「ま、待ってくれ!」と言われても、私を要らないと言ったのは、あなたではありませんか
実験作です。書き方についても試行錯誤中です。
連載版を始めました。詳しくは後書きにて。
「婚約を解消してほしい」
伯爵家の応接室へ呼び出されたリリアーナ・フェルデン侯爵令嬢は、向かいに座る婚約者アルベルト・グランツの言葉を聞き、しばらく何も言わなかった。聞き間違いかと思ったわけではない。アルベルトの表情は妙に落ち着いており、冗談を口にしているようには見えなかったからだ。むしろ、ずっと胸の内に抱えていた話をようやく切り出せたとでも言いたげで、わずかに肩の力まで抜けているようだった。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか? 突然のことですので、さすがに何の説明もないまま頷くことはできません」
「ああ、そのつもりで今日は来てもらった。君を嫌いになったわけではないし、これまでの関係を否定するつもりもない。ただ、今後のことを考えれば、私たちはこのまま結婚しない方がいいと思ったんだ」
アルベルトはそう言って、テーブルの上で組んでいた指をゆっくりと解いた。その口調には迷いがなく、すでに自分の中では結論が出ているのだろう。リリアーナとアルベルトが婚約したのは六年前だった。家同士の付き合いが古く、年齢も近かったことから話がまとまり、以来二人は婚約者としてそれなりに穏やかな関係を築いてきた。燃え上がるような恋をしていたわけではない。それでもリリアーナは、いずれ彼の妻になるのだと思っていたし、そのつもりでアルベルトを支えてきた。
伯爵家が夜会を開く際には招待客の顔ぶれについて相談に乗り、アルベルトが繋がりを持ちたいと言った相手がいれば侯爵家の人脈を使って紹介した。商会との話し合いが難航していると聞けば、父や兄に頼んで助言をもらったこともある。アルベルトの仕事が忙しい時には自分の予定を合わせ、彼が忘れていた贈答品や挨拶状についてもさりげなく補ってきた。婚約者なのだから、それくらいは当然だと思っていたのだ。
「結婚しない方がいい、というのは、何か問題があったからでしょうか?」
「問題というより、利点の話だ。貴族の結婚は本人同士の感情だけで決めるものではないだろう。どの家と結びつけば、どれだけ領地や商売に利益があるか。そういうことも考えなければならない」
「つまり、私との結婚にはあまり利益がないと?」
少しだけ間を置いて尋ねると、アルベルトは視線を逸らすこともなく頷いた。
「はっきり言えば、そうなる。フェルデン侯爵家そのものは名門だし、君の家柄に不満があるわけではない。ただ、君が将来受け継ぐ予定の土地は山ばかりだろう。平地が少なく、大規模な農業には向かない。街道を整備するにも費用がかかるし、森林から木材を取る以外に目立った産業もない。正直に言って、あの土地にはあまり利用価値がないと思っている」
リリアーナが母方の祖父から受け継ぐ予定になっている土地は、侯爵領の北西部にある山間地域だった。領地の大半を山と森が占めており、確かに穀倉地帯のような分かりやすい豊かさはない。木材や薬草は採れるものの、それだけで巨額の富を生む土地ではなく、冬になれば雪も深い。それでも昔からそこに暮らしている者たちはおり、リリアーナ自身も幼い頃から何度も訪れていたため、決して価値のない土地だとは思っていなかった。
「以前にも、随分と使い道のない土地だと仰っていましたね」
「ああ。君には悪いが、今でも考えは変わっていない。それに比べれば、ベルナー伯爵家は南部に広い穀倉地帯を持っている。小麦の生産量も多く、大きな商会とも繋がりがある。あちらとの縁談を進める方が、グランツ伯爵家にとっては遥かに有益だ」
その名前を聞いて、ようやく話の全体が見えた。
「ベルナー伯爵令嬢と、すでにお話をされているのですか?」
「正式な婚約話までは進んでいない。ただ、向こうも悪い反応ではない。だからこそ、その前に君との婚約をきちんと解消しておくべきだと思った。私としても、後から二股だの不誠実だのと言われるのは本意ではないからな」
