遥かなる獣の雄叫び
続きです、よろしくお願い致します。
「ラッコちゃん!」
羽衣が笑顔を浮かべて、魔獣に飛びつく。
「う、羽衣ちゃん! 危ない! 離れてっ!」
「姫!」
魔獣――ラッコ男からの威圧に辛うじて耐え、意識を保っているダリーと、タテが足を震わせながらも羽衣を止めようとする。
「アコニアナフキソロソアゲラウェ、アモアダナナン……?」
しかし、ラッコ男の方も羽衣の行動は予想外だったらしく、目を点にして焦っている様に見える。
「人型……変異種……? もしかして、ジーウの変異種か! はははっ! オレはツイてる……遠足中の子供達と護衛を殺戮した変異種を退治するオレ……ああ、今回はこの筋書きで行こう!」
クリスは狂喜しながら、細剣を振り回し、魔獣達をけしかける。
すると、ラッコ男はクリスや魔獣達を一睨みする。
――同時に、クリスに向かって凄まじいほどの威圧感が再び、降りかかって来た。
「――っ! な、何だ! 何だ一体!」
クリスは信じられないと言った表情で目の前のラッコ男を見つめる。
――おかしい……ジーウの変異種は、非戦闘職の奴でも追い払えたって話じゃなかったのかよ。知らない……オレは……こんな恐ろしいモノ……オレは知らない!
気が付けば、クリスは地面に腰を下ろし、ガタガタと震えていた。
「ひ、ぁ、ぁぁあ、た、たすけて……」
その言葉に反応したのかどうかは分からないが、クリスの生み出した魔獣の群れは、只一匹のラッコ男に向かって一斉に襲い掛かる。
ラッコ男はクリスを見て、それから、向かってくる魔獣の群れを見ると、詰まらなそうに欠伸をし、自分の足からよじ登ろうとしてくる羽衣を摘み上げると、ダリーに向かって放り投げる。
「みゅ、ラッコちゃん、ランボー」
羽衣が文句を言うと同時に、魔獣の群れがラッコ男に喰らいつく――
――ゴリッゴリッ……
ラッコ男を噛む音だけが暫く響き渡る……やがて、その光景を見ていたクリスが、ガクガクと震える足で立ち上がると、声を同様に震わせながら叫び出す。
「み、見ろ! どんだけ威圧感があっても、所詮、非戦闘職でも追い払える変異種だ! こんだけの数に呑まれて、無事でいられるわけがないんだ!」
すると、ダリーに抱えられながら、羽衣がクリスに向かって抗議する。
「ひせんとーしょくって、おじちゃんの事?」
「あん? ああ、『サラリーマン』だっけ? ここにそいつもいりゃ、もっといい宣伝になったろうによ」
先ほどの恐怖を忘れ、すっかり調子付いたクリスは羽衣に向かって馬鹿にする様に答える。
「――ちがうよ……? おじちゃんは……『サラリーマン』はさいきょーなんだよ? さいきょーのライバルなんだから、ラッコちゃんだって、さいきょーなんだよ? うい、知ってるよ?」
次の瞬間――
「ぶぅるぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
凄まじい気迫を帯びた叫び声が響き渡り、ラッコ男を包み込んでいた魔獣達がその場から吹き飛ばされる事すらなく、消し飛ぶ。
その跡に何事も無かったかのように佇むラッコ男を見て、クリスは勿論、ダリーも、ハオカも息を呑み、金縛りにあったかの様に固まっている。
――やはり、あの時の変異種だ……間違いない。改めて……ツチノさん、あなた、おかしい! 何でこれに、ジョブもスキルも持っていない人が正気を保って向かい合えたの!
