女王様と女王蜂と病
続きです、よろしくお願い致します。
――悠莉、もも缶、羽衣の三人が、ガサガサと茂みを掻き分け、椎野の元に駆けつけると、そこに映ったのは喉元に刃を突き付けられ、今にも貫かれそうになっている椎野の姿だった……。
「――ごめん、悠莉、ハオカ……」
その言葉で悠莉は椎野の諦めを知り、思わず間に合わない手を伸ばす。
――異常な現象は、その後に起こった。
「――っ。――おじ」
――ゴキンッ!
悠莉が「おじさん」と叫ぼうとした瞬間、椎野に刃を突き付けていたルカナスの右腕が肘の辺りからポッキリと折れていた。
「――え?」
――異常な現象は更に続く……。椎野が口を物凄い速さでパクパクと動かし、何かを呟いたかと思うと、次の瞬間にはルカナスの左腕が折れ、最後にルカナスの腹にボコボコと拳大の穴が空いていく。
「――エサ王、すごい……」
もも缶は口をポカンと開け、キラキラした目で椎野を見ている。悠莉は何が起きているか分からず、視線をもも缶と椎野の間で彷徨わせている。
「え? え?」
最後に、一瞬だけ椎野の顔がぶれたかと思うと、そこでルカナスも自分の状況と痛みに気付いたのか――。
「ぬぉ!」
そう呻いて、腹を押さえて地面に蹲ってしまった。
――そして、その現象の張本人である椎野も、何が起こっているか理解してい無い様で、ポカンとした顔をしている。
悠莉はそこで、初めて椎野の腕に目をやり、ソレに気付いた。
「――あ、おじさんの腕、折れてる……」
――悠莉は口をポカンと開けたまま、携帯電話を取り出し、愛里に電話を掛けていた……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――時は少し前、椎野達が場所を移動した後、愛里、ペタリューダ、バシリッサは互いを見定める様に睨み合っていた。
――パシンッ! とバシリッサは口元を隠していた扇子を閉じると、目を細めて更に二人を――特に、ペタリューダを睨み付ける。
「――そなた……、その姿、もしや行方知れずのカンクーロの部下かえ?」
ペタリューダはその言葉を受けて、少しだけ顔をしかめる。
「あら? バレてしまいましたか? あたくし、元『蝶伯獣』のペタリューダで御座います。 貴女の事は、元同僚――『蜂伯獣』エルガゾミノスから少しだけお聞きしておりましたわ?」
ペタリューダはスカートの裾をつまんで、ツイっと持ち上げると、優美にバシリッサに頭を下げる。
「エルガ……ゾミノスとな? ――ふむ、カンクーロは覚えておるが、エルガ何某とやらは、とんと覚えが無いのう?」
――恐らく、本心であろうその言葉にペタリューダは少しだけ悲しげな表情を浮かべる。
「――予想はしていましたが……、エルガのおじい様も浮かばれませんわね……」
「ペタちゃん……」
心配そうに顔を覗き込んでくる愛里に、ペタリューダは「大丈夫ですわ」と答え、腰から柄だけの鞭を取り出す。
「――む? もう始めるつもりかの?」
バシリッサは残念そうに呟くと、腰から三角形の物体――恐らく蜂の針を取り出す。
「ええ……、貴女とお話する事はもう有りませんもの……。――後は、その身の程を知って頂くだけですわ?」
「ふむ、中々に面白い冗談だの? ――その姿……、未だに、ただの『伯獣』止まりであろう? 身の程を知るのはどちらであろうかの? ――そうじゃっ! そこの足手まとい共々、四肢を切り落とし、儂とあの者の繁殖でも見学させてやろうかの?」
――すると、それまで二人のやり取りを静かに見守っていた愛里がにこやかに微笑み、ペタリューダとバシリッサの前に立つ。
「――うふふ……、バシリッサさん……でしたか? ご冗談がお好きなんですね?」
――その瞬間、愛里がにこやかな、聖女の如き微笑みであるにもかかわらず、ペタリューダとバシリッサは心臓を握り潰されるような恐怖に襲われ――。
「「ひぃっ!」」
思わず叫んでいた。そして、愛里はそのまま、バシリッサから影になる様にペタリューダに身体強化スキル『パゥワ』を施し――。
「それじゃあ、お二人供……始めましょうか?」
――そう告げた。
「「――はいっ!」」
そして、三人は一気に距離を取り、それぞれの武器を構える。
「――『蜜槍』!」
バシリッサが叫ぶと、三角形の針が琥珀色の光に包まれ、その形を変え、馬上槍で使われる様な細長い槍となる。
