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二話 見えるようになった日

 その日まで確かに私はごく普通の女子高生だった。

 毎朝、母親に叩き起されて、寝ぼけ眼をこすりながら支度をし、学校に行って授業を受ける。幽霊部員一歩手前の美術部には週に一度顔を出せばいいほう。家に帰って課題と復習、予習をこなしお風呂に入って寝る。ありふれた高校生のありふれた日常が私の生活の全てだった。

 しかし、その日は朝から少しおかしかった。

 始まりはけたたましいサイレンの音。夜半から明け方まで降り続いた雨の音に混じり、何台ものパトカーのサイレンがあちらこちらから反響する音で私は目を覚ました。

 「何かあったのかな」「物騒ね、気を付けて」なんて会話を交わしながら朝食を食べて、けれど家を出るころにはすっかりそんな話をしたことなど忘れていた。

 いつも通りに学校に向かい、徒歩二十分の行程の丁度中ほどにある神社の前にさしかかったとき、私は今朝の騒動を思い出すことになる。

 そこは鬱蒼と茂った木々に覆われた、小さな神社だった。小高い丘の上に社が造られており、市道に面した鳥居から数十段の石段が続いている。

 その市道に数台のパトカーが赤色灯を灯したまま停車していたのだ。

 パトカーの奥、石段の下には鳥居を背にして警察官が立っていた。ニュースで見るような黄色いテープはなかったが、神社への立ち入りを規制しているのだろうと容易に想像がついた。

 都会とは言い難い長閑な街だから、こんなふうに何台もパトカーが集まるところなど見たことがない。

 騒ぎを聞き付けた近所の人が遠巻きに集まり、何やら小声で囁き合っている。

 辺りには私と同じ学生服に身を包んだ学生たちの姿も見える。皆、何があったのだろうと、ちらちらと鳥居の向こうに視線を走らせながら学校へ向かっていた。

 もちろん私も何があったのか大いに気になったが、のんびり見物をしている時間などあるはずもない。野次馬根性を抑え込み大人しく学校へ向かおうとしたとき、ふと石段の上の人影に気が付いて足を止めた。

 眼鏡をかけた、若い細身の男だった。

 規制の中にいるのだから神社か警察の関係者なのだろうが、男は何をするでもなくただ佇んでいた。

 あえて言うなら、優雅に騒ぎを見物しているように見える。男は自身の横を忙しそうに駆け降りる制服姿の警察官には目もくれず、集まった野次馬を見下ろしていたのだ。

 ややして男の視線は野次馬の上を滑り、市道を歩く登校途中の学生たちへ向けられ――視線が重なった。

 男は私の顔を凝視して、目を見張る。

 知り合いでもない人間に、そんな顔をされる理由が分からない。ましてや相手は立ち入りが規制されている神社の中にいる人間である。

 私はなるべく自然に見えるように目を逸らすと、踵を返して学校に急いだ。


 生まれてこの方、十七年。これといった波乱もない平々凡々な日々を送ってきた。良く言えば平穏。悪く言えば退屈。

 そんな毎日の中で出会った見慣れぬ光景に、不謹慎ながらワクワクとした気持ちを感じたことは否めない。けれどほんの少しでも自分に関わりがあるのかもしれないと思うと途端に怖くなった。なんとも自分勝手だ。

