第15話
「ただいま~。」
『!!』
よく通る声にリビングに居る三人が色めき立つ。
「え、ケイタのお母さん!?帰ってくるの明日じゃ・・」
「おい、マジか!?どうする?」
ミカの動揺がシンゴに伝染する。
「とりあえず迎えに出よう。」
リョウヘイの発言に従って三人が部屋から出ると麗美は上がり框に腰を降ろし、こちらに背を向けて履物を整頓していた。
「は、はじめまして・・あの・・」
ミカ以外は履物を無造作に 脱いだままにしていたのでシンゴとリョウヘイはばつが悪く、挨拶も歯切れの悪い自己紹介になる。
「いつもケイタと仲良くしてくれてありがとうね。・・あの子は?」
「あ、疲れてるみたいで寝てます。・・リビングルームで・・」
「そう・・」
麗美が歩き出すと三人は左右に分かれ、その間を彼女は進み、リビングに入った。
ケイタは今起きた様子で動きはなく、ソファーで微睡んでいるようだった。
「ケイタ、具合でも悪いの?」
その正面に回り込み、麗美はしゃがんでケイタと目線を合わせる。
「あぁ・・母さん・・久しぶり・・。」
そのまま彼女はケイタの額に右手を当てた。普段の彼なら三人の手前、気恥ずかしさでその手を払いのけるのだろうが今のケイタにそれはない。
「熱はないみたいね・・病気じゃないなら起きなさい。お友達放ったらかして寝てちゃだめでしょ。」
「いや、いいんです。ケイタ君は昨日も運転しっぱなしだったし、疲れますよ。僕らもそれに甘えてしまって・・すみません・・」
リョウヘイが代表格になって麗美に詫びる。
「いいのよ、そんなこと。どうせ普段はあなた達にご迷惑ばかりかけてるんでしょう?」
一瞬、間が有って取り繕うようにそれぞれがそんなことはないと笑いあう。麗美の一言が図星であることは疑いない。
「今日はどこか出掛けたの?」
「いえ、テレビゲームしてました。」
「あら、もったいない!・・もしかしてウチの子が憤ったのかしら?」
「いや、そうじゃないんです。・・ケイタ、隠さずに言うよ?」
リョウヘイがケイタを見遣ると彼は声を発さずに頷いた。それを確認してリョウヘイは麗美にかいつまんで事の経緯を話すと謝罪し、シンゴとミカもそれに続く。
麗美は言葉を失った。だが、それは彼らの愚行に対してではない。
彼女は昨夜、暗闇を嘆きながら彷徨うケイタの夢を見た。目覚めてからも胸騒ぎが収まらず、彼女は予定を早めて帰ってきた。杞憂なら良かったのだが当たらずとも異変は起きていてその符号に驚いていた。
「母さん、もう大丈夫だよ。もうだらだらとしたケイタは現れない・・」
『!?』
全員の視線がケイタに集まる。
「ケイタ、何?どういうこと?」
「母さん、今までのケイタはもういないんだよ。僕が今日から新しいケイタだよ。」
「何言ってるの、あなたはずっとケイタでしょ?」
困惑を隠せない麗美はケイタとやりとりしながらその答えを求め、シンゴ達を見る。彼らも麗美と同様の表情を浮かべていた。
「だから!あいつはもういないんだよ。鏡の中の世界にいるんだ。・・奴が望んだんだ。・・大丈夫、僕はあいつみたいに消極的じゃないしもっと有意義に人生を使う!」
「おい、ケイタ、どうしたんだ?」
「あぁ、シンゴ・・世話に
なったね。リョウヘイとミカちゃんも・・あの合わせ鏡で俺たちの入れ替わりが完成した。感謝してるよ。」
クックッと冷笑するケイタは誰もが見たことのない”別人“だった。
「・・俺が多重人格にでもなったかと皆思ってるんだろう?残念ながらそうじゃない・・これから俺が新しいケイタなんだ。仲良くしてくれよ。」
テーブルに両手を大きく広げてそれに上半身を預け、唖然とする四人に彼は見得を切った。
「あなたは誰なの・・?」
「しつこいな。ケイタだよ。忘れたの?奴が小さい時に紹介してくれたんだけどな・・母さんに帰れと言われてあの時は辛かったよ・・」
「!?・・あの時の!ケイタが一人で遊んでた時に話してるって言ってた・・もう一人の・・ケイタ・・」
「思い出してくれたんだね。嬉しいよ。でも、もう一人のケイタじゃない。僕がケイタとして生まれて母さんを支えるべきだったんだ。」
彼は遠い目をして笑顔を浮かべた。
「カイト!・・あなただったのね・・」
「カイトって誰だよ?」
