おやっさん、弟子を取る(1)
続きです、よろしくお願いいたします。
「おっきろぉっ!」
「へぶっ!」
腹部への強い衝撃によって、俺の意識が急速に目覚めていく。
「……なん……だぁ?」
「あれ? まだおきない? ねぇ、おねいちゃん、まだおきないよ?」
舌っ足らずな声に、ふと羽衣ちゃんを思い出すが、そんな訳ないと頭を振り、上体に力を入れる――その時だった。
「あ、やっぱり? そのおじちゃん、お寝坊さんだから。もっとガンって、やっちゃっていいよ?」
――悪魔の声が聞こえて来たかと思ったら……。
「うんっ! 今度はいっせーこーげきだーっ! やっほぅ!」
「ほぁ…………………………………………ぁふ」
ドンッ……と、小さな影が俺の視界を遮るように、空から降ってきた。そして視界外にも、その影はいたのだろう……。俺の腹部に先ほど以上の衝撃が、丹田の下あたりに、さらにそれ以上の衝撃が走る。
「――ッはぁん……」
これが、『マタモ・ラビューン・エンズェル孤児院』で迎えた朝だった……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あっれぇ? おじさん、どうしたの?」
危うく『薬屋椎子』へとなりかけてから十分後。クモの子を散らすように駆けていった子どもを追いかけ、俺は内また歩きになりながら、部屋を飛び出――訂正しよう、這いずり出た。すると、そんな風にヘコヘコと歩く俺を待っていたのか、悠莉はニヤニヤしながら小首をかしげて、俺の腕をがっしりとつかみ、声をかけてきた。――クッ……。ちょっとだけかわいらしいが、この怨み……忘れんぞ……。
「いや、胸に手を当てて…………なんでもない」
無い物ねだりをしても仕方が――いや、子どもに罪はない。俺はさして気にしていない、だからその闘気をおさめてください。
「ま、いいわよ。それより、ご飯できてるってさ? 早く行こう?」
「おぉう……」
ニパッと笑って、悠莉は俺の手を引っ張る。そうして俺はこの施設の食堂へと、足を踏み入れたわけだが…………。
「ティスママっ! だっこ!」
「あらあら~。甘えん坊さんね~?」
「ティスママ~! おんぶっ」
「あらあら~。跳んじゃダメよ~?」
「ティスちゃん、肩車っ!」
「あらあら~。靴は脱ぐのよ~?」
食堂の中心――食卓には、どうやら朝食を準備しているらしいマタモさん、その手伝いをしているハオカと、中学生くらいの少女がふたり、そして先ほどの突撃兵である幼児が三人と、その幼児たちを相手しているスプリギティスがいた。
「うわ……すご」
「あぁ。すごいな……」
俺と悠莉は、そんな食堂のなかでも特に、スプリギティスを見て呆気に取られていた。
「あら~。皆、重くなったわね~? うふふ~。成長期ってやつなのね~?」
スプリギティスは背中にひとり、肩にひとり、そしてお姫様抱っこでひとりを抱えていた。そんな『フルアーマー』状態にもかかわらず、スプリギティスは汗ひとつ見せないで、平然としているのだ。
「ティスママ~……それ、昨日も言った!」
「れでーにおもさのはなしはだめなのよっ?」
「おぅっ! おれ、せーちょーきだもんねっ!」
それぞれ、肩車の少女、背中の少女、胸にはり付いている少年の言葉だ。
「あらあら~。そうだったかしら~?」
うふふ……と笑うスプリギティス。たぶん、ここではすでに、これが日常の光景なんだろう。スプリギティスのほほ笑みは、まさしく『母』の、もしくは『姉』のそれであり、彼女はここで大切なものを手に入れたんだろう……。そしてどうでも良いが、胸の少年には、その漢らしい表情から判断する限りでは、『見込みあり』と感じる。
「はあ……。なんか、ティスさんがモモ缶より早く、『光柱』から抜け出せた理由……分かった気がする……」
「うーん……。まあ、『光柱』のことを忘れてたって可能性が大だけど……『母』だからってのはあるかもな……」
スプリギティスの様子に感心しながら、俺と悠莉は食卓に用意された席へと腰を下ろす。
「旦那さん、悠莉はん。おはようさんどす」
