天才ワルツ
文部省令によって特例として高等教育を完了時と同等の学力を得ていると、そういう風に認められたのが小学二年生の時だ。
僕がじゃない。
古知狂乱という、幼馴染の男の子だ。
本人曰く、そもそも国公立大入学レベルの力は小学校入学以前から持っていたからやっとかというような気分らしかったようだけど。僕はその頃、狂乱にどんどん力を離されて行っていたののを感じていたから、国公立大くらいなら入学できるくらいの実力は持っていたと思っていたけれど、文部省令を求めることはしなかった。
そのことを狂乱が惜しんでくれたのは内心では嬉しかった。
小学校にはもともとあまり行っていなかったけれど、狂乱が海外の大学に行ってしまってからは滅多に行かないようになった。
狂乱と僕の共通の父親である『思考家・紙山波文』の別宅を兼ねている巨大蔵書施設には元から足繁く通っていたが、狂乱が行ってからはそこで寝泊まりをすることすらままあるようになった。
この巨大蔵書施設は今までに数百冊もの思想書を著している紙山波文が書籍を集めたものだ。つまり彼の書斎ということになるかもしれない。頻繁に様々な本が入荷され、雇われの人や彼の知人たちの手によってそれらが丁寧に書架に並べられている。
この場所にある本は日本語で記されているものの方が少ないが、読解だけならば五か国語以上を小学校入学以前に習得していたからそれらに関しては読めたのだが、それに関しても狂乱は僕の上を行っていた。
僕がまだ読めない言語の本に関する話題はなるべく出さないようにという彼の配慮は所々で感じることはあって、それは非常に歯痒いものだった。
狂乱が大学に入学したのは本来なら小学校三年生であるはずの年からだったから、中学校が始まるときくらいに彼は帰ってくる予定だそうだ。院には進まないのかと聞いたら、院に閉じこもるくらいなら自分で研究所を作った方がいいと言っていた。確かにそうだと私は納得したけれど、その一方で自分の進む道は自分で作ればいいというような彼の思想は僕が彼に追いつけない証左のように思えて、聞いているのが辛いような気分になった。
一応女優を務めていたりする母親を持つ僕はそれなりに容姿に恵まれて、小学五年生――とは言っても小学校には数ヶ月に一度程度しか通っていなかったが――の頃からはそれなりに外見を気にするようになり始めた。
それは伸び悩み始めていた自分の能力から目を離すためでもあったけれど、きっと母はそれを察しながら、しかしそんな素振りは見せずに僕に自分を美しく見せる方法なんてものを教えて見せてくれた。
髪や肌にも気を遣うようになったけれど、爪はこれまで通り短めに整えた。本を読むにはそれがちょうどいいと思っていたからだ。
容姿を気にするようになるとまた新しい世界が開けるような感覚があった。試しに小学校で母直伝の手練手管を試してみたら、面白いほど今まで見たことがないものが見えた。人間と関わる楽しさを覚えて、段々とそちらへの興味も湧いてきた。
日増しにその面白さを覚え、そしてその技術を磨いた。正直に言うとさすがに人海と情報を駆使してとある不良高校の暴走族グループを崩壊させたときはやってやったという思いよりもやってしまったという思いの方が強かったし、母からもめちゃくちゃに怒られた。しかしそれでもあれだってひとついい経験だったと思うし、僕の人に対する面白さを求める心は、そういった暴れ回るような方向へはなりを収めたが、内心ではなかなか大きく収まらなかった。
それを狂乱に正直に告白すると、狂乱はそれなら自分の母親に会ってみるときっといいと言ってくれた。それから彼の紹介で、小学五年の秋頃に狂乱の母親である古知雅美さんに会った。
狂乱がこちらにいた頃は何度か顔を合わせたこともあったが、そのとき顔を合わせたのはずいぶん久しぶりだった。少し遠慮気味になる僕に対して彼女は不躾に歩み寄って挑発するような口調で話しかけた。
段々と、そう言えばこの人はこういう人だったと思い出した。古地雅美さんはフリージャーナリストという風に言えばまだしも大人しげだが、彼女は『革命屋』等という物騒な呼称で呼ばれていた。