どこか誠実な振る舞いでもしているつもりなのだろう。確かに別の令嬢と正式な話を進める前に今の婚約を解消すること自体は間違っていない。けれど、六年間婚約していた相手を「より利益のある家が見つかったから」という理由で切り捨てながら、それを当然の判断のように語る姿には、さすがのリリアーナも呆れを覚えた。
「分かりました。それなら婚約は解消いたしましょう」
思いのほかあっさりと返事をすると、今度はアルベルトの方が驚いたようだった。
「……それだけなのか?もう少し反対されると思っていたんだが」
「反対して何になるのでしょう。アルベルト様の中ではすでに答えが出ているのでしょう? 私よりもベルナー伯爵令嬢と結婚した方が家に利益があり、私が持っているものには大した価値がない。そこまで明確にお考えなら、私が何を言っても変わらないのではありませんか?」
「君自身に価値がないと言っているわけではない。あくまで結婚相手として見た時の話だ。君は侯爵令嬢として十分立派だと思っているし、人柄にも不満はない」
「ですが、妻としての利用価値はないのでしょう?」
アルベルトは一瞬だけ言葉に詰まった。その反応だけで十分だった。自分で口にした言葉なのだから、今さら否定しようもない。
リリアーナは悲しくないわけではなかった。六年という時間は短くないし、いつか夫婦になるものだと信じていた相手からこのような形で切り捨てられれば、胸が痛まないはずもない。それでも、必要ないと言われた相手に縋りつくほど自分を安く扱うつもりはなかった。
「では、父にも私から話しておきます。正式な手続きについては家同士で進めてください」
「ああ……そうしてもらえると助かる」
「今までありがとうございました。婚約が解消されれば、もう私がアルベルト様のお仕事を手伝ったり、誰かをご紹介したりする必要もありませんね。今後は新しい婚約者の方にお願いなさってください」
微笑んでそう告げると、アルベルトは何とも言えない顔をした。それでも引き止めることはなく、リリアーナは静かに応接室を後にした。
婚約解消の話は、それから一か月も経たないうちに正式にまとまった。父であるフェルデン侯爵は事情を聞いた瞬間に激怒し、「そんな男の家に娘を嫁がせるくらいなら、こちらから願い下げだ」と言い切ったものの、リリアーナ自身が騒ぎを大きくしたくないと望んだため、慰謝料を含めた最低限の取り決めだけを済ませて関係を終わらせた。六年間続いた婚約にしては、拍子抜けするほどあっさりとした終わりだった。
婚約がなくなってからしばらくして、リリアーナは王都を離れ、自分が将来受け継ぐ予定の山間領地へ向かった。別に傷心旅行がしたかったわけではない。むしろ、婚約者としてアルベルトの仕事を手伝う必要がなくなったことで、以前から興味を持っていた領地経営に時間を使えるようになったのだ。
その土地は確かに山が多かった。平地は少なく、村と村の間を結ぶ道も狭い。雨が続けばぬかるみ、冬には雪が積もって荷車すら通れなくなる場所もある。それでも森には良質な木が育ち、山の斜面には薬草が自生し、沢には一年を通して澄んだ水が流れている。何もないのではなく、まだ十分に活かされていないだけなのではないかと、リリアーナは以前から考えていた。
「この道は春になるとかなり崩れるそうですね。全部を一度に直すのは無理でも、まずは村から市場へ向かう区間だけでも整備できないでしょうか?」
「可能ではありますが、かなり費用がかかります。お嬢様が受け継がれる頃まで少しずつ進めるのが現実的かと」
「それで構いません。急いで形だけ整えるより、長く使える道にしたいです。それから、山の北側では薬草がよく採れると聞きました。採取だけでなく栽培できるものがないか、一度調べてもらえますか?」
代官や村長たちとそんな話をしながら、リリアーナは毎日のように領地を歩き回った。最初のうちは「侯爵令嬢がこんな山道まで来る必要はない」と恐縮していた村人たちも、何度も顔を合わせるうちに少しずつ遠慮をしなくなった。道が崩れた場所を教えてくれる者もいれば、森で採れる木の種類について話してくれる者もいる。リリアーナもそれらを一つずつ書き留め、何ができるのかを考えていた。
そんなある日、一人の年老いた猟師が、奇妙な石を持ってきた。
「お嬢様、こんなものでも何かの役に立ちますでしょうか。北側の沢でよく拾える石なんですが」