 足早に校門をくぐり周りが学生だらけになると、いつもの日常に戻ってきたようでほっとした。

 築三十年の校舎はほどよく使い込まれている。飴色の手すりを持って階段を上がる。

 級友と挨拶を交わしながら教室に入り、席に着くと、後ろから誰かが勢いよく抱きついてきた。

「おはよー。ねえねえ、聞いた? 神社の話」

 振り返らなくても声で誰だかわかった。

「茜、重い」

 中学の時からの友人、浜田茜だ。

 私の苦情を聞いて茜はさらに体重をかける。

「ほれほれ、重いか」

「重いって言ってるじゃん。神社って、八田神社のこと? 前を通ってきたけど、パトカーいっぱい来てたよ。何があったのかなあ」

 茜はようやく体をどけると、くるりと回り込んで、空いていた前の席に腰かける。

「聞いて驚け、事件だって!」

「そりゃそうだろうね」

 何せあんなにパトカーが来ていたのだから。

「で、どんな事件? 何か盗まれたの? 仏像とか……」

 お賽銭とか、と言いかけてやめた。賽銭泥棒であの騒ぎにはならないだろう。

「智ちゃん、神社だよ? 仏像はないでしょ」

「そうだったっけ?」

 宗教に興味のない私には、神社もお寺もさして変わりがあるように思えない。お正月にお参りに行くのが神社で、法事で訪れるのがお寺程度の認識だ。

「しかも盗みなんて事件じゃないから。大事件! なんと、人が倒れていたんだって。どうも誰かに襲われたらしくて、頭から血が出てたらしいよ」

 きゅっと胸が縮んだ気がした。今朝パトカーを見て覚えた高揚感めいたものに、一気に罪悪感が降りかかる。

「お、襲われたって、誰が? ……亡くなったの?」

「それがね地元の人じゃないみたいで、身元がまだ分かってないんだってさ。病院に運ばれたらしいし、死んではないんじゃない?」

 私はほっと胸をなで下ろした。

「そっか良かった」

「なんで智ちゃんが安心するの。まさか……」

 茜は口元を押さえ、大げさに身を引いてみせた。

「うん、違うからね。それで犯人は?」

 どうか捕まっていますように、そう願って聞いた問いだったが、茜は首を横に振った。

「まだ捕まってないみたい。これから臨時朝礼開かれるらしいから、詳しい話が聞けるかもね」

 そう茜が言い終えたのと時、チャイムが鳴って教師が慌ただしく教室に入ってきた。


 茜の言葉通り、臨時朝礼が開かれた。

 しかし茜から聞いた以上の情報はなかった。神社で誰かが襲われた。怪我をして病院に運ばれた。犯人はまだ捕まっていない。登下校に気を付け、不要の外出は避けるように、特に現場となった神社には近づかないように。これだけだ。

 犯人はおろか被害者の身元もわからなかった。

 八田神社は小さな神社だ。歴史は古く、季節ごとの祭事も行っているらしい。がらしいとしか私は知らない。何せ小さなころに家族で初詣に数度訪れたことがあるだけ。その初詣の記憶も既に曖昧だった。ただ正月ともなると人出や屋台で賑わう大社などと違って、初詣の時分もひっそりと静まり返っていた覚えがある。真っ暗な参道――といっても数十段の石段くらいだが――を、木々に渡した紐に括られた提灯が控えめに照らしていて、怖いと思うと同時に、幻想的で美しいと感じたものだ。

 そんな小さな神社だから、祭事も何もないときに地元の人以外が訪れて、しかも襲われるなんて、不思議な話だった。

 

 放課後、私は美術部の部室になっている美術室へ足を運んだ。

 私が通う高校は部活への加入が義務付けられている。おかげで美術部は帰宅部の巣窟になっていた。顧問の教師もその点はよく分かっていて、やる気のない生徒は半ば放置である。しかし文化祭で展示する絵だけは一人一点提出しなければならないという不文律が存在していた。

 その絵がまだ出来ておらず、部室に来るようにと言われていたのだ。

 それなのに、ガラリと扉を開けたとたん、眉を寄せた教師にこう言われた。

「友田さん、貴女、八田神社の方面を通るのでしょ。ならもう帰りなさい」

 暗くなっては危ない。間に合わなければ文化祭の絵は去年のもので良いと言われても、去年の絵がどこにいったか分からない。

 富永高校に通う生徒は、東側にある最寄駅からやってくる者が圧倒的に多い。八田神社は高校の西に位置しており、その前を通る者は少数派だ。だからといって周囲に人気がないわけではない。八田神社そのものは小高い丘の上にあることと木に囲まれていることから外から中の様子は見えないが、南には市道が、その他の三方向には民家が並ぶ。

 市道には街灯もあるし、人通りもある。そう主張しても教師の決断は変わらず、結局私は、描きかけの絵と画材を持って帰宅することになった。

 かさばるキャンバスバッグと画材が入った袋を肩にかけて、通りかかった神社の前にパトカーはすでになかった。野次馬もいない。今朝の騒ぎなどなかったように、いつも通りの静かな神社に戻っていた。