『革命屋』とはその呼ばれ方の通り、彼女はどうにも旧体制を崩そうとする活動や、それのきっかけとなる行動ばかりをしている。そんなことをやっているわりに実入りは結構いいらしく、大人気なく高い持ち物なんかを自慢げに見せてきたりした。
高いと言っても十万や二十万ではない。下手したらそこら人の年収に届かんというほどのものまで見せてきた。そこそこ高いレストランとは言え、公共の場でそのようなものを出すのはどうなんだとドキドキさせられた。
あんたに会いそうな人間に会わせろとうちの息子に頼まれたからねと彼女は言って、それから数ヶ月ほど彼女に連れられて旅をした。
旅の準備をする際に彼女が僕の家を訪れることがあった。
彼女と僕の母はそこそこ複雑な関係だ。お互いにとってお互いが妾であり、お互いに同じ男を捨てた仲だ。二人が対面しているのを僕が見たのは何気にそれが初めてだったが、険悪な空気を放ってはいたものの特にこれといった事件もなく二人は別れたようだった。
母は体が資本だから喧嘩を嫌いそうだが、体を傷つけないことと美しくあることに特化した月下舞武術というなんだか嘘くさい流派に所属していることもあって、戦るときは戦る女なのだ。そして古知雅美さんの方は言わずもがなである。人生からして危険なものだから、人と争うことには慣れていそうな雰囲気があった。
結局二人の衝突はなんらなかったから杞憂で終わったのだけれど、僕は二人が険悪な空気を発している間二人の戦闘風景を思い浮かべては、自分が巻き込まれてはただでは済まないことを感じた。
その場でそのようなことにはならなかったが、しかし古知雅美さんに旅に連れていかれる以上は絶対に何らかの護身手段は得ておかなければならないのだろうなということに思い至り、母から例のあやしい武術を授けてもらうことにした。
旅の道中でテレビ電話などを使って護身術習得に努めたが、その中で僕は体を使うことの面白さにも興味を持つようになった。脳をそのようにしていけば、全身の筋肉を自由自在に操り持ちうる最大の力を奮えるようになるのではないかと考えたのだ。
小学校六年生の間に特に人体理解と全身に意識を巡らせることをしたけれど、結局対人戦はそこまでの強さには至らなかった。
古知雅美さんに連れられて初めて出会ったのはえらく頭のいい大学教授の人だった。壮年の男性で、白髪交じりの頭が上手く決まっていてかっこよく見えた。古知雅美さんは知識自慢でもしてもらえと言い残してどこかに去って行ってしまった。
それから彼にしてもらった話は実際大方が知識自慢——数学と物理に関してだった——だった。僕は古知雅美さんから言われた通り素直に知識自慢をされるつもりはほとんどなくて、むしろ議論を交わそうというつもりでさえあったのだが、私の発言もなにもかもが彼の知識と経験の中で完結しているような感覚があって、悔しさに少しだけ目じりの奥が熱くなった。
聡い小学五年生というふりをしていた僕の内心がそのようになっていたことは絶対に知られていなかっただろうとその時は自信を持っていたが、思い返してみれば少しあやしいものだ。
話を数時間ほどさせてもらった後に彼は僕に対して有意義な議論だったよと言って、友好の印にと握手もしてもらったが、きっと本心ではないだろうと思った。そう感じるのも仕方がないほど、彼は私に対して圧倒的に高い『もの』を持っていた。
その『もの』というのは経験だったり知識だったり思想だったりするのだろうけれど、なんにしても、僕は狂乱以外に対して初めてと言ってもいいであろう劣等感というものを抱いた。
それがつい漏れ出てしまって、「狂乱以外にすごい人いたんだ」と呟いてしまった。自分の言ったことになにを当たり前のことを言っているんだと驚いてしまったが、それを聞いた壮年の彼は僕の前で大笑いをした。
世界は広いよ、と言って彼が僕の頭を撫でた時、僕には劣等感と共に向上心のようなものが生まれてくるのを感じた。
古知雅美さんが迎えに来て彼と別れたあとにどうだったかと聞かれて、そう言えば名前を聞いていなかったのを思い出した。尋ねると、何冊か彼の著書や論文を読んでいたことに気付いた。
