夜と昼の、はるか昔の物語
「ねえ、朔夜。太陽が無くなる時がくるって、ほんと?」
白銀の髪にこぼれ落ちそうな空色の目をした少女は、白水晶に手をかざしながらぽそっと聞いてきた。
真向かいで同じく黒水晶に深い藍色の光の筋を伝えている朔夜と呼ばれた少年は、さぁ、と肩をすくめている。
「いずれ無くなる、と囁かれているだけで、いつ、とも言われていないよね。ただ、こうやって魔導を水晶にこめる事を推奨するようになったから、あながちそう遠い事ではないかもしれないけれど」
「やだ、そんな不安になるようなこと言わないでよ」
「まぁ、大丈夫。僕たちが生きているうちはそんな事にはならないと思うよ」
どうして? と少女は水晶から顔を上げて黒髪の少年をじっと見る。
「そもそも太陽が消滅するって事は、太陽の近くにある僕たちが住むこの星も消滅するって事になる。そうなると、住んでいる人達はどうすると思う?」
「うーん、宇宙船で逃げる?」
「当たり。でもすぐに沢山の人達が逃げる事が出来る? 一度にだよ」
朔夜は水晶から目を離さないまま、少女に尋ねる。自分たちを中心に円のように展開している魔法陣がお互い重ならないように少しだけ離れた所にいるので、水晶越しにでも様子が分かるのだ。
少女は乳白色の光の螺旋を自分自身にとり囲ませながら魔法陣の中で小首を傾げて考えている。
「ううん、無理だと思う」
「だよね。だからゆっくりと少しずつ移動して行くしかない。ソレアの家の近所で最近引っ越すって人、いる?」
「ううん、いない」
「うん、だから大丈夫」
朔夜は頷くと藍色の瞳をやっと上げて部屋に掲げてある時計を確認し、そろそろ時間だ、と水晶を中心に展開していた魔導を止めた。丸い魔法陣いっぱいに広がっていた本人の双眸と同じ綺麗な黒に近い藍色の波動が急速に朔夜の周りに集まりやがて胸の中心に収まっていく。
それをみた少女・ソレアも柔らかく光る魔導を収めていく。朔夜と同じように胸の中心を白く輝かせてふわりと止めた。
二人はまだ鈍い残滓をまとわせている水晶を所定の位置に戻すと、窓のない密閉された部屋から外へ出る。
長い回廊が続く道を並んで歩くと、左手に見える月面と漆黒の闇から青い星が浮かび上がってくるのが見えた。
星は、月平原の中で太陽の光を受け、白い渦をその身にまとわせながら青く輝いている。
「相変わらず綺麗ね」
「そうだね」
「この間地球からこちらに移ってきたのに、なんだかもう懐かしくなっちゃう」
ソレアは目を細めて青い星を見た。
朔夜とソレアは月コロニー生まれだが、魔導を学ぶ為に六歳から地球に降りて魔導学校に通っていた。
朔夜は主に夜の、ソレアは昼の魔導を得意として、小さく閉鎖された空間の中で、昼から夜、夜から昼へと移り変わる魔法の展開を二人で一緒になって学んでいた。
九年間学んだ魔導学校を首席、副首席で卒業すると同時に、月に派遣され、いまはそれぞれ相性のいい水晶に自身の魔導をこめる仕事をしている。
魔導を水晶にこめると、少しの発動で水晶を通して魔導を増幅させ、固定空間をそれぞれ好きな空間に染める事が出来るのだ。
例えば青水晶と黒水晶を置き、それぞれ水の魔導と夜の魔導を注ぎ込むと、固定空間には海と夜が発生し、夜の海を楽しむ事が出来るように。
そして、朔夜は夜の、ソレアは昼の魔導の展開に優れている魔導者だった。
「でもいつか、この月とは別の場所にいかなければいけない時がくるのかしら。地球からも離れて」
「太陽の事を考えると将来的にはもっと遠くに移動しなければならないかな」
「ゆっくりと、遠くへ?」
「まぁ、僕たちの何百世代も後の話だろうけれどね」
今の僕たちには関係のない話だ、とでもいうように朔夜は歩いていく。
ふいに、ソレアは、回廊の中でピタリと止まった。
いつも必ず隣にある足音が消えた事に気づいた朔夜は振り返る。
「どうしたの?」