渡された石は黒ずんだ灰色をしており、ところどころに銀色の筋が混じっていた。陽にかざすと、その部分だけが鈍く光る。
「これは珍しいものなのですか?」
「いや、昔からありますよ。子供の頃にはこの辺の連中が拾って遊んでいたくらいです。ただ、お嬢様が山で採れるものを何でも知りたいと仰っていたので、これも一応と思いまして」
何となく気になった。リリアーナ自身に鉱石を見分ける知識はなかったが、だからこそ専門家に見てもらえばいいと考えた。
「ありがとうございます。これと同じものを、もう少し集めてもらえますか? 王都から詳しい方を呼んで調べてもらおうと思います」
「そんな大層な石じゃないと思いますがねえ。まあ、そこら中にありますから、集めるのは構いませんよ」
その時は、それだけの話だった。
ところが数週間後、王都から呼び寄せた技師は、石を調べた途端に態度を変えた。さらに現地へ赴き、北側の沢や岩肌を確認した後、顔を紅潮させながらリリアーナのもとへ戻ってきた。
「リリアーナ様、すぐに本格的な調査を行うべきです。この石には銀が含まれています。それも、かなり純度が高いです」
「銀……ですか?本当に?」
「間違いありません。しかも問題は、この一つだけではないのです。沢の周辺だけでも同じ鉱石が何か所も見つかりました。山の地質から考えると、地下にまとまった鉱脈がある可能性があります。規模まではまだ分かりませんが、場合によっては王家へ報告すべき案件になるでしょう」
さすがのリリアーナも、すぐには言葉が出なかった。昔から村人たちが何の気なしに拾っていた石が、銀を含んでいるなどとは想像もしなかったからだ。
フェルデン侯爵家を通じて報告を受けた王家は、すぐに正式な調査団を派遣した。複数の技師が山へ入り、岩盤を調べ、何か所かで試掘を行う。それから結果が出るまでにはさらに時間がかかったが、婚約解消から四か月ほど経った頃、ついに報告書が届いた。
山の地下には、大規模な銀鉱脈が存在する。
しかも採れる鉱石の質は高く、詳しい開発が進めば王国内でも有数の銀山になる可能性があるという。
その知らせは瞬く間に広がった。それまで「山ばかりで何もない」と見向きもしなかった者たちから、突然のように手紙が届き始める。商会は採掘権や運搬について話をしたいと言い、貴族たちは祝いの言葉と称して面会を求め、王家からも正式に鉱山開発について協議したいという使者が来た。
けれどリリアーナは、銀が見つかったことだけで浮かれるつもりはなかった。
「採掘だけを急いでも、そこで働く人たちが暮らせなければ続きません。まず街道を整備しましょう。それから鉱山の近くに住居が必要ですし、食料や衣服を買える市場も必要になります。できるだけ周辺の村にも仕事が回るようにしてください」
「採掘権そのものを大商会へ売却した方が、侯爵家としてはすぐに大きな利益を得られますが」
「それでは土地に何も残りません。せっかくなら、この銀山をきっかけに領地全体が豊かになる形にしたいのです。私たちは山から銀だけを持ち出したいわけではないでしょう?」
その方針で開発が進み始めると、山の麓は急速に変わっていった。鉱山で働く者が増え、その家族が暮らす家が建ち、荷を運ぶために道が整備される。人が増えれば宿や食堂も必要になり、商人も集まった。採掘用の支柱や建物に木材が必要になったことで林業も活発になり、以前から細々と採取されていた薬草にも新しい買い手がついた。
使い道がないと言われていた土地は、少しずつ人と金が集まる場所へ変わり始めていた。
一方その頃、王都ではアルベルトが父であるグランツ伯爵の前に座らされていた。
「もう一度確認するぞ。お前はリリアーナ嬢との婚約を、自分から解消したんだな?」
「……はい。そうです」
「理由は?」
「私との結婚より、ベルナー伯爵家との縁談を進めた方が家に利益があると考えました。リリアーナが受け継ぐ土地は山ばかりでしたし、当時は大した価値もないと思っていましたので」
そこまで聞いた伯爵は、深く息を吐いて額を押さえた。
「その山から銀が出たんだぞ。それも、王家が直接調査団を出すほどの規模だ。お前は国内有数の銀山を持つことになる令嬢との婚約を、利用価値がないからという理由で自分から捨てたのか」
「当時は銀が出るなんて誰にも分からなかったでしょう!」
