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砂の丘を越えて  作者: 潮見若真
第二章
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都市2 ―イプシロン―

(ここだ!)


 動きの遅い、教室一のボロ端末「イプシロン」に向かって、ユウキは心の中でつぶやいた。


 端末を起動させた直後、ログイン画面が表示される前に一瞬、見慣れない文字の羅列が映る。

 瞬間のこと、見たことのない文字で内容は分からないのだが、どうやら、通常最初に現れるはずのID入力画面の前に、もうひとつユーザー選択画面があるらしい。謎のユーザー選択が表示されるのは、ほんの一瞬。コンマ何秒というレベルだろう。そうだと分かって、注視していなければ気づかないような、些細な間だ。そして、すぐにユーザー名「STUDENT」が自動選択されてログイン画面が表示される。


 イプシロンは、動作はのろいが慣れてしまえばそれほど不自由はない。キー入力を上手く認識してくれない問題も、クセを把握して注意して打てば、一人だけ授業の進みに置いていかれるほど手の掛かるものでもない。

 それよりも、扱いを心得てみると、なかなか人に懐かない動物を手懐けたような優越感を、ユウキは味わっていた。この端末を使いこなせるのは、おれだけだ。


 そもそも、遅刻をしなかったところで毎朝クラスで一番遅く登校するユウキには、他に席が残されていない。そこで、発想の転換を思いついた。

 「ひとつ、イプシロンを使いこなしてやろう」というのだ。

 そうして時間の空くたびいろいろいじっているうちに、起動画面になんとなく違和感を持ったのだ。

 食い入るようにスクリーンを見つめ、他の端末では見られないその画面をついに今はっきりと確認して、ユウキは椅子にもたれてため息をついた。


 つまり、容量オーバーなのではないか。

 それでなくても旧式なのだ。もうひとつのユーザーアカウントがあったとして、そちらに重いデータが入っているのなら、そのせいで動きが悪いのかもしれない。

 誰かが悪戯で、個人アカウントでも作成したのだろうか?

 もともと教室の端末に個人的な設定をすることは禁止されている。余分な情報を削除することに抵抗はない。

 腕を組んでモニターを見つめたまま考え込んでいると、後ろから肩をたたかれた。


「よ、今日は早いな」


 友人のシュウが、いつのまにか横に立っていた。


「ああ、まあな」


 イプシロンのことが気になって、早く来たのだ。シュウは、珍しく予想外の時間に来た友人をいぶかしげな表情で見る。


「どうしたんだよ、嫌がってなかったか? ポンコツ端末って。まだ他のも空いてるだろうに」


 その通りだった。クラスメイトはまだ全員揃っていない。ちらほら空席が目に入る。そんなこと気にも留めずにまっすぐここに来た自分に、ユウキは自分で苦笑した。


「いつの間にそんな仲良くなったんだよ」

「これからだよ。まあ、見てな」


 手元の時計で時間を確認すると、ユウキはいったん端末の電源を落とす。

 始業時間まではまだ時間がある。謎の画面をシュウにも拝ませてやろう。なかなか次の動作に移らないイプシロンをもどかしい気持ちで見つめていると、シュウはいったいなんなのかという風に肩を竦め、前の席に座った。


「そんなことよりさ、ユウキ、『奉仕作業』はどうなんだよ」

「ん? うまくいってるよ」


 画面を凝視しながら答える。

 トキタ博士のところで「奉仕作業」を始めて、まだ二日だ。どうもこうもない。が、シュウは興味津々の顔でユウキの報告を待っている。


『うさんくせえ。大丈夫なのか? そんな仕事。ペナルティーにしては甘すぎるんじゃないか?』


 昨日トキタの話をしたときの、シュウの第一声はそんな感想だった。噂どおりこの教室から消えるようなことがなかったのに安心した反面、ユウキの罰が思いがけず軽かったことをつまらなく思っているのがにじみ出ている。連日の清掃活動でクタクタ、とか、壁の見張りで怖い目にあった、とか、そんなネタを期待していたに違いない。

 実はユウキ自身も内心「おいしすぎるんじゃないか」などと思ってはいたのだが、脅えた様子で友人を面白がらせるのもシャクなので、「全然平気。むしろうらやましいだろう?」という顔をしておいた。


『だいたいさ、遅刻がちょっと多かったくらいで、そんな厳しい罰はないだろう』


 シュウは物足りなげな顔をしつつもトキタ博士の話には興味を持ったらしい。

 この友人に限らず、前時代の話は都市の子供たちの関心の的だった。

 教室の前のほうに目を転じれば、今朝も、転入生エリを中心に生徒たちの輪ができている。

 それほど古い話でもないのに、当時を知っているはずの大人が周りにいないから、知ることができない。手の届くところに旧時代の遺物が残されているのに、実態がはっきりしない。そこが、好奇心を誘うのだ。

 テレビゲーム、映画鑑賞、スポーツ。都市の子供たちが暇をつぶす娯楽はあるけれど、前時代の話は唯一、彼らが好奇心という主体的な関心を持って向かうものだった。


「トキ……? 何だっけ、博士?」

「トキタ博士……って、呼んじゃいけないんだった」

「あ? じゃなんて言うんだ?」

「おじいさん」


 シュウは呆れた様子でため息をついた。


「……なに言ってんだか。昨日も夕食の時間、食堂に来なかっただろ。遅かったのか?」

「待ってたのか?」

「別にぃ。いないなーと思っただけ」


 ユウキの机に肘をついて、シュウは興味なさそうに答えた。特に約束しているわけではないが、夕食の時間は食堂で一緒になるのが日課だった。それを言うなら、クラスのほとんどの生徒と一緒になるが。