それを事前に知っていたらまた僕の彼を見る目は変わっていただろうから、なるべくこれから会う人も名前は全部が終わった後に聞くか聞かずに終えるかぐらいにしたいという風に古知雅美さんに伝えた。彼女は変な子、と吐き捨てたが了承してくれたらしくそれから話をする人たちは話しきるまで名前を聞くことはほとんどなかった。
わずかな例外である数人は、例えばイヌイットで出会った老師であったり森にこもっていた修験者だったりしたが、中にはそもそも著者近影で見たことがあったから名前を聞かなくても分かってしまうという人もいた。
その著者近影で知っていた人は小説を読んでなんとなくこういう人だろうという予測が大体ついていたのだが、実際に対面して話してみると見えていなかったものが無数にあったのだということが分かってきて、改めて直接人間に関わることの有用性を感じた。
また、小説家という生き物は私の知らない生き甲斐を知っていて、こういう生き方をするのも選択肢としてはあるのかと思った。
およそ半年近い旅で僕は相当濃い経験をしたが、中でも印象に残っている出来事をいくつかあった。まずひとつは、宇宙に関する研究をしているとある人と対面した時のことだった。
聞く宇宙論は聞き覚えはあるが完全な理解はできていないというものが大方で、これもやはり議論をしようとしてもそれはあくまで相手の頭の中で完結していて、双方にとって発展的であるとはいいがたいものだと感じていた。
そこでも僕はやはり劣等感を抱き、同時に向上心も抱いた。
旅が始まって間もなくに僕は自分の向上心をはっきりとそれと自覚し、その感情に肯定的になるようにした。そしてこの度の中でその感情に僕は度々突き動かされた。ここでの一件もそれだ。
彼女のような人間がどのような過程で生まれたのかが気になって、僕は彼女にそもそも宇宙への欲求の根源はなんなのかと尋ねた。彼女は少し考えてから、僕に対して「空を見上げると宇宙があったから」だと答えた。
僕はそれを山があるから登る登山家のようなものかと理解しようとしたが、彼女に否定された。
彼女曰く、「自分の家がなにで出来ているのか気になるでしょう? 小枝で出来ていたら屋根が落ちてきてしまうかもしれないし、軽石で出来ていたら雨がすり抜けてきてしまうかもしれないでしょう。家は特に長い時間を過ごす場所だから、特に看過してはいけないことでしょう。でもね、宇宙は家なんかとは比較にならないくらい長く過ごす場所なの。だったら絶対、探求しないわけにはいかなかったのよ」とのことだった。
その後で「少なくとも私はね」と付け加えていたが、それは彼女が自分が他人に意見を押しつけてしまっていないかを留意したから一応言っただけに過ぎなくて、本心では人類の探求すべき絶対の課題が宇宙そのものであると考えているようだった。
そういう価値観もあるのかと僕が感心すると、彼女は口調に熱が増していたからか、全く子供のように無邪気に首を傾げた。
「なぜ天が落ちてこないか心配にならないの?」
彼女のその言葉が余りに無邪気さに満ち満ちていたため、僕はそれが彼女の本性なのだとはっきりと感じた。
そのあまりの強烈さに、僕は自分というものがなんなのか、随分迷うことになってしまった。その興奮を冷めやらぬうちに狂乱に話すと、狂乱はまだ子供なんだし、俺たちはそんなことを求めなくてもいいんじゃないのかなと言った。
その言葉の裏に、俺たちはと言いつつも、本当は自分だけそれを掴んで僕のことを子供だと思って見ているのではないかというほのかな恐怖に襲われた。それもまた劣等感だったけど、向上心にはつながりづらかった。
子供なんだから、そんなものだよと狂乱は言っていた。
俺だって自分なんてものはまるでつかめないよと言っていたけれど、僕はその言葉に半信半疑だった。
それからもうひとつ、とても衝撃的だった事柄がある。
ある紛争地帯にいたときに僕が誘拐されたときの話だ。古知雅美さんが僕ととある軍人を出会わせたかったらしかったのだがちょうど激化している時期で、彼女がその地域の人と何やら交渉をしているらしいときだった。
銃撃戦が繰り広げられたためだろうが、廃屋になっている鉄筋コンクリート造りの建物がいくつも立ち並んでおり、僕はその一回の一室で現地の子供と雑談をしながら時間を潰していた。
