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五話 虎の尾を踏む

4話を改稿しております。

美術室の幽霊に出会ってから、絵を描き始めるまでの部分です。

改稿前の文章ですと、意味が繋がりにくくなっていると思いますので確認していただければ幸いです。

「なにが? ちっとも危険なんてなかったけど」

 少年は生きている人間となんら変わらなかった。スパルタ指導にはまいったけれど、厳しい熱血タイプの先輩ならあんなものだろう。

 彼の特異点は、すでに死んでいて私以外の人に見えないこと。それだけのように思えた。

 部室のドアを開けて、身近な場所に霊が潜んでいると気付いたとき、これからの日々を想像してぞっとした。見えていると気取られぬよう怯えて過ごさなければならないと思ったのだ。でも――

 私は少年と一緒に描いた絵を見る。

 彼自身が筆をもって絵をかけたわけではない。私の拙い技術は、さぞかしもどかしかっただろう。文句ばかり言っていた。それでも彼はとても楽しそうだったのだ。

 少年が消える際に見せた笑顔は、きっと一生忘れられない。

 見えることも悪くない。今はそう思うのだ。

 温かい気持ちに浸っている私に、男は憐れむような視線を向け、『嘆かわしい』と頭を振った。

『霊が誰も彼もあの少年のように、生前の思考を保ち、望みを叶えれば素直に成仏すると考えているのではないでしょうね。神社の件をもう忘れたのですか』

 男は容赦なく冷や水をあびせる。

『今回のことは、言わばビギナーズラックのようなものです。調子にのらぬようにしてくださいよ』

 私はむっとして、男に背を向けると、帰り支度を始めた。

「べつに調子になんてのってないし。そもそも、あんた今までどこに行ってたの? 急にいなくなっちゃったくせに、偉そうに言わないでよ」

『貴女が僕を弾いたんでしょうに』

 思いもかけない言葉に私は開いた鞄を持ったまま、振り返る。

 男は眉を寄せ、不愉快さを隠しもせず私を見ていた。

「弾いた? 私があんたを?」

 意味が分からない。触れないのにどうやって?

『やはり無意識でしたか。僕を邪魔に思って、消えろ、あるいはどこかに行けと強く念じませんでしたか?』

「そういえば、ちょっと引っ込んでてくれないかなとは思った」

 少年と男に挟まれて、二人から好き好きに話しかけられて、鬱陶しかったのだ。

「でも強く念じた気なんてないんだけどな」

 ちょっと思っただけで幽霊を弾けるなんて、実は私ってば、すごい力の持ち主なんじゃないの? なんだ、やっぱり幽霊なんてちっとも怖くないのかも。

 そんな考えが透けて見えたのか、男は嫌そうに眉間の皺を深めた。

『何を自惚れているのやら。不意をつかれただけですよ。善意で助言をして、よもや邪険にされるとは思いませんでしたので』

 ふんと鼻を鳴らして言われても、浮かれていた私はちっとも堪えなかった。

「負け惜しみ?」

 男の目が眇められる。途端に、寒気だつような凄みが滲みだした。

 バチッバチッと音がして、天井の蛍光灯が明滅する。夜とはいえ月明かりに照らされていたはずの窓の外の景色が、黒い幕で遮られたように見えなくなった。

 「ちょっと、なに? やだ、さむっ」

 私はぶるりと震えて腕を擦った。室内の温度がどんどん下がっていく。

『試してみますか?』

 男の静かな声が部室に響いた。

「え?」

 蛍光灯が灯るたびに、男の姿が暗闇に浮かび上がる。

『祓えるものなら、祓ってみなさい。と言っているんです』

 怒らせたのだと、嫌でも気付いた。

「ちょ、ちょっと待って。あの、そんなつもりではなくてですね」

 私はすり足で後ずさる。

『どうしました。膝が笑っていますよ』

 男はゆっくりと歩を進めて、距離をつめる。

 明かりが灯るたびに、男の姿が近付いてくる。こんな敵キャラが出てくるゲームがあっただなんて、一瞬意識が彼方へいきかけたのは紛れもない現実逃避でしかなかった。

『霊など“ちっとも危険ではない”のでしょう。何を怖がることがあるんです』

 壁に追い詰められた私の目の前に、男が立つころには、室内の温度は下がりに下がり、冷凍庫の中にいるようだった。

 吐く息が白く色づく。その息が男にかかるほど距離が縮まったとき、私の恐怖は限界に達した。

「いやだ。ごめんなさいってば。離れて! こっちに来ないでよ!」

 悲鳴を上げると同時に、目を瞑る。とうとう力が入らなくなった膝は折れて、床に尻もちをついた。

 私は念じた。震える体を抱きしめながら、必死に。あっちにいけ。消えろ。消えてなくなれと。

 すると急速に室温が戻り始めた。バチバチと天井から聞こえていた音がしなくなる。

 もしかして、勝ったのだろうか? 

