こんな異世界転移は嫌だ
ああ、異世界に行けたらいいのに。
突然だが異世界転移をしたいと思ったことは無いだろうか?
俺はしたい。もの凄くしたい。
ラノベや漫画にあるように、何か超強力な異能力を身につけて知らない世界で活躍したい。
そして周囲からの注目を浴び、名声を得て、できる事ならばたくさんの可愛い女の子を侍らせたい。
けれども、中にはこんなものはただの夢物語だと笑う人もいるだろう。
それでも俺は求め続ける。こんな事がいつかきっと起こると信じている。
いや、信じるしかないのだ。この世界は疲れる。生き辛い。
俺にはここで生きていくのは向いていないんだ。ここから逃げ出したい。
それが、異世界へ行きたいと願う動機だ。願えばいつか現実に起こるはず。
そう自分に言い聞かせて、信じ続けて今を生きている。
この世界で俺ができることなんて、このくらいしかないからな。
そんな事を夢想し続けて気がつけば俺は高校生となっていた。
そんなある日の放課後に事件は起こった。俺は、いつも通り学校が終わるなり即座に帰路についた。
俺にとって放課後なんてものは家で時間を浪費するためにあるようなものだ。
当然ながら、誰か一緒に帰る相手がいるという訳でもない。
学校という地獄から抜け出すのに道連れなんて必要ない。
自分以外には理解できないであろう非生産的な事を考えながら、自宅へと続く道の最後の角を曲がったその時だった。
「何だよ、これは!っ、まぶしい……!」
突如、強い光が俺を包み込む。
その光は俺の視界だけでなく思考力も奪っていき――
気がつくと広大な草原に俺は立っていた。空は澄んだ明るい青。近くに建物らしいものは見えない。
さっきまで歩いていた味気ない住宅街とは似ても似つかない風景。
ということは……
「俺は、本当に異世界に来てしまったのか?」
いくら行きたいと願っていたと言っても、すぐにそんな状態を受け入れるだけの度胸は持ち合わせていないのだ。
落ち着け、冷静になれ。まずは一体ここがどこなのか、それを確かめる必要がある。
時計、携帯、鞄といった持ち物は一切無くなっていたので手元には場所を確認する手段も何もない。
そもそも財布も無いから生活の心配だって出てくる。
そういう訳でしばし散策。まずは人が住んでいるような場所を見つけなくては。
このような状況に陥って、初めて人間は1人では生きられないのだと気づく。
しかし、歩けど歩けど永遠に続くのは緑の絨毯、なだらかな丘。
それでもめげずにひたすら歩いていくと今度は山脈が見えてきた。
ここから見る限りは、標高は滅茶苦茶高いという訳ではなさそうだ。
これなら何とか越えられそうだと思った時だった。
ゴオオッと突風が吹いてきた。山の向こうから迫ってくる影も見える。
ある程度、形がはっきりしてきたところでその正体に驚愕する。
長くそれでいてしっかりとした尻尾。自分の体を2倍近くまで大きく見せている翼。
そして無数の紅の鱗で体を覆っている。
ファンタジーの世界でよく見かけるドラゴンのそれと同じだった。
ドラゴンは俺の近くをゆっくりと旋回する。俺の様子を伺っているようだ。
対する俺はといえば何もできることなんてない。ただの高校生だぞ。
熊の一匹だって倒せない非力な少年だ。こんなのと戦うなんて不可能だ。
かといって逃げることができるとは思えない。ここは障害物が全く無い。
どうあがいたって隠れることができないのだ。
可能性があるとしたら山の中に逃げ込むことだが、山の中にも何が潜んでいるか分かったもんじゃない。
ドラゴンがいるんだ。他のモンスターのような生き物がわんさかいる可能性は決して低くない。
頭は動かしていても体を動かさない俺を見ていい獲物になると判断したのか、ドラゴンが俺へ向けて口を開く。
轟音。閃光。迫りくる火炎。ギリギリ横へ飛んで回避できたが危なかった。
どうやらこの世界のドラゴンも口から熱線を吐くことができるらしい。
その後も容赦なく火を噴きまくるドラゴン。ゲームと違うのは休みなく撃ってくるというところか。
辺りの草原はみるみるうちに火の海に変わっていく。
気がつくと火は俺の周りを囲んでいる。これでもう逃げられなくなった訳か。
身動きの取れない俺を睨みながらドラゴンはゆっくりと地上に降りてくる。
間近で見るとその大きさに圧倒される。
……俺はここで喰われて死んでしまうのか。
いや、待てよ。俺が今まで読んできたラノベや漫画ではどうだった?