「もし、もしだよ? 朔夜はさ、明日遠くの星へ行きなさいって言われたら、どうする?」
ソレアは唇を噛んで、ぎゅっと両方の拳を握っている。
「言われてないでしょ」
「言われてないけど」
「じゃ、別に考えなくてもいいんじゃない?」
「もしもの話!」
空色の瞳が不安げに揺れてこちらを見ている。
きっと、毎日水晶に魔導をこめる事を課されて思う所があるのだろう。
ただ勉強として学んでいた魔導が、突然職業として引き上げられ、毎日同じ場所で身体の中にあるものを吐き出さなければならなくなったのだ。
毎日どれぐらいの魔導を放出していて、どれぐらい残量があるのかも計測されている。
一日毎の回復量も。
朔夜は先程よりも高く昇ってきた青い星を眺めながら、ぼそりと言った。
「たぶん、そんな時は僕とソレアは時を同じくして召集されるから大丈夫だよ」
「え?」
「僕と君とは対だから」
「つい?」
「あー、なに? なんていうの? 運命を共にするもの? そんな感じ」
「えっ、やだ、運命だなんて」
ソレアの頬がぽっと赤らんだ。顔に両手を添えていやいやと頭を振っている。
一瞬にして表情を変えた存外と能天気な少女を見て、朔夜は苦笑した。
「ま、とにかく僕らが生きている内にはそんな事にはならないから大丈夫。どちらにしてもまだ先の話だよ」
「ほんと?」
「ほんと。きっと僕たちの孫や曾孫よりも先の世代の話」
「僕たちの、だなんて、そんな」
嬉しそうにやんやんと頭を振っているソレア。腰まである絹糸のような真っ直ぐな白銀の髪がサラサラと揺れて広がる様子をさり気なく見ながら、朔夜は、ま、僕とソレアの、とは言ってないんだけどね、と一人呟く。
「なに? 朔夜」
「なーんでもない」
さっきまで泣きべそをかいていた空色の瞳がもうこちらを見て笑っている。
その屈託のない笑顔に、朔夜もふっと心が軽くなる。
「そういえば、君の瞳、よく空色って言われているけど、地球に降りるまで本物の空の色を見た事がなかったよね」
「そうね、月にいた頃はいつも宇宙の暗闇を見るかライトの光だけだものね」
朔夜は、いつか、とソレアの薄い空色の瞳を見つめながら厳かに言った。
「いつか別の星で僕たちが必要となる時、きっと、一緒に働く事になるよ。そしたら、僕は空色を探して、君と同じ色だったか教えてあげるよ」
「どうして? 私も朔夜と一緒に見たい」
「たぶん、入れ替わりで働く事になるから、一緒には見られないな」
「ええ?! そんなのやだ」
「メモを渡してあげるからさ」
「やだ、一緒に見たいっ」
「んー……じゃ、引退したら一緒に見よう。引退したら大丈夫だと思う」
「やった! 約束ね!」
ソレアは地球で見た色と同じ薄水色の瞳をにっこりと細めて嬉しそうに笑うと、朔夜の側まで駆け寄り並んで歩き出した。
はるか昔、太陽と星と月というものがあった。と、言われる時代がくるだろう。
その頃に、僕たちはいない。
でもせめて、隣を歩く空色の瞳を曇らせたくはないと思えるくらいには、僕の中にも育つものがあるんだ。……なんて台詞、ソレアの前では絶対言わないけどね、と朔夜は一人ごちる。
遠くへ行くことになっても、今のままここに居るとしても、いつも共にある事には変わりない。
地球に夜と昼があるように、いつか夜と昼のはじまりを二人で担う事になっても、側にいる。
ソレアの側に。
夜を担う者として。
朔夜は左手に楽しげに触れる白銀の髪を一瞬だけみやると、前を向きならが一房、気づかれないようにそっとひっぱった。
fin
本作は、秋月忍さま主催
『夜語り』企画に参加作品です。
テーマ、夜+幻想、氷、月のどれか、との事でしたので、この物語では、
夜+月
とさせて書かせて頂きました。
秋月さまの企画に参加でき、とても嬉しく思います。
企画ではこの他にも素敵な『夜語り』が綴られています。
よかったらタグの方から飛んでみて下さい。
ありがとうございました。