「ただ話してるだけだよ。夕食は博士んとこで食った。なんか手作りとか言って、……なんて言ったかな、むかしの料理だって。米の上に黄色いドロドロしたスープがかかってんだ」

「げーっ、気持ち悪りい。何だよそれ」

「おれも最初はそう思った。においがすごくてびっくりしたけど、結構うまかったよ。お前にも食わせてやりたいよ」

「いらんいらん」


 シュウは顔をしかめて手を振った。


「ほかにも、見たこともないものがいろいろあるんだよな、あの部屋って」


 知らない文字の書物。甘いにおいのするタバコ。米で作ったという菓子。

 満面の笑みで、ユウキのために腕を振るったという前時代の料理を皿に盛る老人。他人からそんな「もてなし」を受けたことのないユウキは、心底うれしそうな様子のその老人に、どうして、と懐疑的になる一方で、こそばゆいような気持ちのいいような、暖かい感情が湧いてくるのも無視できなかった。だから、喉に引っ掛かった棘のような猜疑心を取り払いたくて、聞いてみた。


『なんでそんなにうれしそうなんですか?』


 トキタ博士は、宙に目をやって、少し考えてから言った。


『きみは誰かの手料理を食べたことがあるかい?』


 ない。と答えた。そもそも料理は「作る」ものではない。出来ているものを食べるだけだ。


『私は食べさせてもらったことはあるが、食べさせるのは初めてだよ。ずっとやりたかったんだ。うれしいもんだよ。家族に手料理をふるまうというのは。もっと早くに知りたかったよ』


 一瞬、諦めたような、寂しい色が目に浮かんだのを、ユウキは見逃さなかった。だが、老人はすぐに笑顔を取り戻し、


『あとは、きみがおいしそうに食べてくれれば、私の夢が実現だ』


 ユウキは二日目にしてようやく、自分の「仕事」を本当に理解したと思った。


 求められているのは、単なる話し相手ではない。目の前のこの老人の、架空の――もしかしたら本当にいたのかもしれない――息子だか孫だかの役を演じることなのだ。どういう理由かは知らないが、彼は本当にそれを望んでいるらしい。

 そう思うと、少し気持ちが楽になった。規則違反のペナルティーがこんなに軽いものなのかとか、老人の笑顔の裏に何か罠が隠れているのではないか、とか、そんな心配はひとまず置いておくことができる。これはれっきとした「仕事」なのだから。

 そして、この仕事は決して楽ではない。なぜなら自分は、家族がどういうものか、おじいさんと孫という関係がどんなものなのかをまったく知らないからだ。


 そして――ひとつの疑念が消えると同時に、どこか頭の隅で、ほんの少しの落胆を感じているらしい自分に驚いた。

 この老人が昨日から見せている笑顔は、自分のためのものではないのだ。

 彼の優しいまなざしは、演技をしているだけの自分を通り越して、誰か別の人間を見ているのかもしれない――。


 イプシロンが、カタカタといつもの怪しげな音を立てて、ゆっくりと起動する。その音に、ユウキは我に返った。前の席に座っているシュウの胸元を掴んで引き寄せると同時に、ディスプレイを九十度回して友人に見える角度にする。


「ここだ、よく見てろ」


 ほかの端末では最初に出てくるはずの青いログイン画面の前に、一瞬浮かぶ、緑と橙色の二色に上下が分かれた画面。今度は下の橙色の方にマウスポインターが移動するのが見えたような気がした。が、一瞬のことで、すぐに通常の青い画面になる。


「見たか?」


 目を上げると、シュウの顔がすぐ近くにあった。予想通り、不思議そうな顔をしている。


「なんだ、今のは」

「『生徒』のほかに、もうひとつユーザーが設定されてるんじゃないかと思うんだ」

「おれたちのほかに? 誰がいるんだよ」

「分からない」

「ふうん」


 シュウはやはり興味なさそうにディスプレイから顔を離し、椅子に座り直した。わざわざ再起動させて、これだけか、といわんばかりだ。


「なんだよ、すごい発見じゃないか?」


 頑張って早く起きたユウキには、友人のこの反応は不満である。


「ハッ、だって、ほかのユーザーがいたからなんだって言うんだよ」

「この端末だけ、ほかのと違って情報量が多いんだ。だからこんなにいちいち反応が鈍いわけ。型が古いってのもあるけど、容量を減らしたらもうちょっとマシになると思わないか?」


 シュウはまたしても、つまらなそうに「ふうん」と気の抜けた返事をした。

 そんな友人の反応を尻目に、浮かれる指でキーボードをたたき、いつもの青い画面にIDとパスワードを入れるユウキ。

 不満よりも、自分の計画への期待が勝って、浮かれていた。

 誰からも嫌われるボロ端末を、もう少し使い心地のいいものにしたい。自分にだけ懐く機械を作るという小さな野望に胸が躍る。めったにわくわくするようなことのないこの生活では、それだけでもすごい冒険のように思えた。


 ――それだけだ。

 この端末のもうひとつのユーザー画面などに興味を持ったわけではなかった。

 この時は、まだ。

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