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1-1.ライターの訪れ

 喫茶――古時計(オールドクロック)

 その喫茶店は、駅前にある大通りの裏手にひっそりとあった。


 知る人ぞ知る喫茶店。

 訪れるのは人伝に評価を聞いて通うようになった常連客ばかりで、学生や若者が訪れることは少ない。


 そんな店にスーツを着た一人の女性が足を踏み入れようとしていた。


 ――カランカラン!


 女性が喫茶店のドアを開けたことで来店を告げるベルが鳴らされる。


「いらっしゃいませ」


 女性を出迎えてくれたのは30歳ぐらいの男性。

 ギャルソンコートに身を包み、優しい笑みを浮かべて女性を見ていた。

 事前に話を聞いていた女性は、彼が古時計(オールドクロック)のマスターだと知っていた。


「初めてですね」

「はい」

「ここは、喫茶『古時計(オールドクロック)』。忙しい日々に時間を追われる皆様が時を忘れる空間です」


 そう言ってカウンター席に座るよう促す。


 古時計(オールドクロック)は、古い建物で、10人が並んで座ることのできるカウンター席と4人掛けのテーブル席が4つあるだけの小さな喫茶店。

 客は常連客が中心。彼女が訪れたのは午前10時過ぎ。開店時間を少し過ぎた頃に訪れたため店内にいる客は、のんびりとした様子で推理小説を思われるタイトルの本を読みながらコーヒーを飲んでいる男性。それから、ノートパソコンで作業をしている中年女性が入口とは反対側のカウンター席に座っているだけだった。


 女性も入口に近いカウンター席に座る。


「どうぞ」


 カウンターの奥にいたマスターがカウンターの上に立てられていたメニュー表を広げて見せてくれる。

 はっきり言って女性は喫茶店へ足を踏み入れた経験が少ない。

 コーヒーに関しても種類の違いが分からない。


 唯一、知っていたのが――


「では、エスプレッソでお願いします」

「かしこまりました」


 学生時代にはコンビニで買ったエスプレッソを友達と好んで飲んでいた。

 そのため、こんな調った喫茶店に入った経験はない。


「お待たせしました」


 小さなカップにエスプレッソが淹れられていた。


「……!」


 一口飲んだ瞬間、思わずカップを置いてしまった。

 これまでに飲んでいたエスプレッソとは全く違う、深い味わいが口の中へ広がっていた。


「お気に召していただけようで何よりです」


 そう言って静かに微笑むとマスターはコーヒーの焙煎作業に取り掛かろうとしていた。

 女性も仕事でここへ来ている。

 だからこそマスターの仕事を邪魔する訳にはいかなかった。


「あの……!」


 思い切って声を掛けてみた。

 喫茶店に入る時以上に緊張する。

 やはり、若い女性にとって年上の男性へ声を掛けるというのは緊張を伴う。


「私、このような者です……!」


 女性が名刺を差し出す。

 作られたばかりの真新しい名刺。


真智(まち)恵子(けいこ)と申します」

「……これは、運命ですね」

「はい?」

「失礼。雑誌『ルート』のライターさんですか」

「いえ、雑誌と言っても有名書店では隅の方にしか置かれないうえ、嘘か本当か分からない地方都市の都市伝説を取り扱うような零細雑誌です。それに、新卒で入社したばかりの新人なので実績なんて全くないんです」


 ペコペコと申し訳なさそうに頭を下げながら自己紹介する。

 念願だったライターになることはできた。入社した企業も有名企業で、社会人として「頑張るぞ!」という意気込みに溢れて最初は仕事をしていた。しかし、彼女が配属されたのは窓際同然の部署だった。企業がほしかったのは、新入社員を雇っているという実績だけであって、その後の人生に関しては全く興味がなかった。