こういう時に何か異能力が発動するんじゃなかったか?そうだ。俺にだってきっと使えるさ。
異世界に行けるって信じてきたからこんなところに来れたんじゃないのか。
――信じれば何だってできるはずだ。
「俺だってやればできる。ドラゴンの一匹くらい、簡単に倒せるんだ。そうだ、お前なんて倒せる、倒せる――!」
その時だった。ドラゴンの体が眩い光に包まれる。
その光を浴びたドラゴンは苦しそうにのたうち回り、やがて動かなくなった。
「えっ、俺はただ倒せるって信じただけなんだけどな……」
もしかしてこれが俺の能力か?信じたことを自在に起こせるというのならば何だってできる気がする。
最強じゃないか。正しく俺が求めていたものだぞ!
もう少し実験をしてみるか。
「この近くで燃えている火……消えろ!」
するとさっきまで轟轟と俺を焼こうとしていた火柱は音もなく消失した。
これではっきりと分かった。俺の能力は本物だ。何人たりとも寄せ付けない最強の能力だ。
これなら街へもすぐに行けるのではないか。例えば、空を飛んだりして。
「……翼よ、生えろ!」
しかし、俺の体に変化は無かった。
「じゃ、じゃあ街!どこでもいいから街へ瞬間移動したい!」
訪れるのは静寂のみ。どうやら完全無欠の能力ではないみたいだ。
それでも十分に強いしドラゴンを倒せるなら、この能力で自衛はできる。今はそれで十分だ。
「とりあえず、山を越えていくか」
そうして俺は今度こそ山へとその歩を進めた。
山を越えるとそこに見えたのはまたも草原。そろそろ文明が存在するのか不安になってきた……。
いや、向こうで雄叫びが聞こえる。それもドラゴンのような他者を圧倒する響きではない。
いくつもの小さい怒号のようなものが風に乗ってわずかに聞こえてくるという感じだ。
とにかく、その場所へ向かってみるべきだと俺は思った。
この能力がある以上、死ぬことはまずないだろうし。
しばらく歩き、声のする方へ行くとそこは戦場だった。
赤い鎧を身にまとう一団と、青の鎧を身にまとう一団がぶつかり合う。
正直言ってこれはチャンスだと思う。
なぜなら、ここで俺が能力を駆使して片方を追い払えば、もう片方の一団に感謝される。
うまくいけばその国に雇ってもらえるかもしれないからだ。
このチャンスを逃す手はない。早速行動に移すことにする。
他の誰かに手柄を取られちゃたまらないからな。
1人で過ごす時間が極端に多かったせいか、ついついこんなことを思ってしまう。
誰も俺よりも強い奴なんてここにはいないのに。
そうと決まれば味方をする方を決めないと。こういうのは劣勢になっている方へつくのが定石だ。
その方が英雄に担ぎ上げられやすいし、恩だって確実に売れるから。
そういう訳で赤い鎧の軍勢の味方をしようと思う。しかし、色で分かれているっているのは便利だ。
俺の能力が活きやすい。
近くの石の上に立って、これまで出したこともないような大声を張り上げる。
「ここにいる青い鎧を着用している人間!!!死ねえええええっっっっっ!!!」
決着は比喩でも何でもなく一瞬だった。
俺がそう叫んだ途端、青の軍勢は一人残らずその場に倒れたからだ。
無論、起き上がれた者などいなかった。対する赤の軍勢はというとただ茫然としていた。
しかし、やがて俺の方を1人、また1人も見始め最終的には俺がやったと判断したのだろう。
俺の方へ、ある者は笑い、ある者は絶叫しながら駆け寄ってくる。
それから後はとんとん拍子に話が進んだ。
俺は英雄として赤の国――俺がそう勝手に呼んでいる――へと招かれた。
そこで最高のもてなしを受け、軍の人間として働くことになった。
これにより俺は全ての国民から感謝されることとなった。当然だ。
侵略に防衛、全て1人でこなせてしまう以上他の人間が兵士として働く理由などない。
