第二話。お嬢様との出会いと彼女のおねがい。
「えーっと、たしかエンダイヤの家はっと」
商人の家が軒を連ねる通りが、この町の北東にはある。
って言っても、そこまで多い軒数じゃないけど。
エンダイヤの家は、その中の中央にある家だ。
しかしこの町一番の商人ながら、家が目立つほどでかいわけではない。
真の金持ちは散財しない、ってのを聞いたことがあるが、
ちょっと広い程度だと、とても町一番の稼ぎを誇ってるとは思い難い。
こうして出向く場合に、どの家がそれなのかが分かりにくいから、
家は稼ぎ相応の広さにしてもらいたいところである。
「あっ」
突然、エンダイヤ家の右横っ側の辺りで声がした。
それは聞く限り、少女と言うよりは幼女に近い、
まだ存分に幼さのある声だ。
たった一音でそこまで判断できるのか、
と思われるかもしれないが
わりと声質ってのは、一文字でもわかるものである。
足を止めて声の方を見ると、俺の視線に気付いたのか
慌てたように 逃げるように、家の裏側に走って行ってしまった。
なんとも落ち着かない足取りで、ソワソワしていたと取れる。
「なんで、あんな 庭と玄関の間なんて、
中途半端なところでうろうろしてたんだ?」
庭って言うのは、完全にあるって言う先入観で思ったことだが、
庭があろうとなかろうと、変な位置に女の子がいたのは間違いない。
まもなく、目的地の玄関の扉前に辿り着いた。
ノッカーを叩こうとそれに触れると、不思議なことに
魔力の動きを感じた。
「なんだ、このノッカー?」
不可解ではあるものの、叩かないことには始まらない。
「さて、どんなもんやら」
叩いてみると、カーンコーンと音程のついた、
甲高い鐘の音がした。
その直後、ヒュルルルルーっと言う空間を走って行くような、
歪んだような風のうねる音がした。
「これが、魔力の正体か? けど、いったいどんな効力が」
ほどなく、魔力の気配が強まるのと同時に、
驚くべき現象が起きた。
『どちらさまですか?』
なにかで蓋をされたまま喋ってるような、
変な雑音交じりの声がしたのだ。
声は女性の物、おそらくはメイドの一人だろう。
「え、あ、ああ。そちらのメイドの一人、
アリーナさんから呼ばれて来ました。ヨロズヤパーティ、
エイダーズ・クロスのジョセ・パーシュウズです」
目の前にいないのに声だけが届くと言う状況の予想外っぷりに、
少し反応が遅れたものの、問いかけにはさして滞りなく答えられた。
『お待ちしておりました。少々そのままお待ちくださいませ』
言うと魔力の気配がしぼみ、ノッカーを叩く前の
かすかにしか感じられない強さに戻った。
受け答えを考えると、どうやら、
アリーナ本人だったらしいな。
「どうぞ、中へ」
目の前の扉が開き現れたメイドは予想通り。
さっき俺に名紙を渡して去ったあのメイド、
つまりはアリーナ・キャレーレスだ。
彼女に促されるまま、俺はエンダイヤ家へと足を踏み入れた。
「ご主人様が留守の間に、来てくださって助かりました」
俺の前を行きながら、アリーナはそう言う。
「どういうことだ?」
「このことは、ご主人様には内密なんです。
お嬢様の意向で」
「そうか」
フェイルの読みは完璧に当たったな。
「そのわりには、メイド何人かで俺を探してたみたいだけど?」
「一人では時間がかかりすぎると思いまして、
買い物ついでに、何人かで手分けしていたのです」
「なるほど。そんなに苦労してまで、俺を探してたんだな。
ほんと、すごい執念だぜ」
「お嬢様のためならエンダイヤメイド一同、
この程度のことなんともありません」
冗談めかしたような、笑みを含んだ感じの声で
当然とばかりにアリーナは口にした。
「メイド総出でそう思われてるとは、愛されてるな」
羨ましいぜ、って言う本音はどうにか飲み込んだ。
今日初対面の相手に自分を見せるほど、俺の警戒心は薄くない。
「……っ」
客間に通されたところ、玄関扉近所にいた女の子が、
ちょこんと座っていた。
が、さっきと同じく落ち着かない様子で、
俺を見た瞬間、どういうわけだか
頬がうっすらと赤く染まった。
「そっか。お前さんが『お嬢様』だったのか」
俺は年齢、特に低年齢だからと口調をドロドロと、
まるで愛玩動物と対する時のようにしたりはしない。
あれは、相手をみくびった態度で、失礼だと思ってるからだ。
なぜかお嬢様、驚いた様子で目をパチパチとやっている。
「お嬢様、今ものすごい緊張してます。
こんなに大人しい人じゃないんですよ、普段は。
それでジョセ様、なぜお嬢様のことを?」
「ん? ついそこで見た」
ああ、とアリーナは納得に両手を打つ。
お嬢様、変わらずおちつかない様子で
右の手の甲を左の手でさすっている。
「ジョセ、さま」
パクパクと、口を余計に動かしつつ、なんとか口を開いた感じで声を出した。
「あの。マリー・ゴリオス・エンダイヤ、
と、申します」
緊張のせいなのか、まったく表情の動かないまま、
右手の甲をこすりながらそう、お嬢様は名乗った。
「あの。えっと。すみません。こん、な。
礼儀を、欠いた、挨拶で」
瞳だけをこっちに向けて、やっぱり動かない表情のまま、
まばたきもしない いや、おそらくできない状態で、
それでも、きちんとできてない自分の様子は理解しているらしい。
子供だって言うのに変に冷静だな。
これがお嬢様って奴なのか?
