲みます。
「どうだ……?」
お父さんは真剣なまなざしをみこちゃんに向けました。
「おいしい……。すっごくおいしい。」
「そうか。」
お父さんはにこにこ顔です。
「すっごくおいしいけど……これは、お母さんスープじゃない!お父さんスープだ!!」
「ま、まあな。」
「アレンジしたでしょ?生姜が……やや多めね。鷹の爪も。ん?これは枸杞?お母さんも入れてた?」
「入れてないんじゃないかな。」
「そうよね。入ってたら色的にわかるもんね。何だろう……この、わかんない味……。いいアクセントになってる。」
「知りたい?」
「うん。」
「……シナモン。」
「おお!!すごいぞ、お父さん!!料理人にでもなるの!?」
「そういう訳じゃないけどさ、俺もお母さんスープを飲みたくって、色々やっているうちにこれになった。」
「お父さん、これめちゃくちゃおいしいよ!後でレシピ教えてね。」
「いいとも。」
「でもさ、これはこれですっごくおいしいんだけど、お母さんスープも飲みたいっていうか……作りたいんだよね。」
「あんがい難しいんだよな。シンプルすぎて難しいっていうか。どうにも同じ味にならない。」
「そうなのよ。私なんかしょっちゅう一緒に作ってたのに。もっとこう……やさしい味だった。」
「やさしい味だと思うよ。元々あれは、お父さんが二日酔いの朝に作ってくれたんだから。」
「そうなの!?」
「そうだよ。今度二日酔いになった時にでも作ってみれば?何を求めてるのか、明確に思い出すかもしれない。」
「いいわね!ってそんな訳ないでしょ!気持ち悪くて死んじゃうわ!」
みこちゃんとお父さんは、声を立てて笑いました。
「お前、今年はいつまでいられるんだ?」
「3日まで。」
「じゃあ、少しはゆっくりできるな。」
「お母さんのお墓参りも行きたいんだけど、連れてってくれる?」
「おう。明日にでも一緒に行こう。」
「お寺の角のお菓子屋さんで、よもぎまんじゅうも買ってくれる?」
「おう。東京にも持ってけ。」
「わーい。」
みこちゃんとお父さんの年は、静かに暮れていきました。
★★★
「ごめんねえ、こんな忙しい時期に。」
「気にしないで。ゆうこおばさん、いらっしゃい。」
「おじゃまします。これおみやげ。」
「ケーキだ!!サンタさんもいる!」
「全然わかんないから、コンビニのなの。こんなんでごめんね。」
「嬉しいよ!ケーキなんて用意してなかったから。」
「だったらよかったけど。あら、可愛い部屋じゃない。」
「狭いでしょ。もう少し広かったら、たけおじさんも泊めてあげられたんだけど。」
「いえいえ、私を泊めてもらえるだけでじゅうぶん。むこうはむこうで何とかなったから。みこちゃん、本当にありがとう。」
「どういたしまして。かずくん……だっけ?」
「そう。たけおじさんのおいっこのいとこ。」
「へえ。それは彼の希望なの?」
「まさか!お嫁さんでしょ。」
「だよねえ。それにしても、クリスマスに結婚式とは。よく取れたね。」
「本当よねえ。こっちは東京中のホテルを探しても、全く取れなかったというのに。」
「でしょうね。明日は忙しくなるだろうから、ゆっくりしてってよ。」
「あなただって忙しいだろうに、ものすごく助かったわ。本当に良かったのかしら、クリスマスイブだっていうのに。」
「いいの、いいの。」
「彼氏はがっかりしたんじゃない?」
「そうでもないのよ。今めちゃくちゃ忙しいみたいで、会えたとしても遅い時間になっちゃうと思う。結局会わなかったんじゃないかな。」
「大変なのねえ。」
「だから、ゆうこおばさんが来てくれてうれしい。イブに一人なのはちょっとさみしかったから。」
「つもる話もあるしね。」
「ケーキもあるしね!」
ふたりは顔を見合わせて笑いました。