数十分ほどそうしていた時、いつの間に建物の中に入ってきていたのか、突然背後から二倍ほどの体格がありそうな大男に――冷静に考えれば二倍はさすがになかったが、そのときは確かに二倍すらあるように感じた――抱くように捕まえられた。
無骨な腕の感触が自分よりもずっと強いことをこれでもかというほどの力で示されていて、強い力で抱かれる恐怖と痛みに混じって持ち上げられたことによって足場が消滅したような混乱に襲われた。
視界がそのままに世界が動転するようなめちゃくちゃの状態になって、振りほどこうと必死になって四肢を暴れさせたけれど僕を抱きかかえる巨漢はびくともしなかった。
点滅するライトに閉じ込められたような視界の中で赤色が噴き出すのが見えたとき、混乱は最大にまで膨れ上がった。
先程まで会話をしていた子供が誘拐犯らに首を掻っ切って殺されたのだ。
人が死ぬのを目撃したのはそれが初めてではなかったが、これほどまでに情緒も何もなく、特別性の欠片もない、畳みかけるような死亡の体感というのはまったく初めてのことだった。自分がこれからどうなるのか、それを考える頭さえ働かなかった。
自分の脳みそがいつものほんの十分の一ほども働いていないことだけは分かって、それだけしか分からなかった。
混乱にまみれて、異物感と嘔吐感が体の中で暴れ回っているような最悪さだった。
叫び声を上げられないようにと口をふさがれたときに感じた汗の塩苦さも、情報過多でなにがなんだかまるで分らなかった。
拷問のような時間がやがて流れ、恐らく車に私はのせられたのだと思う。拷問のようだとは言っても実際には数人がかりで迅速に車に乗せて行っただけだろうと思うけれど、僕にはそれだけのことのように感じられた。
車に乗せられてからも僕は暴れ続け、その間に足がつった。しかしそのときの僕はもはや痛いのかどうかすら分からず、それでも四肢を乱暴に振り回し続けた。
釣り天井が落ちてくる広間の中で首に時限爆弾を巻いて獰猛な野犬に襲い掛かられるような、何もかもの苦痛が混乱の中に紛れた時間は永遠と言っていいほど長く続いた。
いつしか私の混乱は現実とそうでないものの区別もつかなくなっていたらしく、次に目が覚めたのは翌々日のことだった。
いつの間に寝ていたのかが分からなかったからそもそもいきなり周りの環境が再び変化していることに混乱しかけたが、古知雅美さんが水を与えてくれたり背中をさすったりしてくれて、どうにか落ち着くことができた。
僕は誘拐犯たちがどうなったのかも聞かず、勿論この国で合わせてもらえる予定だった軍人に会うことも願わず、とにかく一秒でも早くまずこの国から出たいと懇願した。状況が状況だったために古知雅美さんは一も二もなく承諾してくれて、僕が車の中で震えている間に数日もせずぼくたちは安全な地帯に戻ってこれた。
これは僕が今まで生きてきた中で最も死に近かった出来事だ。今でも思い出すと背筋が震えるし、時折夢に見ると全身汗だくであり、時には体のどこかしらがつっていたりする。
狂乱も母も僕のその出来事にはとても肝を冷やしたらしく、もう済んだ話だと言っているのに母は大丈夫かと繰り返しに聞いてきた。それから古知雅美さんは僕の母に大分怒られていたようだった。
そこまで怒らなくても、と思って口をはさんだりすると僕の方が説教をされた。その説教には古知雅美さんの方も加わっていて、どちらも人の親なのだということに思い至った。
この旅の中で子を残す幸せというものにも触れてはいたが、こうして直接その感情を向けられることほどそれを強く感じることもそうはなかった。
小学六年生の間は成長を阻害するようなことは一切ないように留意し、むしろ自分にとって理想的な成長をするようにしながら体作りに励み、人体のことについて知り、自分がどこのなにをどのように動かしているのかを考えながら生きていくようにした。
四六時中自分の動きを認知するようにしてみると非常に疲れて、大分寝苦しい夜が続いたが、慣れてくるとやがて読書中や食事中でも自分の筋肉がどのように動いているかがはっきりと分かるようになっていった。