「――『鱗鞭』!」
バシリッサとほぼ同時、ペタリューダが翅を大きく広げ、その翅から出る鱗粉を鞭の柄に集め、身長の二倍程にした鱗粉の紐を構築する。
「えっと……、私はこのままで……」
――僅かな足掻きとして、指からエメラルドグリーンに輝かせると、愛里は申し訳なさそうに呟く。
「――ほっ!」
まずは小手調べとばかりに、ペタリューダがその鞭を振るう。バシリッサはそれを「ふふんっ」と鼻で笑い、捌いて行く。そんなやり取りが暫く続き――。
「――どうした? まだ一撃も届いておらんぞ?」
「うふふ……、貴女こそ守ってばかりなのでは?」
互いを挑発しつつ、ペタリューダとバシリッサはその距離を詰めていく。愛里はそれを見ながら、首を傾げていた――。
「――うーん……、私がこの中に入って行くのは難しいですね……」
頬に手の平を当てながら、愛里は眉間に皺を寄せている。
「うーん……、あの辺かなぁ? 『ピン・ヨァレ』、『ピン・パゥワ』!」
――愛里が右往左往する中、ペタリューダとバシリッサは更に鞭と槍をぶつけ合う。
「ふむ、面白いのう……、姿と力が釣り合っておらぬ……。これは、もしや……? ――おっと、いかんいかん、『一刺し』!」
バシリッサは、一気にペタリューダとの距離を詰めると、その槍を真っ直ぐに突き出す。
「――クッ……」
「――存外に早う片が付きそうだの?」
――バシリッサの槍がペタリューダの胸を貫こうとしたその時、槍の軌道上に暗緑色の輪が現れた。
「――っ?」
槍の先端がその輪を潜ったその瞬間、槍に急激な負荷がかかり、たまらず、バシリッサはバランスを崩す。――ペタリューダは、その様子を見て、思わず愛里を見る。すると――。
「――ペタちゃん、今っ!」
「は、はいっ! 『百叩き』!」
ペタリューダの鱗鞭がバシリッサの腹めがけて襲い掛かる――が。
「――ふむ……、少しまずいのう? 『蜜固め』!」
――バシリッサの槍から琥珀色の液体が溢れ、腹部を包み込む。
「――っ。そんなもの、砕いて差し上げますわ!」
ペタリューダは怯まずに、鞭を振り抜く。
「どうかのう? 儂の蜜は硬い――ぞぁっ!」
バシリッサが余裕の表情で鱗鞭を受け入れようとしたその時、丁度そこに、エメラルドグリーンの輪が現れる。その輪を通過した鱗鞭は、バシリッサ腹部の蜜を軽々と砕き、そのまま十メートル程吹き飛ばしてしまった。
「――え?」
「うん……、ピッタリ!」
ペタリューダは再び、愛里を見る。――愛里は相変わらずにこやかに微笑み、両拳をギュッと握り、はしゃいでいる。
――バシリッサは土埃で汚れたドレスをポンポンと掃うと、口元を扇子で隠し、愛里を見据える。
「――今の……、そなたの仕業かえ?」
「今のって……、輪っかの事ですか?」
――キョトンとした表情の愛里に、バシリッサはイラつきを隠せない様子で扇子をパチンと閉じ、ギリギリと握り締める。
「ふ、ふむ……、足手まといは訂正してやろうかの?」
「え? 別に気にしてないから良いですよ?」
その言葉でバシリッサは更に扇子を握り締める。
「――そうか……、なら、心残りは……無かろうっ! 『飛子』!」
――バシリッサは槍の穂先を飛ばし、愛里を狙う。
「――愛里姉様っ!」
「大丈夫よ、ペタちゃん。――『ピン・ヤンメ』」
愛里が指先で小さな輪を宙に描くと、毒々しい色の輪が現れる。バシリッサが飛ばした槍の穂先がその輪を潜ると、愛里まで届くことなく腐り落ちていく。
――その様子を、ペタリューダもバシリッサも口をパクパクしながら見つめている。
「――さて、ペタちゃん、もう少し頑張ろっか?」
「は、はいですわ! 姉様!」
「――ふむ……、これは、少し舐めておったかの……」
バシリッサが冷や汗を流し、愛里を見つめていると、突然、場違いな声が聞えてくる。
『愛里、愛里、愛里、愛里、愛里、愛里、愛里』
「――ひぃっ! な、何ですの?」
「ふむ、ここで更に援軍か? ――まさか、ルカナス達がやられたのか……?」
――ピッ。
若干怯える二人を他所に、愛里が携帯電話を取り出す。
「――あ、マナーにするの忘れてました。二人供、着信音だから気にしないで下さい」
そして、愛里は通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。