「そうだ、ごはん作ったんだ!ごはんっていっても、スープとパンとサラダだけなんだけど。」
「うれしいなあ。食べそびれちゃって、実はおなかぺこぺこ。」
「あら、すぐに用意するわ!」
みこちゃんはてきぱきと食事の準備を始めました。
「なにこれ…………。」
ゆうこおばさんは口元を押さえます。
「まずい!?まずかった!?いいよ、無理に飲み込まなくても!!」
「……ち、ちがうわよ。」
ゆうこおばさんは目元を押さえます。
「な……懐かしくって、びっくりしちゃったわよ。これは、姉さんスープじゃない!」
「気持ち悪いとかじゃなくって?」
「当り前よ!あー、びっくりした。」
ゆうこおばさんはせっせとスープを口に運びます。みこちゃんはそんなおばさんを、じっと見ていました。
「ん?どうしたの?」
「どうしたってわけじゃないけど……ゆうこおばさんは、これがお母さんスープの味だって思う?」
「もちろんよ。姉さんが、はいどうぞって出してくれたみたい。懐かしくって胸がいっぱいになっちゃったわよ。」
「そうかあ……。」
「そうよ。これ、本当においしいわね。作り方教えてくれる?」
「うん。」
「じゃがいもとキャベツとにんじんと……?」
「にんじんは少なめにね。スープが甘くなっちゃうから。」
「なるほど。たまねぎと……これはおくら?」
「そう。野菜はなるべく細かく切るの。二日酔いの胃に、優しく届きますようにって。」
「なんじゃそりゃ。ちょっと待って。忘れるからメモする。」
「それから……。」
「それからそれから……?」
「それからそれからそれから…………。」
二人の女のクリスマスイブは更けていきます。
★★★
「うまい!!こんなにうまいスープ、生まれて初めて飲んだ!!」
ひこくんは、目を見張って言いました。
「本当に?」
「本当だよ!僕が今までに飲んだスープの中で、一番うまい!!」
「おおげさよ!」
「本当にそうだもん、超越している。本格フレンチなんかのより、ずっとおいしい。」
「そうかなあ……。」
半信半疑のみこちゃんに、ひこくんはけげんな顔を向けました。
「みこちゃん、あんまり嬉しそうじゃないね。納得してないの?」
「まあ、ちょっとね。そのちょっとがわかればいいんだけど……。ひこくんは、もうちょっと何か足したいとか、これが少し多すぎるとか、ない?」
「ない。このスープは完璧だ。何を足しても引いてもだめだ。」
「あら。」
「究極美味だ。ね、みこちゃん、結婚したらこれいっぱい作ってね。」
「え……?」
みこちゃんの手は止まり、思考も止まりました。顔だけがみるみるうちに真っ赤になっていきます。
そんなみこちゃんを見ているうちに、ひこくんのほっぺも赤く染まっていきました。
「……うん。」
みこちゃんはそれだけ言うと、下を向いてもくもくとスープを飲み始めました。ひこくんも一生懸命スープを飲んでいます。
「おかわり。」
「うん。」
みこちゃんとひこくんはうつむいたまま、ひたすらスープを飲み続けました。
★★★
「あら、りんちゃん、上手ね!あくはそうやって、静かにとるのがいいの。」
「あくって?」
「お鍋に浮いてくるアワアワよ。ぐるぐるかき混ぜちゃうと、お野菜がびっくりしちゃうからね。」
「しずかに、しずかに……。」
りんちゃんは台の上に乗って、真剣にあくをとり続けました。
「本当にきれいにとれたわね、じゅうぶんだわ。さ、りんちゃんと一緒に作ったスープで、お昼を食べましょう!」
「はーい!」
りんちゃんはお母さんと一緒に、お昼のしたくを始めました。
「おいしーい!」
りんちゃんは嬉しそうに笑いました。
「りんちゃんとお母さんが作ったスープ、おいしいいっ!!」
「おいしくできたねえ。りんちゃん、頑張ったもんねえ。」
「うん!」
