1-5.父の遺した手紙
父との邂逅を果たした数日後。
真智は何気ない日々を送っていた。
『古時計』に纏わる噂は、自分の体験を基に少しばかり読者向けに脚色して原稿を上司に提出している。
本当に過去を覗き見ることができる。
そんなことを描いたところで笑い者にされて信じてもらえない。
だからこそ面白くなるよう描いてある。それがライターの仕事だとも思っていたので抵抗感はない。
何より真智自身が真実を描きたくなかった。
父に関する記憶を何も持っていない真智にとって『古時計』での出来事は、唯一の父との想い出だった。そんな思い出の詰まった場所を杜撰な思いで汚されたくない。
ライターとしては失格かもしれないが、それが彼女の嘘偽りない想いだった。
そうして、今日も仕事を終えて自宅へと帰って来る。
家賃が格安の団地。
幼い頃から住み続けてきた部屋で、もう古くなっていたせいで所々傷んでしまっていたけれど、収入の少ない状況では非常に助かる物件だった。
自分たちの住む部屋を見上げる。
既に電気が点けられており、母親が帰っていることが窺える。
――帰りたくない。
思わず憂鬱になってしまう。
それというのも母親に対して、どのように接すればいいのか分からなくなってしまったからだ。
母親は何があったのか知らない。まさか、喫茶店の常連客になっていた父親と過去を覗き見たことで邂逅し、父と母の間に何があったのか真実を知ってしまった、などとは言えない。
「はぁ。一体、どうすれば……」
母親も娘が何かに悩んでいることには気付いている。
しかし、娘の事を気遣ってそっとされている。
それが真智にとっては辛かった。
「それでも、帰らない訳にはいかないし……」
このまま帰らないと母親を心配させてしまうことになる。
色々と過去にあったのかもしれないが、女手一つで育ててくれたことには変わりないのだから感謝していた。
「ん……?」
団地の入口に一人の女性……少女が立っている。
切れかかっている電球のせいで姿がハッキリと見えないが、どこかの制服を着ている高校生ぐらいの少女だ。
女子高生は、帰って来た真智の姿を確認すると頭を下げてきた。
「初めまして」
「あ、初めまして」
戸惑いながら挨拶をする。
と言うのも初めて会った気がしない為だ。
「私の名前は進藤愛実と言います」
「進藤……」
「突然こんな事を言われても困るかもしれませんが、私は――あなたの義妹です」
やっぱり――そんな想いが名前を聞いた瞬間から真智の中にあった。
初めて会った気がしなかったが、それは自分にどことなく似ていたからだった。母親は違うが、同じ父親を持つ者同士だと直感していた。
「何か話があるんでしょう。こんな場所でする話じゃないだろうから、こっちに来なさい」
☆ ☆ ☆
真智が義妹を連れて来たのは近くにある公園。
大切な話がある、と言うのなら自宅に上げるのが一番なのだが、自宅には母親がいるため実の母と義妹を鉢合わせたくなかったため、公園のベンチに腰掛けて話をするしかなかった。
「はい」
せめて飲み物ぐらいは出してあげたく公園の入口にある自販機でお茶を買ってあげることにした。
「ありがとうございます」
義妹は礼儀正しく感謝を述べていた。
自分は感謝されるような存在ではない。
「あの、随分と私を信用するんですね」
「……私の義妹なんでしょ。だったら信用するわよ」
「いえ、そもそも会ったこともない義妹を信用することがおかしいです」
おかしい。
仮にこの邂逅が過去を覗き見る前なら、たとえ義妹である証拠を突き付けられたとしても受け入れなかっただろう。
それだけ以前の進藤に対する真智の恨みは深かった。
だが、どうするのが正しいのか分からなかった。
「色々とあったのよ」
「はぁ……」
あの後、何日も通い詰めて過去を覗こうとした。
しかし、何度やっても過去を見ることは叶わなかった。
結局、父親を助ける為に奮闘するのは諦めるしかなかった。
「で、今日は何をしに来たの? 自宅は母もいるからあなたが訪ねるのは遠慮してほしいところなんだけど」
「そうでした。今日はあなたに渡す物があったんです」
「私に……?」
愛実が鞄から封筒を取り出す。
宛名は――真智になっていた。
「これって……」
「父があなた宛てに用意した遺書……いいえ、手紙でした」
「手紙?」
「申し訳なかったんですけど、中を拝見させてもらいました。名前だけ分かってもどこの誰宛てなのか分からなかったのですから」
確認した結果、前妻との間にいる真智の事だと分かった。
相手が分かったところで問題になったのが手紙を渡すかどうか、だ。
「はっきり言って私たち家族はあなたたち家族に対してあまり良い感情を持っていません」
「え……」
「父はあなたの養育費を稼ぐ為に苦労してきました。そのせいで私たちが大人になる前に亡くなってしまったんです」
「養育費って……」
そんな話は母親から聞いたことがなかった。
「そうですね。父が渡していた金額の事を考えれば、今住んでいる場所よりも少しはマシな場所で生活ができるはずです。ですが、そんな疑問も父が遺してくれた手紙で解消されました」
「それは?」
「あなた宛ての手紙は、なぜか死後から何日も立って遺品の整理をしている最中に出てきました。その時に私たち宛の手紙も一緒にありました」
聞けば、手紙を見つけた日は過去を覗き見た日だった。
偶然、とは思えない。
「私たち宛てへの手紙によれば、あなたの母親は表では貧しい生活を送っていますが、あなたの見ていない裏では優雅な食事を楽しんだりしているようです。そのお金はどこから出ていたのでしょう」
真智にも覚えがない訳ではない。
幼い頃から仕事の忙しさを理由に度々いなくなることがあった。幼さと頼れる人物が母親しかいないこともあって真智は仕事だと信じ切っていた。
遊ぶ為のお金を自分の養育費から出していた?