「あなたの名前よ。・・あなたはケイタと双子の兄弟として生まれるはずだった。でも、それが叶わずあなたはケイタの影として今まで潜んでいたなんて・・あなたを産むことができなかったことは謝るわ。お願い!ケイタを戻して!」
麗美は涙を浮かべて懇願するが彼は無言で首を横に振った。
「‥今、カイトを合わせ鏡で映せばケイタは帰ってくるのかもしれない。」
リョウヘイの呟きに全員の視線が動く。
そのなかでカイトだけが睨むように彼を見つめる。
「だめだよ。もうすぐあそこは閉じるんだ。誰にも邪魔はさせない。」
「おぉ!ケイタ!?そこか!」
いきなり天井を見てシンゴが声を上げる。全員が驚き、目がそれに誘導される。
すぐさま彼は素早くカイトの後ろに回り込み、彼を羽交い締めにした。
「お母さん、少し手荒ですが勘弁してください!リョウヘイ!鏡の用意頼む!」
「止めろ!離せ!あんなネガティブな奴を戻して何になる!?」
「あいつはさ、確かにすぐに落ち込むしウジウジと女々しいし、面倒な奴だよ。でもよ、お人好しで弄り甲斐がある、そんなあいつといるのが楽しくて俺らはツレやってんだ!」
カイトはもがくが一回り大きな体格のシンゴにがっちりと背後を取られ、逃れられずに少しずつ廊下へと移動させられて
ゆく。
「オオオオォォ!」
廊下まであと少しというところでカイトは咆哮を上げると彼はジャンプする前のように深く体重を地に落とし、前のめりに体を丸める。そして両足を踏ん張り向きを変えると背中ごと壁に突進した。
鈍い音とともにシンゴの腕から解放されたカイトは勢いそのままにリョウヘイを突き飛ばし、目に止まったスツールの脚を持つと姿見の鏡を破壊した。
彼が腕を振り下ろす度に破片の飛び散るものと重なり破裂したような音が響く。
「やめて!カイト!もうやめて!」
その声でやっと彼は動きを止めた。
姿見の鏡はもう役目を果たせないほど破壊されていた。
「分かったわ・・カイト。私を連れて行きなさい。私があなたの居るべき場所を探してあげる。だからケイタを戻しなさい。ケイタは今、暗闇で困り果てているわ。私には分かるの・・そしてそこはあなたの居るべき場所でもない。」
「母さん、それはできないよ。」
「いえ、そうしなさい。あなたを殺してしまったのは私の責任。・・ケイタが望んだとか言ってたけど、あの子はすぐに弱音を吐く未熟な子だからそんな自覚はないはずよ。それにね、ケイタが生を受けたのならその体はあの子のためにあるの。このまま人生を歩んでもケイタに明るい未来はないかもしれない。・・でもね、それは彼の責任よ。・・カイトはそんなケイタが心配でずっと陰から支えていたのね・・優しい子・・。母さんはあなたのことを誇りに思うわ。」
「・・なんだよ、アイツ。あんななのに皆から愛されてんじゃないか・・」
カイトは憤慨と照れを含んだように嘆き、俯き加減に呟いた。
「・・分かったよ。ここに俺の居る場所は無いんだね・・」
寂しげな表情を浮かべて彼は続けた。
「シンゴ、リョウヘイ、ミカちゃん、いつか、また会ったら俺とも友達になってくれるかな?」
「ああ!・・カイト。お前強いな。びっくりしたよ。」
「ちょっとびびったけどカイトのことは忘れない。次はバイオレンスなのはナシだよ。」
「カイトって男らしいのね。いつか女の子紹介してあげる。」
『ありがとう』
言葉には出さず、カイトは彼らを一瞥してフッと笑った。
「母さん、姿見壊してごめんね。・・俺、行くよ・・化粧品のコンパクトでもいい、何か鏡ある?」
麗美が頷くと彼は自ら廊下へと歩き出す。
ポーチからそれを取り出すと麗美がカイトの後に、三人がその後に続く。
合わせ鏡をした場所でカイトが止まると麗美が近寄り彼を抱擁した。
「カイト、今までありがとうね。後の事は心配しないで・・あなたの帰る場所で先に待ってて・・そのうちに私も必ずそこに行くから・・」
嗚咽の混じった麗美の声にカイトの両頬は濡れ、その様子に三人も鼻を啜る。
「ありがとう。俺、母さんの子でよかった・・」
そう言って彼は麗美の肩を掴み、彼女を反対に向ける。
数歩歩き、彼女が振り向くとカイトは無言のまま頷いた。
涙の止まらぬまま彼女がコンパクトを彼に向けるとケイタの体は操り人形の糸を切ったように倒れ、廊下に軽い音が響いた。