「りんちゃんは、100点満点のうち、何点?」
「100点!!」
「おお、すごい!」
「お母さんは?」
「お母さんは……99点かな。でも、りんちゃんが100点って言ってくれたから、1点プラスして100点!」
「ぷらす?」
「むずかしい計算なの。」
「100点なのね?」
「そう。」
「よかった。こんどは一人で作ってみていい?」
「まだ一人じゃ無理ね。でも、固くないお野菜は切らせてあげる。」
「包丁、使っていいの?」
「いいよ。りんちゃん、すごく丁寧なんで、お母さんびっくりしてるの。少しずつ、仕事を任せるわね。」
「わーい!!」
★★★
「わーい!!」
マンションの廊下に、降ってわいたかのような、にぎやかな声が響き渡ります。
「みこちゃん、こんちわ!!ゴンーー!!」
「こんにちは!ゴンーー!!」
そのまま家に駆け上がりそうな、小さな男の子と女の子の首根っこを、りんちゃんはむんずとつかみました。
「ゴンーー!!じゃないでしょ!おばあちゃんにちゃんとあいさつなさい!」
「こんにちは、みこちゃん!」
二人の子供は元気にごあいさつしました。
「いらっしゃい、めいちゃんにりゅうくん。ゴンも楽しみに待ってたよ。奥にいるから、おあがんなさい。」
「おじゃましまーす!!」
「靴、そろえるのよ!!」
行きかけた二人はあわてて玄関に戻り、靴をそろえるとあっという間に家の奥へと消えていきました。
「お母さん、急にごめんなさいね。」
りんちゃんは謝りました。
「いいのよ、不幸は予想もつかないし。今日が土曜でよかったわ。あなたこそ大変ね、すごいとこなんでしょ?」
「秘境って言ってもいいようなところよ。」
「ひ、ひきょう……!!」
「そんなところだから、縁が薄いような親族でも、集まるのがしきたりみたいで。」
「はああ。日本でもそんなところがまだまだあるのね。子供達のことは心配しないで。」
「ありがとう。お父さんは?」
「お父さんは、デパートにケーキ買いに行ったわ。」
「…………。甘いっ、甘すぎるわよ!!」
「私は、駅前のケーキ屋で買ってきてって言ったのよ。でも、子供の舌には素材がいいものがなんちゃらかんちゃらと……。」
「駅前のケーキ屋だっておいしいわよ!」
「ねえ?特にシフォンケーキが。」
「そうそう!!あと、レモンパイが!」
「そうよね!……あんた、時間大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない!!もう行くね!!」
「気を付けて行ってらっしゃい!はるくんにもよろしく!」
「ありがとう、行ってきます!!」
りんちゃんは、あわただしく去って行きました。
みこちゃんが奥の部屋へ行くと、めいちゃんとりゅうくんが、ゴンをなでくりまわしていました。
「ゴン、いっぱい遊んでもらっていいわねえ!」
みこちゃんはゴンの頭をぽんぽんとなでます。それから二人の孫に話しかけました。
「めいちゃん、りゅうくん、お昼は食べた?」
「うん!」
「じゃ、ごはんはいらないわね。寒いから、スープだけ飲んで、温まりましょうか。」
「スープ好き!!」
めいちゃんは大喜びです。
「おれも!!」
りゅうくんは嬉しくて、ゴンにぐりぐりと頭をよせました。
「さ、二人とも手を洗って、テーブルに着いて。」
「スープ!スープ!スウプウ―!!」
二人はスープの歌を歌いながら、手を洗いました。
……カチン、ピチャ……ズ…………。
……カ、チン……ヒュッ……ふう…………。
静けさの中、音は続きます。
みこちゃんは話したいことがいっぱいあったのだけど、待つことにしました。長い時間が経った後、
「みこちゃん、ごちそうさまでした。」
めいちゃんは、トロンとした目で言いました。
「あら、眠そうね。」