「――もしもし、悠莉ちゃん? ――うん……、それで? ――うん、分かった、すぐ行くね?」
――ピッ。
「ペタちゃん、急ぐよ?」
「――りょ、了解ですわっ!」
愛里の表情は先程とは変わらず、にこやかなまま……。しかし、ペタリューダは再び恐怖を覚え、思わず背筋を伸ばし、敬礼のポーズを取る。しかし――。
「そなた達……、儂の事を忘れておらぬかの?」
二人の前に、再びバシリッサが立ち塞がる。
「忘れてましたわ……」
「――どいて下さい、邪魔です」
愛里がバシリッサの肩を押し、どかそうとするが、愛里の力ではビクともせず、バシリッサの手で払われる。
「どかぬ……」
バシリッサは歯を食いしばり、青筋立てて呟く。そして――。
「儂をとことんまでコケにしてくれおって……。――もう、容赦せぬっ!」
――そして、バシリッサの身体が琥珀色の甲冑に包まれる。
「――愛里姉様……、あたくしが時間を稼ぎますわ。その間に……」
冷や汗を流しながら、ペタリューダは鞭を構える。
「――ふむ、この姿で儂に負けは……ゴハァッ!」
――突然、バシリッサが膝から崩れ落ちる。決死の覚悟をしていたペタリューダはまたもやポカンと口を開け、愛里を見る。
「えっと、ごめんなさい? ちょっと今、急いでいるので『ピン・ヤンメ』を掛けさせて頂きました」
「――さ、き程の……、病の……スキ……ルか? 馬……鹿な、この姿の……儂……に……?」
プルプルと震えながら、信じられないと言った様子でバシリッサは愛里を睨む。愛里は、そんなバシリッサにそっと寄り添い、囁く様に告げる――。
「ええ……、実はさっき肩に触れた時に……です」
それを聞き、バシリッサは更に驚愕に震え、甲冑姿が解除される。
「――なんと……、儂は……最初から……相……手を……間違……えて……おっ……たのか?」
愛里はバシリッサの問い掛けを聞くと、顎に指を当て、少しだけ悩むと、スッとバシリッサと鼻が付くほどの距離まで顔を寄せ、呟く。
「いえ……、貴女が間違えたのは、椎野さんに手を出そうとした事だけですよ? ――それは、やっちゃ駄目なんですよ? ――だから、ごめんなさい」
「――ヒァッ? か、身体が……?」
――最後に愛里がバシリッサの額に口付けをすると、バシリッサの全身を包み込む様に『ピン・ヨァレ』の輪が現れる。
「――ペタちゃん、お願いね?」
「は、はいっ!」
そうして、ペタリューダは鞭をパシンッと地面に一度打ち付け、バシリッサを憐れむ様に見つめる。
「み、見逃して……」
バシリッサは『ピン・ヤンメ』の強化ウィルスと『ピン・ヨァレ』の各部位弱体化によって、ガクガクと震え、立つ事も出来ず、ペタリューダに縋る様な視線を送る。
「――同情は致しますわ……『百叩き』!」
――数百に枝分かれした鞭が、バシリッサを打ち付ける……。
「ヒィィヤァァァァァァァァァァッ!」
弱体化した身体に幾束もの鞭が走り、バシリッサはボロ布の様に、その場に転がる事になった……。そして――。
「愛里姉様……?」
ペタリューダはニコニコ顔の愛里に、その肩を掴まれていた。
「あの……あのね? ――さっきの、内緒にして欲しいの……」
「さっきの……?」
――ペタリューダは、バシリッサをボロボロにした一連の事かと思い、鱗鞭でグルグル巻きにされたバシリッサをチラリと見る。
「うん、その……、け、携帯の着信音、椎野さんの声、コッソリ録音しちゃったから、その……恥ずかしくて……」
「――はい……って、え? そ、そっちですの?」
ペタリューダが思わず叫ぶと、愛里はキョトンとした顔から、頬をリンゴの様に染め上げ、続ける。
「も、もちろん、バシリッサさんに使った『ヤンメ』も内緒でお願い! ――つい、カッとなって使っちゃたけど、皆には内緒なの!」
「――んんんん……はぁ……、分かりましたわ……愛里姉様のお願いですもの、あたくし、命に代えても秘密は守りますわ!」
――愛里に対する恐怖を心の底に押し込め、ペタリューダは「絶対この人は敵に回さない」と改めて決意する。
「――ありがとっ! ペタちゃん、大好きっ!」
「うふふ……、では、愛里姉様、参りましょうか? あたくしに掴まって下さいな?」
「あ、そ、そうねっ! ――待っててくださいね? 椎野さん……」
――こうして、愛里とペタリューダは、トラウマに震えるボロ布を打ち捨て、椎野達と合流するべく空に浮かび上がった……。




