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砂の丘を越えて  作者: 潮見若真
第二章
6/29

都市1 ―トキタ博士―

 鉄製のドアの向こうから、音楽のようなものがかすかに聞こえた。

 耳慣れた電子音ではない。もっと深くて重くて、頼りない。それなのに。かすかにこぼれてくる音だけでも、心地よく体に響く。機械の音よりも、人間の体温にもっと近いのかもしれない。どこで聞いたのか記憶にないが、初めてではない気がした。


 なんの音楽だろう。

 もう少し聞いていたい気持ちを抑えて、ユウキはインターホンに手を伸ばす。


 今日は遅刻するわけにはいかない。左手首にはめたデジタル・ウォッチを一瞥する。

 2099/10/16 14:55

 衛星から送られてくる時刻は正確だ。


 ドアの向こうで、インターホンの無表情で無粋な電子音が音楽をかき消す。がっかりした気持ちが半分。あとの半分は、ドアの中に向こうにいるであろう人物の返事を、緊張とともに待つ。


 遅刻常習のペナルティとして与えられたのは、ただ「八四‐B地区へ行き、指示を仰げ」というわけのわからない指令だった。

 奉仕作業のペナルティといえば、掃除などの雑用や、地区・階層間の違法移動者の見張りが定番だ。……といっても、まだやったことはないし、周りにやったことのある人間もいない。そういうものだという、それは噂に過ぎないが。

 友人に散々脅かされて、そうとは表に出さないながらも心の中には不安いっぱいで、乗り慣れない「階層間高速エレベーター」に乗り、生まれて初めてこの地区へ足を踏み入れた。


(まさか噂が本当ではありませんように。そうかといって肉体労働でもありませんように。危険な仕事でもありませんように。怖い上司がいませんように……)


 ……などと祈りつつ、同じようなドアが並ぶ、無機質な長い廊下を歩いて目指す三〇七号室のドアにたどり着くころには、もう腹を括ったような気持ちになっていた。


 来るなら来い。


 ……ところが。


「はあい、どうぞぉ。空いてますよお」


 インターホンから室内の音楽とともに聞こえてきたのは、なんとも間の抜けた、やや低めの老人の声だった。

 緊張感が、ガタガタと音を立てて崩れる。肩の力が抜ける。

 いけない。やさしそうな声だからって、労働内容までやさしいとは限らない。

 ここは警戒心を持って臨むべきだ。


「失礼します……」


 おずおずとドアノブに手を掛け重い鉄製のドアを手前に開く。音楽が、ダイレクトに耳に入る。……と。


「うわっ」


 視界に飛び込んできたのは、白い煙一色。

 室内に踏み込む前に、ユウキは反射的に目を閉じ口もとを覆って咳き込んだ。


「火事ですか!」思わず叫んだが、それにしてはこの煙の甘いにおいは……。


「ああ、すまんすまん。大丈夫かね?」


 大してすまないとも思っていないであろう、笑いを含んだ声で尋ねられる。

 なんとか涙をこらえて目を開けると、部屋の真ん中に置いてある大きなテーブルの向こうで、老人がパイプを片手に壁の換気スイッチに手をやっているところだった。煙と同じ色の白髪。目尻や額には深いしわがある。高齢に見えるが、小柄ながらしっかりとした体格で動きもてきぱきしている。


「いや、医者には叱られるんだがね、煙の中で音楽を聴いていると落ち着くんだよ。ちなみにお気に入りはこのバニラフレーバー。いい香りだろ。この都市ではなかなか手に入らん貴重品だよ。ああ、もうドアは閉めてくれ」