それによって周りに気を配る力が格段に伸びて、人間の気配を察知するのが得意になった。とは言っても、実はそれは元々習得しなければいけないと思っていた技能だった。先の旅で誘拐されたときはもしも誘拐犯に先に気付くことができていればもっと違う流れを作れただろうし、あの子供も死なせずに済んだはずなのだ。
またあのようなことがあるとは思いたくなかったが、一度あることは二度あるし、トラウマ克服のためにもその技能は是非とも習得しておきたかった。
実践不足のせいで母から習った武術もせいぜい二対一で有効かどうかという程度までしか鍛え上げられなかった。それは筋肉を必要以上に着けることを避けたというのもあるけれど、より強くなるためには鍛錬を欠かさないうえで成長期が終わってから改めて体づくりを行うべきだろうかなどと思った。
小学校最後の冬に入り、あの旅から一年が経とうとしていた。
古知雅美さんとは現在でも時々ある機会があって、ちょっとした冒険話のようなものを聞かせてくれる。冒険話というか、彼女が話すのはどちらかと言うとただの自慢話のようだが。
彼女がある日息子とは仲良くしてくれてやっているかと言っていた。僕はそのつもりですと答えると、なんだかあまり聞いていなさそうだったが彼女は満足そうにその答えを受け取ったようだった。
しかし実を言うと、ここ一年ちょっと程の間僕は狂乱に姿を見せていなかった。テレビ電話をやめて普通の電話だけにするようにしていたのだ。
それは容姿を気にし始めてから、彼にはある程度以上思った通りの容姿として完成するまでは彼にその姿を見せないつもりだったからだ。それを僕は彼に対して劣っていると感じているからせめて完全な姿を見せて対等に渡り合おうとしていこうとしているからだと思っていた。
クリスマスなどの諸々の行事では多少なりとも小学校に顔を出すようにした。するとクラスメイト達はぼくのことを大変歓迎してくれた。母の勧めでクラス二つ分くらいの規模のクリスマスパーティーを企画すると喜んで集まってくれた。
その場ではこれまでにはない近さで同級生たちと接することになり、国籍も価値観も全く違う世界中の才ある人間たちと話をしてみたのとは全く違う、近しいからこそ際立つちょっとした価値観の違いなど、なかなかに面白げなものをその関係の中で感じ取ることができたと思う。
改めて考えてみると旅の以前の僕は、人間と関わると面白さというのを自分が一方的に干渉することとして考えていたように思えた。自分よりもすごい人間と接することで掴んだ感覚だと思うと少し悔しいが、これからは対等な立場で対面して接することも大事にしなくてはと、旅を通して無自覚にできるようになってきていたことを改めて自覚した。
正月には同級生たちと初詣に行こうという話になった。
母はそれを聞くと喜んで僕に着物の着付けを教えてくれた。身体全体を認知する練習を積んでいたおかげですぐに着付けのやり方は分かるようになったが、それを母が面白がったのか、少しお願いするたびに髪型や服の着付けの難易度が上がっているのは気のせいではないはずだ。
着物を僕に着せてくれている時、母が僕に狂乱には見せないのかと聞いてきた。
それで僕は気が緩んでいたのもあって、母に事実をそのままに言ってしまった。直接会うまで姿を見せるつもりはないということを、である。いつもならそれを簡単に言うことはなかっただろうに、着物に浮ついていた隙を突かれた形となってしまった。
母は「それって恋!」と僕よりもずっと浮ついた声で言った。僕はその言葉をなんとなく予想できていたはずなのに、改めてこうして言われると真っ向から否定するのを戸惑ってしまった。
もしかし自分が恋をしていたのだろうかと、一瞬迷ってしまう。
すぐに首を振ったけれど、否定をするのにわざわざ体の動作を伴っているという時点でもはや実際は否定しきれていないも同然のような気もした。それを見て母はますますにやにやと笑みを浮かべる。
「超有力株じゃない。いい、いい。付き合っちゃいなさい」
そんなに簡単に言っていいことなのだろうかと戸惑う。若いのだから色恋も経験した方がいいのだという意見を否定するつもりはないけれど、狂乱との繋がりをその程度の人生経験で消費していい人間関係だとは思えない。
