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四話 美術室の住人

『覗き魔ねえ。先ほどの話、どう思いますか? 貴女も祟りだと?』

 背後の男の声が教壇に立つ教師の声をかき消す。

 私はノートの端にペンを走らせると、人差し指でトントンとそこを示した。

“うるさい。静かにして。授業の邪魔”

『何をいっているのやら。ご友人の話が気になって、ろくに教師の言葉など聞いていないでしょうに。教科書のページが違っていますよ』

 人は死んで幽霊になると性格がねじ曲がってしまうのだろうか?

“幽霊も祟りも興味ない”

『貴女に興味がなくとも、霊たちには関係ありませんよ。見える人間は貴重ですから』

“私に見えるのは、付き纏って煩く話しかけてくるあんたと、神社の覗き魔だけだから。二人を無視すればいいだけ”

『だといいですねえ』

 意味深な言葉を最後に男は静かになる。

 そっと後ろを窺い見ると、いつのまにか男の姿は消えていた。


 私に見える霊は、トンビコートの男と、神社の覗き魔だけ。私は愚かにも本当にそう思っていた。放課後になり部室のドアを開けるまでは。

「……なんで」

 幽霊がいるの!? よりにもよって部室に!

 その幽霊は学生服を着ていた。日の光が燦々と注ぐ窓際の席で、白いシャツの袖をまくり、筆を手に一心不乱にキャンバスに向かっている。しかし、筆には色がついているのに、キャンバスはいつまでたっても白いまま。

 彼は悔しげに筆を握り締める。筆先の色が青から赤に変わる。けれど、やっぱりいくら描こうとしてもキャンバスは真っ白だ。

『これはまた……』

 ドアの前で立ち尽くす私の隣にトンビコートの人物が現れる。

『わかりやすい』

 私もそう思った。

 絵を描くのが大好きな幽霊で、でも描けなくて困っている。これが物語の中の出来事なら彼に絵を描かせてあげることが出来れば満足して成仏するのだろう。けど、現実はどうだか分からないし、そもそも絵を描かせてあげられる方法も知らない。

 めまぐるしく筆先の色が変わる。けれどキャンバスに色がのることはなく、学生服の少年の幽霊はとうとう筆を放り出しその場にうずくまってしまった。

 私は居た堪れなくなって目を伏せた。可哀想だが私にはどうすることも出来ないのだ。

『見えていると気取られぬようになさい』

 急にかけられた警告に、驚いて私は隣の男を見た。

『言ったでしょう、霊にとって見える者は貴重だと。僕のことなら問題ありませんよ。あの程度の相手から認識できぬよう、姿や声を消すぐらい造作もありませんから』

 男は私を見下ろして告げる。その顔がひどく真摯だったものだから、私は素直に男のアドバイスに従うことにした。

 幽霊の少年からなるべく遠い、廊下側の隅を陣取り、さらに背を向ける格好で座る。

 すると背後で深い溜息が聞こえた。

『貴女は馬鹿ですか。露骨すぎです』

 悲しみに暮れる少年の霊を視界にいれて、どうして平静を保てよう。そう考えての位置取りなのに……

 面と向かって反論できないと、こんなにストレスが溜まるものだとは知らなかった。ノートもペンもないから筆談もできない。

「あれ? 智、来てたの? ってか、なんでそんな隅っこで壁向いてんの?」

 声をかけてきたのは、同じ二年の友人、飯田桜だった。私と違って真面目に部活動に打ち込む、生粋の美術好きである。

「ちょっと集中したくて」

「おお、とうとう智も芸術に目覚めたか! ……ってふうには見えないなあ。このやっつけ仕事の絵を見る限り。まあ、真面目にやる気になったらいつでも言ってよ。助言は惜しまないよ」

 桜は笑いながら肩を叩く。

 このクラブの良いところはやる気のない者にも当たりが強くならないところだ。真剣に絵に取り組む者も、そうでない者も、仲良くのほほんとやっている。

『うわ、本当だ。やっつけ仕事にもほどがある』

 ぞくりと背筋に寒気が走った。

 耳元で聞こえたのは少し高めの男の声。トンビコートの幽霊のものではないし、男子生徒はまだ誰も来ていなかったはずだ。となると声の主はおのずと絞れる。学生服の少年の霊だ。

 ――見えていると気付かれた!?

