プロローグ
異界の歯車と十字軍の惨劇――史実が織りなす極上のダークファンタジー
騒音が眼をこじ開ける。
潤滑油の焦げた臭気。鼓膜を割る不音。
噛み合わせを削り損なった真鍮の歯が、互いの肉を削り合い、跳ね、酷悪な悲鳴を上げていた。その不快な振動が、脳髄と網膜の裏側を揺さぶる。
頭上を隙間なく埋め尽くす幾千の歯車が、歪んだまま不協和音を撒き散らしていた。
身体を起こそうとした右手が、冷えた鉄頭の打鎚を掴んでいた。
眼を大きく見開く。
頭上から足底に至るまで、視界のすべてを飲み込むように見渡した。
どこを見渡しても、真鍮と鋼鉄の歯車しかない。
天蓋も、壁面も、足を下ろす床面すらも——噛み合い、軋み、回り続ける無限の歯列によって埋め尽くされていた。
——ギギ、と不吉な破砕音が至近で爆ぜる。
目の前で不協和音を上げていた大歯車から、砕けた真鍮の欠片が跳ね飛んだ。刃と化した一端が、刃物のような鋭利さで頬をかすめ、肉を裂く。
それだけでは終わらない。
噛み合わせを狂わせた歯車の列が、まるで自らの軸を折り曲げるようにして、次々と頭上へと倒れ込んできた。噛み合いを放たれた金属の牙が、雪崩となって肉体を押し潰さんと迫る。
『——狙われている!』
摩耗による自滅ではない。
この歪んだ機構そのものが、明確な殺意をもって自分を噛み砕こうとしているのだ。
思考より早く、身体が動いていた。
宙を舞う真鍮の破片を紙一重で身を捩ってかわし、滑りやすい真鍮の床を強く蹴る。
頭上から落ち通る巨大な噛み合いの隙間へ滑り込み、右腕の打鎚を全力で引き絞った。
「おおおッ!」
咆哮とともに、振り下ろす。
狙いは、頭上から迫る歯車群の動力を司る、歪んだ大軸の基部。
重厚な鉄頭が、真鍮の歯に真っ向から激突した。
——鈍い衝撃が、腕の骨を軋ませる。
だが、止まらない。
金属の甲高い悲鳴。弾け飛ぶ数千の火花。
打鎚の衝撃波を受け、狂った噛み合わせの一角が粉々に砕け散る。
噛み合いを奪われた巨歯車が歪な悲鳴を上げ、軸から弾け飛んで天蓋の闇へと突っ込んでいった。
しかし、歯車世界は止まらない。
一つを打ち砕けば、その欠片を巻き込み、二つ、三つの歯車がさらに凶暴な速度で回転を増す。破砕された金属の刃が、雨霰となって皮膚を切り裂き、血を奪っていく。
退路はない。
足を置く床すらも、足を巻き込み、すり潰そうと不規則に回転を始めていた。
迫る鉄の群れ。肉を削る油煙。
迫り来る死の回転に対し、……生々しい血飛沫を撒き散らしながら、ただひたすら打鎚を叩きつけ続けた。
己が誰か、なぜここにいるのかさえ知らずに。
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続きは明日