本当に僕が彼に恋慕を抱いているのだとしても、軽々に高裁につなげるようなことをしていいとは思えない。若者の色恋なんて所詮、いつ壊れてもおかしくないのだから。
それは多分、僕たちにも言えることだった。
「…………」
鏡の中の自分を見て、「僕……」と呟いてみる。容姿は自分でも一応納得できるくらいにはなったけど――成長後とはまた違う味わいがあるだろうと思っている――、その呼び方は少しだけ、その姿にそぐわないように思えた。
「ねえ、ママ」
「なあに?」
「僕っていうの、もう止めた方がいいかな。私……とか」
僕の言葉になにを感じたのか、母はますますにやにや笑いを深めた。鏡越しにそれを見ると、随分楽しそうに見えた。
「あんたはそのままでいいと思うよ。いいじゃない、僕っ娘」
そういう観念があることは知っていたけれど、男でもないし、あんまり理解や教官ができることでもなかったからいまいち納得はできなかったけど、母の言葉を信じて僕はそのまま、僕で生きて行こうということで決めた。
クラスメイトと一緒に行く初詣に着て行く着物は母が用意してくれたものの中から決めた。母の遺伝子と努力の成果でそこそこ立派な黒髪美人として成立していると自負していたけれど、どちらかと言うと西洋風の意匠の方が似合うように思っていた――自分的には文学少女というイメージで自分を作った。それが一番似付かわしいと思ったからだ――から、着物がちゃんと似合っているかは家を出るまでどころか、クラスメイトと合流した時に男子だけでなく女子からも感嘆の域が漏れるのを確認するまでは確信を持てなくてどうにも不安な気持ちでいっぱいだった。
神社を参った後に女の子が神様になにをお願いしたの? と聞いてきて、そう言えば何もお願いをしていなかったことに気が付く。彼女たちには「秘密」と言ってごまかすと、願い事は言うと敵わなくなるっていうもんねと言って納得してくれた。
しかし話がそういう風になると、彼女たちの方が神様になにをお願いしたかを聞くことはできなさそうだった。彼女に聞かれたことによって、神様に祈るなら何を祈るのか、少し自分でも気になってしまったのだ。
例えば、と考えて真っ先に思いついたのが『狂乱と末永く、』という文章だったことは自分の思いがそうであるという証左にならないはずだ、と強く思った。その文章の先を考えないように、と思ってしまった時点でもうすでに考えてしまっているも同然だった。
さして同年代との会話経験が多いわけでもない僕でもはっきりと分かっているほど女子が恋愛話を好むというのは確かな情報だったから、僕はそれに頼ってみることにした。
「ねえ、○○○ちゃん」
「ん? なに、しすいちゃん」
「〇○○ちゃんはさ、好きな子っている?」
そう聞くと彼女は頬を赤らめて、しばらく迷った末に私の耳元に唇を寄せて教えてくれた。それはクラスメイトの男の子の名前で、旅の以前に人間に興味を持った時にどういう人間がどういう人間に好意を持つのかと予測を立てた情報とほとんど相違なく、私は「へえ、いいじゃん。仲いいなって思ったら、そういうこと?」なんていう風に彼女を茶化す。彼女は恥ずかしそうにした後、小さく頷いてみせてくれた。
「応援してるね」と言うと彼女は嬉しそうに感謝を伝えてくれた。そんな様を少し微笑ましく思いながら眺めつつ、少し遅れて離れていた一緒に初詣に来ていた他のクラスメイト達の列の方に戻る。
そうしながら、彼女はその男の子と生涯ずっと一緒にいたいと思っているというわけではないんだろうなと思った。
僕は色んな意見を知っているけれど、個人的にはこういうことは一緒にいたいという思いだけで将来のことを考えているかどうかを無視して相手への思いだけを重視する事より、将来一緒にいたいと思うかということを考えることが大切だと思っている。
共に生きるというのは覚悟だと思うから、怠惰でするものじゃないと思うのだ。
それはいまだ恋愛経験のない子供が考える恋愛に対する理想論のようなものなのかもしれないけれど、少なくとも今はそう思っている。そして少なくとも、その覚悟のようなものは絶対に僕にはないとそう確信した。