 絵の具を持つ手が微かに震える。少年がトンビコートの男のように、つきまとって煩く話しかけるだけの霊とは限らない。もしも神社の幽霊のように誰かに害をなす存在だとしたら……

『ああ、俺が見えたら。いや、せめて声が聞こえたら、直すべきところを指摘してやれるのに』

 私は絵の具を持つ手を反対の手で包み込み、震えを抑え込んだ。まだ気付かれたわけではない。大丈夫、何も見えない。聞こえない。そう思わせればいいんだ。

『それにしても、まじで下手だな。下絵は悪くないのに色遣いが最悪。センスの欠片もない。絵の具の無駄』

 聞こえないと思って、言いたい放題だ。けど我慢するしかない。

『まだ猿に筆持たせたほうがマシなもん描くだろ』

「ちょっと、そこまで言うことないんじゃないの!?」

 いくらなんでも、猿の方がマシはないでしょ! 

「……あ」 

 思わず言い返してしまってはっとする。

 恐る恐る振り返れば、額に指を当てて首をふるトンビコートの男と、目を丸くする学生服の霊と――気まずげな顔の桜が立っていた。

「ご、ごめん。そうだね、真面目に描いてたかもしれないのに、言い過ぎた。この影のつけ方とかはいいと思う。大胆で、智らしさが出てるというか」

「ち、違うの。違うから。桜に言ったんじゃなくて! ……なんというか、ごめん!」

 謝るしかなかった。誤解させたとしても、幽霊に絵を貶されて切れたんだとは言えない。

「ううん、今のは私が悪かった。ほんとごめんね」

 必死の弁解も空しく、桜は落ち込んだ様子で自分の席に帰って行った。

 残されたのは、冷たい視線を向けるトンビコートの霊と、ぽかんとした顔で私を見詰める少年の霊。

「か、影のつけ方ほめられちゃった。さーてと、続き続き」

 ボリュームを落とした声で口早に呟き、キャンバスに向き直る。

その私の背中に向かって『救いようがない』とため息とともに零したのは果たしてトンビコートの男か、少年の霊か。――いや、考えるまでもないな。トンビコートの男だ。

『お前、俺の声が聞こえるのか? 姿が見えるのか? そうなんだな!?』

「うーん、ここはもう少し色を重ねたほうがいいかなあ」

 少年の問いかけを無視して、一人ごちる。

『そこいじってどうすんだよ。つうか、無視するなよな』

 少年が私とキャンバスの間に強引に体をねじ込む。その眼は確信に満ちていた。

『これ以上猿芝居を続けても無駄でしょうね』

 トンビコートの男が告げる。

 どういう原理か、少年はトンビコートの男には全く気付いていない。姿や声を消すことができるという彼の話は本当のようだ。

『今すぐにここから去るべきです』

 無茶を言う。部室にきてなにもせずにすぐ帰れるわけがない。なにより、今出て行ったら桜がどう思うか。

 私は無言で絵筆を置くと、鞄を置いてある場所に向かった。

『おい、お前。俺のこと見えてるんだろ。何とか言えよ』

 大勢の部員がいるこの部屋の中で返事はできない。なのに空気を読まない少年はあとをついてきてしつこく詰め寄る。

 私は鞄の中から携帯をとりだすと、メモ帳を開いて、メッセージを打ち込んだ。

“見える”

『何を! 正気ですか!』

 トンビコートの男が声を荒げた。

『やっぱり、見えるんだな!』

 少年は私の手元を覗き込み破顔する。

『初めてだよ、俺のこと見える奴に会ったの』

 嬉しそうな声を上げる少年。そこに悪意はみえない。私は拍子抜けして肩の力を抜いた。

“そうなの? 見える人には一度も会ったことない?”

 いれば助言を仰ぎたかったのに。

『愚かな。やめなさい。今すぐここから去るんです』

 何が気に食わないのか、男が咎めたてる。自分のことを棚に上げすぎではないだろうか。

 大体、部室から出て行っても付いてこられたら同じではないか。

『聞いているのですか』

 ――ちょっと引っ込んでてくれないかなあ。

 そう思ったとき、私の顔を見ていた少年が、『うーん』と首を傾げる。

『お前、ちょくちょくここに来てるよな? 一応美術部員だろ? でも今まで俺のこと見えてる感じなんてなかったのに……』

 顔を覚えられているとは思わなかった。彼はいつからここに来ているのだろう? 自分の周りに、幽霊が存在して、これまで気づかずに共に過ごしていただなんて、不思議な感覚だった。

