桃源郷
続きです、よろしくお願い致します。
「ア……? 私ノウで、どコ?」
ミクリスは何が起きたのか理解できない様で、キョロキョロと自分の手と少女を見比べている。
俺の目には、少女がゆらりとミクリスに近付いて、気が付いたらその右腕とナイフが消えていたって感じなんだが……ミクリスの腕からは血が出ている様子も見えない。
――キュポンッ!
「野菜…………………………」
そして少女は羽衣ちゃんをその腕に抱き込むと、羽衣ちゃんの目をジッと見ながらそう呟く。
「な、え、い、いツノ間に……?」
ミクリスが我に返った様で、羽衣ちゃんと少女を驚いた表情で見ている。
そんなミクリスを無視して、羽衣と少女は見つめ合っている。
「お野菜、食べるの……?」
「野菜、食べるの……」
羽衣ちゃんの質問に、少女がコクリと頷く……。
羽衣ちゃんは「うん!」と言うと、少女から離れバーベキューの残りを積んだ皿を取りに行く。
それを見ていたミクリスは、自分の事を無視されている事に怒ったのか、地面を何度も何度も踏みつけ叫ぶ。
「わ、私を無視すルンじゃァナい!」
灰色の肌を若干真っ赤にしながら、ミクリスが「『尾断』!」と叫び、スキルを発動する。
ミクリスから離れた尻尾は地面を這いながら、少女の身体にウネウネと巻き付き始める――。
「へ、へへ、私の腕を奪っテクれた罰……。どうしてくレマしョうか……」
舌なめずりをしながら、尻尾に巻き付かれた少女に近付くミクリスだったが、顔色一つ変えずにボーっと立っている少女が癇に障ったのか、再び地面を蹴りつける。
「お前は! もう、手も足も出なインですよ! 泣き叫ベよ! 許シヲ請えよ!」
ミクリスが叫ぶのも気にせず、少女は尚もボーっとしている。やがて、ふと、何かに気付いた様にミクリスを見て呟く。
「野菜、まだ……?」
「――っ! このガキィ……『断舌』!」
堪忍袋の緒が切れたのか、ミクリスはスキルを発動し、その舌で少女を殴ろうとする。
しかし、ミクリスの舌が少女に届くことは無かった――。
「あ、ひゃ……? わひャヒの、ひはは!」
ミクリスの舌は、先ほどの右腕同様に血を流すことなく、消え去っていた……少女に巻き付いていた尻尾と共に。
そして、少女はミクリスを見ながら、うんざりと言った感じの表情を浮かべ、自身の唇を舌でぺろりと舐める。
――キュポポンッ!
「……違う……」
呟くと同時に、ペッペッと舌を出す少女。
「ひャ……びゃきゃひひへんほは!」
ミクリスは少女に襲い掛かる――。
少女はゆっくり、のらりくらりとした動作で、ミクリスの突進をかわし、すれ違いざまに一振り、その手に持つ剣を振るう。
――キュポンッ!
「……やっぱり、違う……えっと……不味い?」
気が付けば、ミクリスの右足が消えている……。少女は苦虫を噛み潰したような顔をしながらペッペッっと何度も舌を出している。
何かのスキルなのか、ミクリスの一部が消えて、変な音がして……少女が苦い思いをするスキル……? 何だ、そりゃ。
その場は異様な雰囲気に包まれていた。
少女の動きに目を奪われポカンとしている俺達、嬉々として野菜を皿に盛っている羽衣ちゃん。そして、突然、足を奪われその場に這いつくばるミクリス――。
そんなミクリスに向かって、少女がゆっくりと近づいて行く……。
「ひゅ……ひゅるひゃ、ひょひゃいひぇひゅひぇ!」
ミクリスは訳が分からず恐慌状態に陥っている。そりゃあ、こんな少女に手も足も出ないんじゃ、なあ……。
「あなた……不味い……野菜……食べる……」
そして、少女は踊らせる様にクルクルと剣を振る――。
「ひ……ひふひょー!」
その言葉を最後に、ミクリスは完全に姿を消した……。
――キュポンッ!