 言われてドアを閉め、室内へ踏み込もうとした瞬間、


「でっ」


 脛の辺りが軽いものを蹴った。どさどさと、音を立てて何かが崩れる。見ると、大量の本がユウキの足元に散らばっていた。本の山を崩してしまったらしい。


「わっ、すいません」


 慌てて拾おうとすると、


「いいよいいよ、そのままにしておいてくれ。後でなんとかするから。悪いね、モノが多いから気をつけて」


 たしかに、煙の中に、無数の本の山が積まれているのが見えた。さらに入り口の横と、両側の壁には作り付けの棚があって、本がぎっしり詰まっている。どこの言葉なのだろう、ユウキには読めない、見たこともない文字の背表紙がほとんどだった。

 そもそもこの都市で、本というものを見かけること自体あまりない。

 テーブルの向こう、奥の壁際には、コンピューターや機械類が雑然と並べられている。


 老人がその機械のひとつを操作すると、それまでかかっていた音楽がぷつりと消えた。ユウキは少々残念に思ったが、それを表情に出す間もなく老人がそのまま立ち上がり、つかつかと近づいてきた。

 老人はユウキの目の前までやってくると、服の仕立てを検分でもするかのように、ユウキを下から上までじっくりと観察する。そして視線が顔に留まると、さらに顔を近づけまじまじと見つめ出した。

 生活圏ではまず見かけない老人の顔のどアップと、嘗め回すように見られる居心地の悪さに、ユウキは思わず身を硬くして立ち尽くしてしまう。

 すると老人は、歳に似合わないいたずらっぽい表情でにやりと笑い、手を差し出してきた。


「ユウキくんだね。私はトキタ。よろしくな」

「はあ、よろしく……」


 でも、何を? そう思いながら、あいまいな返事をして握手に応じると、思わぬ力強さで握り返された。


「そこに座って。コーヒーには砂糖は入れるかい? まあ必要なだけ入れてくれ。ちょっと換気に時間がかかるんだがね、見えるようになったかね?」

「ええ、なんとか」


 まだ視界が白く濁っているが、座ればいくらかマシだ。

 トキタはミニキッチンのサーバーに入っていたコーヒーをカップに注いでユウキの目の前に置くと、自分もテーブルの前の背もたれのない丸椅子に浅く腰掛けた。

 コーヒーは、いつもユウキが飲んでいるものよりもかなり苦く、濃い味がした。

 ペナルティを受けにやってきたのに、椅子に座らされコーヒーなど出されている状況に、釈然としない気持ちでトキタに目をやるが、トキタはその辺りのことはなんとも思っていない様子で苦笑混じりに言葉を継いだ。


「きみがここで『仕事』をする間はタバコは自粛しようと思ったんだがね、悪かったね。まだ五分あると思ったら、つい……ああっ、まだ五分も前じゃないか。早かったね。きみは遅刻の常習犯で罰を受けているんじゃなかったかな」

「朝に弱くて。それより、ここで仕事って? おれ、何をするんですか?」


 やっと本題にたどり着けた。ここで切り込んでおかないと、この陽気な老人は世間話でも延々と始めそうだ。そう思ったら。


「世間話だよ」


 トキタ博士はこともなげにそう言った。


「はい?」


 それはどんなに恐ろしい罰なんでしょう……じゃなくて。そもそもそれは、罰なのか?


「事務センターで聞いていなかったかね?」

「全然。だって、ペナルティって、掃除とか見回りとかじゃないんですか?」


 要領を得ない様子のユウキに、トキタは意外そうに背を反らして目を丸くした。


「掃除といえば、ここの資料整理も手伝ってほしいが……そうか。たしかにかにな、罰則内容としてはイレギュラーなものだから、プログラムが処理しきれんかったのかな……」


 独り言のように言って、ひとつ首を振り、またユウキに目を戻す。


「いや、こんな奉仕作業を頼むのも私が初めてなら、受けるのもきみが最初だろうよ。だが私はずっとこの仕事をしてくれる人を探していたんだ。私は学者なんだがね」

「なんの研究をの研究をしているんですか?」


 ユウキはテーブルの上に積まれている数冊の本に目をやった。手の平に乗るくらいの小型の本だ。紺色と白の表紙に、本棚のたいていの本と同じように、この本の表紙も四角張った見たことのない文字で書かれていた。