 恐る恐る瞼を開ける。

 室内は平穏を取り戻していた。蛍光灯の光が隅々まで行きわたり、もう寒くもない。

 なのに、目を見開いた私の視線の先には、涼しい顔で佇むトンビコートの男がいた。

『理解出来ましたか? 自分の力の程は』

 さっきまでの悪鬼のごとき迫力はどこへやら。出来の悪い生徒を見守る教師のような目をして男が微笑む。

 私は大口を開けて男を見上げることしか出来なかった。

『理解出来たのなら、さっさとその口を閉じて帰り支度を進めなさい』

 

 調子に乗って痛い目に遭わぬよう、お灸を据えられたのだと分かる。

 彼の言うところの善意の助言を無下にしたのは良くなかった。

 けど、あそこまでする必要あった?

 腑に落ちない気分で黙々と帰り支度を済ませると、私は帰路についた。

 生徒の姿はなかったが、車はひっきりなしに通っているから怖くはない。たとえ隣に、性格の悪いトンビコートを着た幽霊が歩いていても。

『皆が気付かぬだけで、霊は至るところに存在します。その大半は先ほどの少年の様に生前の思考を保っている。つまり、生前が善なら死後も善。反対に生前が悪なら死後もまたしかり』

 なら、やっぱりあまり危険はないんじゃないのと思わずにおれない。ほとんどの人は無暗に人を傷つけたり、ましてや殺したりなんてしないのだから。

『霊となっても、多くの者は数日から、長くても数年で天に上ります。諦めるのでしょうね。この世に留まっていても得るものなどないと』

 私はちらりと隣の幽霊に目をやった。

 彼はまだ諦めていないということなのだろうか? 

『しかしごく稀に、強い恨みや未練を残し、地上に留まり続ける者がいる。そうして留まった霊の一部は、螺旋階段を下りていくように、深みにはまり自ら深淵に落ち、ついには悪霊と成り果てるのです』

 神社の霊を思い出して、ぶるりと体が震える。

「悪霊になっちゃったら、生きている人を襲うようになるってこと? 悪霊から身を守る方法って、ないのかなあ……」

 怖い。今まで事故や自然死だと思っていたものの何割かが悪霊によるものかもしれないのだ。

 しかし悪霊に気付けなければ対処のしようがないのだから、お手上げではないか。

『ありますよ』

 身近な人が犠牲になったらどうしようと沈む私に、男はあっけらかんと告げる。

「あるの!?」

『ええ』

「あるなら、教えてよ。なんだろう? あ、ニンニクとか?」

 男の視線が冷え込む。

『ニンニクも流水も、ついでに言うなら銀の弾丸も効きません』

 冗談の通じない霊だ。ニンニクや流水が吸血鬼対策で、銀の弾丸は狼男の弱点だってことぐらい私だって知っている。

「なら何?」

『何も特別なものはいりません』

「ちょっと意味が分からないんですけど」

 男が立ち止まる。つられて歩みを止めれば、その左胸に男の指が突きつけられた。

『生きていること。それが霊から身を守る最大の武器です』

 ますます分からない。男の言葉の意味を量りかねて突っ立つ私に、男は話し続ける。

『死者の力は生者に及びません。生きる人間の持つ力は計り知れないものです。人は無意識のうちに霊の悪意を跳ね除けて生活を送っているのです』

 じゃあ、やっぱり危険なんてないの? いやでも、

「私、さっき“消えて”って思いっきり念じたんだけど。ぴんぴんしてたよね……」

『貴女に僕が見えるからです。見える者は恐れを抱く。恐怖が意思を鈍らせる。それは本来生者が持つはずの力を鈍らせてしまう。現に貴女が無意識に願ったときには僕は弾かれ、恐怖に凝り固まった状態だった先ほどは、そよ風に吹かれたようなものでした』

 私は愕然とした。

「ちょっと待って。それじゃあ、見える人間のほうが霊に対して弱いってこと?」

『そうなりますね。もっとも見えない者でも心が弱り果て、生きる力を失っていれば霊の干渉を受けてしまいますが』

 なんて理不尽な!