「そんなことは分かっている!私が呆れているのは、鉱山のことだけではない!」
伯爵の声が一段と強くなった。
「婚約が解消されてから、今まで使えていた侯爵家との伝手がほとんど切れた。商会との話も以前ほど簡単には進まない。お前はあれを全部、自分の力だと思っていたのか? リリアーナ嬢が間に入っていたから上手くいっていた話がいくつあったと思っている!」
そこで初めて、アルベルトは思い当たるものを一つずつ数えることになった。以前なら頼めばすぐに紹介してもらえた商人が、今では面会すらなかなか取れない。夜会への招待も減った。困った時にはリリアーナが「父に聞いてみます」「知り合いの方に相談してみましょう」と自然に助けてくれていたが、それらがなくなった今になって、ようやくそのありがたみが分かり始めていた。
しかも、ベルナー伯爵令嬢との縁談もアルベルトが期待したほど順調ではなかった。確かに相手の家は広大な穀倉地帯を持っている。しかし、結婚したからといってその利益の全てがグランツ伯爵家に入るわけではないし、相手側から求められる条件も少なくない。自分に都合のいい部分だけを見ていたことに、アルベルトは今さら気づき始めていた。
そんな折、王家とフェルデン侯爵家が銀山開発について正式な契約を結ぶことになり、その祝いを兼ねた夜会が王宮で開かれた。
アルベルトがリリアーナと再会したのは、婚約解消以来その時が初めてだった。
大広間の中央には、多くの貴族や商人に囲まれているリリアーナの姿があった。以前と大きく変わったわけではない。それなのに、なぜか以前よりずっと遠い存在に見える。誰かが鉱山への投資について話を持ちかければ丁寧に聞き、別の商人から街道整備の提案を受ければ、その場で条件を確認している。
「リリアーナ様、北側街道の工事について、ぜひ我が商会にも参加させていただけませんか? 資材の調達から人員まで、こちらでかなり用意できます」
「ありがたいお話ですが、すべてを一つの商会にお願いするつもりはありません。現地の職人たちにも仕事を残したいと考えていますので、その条件を受け入れていただけるのであれば、改めて詳しいお話を伺いたいです」
「もちろんです。その方向で案を作り直しましょう」
以前なら、自分の横で微笑んでいたはずの女性が、今では自分とは何の関係もない場所で評価されている。その光景を見ているうちに、アルベルトの胸には焦りが広がっていった。
まだ間に合うのではないか。
婚約を解消してから、まだ数か月しか経っていない。六年間も婚約していたのだから、少し話をすれば元に戻れる可能性はある。あの時のことを謝れば、リリアーナも考え直すかもしれない。
人の輪が途切れたところで、アルベルトは意を決して近づいた。
「リリアーナ、少し話をしたいんだ。時間をもらえないか?」
「あら、アルベルト様。お久しぶりですね。構いませんが、どのようなお話でしょう?」
二人は大広間の端へ移動した。リリアーナは以前と変わらず穏やかな態度だったが、その距離感は完全に他人へ向けるものになっていた。
「私たちの婚約についてだ。あれから私もいろいろ考えたんだが、少し性急に決めすぎたと思っている。六年も一緒にいた君以上に私を理解している女性はいないし、今からでも婚約を結び直すことはできないだろうか」
「婚約を、もう一度ですか?」
「ああ。もちろん以前と全く同じというわけにはいかないだろうし、君が怒っているのも分かっている。だが、私もあの時の言い方は悪かったと思っているんだ。銀山の開発についても、グランツ伯爵家なら力になれる。商業の伝手もあるし、運搬や取引について助けられることも多いはずだ」
そこまで聞いたところで、リリアーナは静かに彼を見つめた。
「アルベルト様、一つだけお尋ねしてもよろしいですか?」
「ああ。何でも聞いてくれ」
「もし、あの山から銀が見つかっていなかったとしても、今と同じように私へ婚約を申し込んでくださいましたか?」
アルベルトはすぐに答えられなかった。
ほんの数秒だった。
けれど、その沈黙だけで答えとしては十分だった。
「そうですか。やはり、そういうことなのですね」
「いや、違う。そういう意味ではなくて、私はただ――」
