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十一話 願い1

 雨の公園で転んだらどうなるか。誰でもすぐに想像がつくだろう。どろどろになった服を着替えに家に戻って母に驚かれ。公園で滑ったと言ったら呆れられ……。シャワーを浴びて着替え終わったころに、父が帰ってきた。ビニール傘とブイヨンが入った袋を持って。傘がないから迎えにきてと連絡したら逆に頼まれたらしい。袋の中にはちゃっかりビールが二本入っていた。


 翌朝の登校時、私は一人だった。 

 博文さんと義直さんは、昨日私がシャワーを浴びる前に姿を消してそのまま見かけていない。

 博文さんはいつも夜にはいなくなって、翌日気まぐれに現れるけど、守護すると言っていた義直さんまで姿を見せないのはどういうことだろう。もしかしてもう次の守護対象を見つけたのだろうか? だとしたらちょっぴり寂しい気もするが、ほっとする気持ちのほうが大きかった。ざんばら髪に矢という義直さんのビジュアルは、やはり少々厳しいものがある。夜中に目が覚めたとき、部屋の隅に彼がいたら叫ばずにはおれないだろう。

 私はすっかり雲のなくなった空を見上げた。

 雨上がりの朝は気持ちのいいものだ。

 木々の葉はいつもより緑が濃い気がするし、水溜りは青空を映して輝いている。けれど私の気分はどこかすっきりしなかった。

 まりちゃんは無事に目覚めただろうか? 公園の霊はちゃと成仏できるのだろうか? 昨日の出来事がきっかけで悪霊になってしまったらどうしよう。

 二人のことが頭から離れない。せめてまりちゃんの名字が分かれば、入院施設のある近くの病院に片っ端からお見舞いにいくのに。

 ぼんやりと道を歩くうちに八田神社の前にやってきた。

 私はそっと神社の石段を窺った。

 昨日の下校時に、覗き魔の霊は石段にはおらず、義直さんは「嫌なものになりかけている」と言っていた。同時に「石段の上に行かぬよう」にとも。だから彼は石段の上に居場所を変えたのだと思っていた。石段を見たのは確認のためだった。

 なのに何故……

 私は口を開けて石段に立つ幽霊を見詰めた。

 彼はまた石段に戻ってきていた。すらりとした、どちらかといえばやせぎすな肢体に黒縁の眼鏡。眼鏡の奥の、切れ長の瞳は今日も私に向けられていた。

 私はしげしげと彼の様子を観察した。

 「嫌なものになりかけている」のだったら、見た目にも変化が現れると思っていた。まりちゃんから引き離されたと気付いたときの公園の霊は、それは怖かった。けれど、彼は何も変わりないように見える。

 石段の霊が、かすかに目を瞠る。それは初めて目が合った時と同じ驚きの表情だった。何に驚いているのだろう? と首を傾げてからはっとする。彼をじっくり注視するなんて、これまでなかったことだ。怖くてすぐに視線を外して立ち去っていたのだから。

 なんとなく気まずい気持ちがするとともに、今更ながら恐怖心が湧き上がる。

 私の表情の変化を読み取ったらしい霊が、にやりと笑った。それからもったいぶったしぐさで腕を上げ、ゆっくりと手招きをする。

「ひっ」

 私は小さく悲鳴を漏らすと、脱兎のごとく走って逃げた。


「おはよ……」

 力なく朝の挨拶をしながら教室に入る。

 神社が見えなくなるまで全力で走ったおかげで朝からへとへとだ。

 近くの席のクラスメートが元気よく挨拶を返してくれる。いつもと変わらない皆の顔が無性にありがたかった。

 日常の光景に胸をなでおろし、窓際の自分の席へ行こうとして足を止める。席には先客がいた。その人物は制服姿の学生が行き交う教室の中で凄まじい違和感を醸し出していた。

 陽の光を反射して輝く甲冑。ざんばら髪と頭にささった矢。何故か義直さんが腕を組んで私の席に腰かけていた。

『おお、来たか』

 入り口に突っ立つ私を見付けた義直さんが軽く手を上げる。

 私は無言で自分の席に行き、鞄を置く。それから義直さんに目で合図をおくり教室を出た。

 朝のこの時分には誰も来ない屋上へと続く階段の踊り場にやってくると、私は義直さんに詰め寄った。

「なんで教室にいるの? どうして私のクラスが分かったの?」

『博文に聞いたからだが?』

 それがどうした? と言いたげな義直さんの様子にため息が漏れる。

 あれだけ義直さんの守護を嫌がっていたのにどういう心境の変化だろう。

「その博文さんはどこ?」

 辺りをきょろきょろと見回すが彼の姿はどこにもない。

『そのことだが、実は昨晩博文から提案されてな』

 そう前置きして義直さんは話し始める。その内容はとても意外なものだった。

 曰く、私を見守る時間を当番制にすること。

 学校内では義直さん、それ以外が博文さんの担当とすること。

「なんでまた……」

 そんな制度になったんだ。というか、博文さんって私を見守ってくれているつもりだったんだ。

『あれは器用だが不安定だな』

 義直さんの答えは、よく分からなかった。


『また明日な』と手を振る義直さんに見送られ、教室を後にする。

 校内では義直さん。それ以外は博文さん。と私の知らないところで勝手に決められていたはずだが、校門を出ても博文さんの姿は見えなかった。

 早足で石段の幽霊をやり過ごし、家に帰って買い物袋についたお守りを外そうとしていると、どこからともなく博文さんが現れた。

『それを持ってどこへ行くつもりですか?』

「博文さんこそ、今までどこにいたの?」

 博文さんの問いに答えず、質問で返す。博文さんは指先を額に当て息を吐いた。

『私もそうそう暇ではありませんのでね』

 忙しい幽霊ってなんだそれ。

 私はお守りをポケットに入れると玄関に向かう。その後を博文さんが漂いながら付いてくる。

『どこへ行くつもりですか?』

「公園」

 質問を繰り返す博文さんに短く告げると私は家の外に出た。

『まさかとは思いますが昨日の女の霊に会いに行くのではないでしょうね』

「そのまさかだよ」

 博文さんは足早に歩く私を追い越し、きつい眼差しを向ける。

『おやめなさい。あの霊は今、不安定な状況にあります。どう転がるか予測がつかないのですよ』

「不安定……」

 呟いて歩調を緩める。確か博文さんを評して義直さんがそう言っていなかったか。

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