すると、スープの入った小皿を持って、ハオカがやって来た。俺と悠莉は、そんなハオカに「おはよう」と返しながら、そろって小皿へと視線を落とす。
「これ……どすか? ちょいと、マタモはんにおせてもろて、うちが作ったんどすけど……。一番初めは、旦那さんにいただいて欲しうて……」
ハオカは、もじもじと頬を赤らめながら、俺のつま先をグリグリと踏みつけ、俺に小皿を差し出してくる。
「おぉ……。そう……か」
ハオカから小皿を受け取ると、俺はそれをグイッと飲み干す。
「どない……どすか?」
不安そうに、ハオカは潤んだ瞳で見つめてくる。
「うん。おいしいなっ」
ハオカには小料理屋の女将とか、似合っているかもしれない。衣装だけでも、今度用意してみようかな……。
「――そうどっかっ! そら、よかったどす」
「………………む」
はしゃぐハオカに、あごに手を当て悩む悠莉。最近――特に羽衣ちゃんたちと別れてからは、ふたりのちょっとした動作にいろんな意味で、ドキッと、もしくはギクッとさせられる。その度に『ポーカーフェイス』を発動させているからか、そろそろなにかが昇華しそうなんだよなぁ……。
そんな感じで、俺がふたりをひっそりと見つめ、視線をくるぶし辺りに落とし、煩悩的なナニカと戦っていると、大きな鍋を抱えてマタモさんがやって来た。
「はいはいっ! 皆、席に着いておくれ! ご飯にするよ!」
マタモさんは鍋を食卓の上に載せると、はしゃぐ子どもたちに向けて声を掛ける。子どもたちは、元気よく返事をすると、わさわさとスプリギティスの体をはい回り、自席へと移っていく。
「おっちゃん、あとでにぃちゃんのこと、聞かせてくれよなっ!」
そう告げると、胸の少年はニッと笑って俺の前の席に座った。どうやら、昨夜の段階か、それとも今朝かは知らないが、子どもたちには、すでに俺たちがスプリギティスやコラキの知り合いだと、教えているらしい。ほかの子どもたちも目をキラキラさせてこちらを見ている。
「……うん。静かになったね……って、おや?」
席に着き、おとなしく背筋を伸ばしている子どもたちを、満足そうに眺めていたマタモさんだったが、ポッカリと一席だけ空いた空間を見てハの字に眉をゆがめる。
「シノは今日もかい?」
「うん……」
どうやら空いている席には、もうひとり誰かが座るはずらしい。聞くところによれば、その『シノ』という名前の子は、ここ最近ふさぎ込むことが多いらしく、マタモさんを始めとした皆が心配しているんだとか。
マタモさんは空いた席を見ながら、眉間にしわを三本作り上げる。そして席に着いた子どもたちに、食事をするように指示を出すと、俺の顔を見る。
「……?」
そして右手を握り、親指だけを立てると『お前ら表出ろ』と言わんばかりに、クイッと顔の横で動かす。
「旦那さん……」
「――はぁ……。良いよ、おじさん。行ってきなよ? ほら、ご飯はあたしたちがなんとか処分するからさっ」
なにやら事情ありげ。そしてその事情を俺に投げる気満々なマタモさんの様子を感じ取ったハオカと、悠莉はそれぞれ、俺の顔を見てそんなことを言ってきた。
――はぁ……。
「分かった…………………………ん?」
なんか、引っかかるが……?
「ほら、早く」
「ん? あ、ああ……」
急かして背を押す悠莉に、なにか不穏なモノを感じながら、俺はマタモさんについて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの子――シノはね? コラキちゃん大好きっこのひとりでねぇ。ちょうど、コラキちゃんとの連絡が取れなくなったくらいから、元気……なくなっちゃってねぇ」
ギッギッと、その身にまとう重力で廊下をきしませながら……。マタモさんは俺に、これから会いに行く幼女――シノについて、軽く話してくれている。
「はぁ……。つまり……アレですか? コラキが無事……って話をすれば、少しは元気が出るかもってことですか?」
恋わずらい……なのか? さっきの『フルアーマー』の子たちと同年齢らしいけど、ちょっとおませさんなのか?