ダリーには、この場にいない椎野に、内心で不満を漏らしながら、声すら出せず、成り行きを見守るしかできなかった。
「アクネラレクツトチフジキネラヲ、メテラウキノノメコネカデラ、アカクク……」
ラッコ男はそう呟くと、魔獣達に噛まれたであろう自らの身体を見て、それから自らの失った左目を撫で、満足そうにニヤァっと凄惨な笑みを浮かべる。
次にラッコ男は、クリスの顔を見ると、魔獣の感情など分かる筈もない、ダリーや、タテや、クリスにでも分かるほど嫌悪と侮蔑の目をクリスに向ける。
「イオヤグリソヲドホニマ……ホトダヌオアレノウコゾネコノノメアガワ……グツブコジコトガマシケ、アキキヒネロソ!」
ラッコ男が何かを叫ぶと、その威圧でクリスは再び尻餅をつく。
「ひ、な、何だよ……お前……何なんだよ! 非戦闘職でもどうにかなる何てレベルじゃねぇ……お前も! お前を追っ払ったって奴もどうかしてる!」
クリスは腰が抜け、立つことが出来ないため、地面に尻を付け、地面を湿らせながらも後ろに、後ろにと下がっていく。
「クソッ! クソォ! 出ろ! 出ろ! 出ろぉ……!」
ズルズルと下がりながらも、クリスはスキルを振り絞り、魔獣を作り出していく。
ラッコ男は、追加されていく魔獣を詰まらなそうに腕を一振りしながら、次々と吹き飛ばしていく。
やがて、そのままクリスに接近すると、その頭を掴み、睨み付ける。
「ヒッ! 待て……待てよ! お前、魔獣だろ? 何で、何で人助けみてぇな事してんだよ! 大人しくそこのガキどもでも喰ってろよ! 何で、オレの栄光の邪魔すんだよぉ……」
クリスはその眼から、生気を失わせ、代わりに涙を流しながら、只管に「不公平だ……」「おかしいだろ……?」とブツブツ呟く。
ラッコ男は、そんなクリスを見ると、既にクリスに対して何の興味を持っていない様で、只々、冷たい視線を浴びせている。
「イアノミタクアルコ、ダナマシキ! エラソトットツ……ラカワホトクルソトンアウィオヌツブコザヌヨナマシカ、ガンアラカワハボトコナレアモ!」
何かを叫ぶと同時に、ラッコ男は掴んでいたクリスの頭から、手を離す。
「ぶぅるぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
続けて、地面を揺るがすかの様な叫び声を上げると、クリスが地面に落ちる前に、手刀を振り下ろし、その右腕を切り取る――返す手刀で、今度は左腕を切り取ると、流れる様にその腹に蹴りを入れクリスを遠くに蹴り飛ばした。
「グ、グギャァァアァァァァアアアアアアアアアアァッ!」
――クリスが彼方に吹っ飛んでいった後も、ダリー、タテは唖然として動けずにいた。
「ラッコちゃん!」
すると、満面の笑みの羽衣がラッコの頭に飛び付く。ラッコ男は先ほどまでの気迫が嘘であるかの様に、戸惑った表情を見せていた。
「……ひ、姫から……離れろ!」
しかし、タテが歯をカチカチと鳴らし、震えながらラッコ男の前に立ち塞がると、その表情を引き締め、やがて再び、凄惨な笑みを浮かべる――
「イオリソモ、アホノムルソニオイノネラ、イラハヤ!」
そして、頭頂部まで登頂した羽衣をゆっくりと下ろし、タテに預けると彼の目を見て言った。
「コ……コ、コハ、オ……レニマ、カセティ……サ、キニーイケ!」
「「……は?」」
ポカンとするタテとダリーを他所に、ラッコ男は背中を向ける。
「ラッコちゃん! またね!」
ただ、羽衣だけがニコニコしながら、ラッコ男に手を振る。
ラッコ男はそんな羽衣をチラリと見て……やがて「フッ」と笑みを浮かべると――
「ぶぅるぅぁぁぁ――」
叫びながら木の上に向かって跳躍し、その場から立ち去った。
――羽衣はラッコ男の姿が見えなくなるまで、只管、手を振り続けていた。
……このラッコ、どうしよう……?