冬休みが明けると僕は国内で軽く旅をして、道場破りのようなことをして実戦経験を少しでも増やしてみたり大学を訪問していくらか研究に参加したり、自分の将来を考えたりした。
クラスが解散する前に学校に復帰して、先生の代わりに授業をしてみたりとか色々遊んでみたが、それもまた中々に楽しい時間だったと思う。そして春休みになり、僕は小学校を卒業したことになった。
中学校に入学しても何かしら得るものがあるだろうとは思ったけれど、それよりももっと大きなものを得た方がいいだろうと思ったから、小学校の同級生たちにはもうすでにお別れをしていた。僕が頭がいいというのはそれなりに知れた話だったらしく、同じ中学には進まないんだろうなと察していた生徒たちもいたようだった。
文部省令でも頼みにして高校や大学に進学するというのも選択肢としては無しではなかったが、それよりももっといい道があるように思えた。
なにより、大学に進んだらその分狂乱に置いて行かれてしまだろうと思ったから、それは最後の手段にしようと思っていた。狂乱本人に相談をしてみたところ、彼は教育機関のようなものでも作ろうかなと思っているようだった。
別の方法で金を稼ぎながら、利益度外視で私塾のようなものから始めて行こうという計画らしかった。これから狂乱に肩を並べていくためには僕もそこに加わらなければいいけないのではないかと思った。だから僕にもそれに参加させてくれと頼むと、狂乱は快く承諾してくれた。
それからとある企業から施設をひとつ買い取り、そこをまず第一の拠点としていこうということになった。資金に関しては彼が大学時代に知り合ったもの達が喜んで投資してくれるということだった。それに、僕たちの父親である紙山波文もこの事業に出資をしてくれた。さらに言えば僕の母も全体で見れば少額だが支援をしてくれた。
古知雅美さんは一銭たりとも寄越さなかったうえ、被教育者たちの中に反乱分子が出てきたらそのときは革命にまで発展させてやるというまったくもってありがたくない一言を寄越してくれた。
それを狂乱に伝えると相変わらずだなぁと呆れたように言っていた。
僕らの第一の城になる予定の場所が整うまでにはまだいくらかかるようだったが、土地の権利自体はとっくにこちらの手の中にあった。これは実は、僕がお願いしてそうしてもらったのだ。
そもそも、第一の城となる場所を一から建設するのではなくもうすでにある施設をいただこうという風にしたのは、僕がどうしても中学校が始まるくらいの時期、つまり狂乱が帰ってくる時期にはそういう中学校の代わりになるところがあっていて欲しいと思っていたからだ。
待ち合わせ時間の一時間前から、門の陰に隠れて四年越しで彼がどのような姿に成長しているんだろうかと想像したりしていた。母からは空港に迎えに行った方がいいと言われたけれど、僕はどうしてもこの場所で待ち合わせるシチュエーションを整えたくて、こうした。
狂乱は不満ひとつなくそれを承諾してくれた。
少し遠く、車が止まる気配が分かった。そしてそこから十二歳ほどの少年がこちらへやってくるのもはっきりと分かった。僕はそれに胸を躍らせて、読んでいた書籍を畳んでバッグの中へしまう。
彼が門の前に来る前に、僕は門の前に飛び出した。
「久しぶり」
僕の姿を見て、彼は呆気にとられたようだった。
彼の体躯は五年前に比べてずっと大きく伸びていて、顔つきや体つきがまるで青年のようなそれになっていた。しかし年齢に勝てず、身長は大体私と変わらないか、むしろ少し小さいかというくらいのようだった。
昔は男のように短くしていたけれど、すっかり長くなった黒髪を揺らしてはにかみながら彼の方を向く。彼もこちらに応える。
「おう。久しぶり」
お互いにあまりに久しぶりすぎて、姿も変わって、少し戸惑ったけれどお互いに手を取り合って懐かしさを共有した。
二、三言言葉を交わして、僕たちは建物の方へ向きを変えた。
二人は新しい門出の場所で並んで立っていた。これはちょっとしたまやかしだとしても、僕が狂乱に追いついたということのように思えて、とても嬉しかった。
そして、僕たちは二人で歩き出した。