「私には利用価値がない。もっと家に利益をもたらす方と結婚したい。そう仰ったのはアルベルト様です。私はそのお考えを受け入れましたし、ご希望どおり婚約も解消しました。ですから、今さら私が戻る理由はありません」
「待ってくれ。私は本当に考え直したんだ。銀山のことだけではない。婚約を解消してから、君がどれだけ私を支えてくれていたのかも分かった。以前はそれが当然だと思っていたが、そうではなかった。それについては謝る。だから、もう一度だけ機会をくれないか?」
以前のアルベルトなら、ここまで頭を下げることなどなかっただろう。けれどリリアーナの心は不思議なくらい動かなかった。もし銀山が見つからなければ、彼は今でもベルナー伯爵令嬢との縁談を進め、自分のことなど思い出しもしなかったはずだからだ。
「謝ってくださることについては受け取ります。ですが、それと婚約を結び直すことは別のお話です。私はもう、誰かに必要とされるために自分の価値を証明したいとは思いません」
「リリアーナ、私は――」
「失礼いたします。まだご挨拶をしなければならない方がおりますので」
リリアーナが背を向ける。アルベルトはそのまま行かせてしまえば、本当に二度と戻ってこないような気がして、思わず一歩踏み出した。
「ま、待ってくれ!本当にこれで終わりにするつもりなのか? 六年も婚約していたんだぞ。少しくらい考えてくれてもいいだろう!」
周囲の何人かが声に気づいて振り返った。リリアーナも足を止めたが、困ったように振り返っただけだった。
「考える必要はありません。私を要らないと言ったのは、あなたではありませんか」
「それはあの時の話だ。今は違う」
「ええ。今は私の山から銀が見つかりましたからね」
アルベルトは何も言えなくなった。
「もし本当に私自身が必要だったのなら、銀など見つからなくても同じ言葉を仰ったはずです。それができなかった時点で、もう答えは出ています」
それだけ告げると、リリアーナは今度こそ振り返らずに歩き去った。
数日後、アルベルトは改めてフェルデン侯爵家へ正式な婚約の申し込みを送ったが、返ってきた答えは簡潔だった。娘にその意思はないため、受けることはできない。それだけだった。
さらに、夜会でアルベルトがリリアーナへ復縁を迫ったことはベルナー伯爵家にも伝わった。
「つまり、より利益のある女性が現れれば、今度は私を捨てるということですわね。そんな方と結婚するほど、我が家も困っておりません」
ベルナー伯爵令嬢はそう言って縁談を断った。結果としてアルベルトは、利益を求めて手放した婚約者にも、新しく選ぼうとした令嬢にも見放されることになった。父であるグランツ伯爵からもしばらく重要な仕事を任せてもらえず、社交界では「妻を利益だけで選ぼうとして、結局どちらも失った男」と陰で笑われるようになった。
その頃、リリアーナの領地では鉱山の麓に新しい町が生まれ始めていた。整備された街道を荷馬車が行き交い、宿や商店が建ち、鉱山で働く者たちの家から子供たちの声が聞こえる。採掘に必要な木材を供給するため林業も栄え、増えた住民を相手に薬草や食料を扱う商人も集まった。銀山だけが富を生むのではなく、それを中心に周囲の産業まで動き始めている。
丘の上からその景色を眺めていたリリアーナは、ふと昔の言葉を思い出した。
――随分と使い道のない土地だな。
あの時は確かに傷ついた。けれど今となっては、随分と昔の話のように感じる。
「お嬢様、そろそろ戻りませんと。午後から商会との打ち合わせが入っております」
後ろから代官に声を掛けられ、リリアーナは振り返った。
「分かっています。すぐに行きます」
そう返してから、もう一度だけ眼下に広がる町へ目を向ける。
「利用価値がない土地、ですか」
誰に聞かせるでもなくそう呟くと、リリアーナは小さく笑った。
「世の中、何が価値を持つかなんて、本当に分からないものですね」
そして今度はもう過去を振り返ることなく、自分が築き始めた町へ向かって歩いていった。
別作品ですが連載を始めました! かなり気合いを入れて書いてます。(代表作にも設定しました)
『一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?』
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