「野菜食べたい……」
再び、ペッペッっとする少女。
俺達は未だ声を上げられず、少女の様子を伺っている。
「お姉ちゃん……お野菜……」
そこに羽衣ちゃんが来て、野菜の盛られた皿を差し出していた。
羽衣ちゃんは、ミクリスがもういないか不安だったのか、キョロキョロと見回している。
「大丈夫、不味いの、追い払った」
少女が皿に釘付けで、羽衣ちゃんに告げ、「食べる……良い?」と尋ねている。
「う? どーぞ!」
羽衣ちゃんの許可を貰った少女は、満面の笑顔を浮かべ野菜に喰らい付く……。
「あ……えっと、もう大丈夫なんか?」
いち早く我に返ったサッチーが、少女におずおずと尋ねる。少女は暫く何か考えていた様だった。
「お姉ちゃん、大丈夫な時はこーするの!」
羽衣ちゃんが、拳を握って親指を立てる。少女はそれを見て、コクコクと頷くと、サッチーに向かって同じ様に親指を立てる。
「そ、そうか……サンキュな?」
ホッとしてその場に座り込むサッチー。
「取り敢えず、サッチー……俺達を何とかしてくれ」
ミクリスは消えたが、俺達は未だに縛られ、力が入らない……。ハオカ達も結局抜け出せずに、ヘロヘロになってるし……。
「あ、わりいツチノっち! ダリーちゃん、やんべ?」
「あ、そうですね……。ちょっと、待っててください! もうワンショット……」
気付けば、ダリーは羽衣ちゃんと少女をひたすら激写している。もしかして、ダリーが動けなかったのって……? いや、そんな事は無い筈だ……信じよう。
「あ、すんまへん……うちとタテからでええどすか……? 存在、消えそう……」
ハオカが真っ青な顔で告げると、サッチーとダリーは大慌てでハオカとタテに駆け寄る。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
キャンプから遠く離れた地――。
ここに一匹の爬虫類タイプの魔獣がズルズルと這い回っていた。
左腕一本だけになった魔獣――人型を維持できなくなったミクリスはズルズルと這いずり、少しでも椎野達がいる場所から離れようとしていた。
「アルジ……アルジィ!」
ミクリスは「助けて」と震えながら、少しずつ、少しずつ進んでいく。
少女が最後の一振りを振るう、その瞬間――。
ミクリスは残りの手足を切り離し囮とするスキルの効果によって、瞬時に逃亡する事に成功していた。
しかし、逃亡に成功した時点で人型を維持できなくなり、魔獣の姿でズルズルと這い回っている。
「こ、ここまで、来れば……『回収』……!」
ミクリスは椎野達を縛っていた尻尾をエネルギーとして回収する……。
やがて、回収できるモノを全て回収したミクリスは呟く。
「クソ……右腕も、左足も……駄目か……」
人型に戻る事は出来たものの、全て元通りと言う訳にはいかなかった。
「こうなったのも……あのメスと、訳のわからん命令を出した、主達のせいだ……。覚えていろ……この恨み……絶対に忘れませんよ!」
ミクリスは復讐を誓い、這い回り続ける。
――この時、ミクリスは気付いていなかった……自身が主達に恨みを抱けていると言う事の意味を……。
「覚えていろ……覚えていろ……」
ミクリスは恨みの声を止める事無く、アジトへと戻っていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、消えた……」
俺達を縛っていたミクリスの尻尾は、突然消え去ってしまった。
「ミクリスがやられたから……か?」
それにしては、時間がかかった様な……?
「旦那さん……」
「父上ぇ……」
「ん? うわぁ!」
俺が考え事していると、ハオカとタテが俺に倒れ込む様に抱き着いて来た。
「ど、どうした?」
「うち達、あの尻尾のせいで力を吸われて……」
「父上から、力を貰わないと……」
どうやら、ハオカとタテは尻尾との相性が非常に悪かったらしく、暫く俺の傍にいないと、立つ力さえ出ないらしい。
「旦那さん、抱っこ……?」
「あ、僕も……」
そんな訳で、暫くの間(ハオカ曰く、一晩ほど)俺は背中にハオカ、お腹にタテをくっつけて過ごす事に……。
「すごい格好ですね……椎野さん?」
ピトちゃんと手を繋いだ愛里がクスクスと笑いながら、俺達に水を差し出してくれる。悠莉とミッチーもその様子――「「ヴァー」」と唸りながら俺にしがみつく二人を見て苦笑している。
「で、どうするの……?」
「どうするって?」
悠莉はあごでクイッと少女のいる方向を示す。
「そうッスね……ただの行き倒れってわけじゃなさそうっスね」
「でもなぁ……」
少女たちの様子を見ると、羽衣ちゃんが差し出す串に少女が食い付くと言った感じでじゃれ合っている。それをダリーが激写している……。後で、データ貰おう……。
