02
春というのは出会いの季節であると、どこかの誰かが言っていたように思う。
確かに、春――それも四月というものは、始業式だとか入学だとか就職だとかで、とかく環境が新しいものへと変わる時期だから、一般的な感性でもそのように感じるだろうというのは想像に難くない。
だがしかし、今のぼくにはそういったことは感じられなかった。
それは別にぼくに一般的な感性がないだとか、つい先ほど誰かと別れてきたとかいうことでは、ない。
ただ単に、ぼく――衆生叶の通う私立圓城高校では、一旦クラスが決まってしまえばそれが三年間適用され続けるからである。よって、今現在三年生になったばかりのぼくには当然、真新しい出会いなどはなく、クラスはおろか教室の場所すら変わらないのだった。
そんなわけで――校長を始め、各先生方によるつまらない話で構成された始業式も終わり、教室の場所を念のため一度確認した上で、ぼくは体育館を出た。
体育館を出て、渡り廊下を渡って校舎へと入る。ぼくは、三階にある教室へ向かうため、すぐそばにある階段を上り始めた。
この学校は、私立と言ってもそんなに設備がいいわけではなく、エレベータもなければ階段には手すりすらない。そのため、三階まで歩くにはそれなりに体力を要する。
そんなわけで、必然的にその歩みは緩まざるを得ない。
「せめて、手すりくらいつけてくれりゃあいいのになあ」
そうすれば、もう少し楽になりそうなものだけれど。
まあ、健康にはいいかもしれない。別にとりたてて健康に気を遣っているわけじゃあないけど。
そうして、二階から三階への階段に足を掛けたところでポン、と背中を叩かれ、
「おっはよう!!」
と、声をかけられた。
誰だコイツ朝から無駄に元気がいいなオイ。
などと思いつつ振り向くと……
そこには猫耳があった。
そう。そこにはまごうことなき猫耳の御姿があった。色は黒く、綺麗な三角の形をした耳がピンと上に伸びている。
ときおりピクピク動くのが、とても愛らしい。猫好きにはたまらないものであろうことは間違いないだろうと思う。
まあ、かくいうぼくが猫好きだからなんだけどね。そう思うの。
「?……どしたニャ。人の耳なんかじっと見て」
と、猫耳が突然しゃべりはじめた。
……いや、別にそんなことあるわけないけど。
顔だけ振り向いた状態のまま、視線を下に向ける。
そこには、女の子の顔があった。
パッチリとした眼に綺麗な顔立ち。黒い髪が俗に言うおかっぱ頭のようになっていた。
そしてその頭の上に猫耳。
完全無欠な猫娘だった。
しかもマジ耳!
彼女の後ろ側には、フラフラと揺れる尻尾も見えていた。
ああもう。この気持ちを何と言えばいいのだろう。ぼくは今のこの気持ちを表現する言葉が思いつかない。だが、そう。あえて、あえてこの気持ちを言葉にするのなら――
「ワンダホー」
みたいな感じ。
「ワンダホーって……ニャニ言ってんの衆生君」
「ああ。いやいや気にしないで。ただの独り言だからさ」
「ふーん」
そう言って、彼女――猫眼メメはぼくの隣に並んだ。
ここまでくれば分かると思うが、猫眼メメは猫娘である。
とは言っても別に彼女は、父親が目玉な、片目隠した妖怪退治のプロフェッショナルの、常に横にいる娘のように、妖怪だとかいうわけじゃない。
ただ、人間と猫人間とのハーフなだけのハナシだ。
いや、『何馬鹿なこと言ってんだコイツ』みたいな眼でぼくを見るのはチョット待って欲しい。これにはこれで深い事情みたいなものがあったりするのだから。
三十年ほど前、全世界の人類に対して、各国政府から衝撃的な事実が明かされた。
それは、地球以外の惑星にも『知的生命体』の存在が確認されたというものである。
ファースト・コンタクト。
未知との遭遇。
まあとどのつまり、ぼく達人類は宇宙人の実在を確認することができた、ということである。
まあ、このあとは色々と大変だった。
らしい。
ぼくは勿論、その当時は生まれてなど居なかったので――それどころか、母親のお腹にすら居なかったはずである。年代的に。――だから、詳しいことはわからない。だから、らしい。と、そう言うしかないわけだ。
話を元に戻そう。まあ、このあとどうなったかについてぼくが知りうる限りの歴史的出来事を簡潔に述べるのならば、『知的生命体』の存在する各惑星の代表が集まり、惑星間連合を設立。その後、各惑星で、他の惑星住民の受け入れ等の交流を行ってきて今に至る、と。まあこういうわけなのである。
閑話休題(まあ、それはおいといて)。
つまり、彼女は宇宙人と人類との交配種。輝かしき第一世代というヤツである。
「で、読者への説明は終わったニャ?」
「そういうメタなことは言わないでください。猫眼さん」
て言うか読者ってなんだ。
「ついでに言えば、お父さんが人間でお母さんが猫人間なんだニャ」
「ああ、そうだったんだ。ぼくは獣人種の方にはついぞ合ったことがないんだけど、猫眼さんのお母さんってどんな感じ?」
ぼくのその言葉に、猫眼は「うーん」と眉間に皴をよせながら少しの間だけ悩んで――
「猫がそのまま二足歩行してる感じ?」
と。
何故か疑問系でそう言った。
「………ああ、そう」
なんか。
なんか。さあ。
もう少し違う言い方とかなかったのだろうか。
いくらなんでもあんまりな気がするぞ、ソレ。
まったくもって身も蓋もない。
「と。長話してる場合じゃなかった。もうすぐHR始まるみたいだよ」
「ニャ!ホントかニャ!」
「ホント。ホント」
そう言いながら、ぼくは「ホラ」と彼女にぼくの腕時計を見せた。
そこに示された時刻は八時四十分。この学校のHRは八時四十五分からであるため、必然的に残された時間はあと五分ということになる。
「いや、ギリギリだね。あと五分じゃ」
「ニャニ暢気ニャこと言ってるニャ!ホラ。急ぐニャ!」
「まあまあ。落ち着いて猫眼さん。急がば回れと言うし」
「急いでるのに回り道するニャンて馬鹿のすることニャ!時間通り辿り着けなきゃ意味ないニャン!」
「………まあ、ごもっともで」
確かにその通り。
とかなんとかやっているうちに、彼女はもう三階までの階段を一気に駆け上がって行ってしまっていた。
「早くするニャン!万年遅刻者のキミと違って、ワタシは皆勤賞目指してるんだから、遅刻するわけにはいかないニャ!」
「いや。別にぼくはどうでもいいんだけど………」
と。
ぼくが適当に言い返すと――
「ムキー!なら勝手にするといいニャ!」
と言って、彼女は教室に走っていってしまった。
「…………」
いや、ムキーって。
それに廊下を走ってはいけないと、君はこの間ぼくに言わなかっただろうか。
「まあ、いいか」
さて、彼女にはああ言ったが、さすがのぼくも始業式から遅刻というのはいささか拙いだろう。いくら単位計算などはしっかりしてあるとはいえ、内申にいささか響くかもしれない。
それは遠慮したいところだ。
「さて、じゃあぼくも教室に向かうとしますか」
今なら廊下を走っても、怒られることもないだろう。
そうして、ぼくは教室に向かって走り始めたのだった。
もっとも、お約束のごとくHRには当然遅刻したのだったけれど。