さらば『冥界回廊』
二章最終話(仮)。
聖神アイリスが消えたあと、しばらく呆然としていたネクロだったが、我に返ると壁に叩き付けられていたリムに近寄る。
「大丈夫ですか、リムさん!」
「……くっ…。え、えぇ。何とかね……」
リムは苦し気に顔をゆがめていたが、大事はないようで、ネクロはほっとした表情を浮かべる。魂に直接ダメージを受けたのだ。アイリスがその気なら、リムの存在は消えていた。それほどまでに、アイリスの力は強大だった。
「ふぅ……。それにしても、アイリスちゃんのあの変わりよう……。本当に、どうしちゃったのよ…」
「……あれが、聖神。正直、あれをどうにかするのは、今の僕では絶対に不可能です」
ネクロはそう断言するのには理由があった。アイリスに接近されたときに、ネクロは見ていたのだ。アイリスの全身を覆う、結界のようなものの存在を。ネクロは、今の自分の力ではその結界を破れないと考えていた。今仮にアイリスにネクロが挑んだところで、一切こちらの攻撃を通すことができずに、神気によって存在ごと抹消されるだろう。
「でも、あれはたぶん。聖神本人の力じゃない。そんな感じがしました」
「あら、あなたも気づいたの?」
「ええ、聖神の加護を持つと使えるようになるという聖光。なら、聖神が使う力は、聖光の上位存在のようなもの……。それであってますよね?」
ネクロは己の手に聖光をまとわせながらそういった。ネクロの問いに、リムはこくりとうなずいた。
「その通りよ。でも、さっきアイリスちゃんが使っていた力は、神聖光とは違うものだったわ」
「なにか、神に影響を与えられる存在に力を与えられて、その反動であんな感じになったか……あとは、乗っ取られたか。考えられるのはそのくらいですかね?」
「そうであってほしいわ」
「……まあ、最悪力を手に入れてしまったせいで、あんなふうに増長したという可能性もあるわけですしね……」
「そうね……」
ネクロはそういいつつも、それはないんじゃないかと思っていた。ネクロがアイリスに感じた印象は、最初は恐怖であった。しかし、その恐怖になれてくると、次第ににアイリスの態度に違和感を覚えたのだ。
ナルアは、自分への嫉妬からアイリスが歪んでしまったと言っていた。だが、先ほどのリムの話から、それはないはずだ。実の姉からみての評価なので、間違いはないと信じたい。……まぁ、リムなら妹のする行動すべてが素晴らしく映るフィルターがかかっていてもおかしくはないだろうが。
しかし、先ほどのアイリスから、感じたのは、『純粋な邪気』とでもいうべきもの。個人に向けた感情ではなく、まるで、初めから邪悪であることが当たり前であるかのような。簡単に言うならば、小学生の子供がアリの巣をつぶして遊んでいるのと同じようなもの。なので、アイリスが自らあのような行動をとったとは考えにくいのである。
そこまで考えて、ネクロはいったん思考を停止させた。先ほどまでがどうだったのではなく、これからどうするかを考えるほうが先だと考えたからだ。リムにそう提案すると、彼女も同じことを思っていたのか、すぐさま了承する。
「今のアイリスちゃんに干渉するのは不可能よ。あれは分体だった。にもかかわらずあの威圧。本体の強さは、ランク換算で30くらいかしら?神はステータスに上限がないから、たぶん近づくことすらできないと思うわ。数千年にわたって信仰心で集めた力は強大だわ……」
「ら、ランク30って……。魔物のままじゃ、どうやってもかなわないな……。どうにかする手段はないんですか?」
「あるにはあるけど……とても困難なものよ?……あ、でも、あなたならどうにかなるかもしれないわ」
「ど、どんな手段なんです?」
リムは話すか話すまいか、考えるようなしぐさを見せたが、ネクロの真剣な顔をちらりと見て、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
「危険かもだからあまりお勧めできないけど……。神龍を目指せばいいのよ。神であり龍である、この世界でも特別な存在。あなたがランク10になり、そしてその先の『昇龍の試練』を突破できれば、神龍になることができる。そうねぇ、もしあなたが神龍になれたら、ナルアちゃんとの関係を認めてあげてもいいわ」
リムは最後にそう言って、いたずらっぽく笑った。そこに込められているのは、アイリスを助けてほしいという懇願と、確かな期待。それを受けたネクロは、大きくうなずくと、リムとおなじような笑みを浮かべた。
「わかりました。その時にはお義姉さんと呼ばせてもらいますよ」
「……ま、楽しみにしてるわ」
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ネクロは閉じていた瞳をゆっくりと開く。その目に映ったのは、『冥界回廊』の光景。リムのいた神殿から帰ってきたのだ。ナルアたちは話がまだ終わっていないのか、その姿は見えない。
(いや、もしかしたら時間がたっていなのかもしれない。神域と下界では時間の流れが違う……みたいな)
そんなことを考えながら、ネクロはナルアたちが来るのを静かに待つ。その間にも、ネクロは思考を張り巡らせる。
ついにその姿を拝んだ聖神アイリス。最初は憎むだけの対象だけであったが、先の出来事でかなりその前提が覆ってしまった。すべての恨みがなくなったわけではないが、少なくとも加護を持っているだけの他人にいきなり襲い掛かったりはしないだろう。