それなら、スプリギティスが――ってそうか……。
「ああ、あいにく……ティスちゃんはアレ……だろ?」
俺が言い掛けたことを察してなのか、げんなりとした表情を浮かべたマタモさんは、遠い目をしてぼやく。この様子だと、スプリギティスのアレに、かなり困ってんだろうなぁ。
「そう言うことならもちろん、協力させて頂きますよ」
「悪いねぇ……っと、ここがシノの部屋だよ」
床のきしみが止まり、マタモさんがとある部屋の扉を指さす。そのまま、マタモさんは扉をノックしながら、遠慮なしにノブに手を掛ける。――ああ、そうだよなぁ……。なんでかおふくろってやつは、ノックの意味を考えないよな……。
「シノォ? 開けるよ……?」
扉を開いたマタモさんは、そう言いながら部屋のなかへと突き進んでいく。
「シノ、起きてるのかい?」
部屋の隅で丸くなっていた幼女を持ち上げると、マタモさんはその頭をペチンペチンと軽くたたく。
「起き……てるよぉ」
マタモさんに吊り上げられた幼女――シノは、吊るされたままの状態であるにもかかわらず、いまだに体をギュギュッと丸めている。
「……意外と根性あんだな……」
これ、放っておけばそのうち、元気になりそうな気がする。根性だけじゃなく、余裕も意外とありそうだ。
「……? だぁれ?」
思わず俺が、シノの根性に感心していると、それまで俺の存在に気が付いていなかったらしいシノが、グリンと顔だけをこちらに――体を微動だにさせず――向けてきた。
シノの器用な動きに思わず見とれていると、マタモさんが俺に向けて思いっ切りウィンクをしている。どうやら、自己紹介しろってことらしい……。
さて、どうするかね……。せっかくだし……サービスするか。
「初めまして、シノちゃん? 私、こういう者です」
首を持たれた猫みたく、空中でギュギュっと丸まっているシノに向けて、俺は『ギルドカード』を差し出し、頭を下げる。
――『名刺交換』……発動っ!
「み……? ――っ!」
シノはキョトンとしていたが、次の瞬間――
「あ、ぁぁあ? シ、シノは……シノです」
全身から光を放ち、マタモさんの手から離れ、空中でクルクルと回転しながら、俺に名前を教えてくれた………………あれ? こんな効果あったっけ? なんか、『名刺交換』が本当にサービスしてる?
「わ、わわ……おもしろぉい……」
首をかしげていると、シノは空中遊泳的な状況を楽しみ始めたらしく、先ほどよりかは明るい表情になっていた。うん……。『名刺交換』は子供にやさしい……それでいいか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、おじちゃんが『おやっさん』……なの?」
コッテンと、顔を傾けてシノは俺の顔をペタペタと触り始めた。シノはコラキから俺のことを聞いていたのか、先ほど渡した『ギルドカード』と、俺の顔を見比べている。
「ああ、そうだよ?」
そう俺が答えると、途端にシノの目がきらりと輝く。
――あ、この目は……。
まだそれほど時間がたったわけでもないが、どこか懐かしい……俺を『完全無欠のヒーロー』だと信じて疑わない眼差し……。
シノはそんな風にキラキラと目を輝かせ、『無茶ぶり』の気配を濃くまとい始めると、胸の前で両手をギュッと握りしめ、「んっ」と気合を入れる。
そして、俺の顔を見上げて……絞り出すように言った。
「じゃあ……。じゃあ、あのね? シノのこと、おたすけしてくれる?」
この時……俺はまだ……。この小さな依頼が原因で、『あんなこと』になるだなんて……予想だにしていなかったんだ……。
――良かれと思ったんだよ……。
やっとこ修羅次元へ到達……。あとはもう機械的に……ってことで、いろいろひと段落しそうなので、今日(4/19)はもう一話、更新予定です。よろしくお願いいたします。