“昨日、突然見えるようになった”

『へえ、そんなこともあるんだなあ』

 少年は感心したように言うと、美術室の中を見渡す。

『俺、死んでからずっとここにいるんだよ。昔は友達だっていたんだ。俺が死んだなんて信じられないって泣いてくれて……。でもどれだけ話しかけても誰も気付いてくれなかった。もう何年もここにいるのに、誰も……』

 少年の声はどんどんか細くなっていき、ついには嗚咽が混じりだす。

『毎年、新しいやつがくるたびに、話しかけてた。いつか気付いてくれるやつが見付かるに違いないって。でも全然だめで、もう諦めてた……』

 少年の告白に胸が締め付けられる。彼の孤独を思うとたまらない気持になった。熱くなりそうな目頭から気を逸らすため、私は携帯の画面を眺めて、彼の涙が止まるのを待った。

『悪い、泣いたりして』

 真っ赤になった目をこすりながら、少年が気恥ずかしそうに微笑む。

 その様子はどこから見ても普通の少年だった。害を及ぼされるかもしれないと勝手に危惧して見えないふりをしようとしたことが恥ずかしくなる。

“見えるだけで、何もできない。ごめんなさい”

『そっか……そりゃそうだよな。昨日突然見えるようになったんだもんな』

 少年はいささかがっかりしたように肩を落とす。しかしすぐに笑みを見せた。

『そんな申し訳なさそうな顔すんなって。俺は気付いてくれただけで充分だよ』

 何かできることがあればいいのに、何もできないのが悔しかった。黙り込んだ私の頭に、少年はおずおずと掌を乗せた。重みも、掌の感触も感じない。

『はは、やっぱ見えてても触れねーな。かっこ悪いとこ見せちまったから、ちょっとでもかっこつけようと思ったのに』 

 冗談めかして笑う少年の気遣いに益々胸が詰まる。

『ほらほら、もう湿っぽいのはやめにしようぜ。そうだ、お前、あの絵を文化祭に出展するんだろ? 俺がアドバイスしてやるよ』

“ありがとう。よろしくご教授願います。先輩”

 少年の気持ちを無駄にしないように、私は茶化してそう返した。


 そのときの自分を止めたい。

 なんだって雰囲気に流されて、あんな調子の良いことを言ってしまったんだ。

 彼は死んでまで美術室に留まり、絵を描こうとするほど、絵が好きな人間だったのに。

『お前、ふざけてんの。そこはもっと深みのある色でって言っただろ』

『いやだから、そっちはもういじるなって』

『は? 疲れた? まだちょっとしか描いてねえし。まだまだ描けるだろ』

 絵にかける気持ちの熱量が違い過ぎた。少年にとって私の技術はとても満足できるものではなく、私にとって彼の指導は重荷でしかない。

 すでに他の部員は帰宅した。

 いつもなら、お喋りに興じながら、小一時間ほど描いて帰っていたのに、何かに憑りつかれたように――実際に憑りつかれている気もするけど――絵を描き続ける私を、皆、気味が悪そうに見ていたっけ。

『よし、なんとか形になってきたな』

 少年が満足そうにうなずいたときには、私はもう精神的にも肉体的にもへとへとだった。筆が重いと感じたのは初めてだ。

 窓の外はすでに真っ暗だった。

 今日はもう無理。続きは日を改めてほしいと、お願いしようとして、描きかけの絵を見詰めるの少年の体が宙に浮いているのに気付いた。

 驚く私の視線の先で、少年ははじけるような笑顔をみせる。

『すっげえ、すっげえ、楽しかった。久しぶりに、絵が描けて。――話が出来て』 

輪郭が淡くぼやけて、空気に溶け込むように滲んでいく。

『なんか、もう俺、満足かも』

 ふわり、とさらに体が浮き上がる。

「え? で、でも、まだ途中だよ?」

 どうして引き留めようと思ってしまったのか分からない。けれど気付けば私はそんな言葉を口にしていた。

 少年の手が私の頭に伸びる。やはり、重みも感触もない。けれど微かな温もりを感じた気がした。

『続き、頑張れよ。まかせたぞ』

 少年の体は引っ張られるように上っていき、天井にぶつかりそうになった間際、少年を形作っていたものが消えた。

 呆然として頭上を見上げる私の隣に、モカブランの布が翻る。

 『危険ですね。とても――』

 隣に視線を移すと、トンビコートの男が険しい顔で佇んでいた。

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