ネクロは次に、アイリスが言っていたことについて考える。彼女は去る時にこう言っていた。ゲームをすると。下界で3つの大きなことをやるとも言っていた。それが、アイリスのいうゲームなのだろう。
「それは、何としても止めないとな…。その3つのゲーム。受けて立つよアイリス。全部全部完璧にクリアして、度肝を抜いてやる。覚悟しておけ」
ネクロはそんなことを、虚空に向かっていう。その口元には不適な笑みが刻まれていた。
そうしているうちに、ナルアたちがログハウスから出てきた。どうやら風呂に入っていたようで(リンネのもつログハウスにはかなり大きな浴槽がついている)髪が湿っており、頬を上気させて朱に染めていた。どことなく色っぽい3人の姿に思わずドキリとしてしまうネクロ。それを隠して、ナルアたちに笑いかけた。
「お帰り。話はできた?」
「うん!しっかりと3人でお話ししてきたよ!そうだネクロ、髪乾かしてくれる?」
駆け寄ってくるナルアの首にかかっているタオルをとると、ナルアを自分の膝に座らせて、湿った髪から丁寧に水分をぬぐっていくネクロ。髪に触れれながらくすぐったそうにするナルア。それを見ていたリンネとノルンは、うらやましそうな顔をした後、私もというように、ネクロの前に並んだ。
「二人も?いいよ、ちゃんとやってあげる」
「お、お願いするわ。ネクロになってもらいたいから…」
「ネクロ、髪乾かすの上手。ナルア、すごく気持ちよさそう。これは期待大」
どうやら話のなかで、少しは仲が良くなったようだと、ネクロは笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。3人に話しておきたいことがあったんだった」
「んーー。ネクロー、なにー?」
間延びした声でそう答えるナルアに苦笑しながら、ネクロは先ほどまでに起こったことを説明した。話を進めるごとにひきつっていく3人の表情が面白くて、ついネクロは笑みを浮かべてしまう。
「…………えっと、ネクロ?その、冥神さまに呼び出されて、そこで話をしてたら聖神が登場して、なんやかんやあって下界がピンチになりかけてる。っていう認識でいいかしら?」
「えぇーー。リムお姉ちゃんとアイリスにあったの!?わたしも久しぶりに会いたかったのにぃ……。アイリスにはお説教をしなきゃだし」
「お説教ですむの…?でも、今の話からすると、早くここから出ないと」
「そうなんだよね。休息は十分に取ったし、それに、下界がどんなところなのか、興味あるんだ」
ネクロが明るくそういうと、首を傾げたリンネが、ネクロに問いかける。
「あれ?ネクロ、あれだけ恨んでた聖神にあったっていうのに、ずいぶんと落ち着いているわね?」
「う~ん、何というか。心境の変化……かな?」
ネクロがそう答えると、3人の表情が、一気に何かを警戒したものに変わる。
「……ネクロ、もしかして」
「……その可能性は、ある」
「……ねえナルア。その、聖神って……」
「……かわいいよ、すっごく」
「「「…………」」」
3人は顔を見合わせたあと、じとっとした目でネクロのことを見た。
「ど、どうしたの、3人とも……」
「ネクロ…」
「ネクロあなた……」
「もしかして……」
「「「惚れた?」」」
「なんでそうなる!?」
慌てて否定するネクロだが、なかなか3人の疑惑は晴れない。ネクロの誤解が解けたのは、それから30分後だった。その間、ナルアから注がれていた悲し気な視線が、一番ネクロの心に刺さったという……。
それから一夜が明けた次の日。ネクロ、リンネ、ノルンに3人は、『冥界回廊』の出口である転移陣も上に立っていた。ナルアはまだ毎日現れるようなことはできないので、今日はお休みである。
「ふぅ……なんか、すごく久しぶりに太陽を見る気がするよ…」
「私もよ。ずっとダンジョンの中だったんだから」
「外の空気がすいたい」
思い思いのことを口にしながら、3人はいままでいたダンジョンを振り返る。ダンジョンで起こったことが、3人の頭の中を、思い出として流れていく。
「そういえば、最初はネクロに襲われたんだっけ?」
「うっ、そ、それは…」
「うん、魔物と勘違いされて」
「そ、その件に関しては、まことに申し訳なく思っております…」
罰が悪そうに言うネクロを見て、二人はクスリと笑うと、ネクロの腕を、それぞれ抱き寄せた。
「り、リンネ!?ノルン!?」
「別にもの気にしてないわよ。それに、それがなかったら、こうしてネクロにあうこともなかったんだから」
「うん、ネクロと出会えて、よかった」
二人はそういうと、ネクロの腕を同時に引き、すこしかがませると、
ネクロの頬に、そっとキスを落とした。
「ッ!!」
顔を赤くしてうろたえるネクロ。やったほうも恥ずかしかったのか、ネクロに負けないくらい顔を赤くしつつも……、リンネとノルンは、満面の笑みを浮かべた。
「これからもよろしくね、ネクロ」
「よろしく」
よし、なんとか二章まで書き終えたぞ…。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。今後とも、中二幽霊をどうぞ、よろしくお願いします。
さて、この後は、閑話を一つ挟んで三章に突入です。