 なんとなく気になって、鳥居の下から石段を見上げる。当然、あの若い男の姿もなかった。

 きっと誰か知っている人に似ていたとかで驚いただけなんだ。そう思うことにして、帰路についた。

 制服から部屋着に着替えて、冷蔵庫から牛乳を取り出していると、買い物に行っていたらしい母が帰ってきた。手に下げた袋の中からネギが見える。

「あら、おかえりなさい。早かったのね。部活があるんじゃなかったの?」

「神社方面の子は早く帰りなさいって」

 母は「あら」と言って首を傾げた。

「まだ先生はご存知なかったのねえ」

「もしかして、犯人捕まったの?」

 だったらキャンバスや画材を担いで帰ることなんてなかったのに……。

 そう言うと母は声をあげて笑った。

「違うわよ。そもそも事件じゃなかったの。なんでもぬかるみに足をとられて、滑って転んだだけらしいわ。運悪く、その拍子に石灯篭の台座で頭をぶつけたんですって」

 なんでも神社の境内には防犯カメラが設置されていて、その様子がばっちり映っていたのだとか……。

 防犯カメラなんてあったんだ、と私は見当違いなことに驚いた。

「全く人騒がせね。なんて言ったら駄目ね。まだ意識がもどっていないらしいし」

 近隣の学校に連絡がいくより早く情報が広まるとは、ご近所ネットワークとはいやはや恐ろしいものだ。

 夕食の支度が終わるまで我慢が出来ないと訴えれば、母は買ったばかりの大福を出してくれた。牛乳のお供に大福を一つたいらげ、私は二階にある自分の部屋に戻った。

 さて、自宅にイーゼルなんて気の利いたものはない。新聞紙をマスキングテープで壁に貼ると、その前に手頃な箱を置いて、キャンバスを乗せた。

 それから換気のために窓を開ける。

 昨晩の雨が嘘のようにいい天気だ。私は青空を見上げて目を細めた。その視線の先に、ふいに影が差す。

 まず目に入ったのはふわりと空気を孕んで広がった鼠色の布地。ゆっくりと顔を上にあげ、それが古めかしいコートの一部だと気付くと同時に、コートの主と目が合った。

 随分年上らしく、山高帽子から覗く髪には耳の上に白い筋が数本走っている。目尻には微かな皺。仕立ての良さそうなコートを身にまとい。手には洒落たステッキ。涼やかな目元が印象的な紳士然とした男だった。

『こんにちは。お嬢さん』

 静かな、しかしながら渋みのある声が聞こえた。

「こんにちは……」

『良い天気ですね』

「そうですね……」

『冷静ですね。慣れていらっしゃる?』

「いえ、全く……」

 私が開けたのは二階の窓だ。一階から垂直な壁が続いており下屋もない。人がいるはずがない。

 つまり、男は人ではなかった。なぜならふわふわと宙に浮いているのだから。

『その割には落ち着いておられる。まだ若いのに、肝が据わっていますね』

 男は感心したように言って、自身の顎に手をやる。それからすうと眼を眇めた。

 じっと見つめられて、私は蛇に睨まれたカエルのように微動だにすることが出来ない。

 ややして男は首をふった。

『違いましたか。驚きのあまりどうすればいいのかわからないだけ……当たりですか?』

「当たりです!」

 叫ぶように答えると私は勢いよく窓を閉めた。もちろんカーテンも。

 ひとまず男の姿が視界から消えたことに安堵して、ずるずるとその場に座り込む。

「なに……あれ? なに、あれ? なにあれ!?」 

 寒くもないのに小刻みに体が震えだす。窓の外にいたアレはいったいなんだというんだ。

『あれ、とは随分な言いようですね』 

「ひっ」

 すぐ背後から男の声がした。

 恐る恐る振り返ると、部屋の中に男が立っていた。

「な、なななな、なんで……」

『実体がないのですから、壁も窓ガラスも無意味に決まっているでしょう』

 男は軽く顎をあげ、小馬鹿にしたように私を見下ろす。

 身体の震えがますますひどくなる。奥歯がガチガチと音を立てていた。今、水の入ったコップを握らされたら、中身を全部零せるかもしれない。

『ああ、怯えなくて結構ですよ。特に害意はありませんから』

「じゃ、じゃあ、どういったご用件で?」

『さて、これといっては』

 用がないのならさっさと出て行ってほしい。

 そんな願いを酌んでくれるはずもなく、男は私の前にしゃがみ込んだ。

『強いて言えば、久方ぶりに見える者に会って興味が湧いた、でしょうかね。いや、本当に珍しい』

 そう言って男は涼やかな目元をゆるめた。

 その顔が存外に優しくて、少し震えが治まる。本当にただちょっと興味をひかれて、会話をしてみたくなっただけかもしれないと思えたのだ。

「あの、つかぬことをお伺いしますが」

『なんでしょう?』

「貴方は、その、幽霊……なんですか?」

 男は軽く眉を上げると、腕を組んで顎に手をやる。

 ごくりと唾を呑んで私は返事を待った。

『面と向かって尋ねられたのは初めてです。まあ、そう呼ぶ人間もいますね』

「成仏する気なんかは……」

『今のところありません』

 きっぱりと言い切ると男は立ち上がる。

 それから物珍しそうに部屋の中を見回した。一通り眺めると、壁に立てかけた絵に目を止める。

『これは?』

「見ての通り絵です」

『描きかけですね』

「文化祭に出さないといけないんですが、八田神社の事件……じゃないや事故のせいで、勘違いした先生に持ち帰らされて、今から続きを描こうとしていたところです」

 なんで幽霊とこんな話をしているのだろう。驚きと恐怖が過ぎて色々と麻痺している気がする。

『それはそれは、お邪魔をしてしまいました』

 男はそう言うと山高帽子を手に取って胸に当て、深々と頭を下げた。

『それでは、本日はこの辺りで失礼します』

 言葉と同時にすうと男の姿が霞む。

瞬きを一度する、その僅かな時間の間に男は消えていた。

「幽霊? ……ははっ、まさか、冗談でしょ」

 その日、私は食事もとらず風呂にも入らず、パジャマにも着替えずにベッドに潜り込んで寝た。

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