 そのため彼女は少しでも実績がほしかった。


「これまで、美味しい定食を出してくれるお店へ取材に行ったり、若い女性が始めたケーキ店などへ行ったりしてみたのですが……」


 雑誌の売れ行きに影響を及ぼせるほどではなかった。

 これでは、実績とは呼べない。


 そんな時に考えたのが曰く付きの店を紹介することだった。


「既に2軒の店を回ってみたのですが、どちらも空振りだったんです……」


 1軒目はポルターガイストの起こる焼き鳥店。

 実際には、建物が古くなり立て付けが悪くなったところに近隣住民が騒いだことによって揺れが生じているだけの店だった。


 2軒目は謎の歌声が聞こえてくるカレー店。

 こちらも建物の構造が原因で、地下にある配管を伝って傍にある小学校の歌声が響くようになっているだけだった。


 どちらも少し調べれば原因が分かる。

 しかも、店の常連客は、その現象を笑って見ていた。


「こちらも笑い話ですよね」


 取材をしている内に小耳に挟んだ噂話。


「こちらの古時計(オールドクロック)では――過去へ行くことができる」


 そんな噂話を耳にした。

 真智も本気にしていた訳ではない。

 少しばかり、そのような噂が流れるようになった原因を調べ、脚色したうえで雑誌に載せようと考えていた。

 小さな雑誌。多少の嘘が混じっていたところで問題になるようなことはない。


 だからこそ、マスターの言葉が信じられなかった。


「できますよ」

「え?」

「ただし、お客様が考えているようなタイムスリップとは少し違いますね」


 マスターの視線が店の一番奥にあるテーブル席――その奥に掲げられた大きな壁掛け時計へと向けられる。


「随分と古い時計ですね」

「あれは、この『古時計(オールドクロック)』を開店させた先々代が店を開いた時から飾っていた時計なのです」


 喫茶『古時計(オールドクロック)』が開店したのは今から約50年前。

 サラリーマンだったマスターの祖父が脱サラした後、駅前に喫茶店を開いたのが始まりだった。憧れで始めた喫茶店だったが、人気店になれるほどではなかったもののコーヒーの美味しさが評価されて常連客のおかげで営業を続けることができていた。


 そして、先々代の後を継いだのがマスターの父。当時、別の仕事をしていたのだが、先々代の急な病死により残されてしまった喫茶店を思い、店を引き継ぐことになった。しかし、普通のサラリーマンだった彼には経営の才能がなかったらしく、店の経営は傾くようになってしまった。おまけにコーヒーにも詳しくないため、いつしか常連客の客足も遠のくようになっていた。


 その時、先代を助けたのがマスターだった。幼い頃から先々代の経営する喫茶店へ通い詰めていたマスターは先々代の仕事ぶりを見て育っていた。


 ――いつかは、自分もこの店でコーヒーを入れてみたい。


 その想いから彼は大学を卒業すると同時に先代から喫茶店を引き継いだ。

 それが、今から10年前の話。


「あの時計は、この喫茶店の始まりから在り続け、時を刻むと同時に喫茶店で起きた様々な出来事を見てきました――こちらへどうぞ」


 カウンター席から古時計の傍にあるテーブル席へと移動するよう言われる。

 真智も取材する必要があったため席を移動する。

 その際、先に来ていた常連客の二人が優しい目で見ていたのを真智はしっかりと見ていた。


「耳を澄ませて下さい」


 言われるがまま目を閉じて耳を澄ませる。


 ――カチ、カチ、カチ。


 時を刻む音が聞こえてくる。


「この席に座って時を刻む音を聞いていると、古時計が過去を見せてくれるようになります。ただし、見せてくれるのは貴女が会いたいと思う方が店にいる時間だけです。会いたい人を思い浮かべてください」

「急に、そのような事を言われても……」


 そもそも常連客についてなど知らない。

 事前に真智が調べたのは、喫茶店で起こる不可思議な現象についての噂と喫茶店の場所ぐらいだ。それもネットを中心に噂話を集める程度だったため限界がある。


「では、心を静かに落ち着かせてください」

「静かに……」

「はい、その通りです」


 マスターの言葉には、人を信じさせる力があるのか催眠術にでも掛かったように真智は無心になる。


「これから、貴女と縁のある方がいる時間へと貴女をご招待します。大丈夫です。次に目を開けた時には貴女が会いたいと願っていた人と出会うことができます」


 目を閉じた瞬間は、本を捲る音とキーボードを叩く音が聞こえていた。

 しかし、その音が段々と遠くなり、最後には何も聞こえなくなる。


 唯一、聞き取ることができたのは古時計の時を刻む音だけだ。


「お客様」

「――へっ!?」


 マスターが傍に立っている。


「コーヒーをお持ちしました」


 テーブルの上にコーヒーが置かれる。

 何が起こったのか状況が理解できない。


 少しでも状況を把握しようと店内を見渡す。先ほどまでいた二人の常連客の姿がなくなっている。代わりに3人組の主婦がテーブル席に座って、お菓子と飲み物を手にして楽しそうに歓談している。カウンター席では、初老の男性が新聞を広げてコーヒーを飲んでいた。

 先ほどまでとは全く異なる状況。


 いつの間にか眠ってしまったのだろうか?


「ご安心ください。ここは、過去でございます」

「いえ、そんなはずは……」


 否定しようとマスターの顔を見上げる。


「そんな……!」


 先ほど出会ったマスターは30歳ぐらいだった。

 しかし、目の前にいるマスターは30歳とは思えないほど若くなっている。具体的に言えば、大学を卒業したばかりの真智と同じくらいの年齢だ。


「未来からいらっしゃったお客様を私が出迎えるのは初めてです。どうぞ、時間の許す限り、お寛ぎください」


 それだけ言ってマスターがカウンターの奥へと行ってしまう。

 改めて、目を閉じる直前と変わってしまった問題と直面する。誰もいなかったはずの対面に一人の男性が座っている。


 40代の中年男性。

 記憶にはない……はずだと思っていたが、手繰り寄せるように過去の記憶を掘り起こしていくと一人の男性に思い当った。


「あ、あなたは……!」


 もう二度と会うこともないと思っていた。

 彼女の中で最も憎むべき存在だと言える相手。

 何よりも、母からは死んだと聞かされていた。


「どうして、あなたが生きているの! お父さん!」

「社会人になったのなら少しは落ち着きなさい」


 真智と彼女の母を捨て、早々に死んだはずの父親が目の前にいた。

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