第一話 石打丸
昔むかし、信濃の山奥のそのまた奥に、
まずしい木こりの夫婦が住んでいた。
ふたりは年寄りだったが、子供がいなかった。
そこで、女房が天神さまの山に願かけをした。
するとすぐに、男の赤ん坊が生まれた。
赤ん坊は、みるみるうちに大きくなった。
なるにはなったが、これが大変ななまけもので、すこし頭が弱かった。
木こりの仕事を手伝わずに、
石をけずって遊んでいたので石打丸と呼ばれた。
石打丸は驚くほどの大きな体をしていたが、動きもとてものろかった。
おまけにとてつもなく醜い顔立ちをしていた。
石打丸は、石像を造るのが好きだった。
石打丸の造る石像は、なかなか見事なものだったが、
日がな一日石彫りに夢中になっている石打丸をみて、
父親はたいそう悲しんだ。
「石打丸には、まったく困ったものだ。
体が大きいばかりで、ほかにはなんの取り柄もない。
やることといえば、ただ人の倍の飯を喰い、
わけのわからぬ石の像を彫っているだけだ。
これで少しでも整った顔だちをしておればまだ救いはあるというものだが、
あの顔ではあれに情けをかけようなどという者もないに違いない。
天神さまの授かりものだというのに、 術ないことだ」
村の人々は、石打丸の石像を馬鹿にしていた。
「石打丸の石の像
めしも喰らわぬでくの坊
でくの坊ならまだよいが
石打丸はめしを喰う
でくの坊の穀つぶし」
村の人々は、そういって口々に囃したてては、石打丸をいじめていた。
石打丸は頭が弱かったので、彼らがなにをいおうとしているのか、
よく分からなかった。
それで、囃したてる村の悪童たちに、笑顔で手を振ったりした。
すると村人たちは、ますます、
石打丸のことを馬鹿にして笑い転げるのだった。
そんな村人たちの中にも、石打丸のことを馬鹿にしない者がいた。
それは、わらじ屋の娘で、名をたえといった。
たえは、幼少の頃から、近所で評判になるほどの、醜い娘だった。
その醜さは、
“たえに持たせると、とれたてのイワナも腐る”
だの、
“たえの触った、裏山の一本杉がねじまがった”
だの、
そういう噂が出るほどのものだった。
しかし、たえは優しい心の持ち主だった。
ある日、天神さまへと続く小道を、たえが一人で歩いていると、
境内へ向かう石段の脇に、一体の石像が置かれてあった。
たえが近寄ってみると、それは日だまりに佇む猫の像だった。
猫は、うっとりと目を細め、日の光を受けて、
いかにも気持ちよさそうだった。
たえは、その石像を眺めているうちに、
心の中に、なんともいえぬあたたかいものがこみあげてくるのを感じた。
それからというもの、たえは石打丸の家にたびたび出向いて、
石打丸のわらじを直してやったり、
石打丸のために握り飯をこさえてやったりした。
そして、石を掘る石打丸の傍らにいて、流れる汗を拭ってやった。
石打丸は、今まで、人から優しくされたことがなかったので、
たえのそのような親切に大変驚いて、
「なでられたのに、なんでなみだがでるだ」
といって、泣いた。
程なくして、二人は割りない仲となり、祝言をあげることになった。