「歴史研究だよ。知っての通り、現代の社会は第三次世界大戦前と大戦後で分断されてしまっていて、文化や歴史が繋がっていない。大戦前の、一般社会について記した資料が少ないんだな。そこで、それを記録して後世に伝える資料を作るのが、私の仕事だ」


 言いながら、トキタは立ち上がり、歩いて正面の大きなデスクの横に立つと、そこに載っていた本を一冊手に取ってユウキに見せるように軽く掲げた。


「だが、ここにこもって、こんな本ばかり読んで研究漬けの生活を送っているとね、今度はどうも、現代の一般社会のことが分からなくなってしまう。そこで、軽く世間話ができる相手を探していてね」


 なるほど、そういうものなのだろうか。でも……。


「でも一般社会って言っても、おれも学校や身の回りのことしか知りませんよ」


 限られた人間関係と生活範囲の中で、一方的に与えられるわずかな情報にしか触れられず、選択の余地もない、変わりばえのしない日常。面白い話題があるならおれが知りたい、と思う。


 しかし、トキタ博士は目尻のしわをいっそう深くして笑い顔を作った。


「それでいいんだよ。学校はこの社会の基本だからね」

「そうですか?」


 老人の言葉に、わずかな引っ掛かりを感じた。が、それを確かめる間もなく、博士は言を繋ぐ。


「知っているかね? むかし、まだこんな地下都市ではなくて人間が地上で、空の下で生活していたころは、大人も子供も同じだけいて、一緒に社会を作っていたんだよ」

「はい、話には聞いたことがあるけど……それに、映画やなんかで……」


 博士は満足そうに、顔いっぱいの笑顔になる。


「家族単位で生活していてね、子供が家に帰ると、親やきょうだいがいたり、祖父母がいたりするのさ。そうすると、子供は彼らの家族に、その日一日の学校での出来事を話したりする。友達がなんと言ったとか、テストで何点取ったとか、先生にほめられたとか叱られたとか、他愛もない話だ」

「はあ……」


 家族で暮らしていたという話は聞いたことがあるし、映画やテレビでも見た覚えはあるのだが、それが実際にどんな生活なのか想像がつかなかった。


「私が子供のころはそうだったね。大人になったら、今度は子供や孫とそんな会話をするんだろうと想像していたが、それよりも前に世界は崩壊し、家族と暮らす生活はなくなってしまった。だけど、一度それらしいことをやってみたいのさ。本から得るばかりでなく、実体験としてね」


 話しているトキタの顔に一瞬寂しそうな影が過ったように見えたが、すぐに微笑を取り戻し、手に持っていた本をデスクに放り出すように戻した。


「きみはただ、十五日間毎日ここに来て、私と数時間おしゃべりをすればいい。どうだい。掃除や見回りに比べれば楽だろう」


「どうだい」と言われても、そもそもこれは規則違反者に与えられたペナルティであり、ユウキに拒否権はないのだ。


「そういうことだから、私のことは家族……そうだな、おじいさんだとでも思って、気安く話してくれ。ああ、『家族らしい』というのがよく分からないかな。とりあえず、改まった話し方をしなくていいよ。遠慮もなしだ。コーヒーをもう一杯飲むかい? 別の飲み物にするかな?」


 たしかに楽そうだ。ここでコーヒーを飲みながらこの人のよさそうなおじいさんと話をして、雑用やなんかを手伝って。なんならこの乱雑な部屋を、整理整頓してやってもいい。細かい作業は嫌いじゃない。煙はきつそうだが自粛すると言っているし、肉体労働よりは楽だろう。

 少なくとも。明日も普通に学校に行けそうだ。


 どんなに厳しい罰則を命じられるのかという不安がなくなり、心が晴れた気分だった。

 だが。

 ユウキの心の中で警鐘を鳴らすものがあった。


 おいしい話には裏がある。

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