「気にすんな。ここに来た時から、
お前さんがものすごく緊張してるのはわかってるから」
驚いた様子で、またまばたきを何度か。
「あの、とき、は。ありが、とう。ござい、まし、た」
気を取り直したようで、一度目をつぶってからゆっくりと開くと、
お嬢様 マリーはそうお礼をして来た。
「あの時。やっぱりわかんないなぁ。
いったい、いつなんだ?」
言われたが、やっぱり俺には覚えがない。
アリーナが言うには、ティアリーと出会ったのと同じころに
このお嬢様は俺になにか、施しを受けてるようなんだが……。
「それは、です、ね」
一度声を言葉として出せたからか、徐々に表情の硬さといっしょに、
頬の赤さも薄れて行っている。
大きく深呼吸を一度、二度。それで一つ頷くと、
お嬢様は話を再開した。
「月の満ち欠け三周前。うっかりとわたくしは
この町の裏通りへと迷い込み、どう来たのかもわからず
身を縮めておりました」
言葉は、さきほどまでのガッチガチに比べれば、
かなり流暢になった。
それでも若干俯きながらだ。緊張が抜けたわけじゃないようだ。
「そこにあなたさまが、裏通りに現れた複数の男の人をなぎ倒し、
一人の女性を、当然のこととでも言うように助けてしまいました」
「なるほど?」
ティアリーをゴロツキどもから助けた時、
このお嬢様はあの場にいたのか。
「あなたさまはなんの余韻もなく、
助けた女性と共に去って行ってしまいました。
そのおかげで裏通りからの出口がわかったわたくし。
あなたさまにお礼が言いたかったのですが……
既にあなたさま方は雑踏に消えてしまっていたんですの」
一息にまくしたてたお嬢様、ふぅと一つ大きな息を吐いた。
「納得した。そりゃ、俺が面識がないはずだ。
で、お礼が言いたくて俺を探し続けてた、と」
「そうです。たったこれだけのことで
お父様のお仕事を邪魔するわけにはまいりませんので、
内緒でメイドたちにあなたさまのことを、
探してもらっていたのですわ」
「なるほど。この部屋に来る直前にそのメイドが言ってたのは、
そういうことか」
俺の言葉を、ゆっくりめに首を大きく二度縦に動かして、
メイドは肯定した。
「それで……なのですけれど」
えんりょがちに切り出すお嬢様。
「どうした?」
「その……お願いが、あります。お礼ついでで
図々しいとは思うのですけれど」
恥ずかしそうに目を伏せて、もじもじと言う
マリーお嬢様。
「お願い?」
「はい。その……」
顔をかーっと真っ赤にし、お嬢様はその
「おねがい」を口にした。
「今週末の夏フェスタ。わたくし、行きたいなって 思っていて」
黙って聞く。この先の言葉は読める、が そこはそれ、
お嬢様の口から言ってもらうことにする。
おねがい、は自らの口で頼む方が説得力があるからな。
それに、万が一この読みが外れてると恥ずかしいし。
「お父様は、いつも、忙しくって」
流石は町一番の商人、休む暇もないのか。
まあ、休むつもりがないのは、俺たちヨロズヤも同じだけどさ。
「だから、あの。夏フェスタに……行って、もらいたいのです。
いっしょに」
メイド。おお、って言う感激の小声はなんだ?
「……わかった。俺といっしょで楽しめるのかは保証できないけどな」
パット、少女の顔が花咲いたようにほころんだ。
独断で決めていいものか逡巡したが、
どうしても、楽しみを期待する子供の頼みは断れない。
「ありがとうございます」
アリーナが、嬉しそうな声と微小で、そう言い頭を下げて来た。
それに続いてお嬢様も、改めましてありがとうございます、と
満面の笑顔で再度礼して来た。
「なら、ついでに合流する段取りを決めるか」
微笑を返すと、俺はこう言って
そのまま打ちあわせに流れ込んだ。