父は決して自分のことを見捨てていた訳ではなかった。
「手紙を読んでください」
言われるまま封筒から手紙を出して読み進める。
『――恵子へ
これを、お前が読んでいるということは間違いなく私は死んでいるのだろう。
二人の娘の晴れ姿を見ることもなく死んでいくのは心残りだが、何よりも心残りなのはお前に私の事を教えられないまま死んでいくことだ。
お母さんとの間に何があったのかは教えない。
私を恨んだままでもいい。
だから、お前はお前の人生を精一杯生きてほしい。
なぜだか分からないが、言葉として遺しておかなければならない気がしたので、このような形で遺させてもらう』
「どうして……」
こんな言葉だけを遺して逝ってしまうのか。
自分に父親を恨む資格なんてない。
色々と気遣って、尽くしてくれていたのに全く気付くことなく捨てたと思っていた父親の事を恨み続けていた。
そんな人生だったことが悔やまれた。
「私たち家族への手紙には、あなたたち家族の事を悪く思わないでほしい、という事が描かれていました。きっと、何も知らないままだとあなたへ手紙を渡さないと思ったから、そのような言葉を遺したんだと思います」
真智も自分が同じ立場だったなら手紙を渡していない。
それに何も知らなかった頃なら尚更だ。
「父が亡くなる3カ月ぐらい前でしょうか。それまでは病床に伏せていたせいか頻りにあなたの事を心配していたのですが、ある日を境にあなたの事を口にしなくなったんです。父に事情を聞いてみてもはぐらかされたのか『よく分からない』と言うだけで本当の事を語ってはくれませんでした。本当は、私たちの知らない所で会っていたんじゃないですか?」
残念ながら真智に生前に進藤と会った記憶はない。
あるのは、たった2回の邂逅。しかも、進藤の方は会ったことを全く覚えていない。
「とにかく手紙は渡しました。私の用件は以上です」
鞄を持って立ち上がる。
本当に帰るつもりのようだ。
愛実にしてみても真智はあまり顔を合わせたくない人物。こうして手紙を渡す為に会いに来てくれただけでも十分だった。
義理とはいえ姉妹であるはずなのに二人の間にある溝は深い。
「あ、あの……!」
仲良く育った姉妹なら自然と仲直りもできるのだろう。
だが、二人は数分前に会ったばかりの姉妹。自然と仲直りなどできるはずがなかった。
だから、姉の方から歩み寄る必要がある。
だが、どうやって仲直りなどすればいいのか。
妹と接した経験などない真智には難易度が高すぎた。
お互いの共通の会話を必死に探る。
「今度、喫茶店でも行かない?」
「……」
「お父さんが通っていた喫茶店があるの。あなたたちの事は、喫茶店のマスターから聞いたの。お父さんも好きだったみたいだし――どうかな?」
愛実はどう答えていいのか迷ってしまった。
「……少し考えさせてください」
「ええ、いいわよ」
これで真智編は終了です。
こんな感じで喫茶店に訪れる様々な人の物語をダラダラと続けて行きます。
現在、2人目は描き上がっていて3人目はプロット段階。もう少し、反響があれば反応を見ながら調整して2人目の話を投稿したいと思います。
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50ポイントいったら2人目を投稿します。