あれ見てると、別にそんなに警戒しないでも良い気がするんだけどなぁ……。
「良しっ! ちょっと、話聞いてみるか!」
俺の提案に、皆もコクリと頷く。
「ちょっと、良いかな?」
「あ、おじちゃん、お姉ちゃん、すごいねぇ?」
羽衣ちゃんが、俺に改めて見せつける様に、野菜の串をポイポイと少女に向かって投げる。少女はそれを全て口でキャッチし、串だけを器用に吐き出す。
「うぉ……マジですげぇ……」
「でしょお?」
俺がビックリすると、羽衣ちゃんが「どうだ!」と言わんばかりに鼻息を荒くする。
って、違う違う……。
「えっと、まずは、羽衣ちゃんを……俺達を助けてくれてありがとう」
俺は気を取り直して、少女に感謝する。
「羽衣ちゃん……?」
少女はキョトンとしながら、やがて「この子?」と羽衣ちゃんの頭をグリグリしながら聞いてくる。
俺はコクリ頷き、もう一度「ありがとう」と告げる。
「気にしないで……やりたいから……やっただけ」
「はは……それでもだよ?」
俺はそう言うと少女の頭を撫でて三度目の「ありがとう」を言う。少女は相変わらずキョトンとこっちを見ていたが、俺の感謝の気持ちが伝わったのか「分かった」と言ってくれた。
そして、お礼をしたいと言うと「もっと、野菜」と言う事なので、改めてバーベキューをする事に……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「え……? じゃあ、あんた自分の名前、知らないの?」
悠莉に異常な興味を示していた少女に対して、悠莉が名前を聞くと、少女から返って来たのは「名前……?」と言う回答だった。
少女は段々、緊張が解けてきたのか会話するうちに、少しずつ言葉数が増えていった様に感じる。
それだけに、名前が分からないと言う事態が悠莉にとっては大事件に感じたらしく、急きょ、少女の名前(仮)を付けよう、と言う流れになった――。
「あ、野菜、焼けたっス」
どうやら、少女の中では自分の名前よりも野菜が重要な様で、ミッチーの声に反応して素早く食らいつく。
「名前ねぇ……」
焼き係のミッチー以外が頭を捻って考えていると、羽衣ちゃんが手を上げる。
「はい、羽衣ちゃーん?」
「うい、『もも缶』が良い!」
その言葉に思わず、ずっこけてしまった。
「あんっ! 旦那さん、そないに急に動かいでおくれやすな?」
「父上ぇ……ビックリしましたぁ……」
「おお、悪い悪い……。羽衣ちゃん、流石に人にその名前は……」
「う? ダメ? お姉ちゃん、もも缶みたいで美味しそうなのに?」
――っ! 駄目だ……ここで、流されたら……少女が……。
「羽衣……『もも缶』って、何?」
多分「美味しそう」に反応した少女が、羽衣ちゃんに『もも缶』とは何かを尋ねる。
「あのね、あのね? 『もも缶』はきゅーきょくのグルメだって、パパが言ってたの! どんなおびょーきの時でも、『もも缶』さえあれば元気百倍だって! うい、知ってるよ!」
「それは……野菜よりも……?」
ゴクリと喉を鳴らし、少女が羽衣ちゃんに尋ねる。
「うん! うい、お野菜より『もも缶』が好き!」
少女はブルブルと震え「野菜より……いや……でも……」と何かを呟いている。
「無いの?」
羽衣ちゃんは少女に実際に食べて貰いたくなったらしく、俺達に『もも缶』が無いか、聞いてくる。
「いや、流石に無いわよ……ねぇ?」
悠莉が俺に苦笑交じりに聞いてくる。
……仕方ない。
「あるんだな……これが……」
寺場博士達が地球から来た時に持って来てもらった幾つかの荷物の中に『もも缶』が有ったから持ってきたんだが……。さては羽衣ちゃん、知ってたか……?
「はい、羽衣ちゃん」
缶切りと一緒に『もも缶』を渡すと、羽衣ちゃんはそれを得意満面と言った感じで少女の前で開けていく……。
「はい、お姉ちゃん! これが『もも缶』だよ!」
鼻息をふんふんと鳴らしながら、得意げに『もも缶』の中の桃を一切れ、少女の口に放り込む羽衣ちゃん。
――モキュモキュ……。
「………………………………………………ッ!」
少女は雷に打たれたように目をカッと見開き、ブルブルと震えている。
「お姉ちゃん……どぉ?」
少女は、ゆっくりと羽衣ちゃんに向き合い、答える。
「『お姉ちゃん』違う……『もも缶』!」
少女は涎をダラダラと垂らし、羽衣ちゃんに答える。
「良いの……?」
コクリと頷き、羽衣ちゃんに向けて口を開く少女――もも缶……で良いのか?
その後、俺達も苦笑しながら「まあ仮称だし……良いか……」と納得し、少女を『もも缶』と呼ぶことになった。