 寺生まれのTさんのような無双を望んでいたわけではないけれど、見えるのだから多少のアドバンテージがあるに違いないと思っていたのに。

「見えてもいいことなんて何にもないじゃない」

『何を期待していたか知りませんが、ありませんよ』

「うーん、だからお坊さんとかは修行をつんだりするのかな?」

 滝にでも打たれて常に心の平穏を保つことができるようになれば、大丈夫なんじゃない? そう言うと、男は軽く首をふり、ひたりと私を見据え『よくお聞きなさい』と語り始めた。

『見える者が抱く恐れは危険です。しかし何より始末に負えないのは、安易な同情心のほうです』

「え?」

『貴女は少年の霊に同情したでしょう。絵が描けなくてかわいそうだと』 

 私は頷いた。絵が描けないこともそうだが、誰にも気付いてもらえなかったと嘆く少年の姿は今思い出しても胸が詰まる。

『恐怖を押さえる確固たる意志を育むことができれば、除霊も不可能ではありません。幾度も霊に出会えば多少は慣れもします。しかし哀憐の情はそう単純なものではない。貴女に、泣いてすがる霊を強引に祓うことができますか?』

 私は少年の姿を思い浮かべて考え込んだ。『もう少しだけ絵が描きたい』と言われたらきっと首肯していただろう。

『死者が縋り、生者がそれに応える。それを繰り返していくうちに両依存ともいえる状態に陥ってしまう。そんな状態で何かをきっかけに死者が悪霊と化したらどうなると思いますか?』

 そう言ってから、男は思い直したように首を横に振る。

『いえ、例え悪霊と化さずとも、貴女のような人は簡単に霊の意思に引きずられてしまうでしょう』

 はっきり言って否定できない。

『まずは相手に見えると気取られぬようにすることです。霊とて、生者には敵わないとよく分かっているのですから。ああ、そうだ。丁度よいところに練習相手がいますよ』

 男が視線を向けた先には、暗い林に覆われた八田神社があった。

 まだ遠目で、石段を確認することはできない。

 練習相手にするにはハードルが高い気がすると頭を抱えたくなったとき、ふと、あることに気が付いた。

 もしも、茜の言うように昨日の事故が神社の霊の祟りによるものだとしたら、被害に遭った人は、私のように見える人だったかもしれないのだ。

 ……もしくは、生きる力を失っている人。

 おあつらえ向きに神社には縄をかけて首を吊っても、ぽっきりいったりしない立派な枝を蓄えた木が揃っていた。

 もう何度目ともしれない寒気に襲われる。

「ねえねえ、死者は生者には干渉できないとして、死者は死者に対しては干渉できるの? 何かあったら助けてくれたりなんてことは……」

 期待を込めて男がいたはずの場所を見る。しかしそこには誰もおらず、呆気にとられる私の隣を車がクラクションを鳴らして通り過ぎて行った。

 もしかして逃げられたのだろうか。

 半眼になって男がいた場所を見る。「薄情者」と罵りたいところだが、滅多なことを口にしてまた怒らせてはたまらない。

 見えていると悟られないこと。次に怖いと思わないこと。平常心、平常心。

 心の中で何度もそう繰り返すと、私は神社へと続く道を歩き始めた。

 見てはいけないと思うと、かえって見たくて仕方なくなる。それにずっと神社とは逆の方向を向いているのも不自然だ。

 私は景色を眺めるふうを装い、神社に視線を巡らせる。

 思わず、足を止めそうになった。

 石段の上には昨日と同じ眼鏡をかけた若い男がいた。今日も何をするでもなくぼうっと石段に立っている。

 心臓が早鐘をうつ。暑くもないのに、背中に汗がにじむ。

 平常心、平常心。

 必死に自分に言い聞かせ、私は視線を神社から引きはがす。

 その間際、男が視界から消える寸前に、確かに私は見た。

 男がにやりと唇の端を上げて笑ったのを。

トンベリ コワイ

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