軍部が解体されたのだ。
これ以上無いくらいのウィンウィンの関係を築き、富、女、名声の全てを手に入れた俺だがただ一つ手に入らないものがあった。
それは他者とのコミュニケーションだった。
この世界で使われている言語と日本語は全然違うものだった。
日本語には無い音が使われているのだろうか、何を言っているのか推測すらできない。
指差しによる意思疎通が関の山だった。それでも生きることはできたし、この国に尽くすことはできる。
それで十分だと思っていた。
しかし、そんな勝ち組の生活というものには終わりがある。
成功した人間の多くが突拍子もないタイミングで失脚してしまうという事を俺は忘れていた。
いつからだったか、次第に周囲の俺を見る目が冷たくなっていったのだ。
程なくして、王から「しっしっ」というようなジェスチャーを受けた。
そのまま連れてこられた先は開いた門。
国から出て行けと言っているのだと流石の俺でも察することはできる。
ここで暴れる事は不可能ではないが、これまで世話になった国にそんな仕打ちはできない。
それにこの国で戦争をしていた時、本当はそんなことはしたくないと考えていた。
この国のためとは言え、人間を殺すことはしたくなかった。人殺しの罪悪感に耐えるのは本当に辛いんだ。
俺の能力なら数万人でも一瞬で殺せる。あの能力で俺は一体何人殺してきたのだろう。
数え切れない。数えたくない、そんな数字。これ以上はそんな数字を増やしたくない。
そんな思いから、俺はとぼとぼと赤の国を後にすることしかできなかった。
そこから先は転落人生だ。どこの国へ言っても俺を受け入れてくれるところは無かった。
どうやら俺の能力と、コミュニケーションが取れないという事はこの世界の常識になってしまったらしい。仕方が無いからチンピラのようなものを見つけては殺し、金品を巻き上げて生活することにした。
人殺しは嫌だと言ってもこうする他、仕方が無いんだ。
そんな事を思っても理解してくれる人間はだれもいない。
誰とも話せない。ひとりぼっち。こんなものは高校生活まででとっくに慣れたものと思っていた。
しかし、全ての人間にこれほどはっきりと拒絶されているという体験はしたことが無かった。
精神的な負担がどれほどのものか、これは言っても伝わらないだろうな。
そうして薄暗い道を今日も歩く。
そんな中、あるアイディアが閃いた。
「そうだ、元の世界に戻れると信じればいいんだ……。もしかしたら、あの現実世界に帰れるかもしれない……。始めにいた世界へ、俺を、戻してくれえええっっ!!」
誰でもいいからこの願いを聞き入れて欲しい。そんな願いも含んだ悲痛な叫び。
しかし、そんな叫びを聞き入れてくれる者などいなかった。
「は……そんな……なんで、信じれば何でも起こせるんじゃないのかよ……?」
ここではっと気づく。今までこの能力に出来た事、出来なかった事。
俺はドラゴンや人を殺す、火を消す、他にも障害物を壊すといった事をこの能力でやってきた。
しかし、瞬間移動、身体能力の改変、他者の治療、さっきの転移、他にも数多くの事に失敗してきた。
そうか、これらの違い、それは……
「……俺は何かを破壊することしかできなかったんだな」
ただ自分の気の向くままに何かを壊す。それが俺の能力の正体。
自己中心的に生きてきた俺には相応しい能力だ。なるほど、俺にできるのはその程度だったのか。
それに気がつくとなんだか馬鹿らしくなって笑えてきた。どこまでも自嘲的な笑いだが。
「……俺は、一生こうやって何かを壊して生きていくんだな」
そうして、孤独で辛くて罪悪感が際限なく増えていくその日暮らしを俺は今も続けている。
その中で毎日毎日、こんな事を考えている。
――ああ、異世界に行けたらいいのに。