ふとりゅうくんを見ると、彼はスプーンを持ったまま舟をこいでいます。
「まあまあ!お昼寝しなきゃ!子供って本当に突然ねえ!」
みこちゃんは二人の孫を促し、ソファをたいらにして寝かせました。間にゴンを入れてやって、二人の上に毛布を掛けます。
二人の髪をなでながら、まだ少し意識がありそうなめいちゃんに、そっと話しかけました。
「めいちゃん、スープおいしかった?」
「うん……。」
「今まで食べたのとくらべて、どう……?」
「…………?よくわかんない……。スープって……あれじゃないのも……あるの…………?」
おばあちゃんに頭をなでてもらいながら、めいちゃんの意識はすっと落ちていきました。
★★★
「ふう……これだわ…………。」
今はないはずの実家の食卓で、みこちゃんは大きな溜息をつきました。
「これなのよ!私が探していたのは!……お母さん、私のと何がちがうの?」
不思議そうな顔をしているみこちゃんに、お母さんは笑いました。
「何もちがわないわよ。」
「何もちがわない……?」
みこちゃんは、狐につままれたような気分です。
「ええ。むしろ、あんたの方が極めたと言っていいわよ。お父さんがいつ二日酔いになるかなんてわからないし、その時あった食材で適当にやってただけだから。」
「へえ…………。でも、このスープは、正に私が探し求めていたものだわ。何がちがうんだろう…………。」
みこちゃんは考え込みます。
「そんなに難しい顔をしないで、スープをどうぞ。考える時間はたくさんあるから。」
みこちゃんの前に、お母さんは新しいスープ皿を置きました。
みこちゃんは、ひとさじひとさじ、ゆっくりとスープをすくいます。
ひとさじごとに身体は温まり、心もほかほかして、懐かしいような楽しかった出来事を、たくさん思い出しました。
「お母さん、ごちそうさま。」
みこちゃんは、静かにスプーンを置きました。
「もういいの?」
「うん。……分かったから。」
「そう。」
お母さんは目を伏せました。
みこちゃんは顔を上げ、新大陸を発見したかのように、きらきら目を輝かせて言いました。
「お母さんが出してくれたからだわ!お母さんが、はいどうぞって!わからなかった1点は、それだったんだわ!!」
みこちゃんは満足そうに、何度もうなずきました。
お母さんはそんなみこちゃんの横に座り、そっとみこちゃんの頬に手を当てました。
「ごめんね、みこちゃん。」
お母さんは謝ります。
「どうしたの?」
みこちゃんはびっくりしました。お母さんはとっても苦しそうです。
「早く死んじゃってごめんね。もっともっと、あなたと一緒にいたかった。」
「そんなの、お母さんのせいじゃないでしょ!!」
「そうだけど。あなたがスープと格闘している姿を見てると切なくて。」
「もう、ライフワークと言っても過言じゃないわね。」
「ふふ、本当にそうね。おかげで、あんたの子供も孫もひ孫も、みんなお母さんスープが大好きよ。」
「うん。」
二人は顔を見合わせて笑いました。
「さ、いきましょうか。」
お母さんはみこちゃんに手を差し伸べます。
「いくって、どこへ?」
「スープ作りの修行よ。」
お母さんは、いたずらっぽい目をみこちゃんに向けました。
「みんな、あなたに会いたがっているわ。私が代表して迎えにきたの。」
なじみのある玄関を開けると、懐かしい通学路が広がっていました。
ここは、地方都市から少し外れた住宅街。
昔、毎日見ていた景色だけど、今日はちょっとちがうようです。
立ち並ぶ住宅の間に、けぶるような白い靄がかかっています。それだけでなく靄は薄紫や白桃色に染まり、まるで桃源郷のようです。
「さ、いきましょう。」
お母さんの声にうながされて、みこちゃんは歩き始めました。
靄はいつしか二人を包み、消えて見えなくなりました。