5話◇LOST CHILD
「まだ、俺が十歳にもなってないガキの頃の話だ。俺はここから遥か遠いポルトガという国で産まれ育った。身分は普通の平民だったが、貴族の家系の遠縁だったお陰で、普通よりかは特別扱いさせて貰っていたよ。」
十歳の頃のアロを想像してみる。きっととっても元気そうで爽やかでカッコイイ感じなのだろう。絶対に周りの女子からモテていたはずだ。
「親から愛されて育った。とっても大切な日々だった。」
彼の語るその言葉はとても穏やかで、けどどこか不穏さも含まれた不思議なトーンで包まれていた。そして、「けど」と言葉を紡いでいた。
「あの日、俺の人生はどん底に落ちた。大勢のバアルが国を襲ってきたんだ。俺の家族や友は殺された。死の間際に俺の逃亡をアシストしてくれたよ。お陰で俺は逃げきれた。逃げきれたのは少数だけだった。国に残ってた人達は大勢殺された。」
惨劇。そんな悲劇の渦中にいた彼の話はとてもいたたまれない。聞いているだけでも胸の内がぎゅっと締まりそうだ。
バアル――もといベルフェゴールが大勢襲来する姿を想像するだけでゾッとする。対峙した私にはその恐怖感を強く痛感することができた。
「俺ら逃亡者は生きるために何も無い荒野を彷徨った。そこで餓死して脱落する人ばっかりだった。俺は偶然辿り着いた森の中でサバイバルすることで首の皮一枚繋がった。」
とても苦しい展開だ。聞いているだけなのに、どうしてだろう。息が詰まりそうだ。喪われた子ども時代のアロの姿を思い浮かべるとどうしても助けたい気持ちが先行してくる。まだ話は続いているのに、だ。
「そして、偶然見つけた国で、サバイバルで手に入れた果物を売ったり、木を加工したり、肉体労働をしたりしてお金を稼いだ。いつしか安定した生活が送れるようになった。そこで俺は"復讐のために力をつける"ことにした。」
「復讐――。」思わず口に出していた。
「ああ。俺の故郷を滅ぼしたバアルへの復讐だ。その日から、剣の修行と生活費稼ぎの日々だ。偶然、世界一の剣の達人とも出会い、弟子入りして剣のイロハについて教えて貰ったこともあった。そうして去年、ようやくバアルへ復讐するための旅に出たんだ。」
彼が強いのは復讐のために必死に努力したからだろう。その想いに私の彼への想いは引き寄せられていた。悲劇のヒーロー。必要ないとは思うけど、その傷付いた心を埋めて上げたいとも思っていた。
「バアルの噂を聞きつけ、船でこの国に来た。そして、フィリップの街に入って、出られなくなったって訳だ。」
そうしてベルフェゴールに襲われている私に出会ったという訳ね……。
「これが、俺が"バアルに復讐"する理由だ。予め伝えておくが、俺はこの旅でバアルを殺害しようと思っている。……止めないでくれよ。」
私の頭の中で浮き上がるバアル像。それはとても悍ましいものだった。彼は一体何をどこまで関わっているのだろうか。
その後、他愛ない会話を多少した後に、今日の会議はお開きとなった。
◆
まずは文具に関することわざ。ネットに見つけた「紙」に関することわざ。「人の苦楽は紙一重」は、このサイトによると「壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないという」こと。言葉で言いながら、タブレットに記載した。
続いて食べる行為に関することわざ。たまたま見つけた「塩辛食おうとて水を飲む」を書き込む。意味は「手回しがよすぎるとかえって間が抜けていたりすることのたとえ。または、物事の順序が前後することのたとえ。塩辛を食べると喉が渇くであろうと考えて、前もって水を飲んでおく」と。これもまたタブレットに入力した。
そこで椅子の背もたれにもたれながら背伸びをした。
「これでひとまず国語の課題は終わった~」と独り言を言い放つ。
タブレットの課題欄を見る。ふと音楽の課題に気付いた。その課題を行うための音楽室の予約も済ませてある。明日、昼に部屋を抑えていた。
「キャンセルしたいけど、突然のキャンセルはあまりよくないよね……。理由もないし。けど、あの音楽室行きたくないなぁ」なんて愚痴を言って、明日の準備だけして置いた。
曇り空が目立つ。
ミカンと共に学校への道を進む。
すぐに一人の生徒が待ち伏せしていた。その女はメリカだった。「ねぇ、ミカン。学校行くんでしょ。一緒に行こっ。」
本来なら二人で楽しく行く予定が、三人で行く羽目になった。その余分な追加のせいで、ちょっぴり気まずかった。脳裏には首を絞められた過去が思い返される。
「ねぇ、近寄りすぎ。邪魔っ」とほんのり強めに押された。思わず押された反対側へとよろめくとなぜか蓋が外された側溝に片足が入ってしまった。そのままバランスを崩した膝をつく。
ぬめりとした気色悪い感触。白の靴下が湿った茶色い泥に塗れる。そこにくっつく落ち葉や砂利が余計に汚さを目立たせる。そして、スカートにも泥がついた。「最悪……。」
「きたなっ。まっ、お似合いね。」
その一言が無性に苛ついた。何から何まで仕組まれたような感覚さえ感じる。
「ねぇ、汚い。あたしらに近寄らないで。ねぇ、ミカン、こんな醜い奴、ほっといて先に学校行こっ!」
最後に醜悪な瞳を向けて、そのまま二人は先へと行く。もちろんミカンは「えっ、ちょっと待って」といいかけるが、そんな言葉は遮られ、無理やりでも先へと進む。そうして私はここで一人取り残された。
フツフツと煮え滾る怒り。けれども、それを表に出す訳にも行かず、心の中に閉じ込めた。
心を喩えるなら沸騰した鍋の水。今、無理やりでも火を消した。ただ、余熱が残っている。
ぐーつぐつ。ぐつぐつぐつ。ぐーつぐーつ。ぐつ。怒りが収まらない也。
それなりにほとぼりが冷めると今度は汚れた服問題が襲う。このまま学校に行くのはやだな。けど、家に帰って、おばあちゃんにこの事を知られたくはないな。どう乗り越えようか。
そう言えば、公園に水道があったはず。そこで洗い流そう。
泥のついた足が灰色の道に茶色い足跡をつけていく。それはまるで絵の具セットを片付けようとしていた時に、ふとした手違いで筆の絵の具か桶の水を完成した絵の具に零してしまったのに例えてみた。零した後の絵はせっかくの自慢の作品が台無しになってしまう。つまり、最悪である。
私は寄り道をして泥を流す。もう靴下は使えない。スカートは乾かしたい。これからどうしようか。ひとまずこの事は私が単にドジをしたということで終わらそう。なんてことをベンチに座って考えていた。
――――――
その日の夜、電話がかかってきた。一人、部屋で、スマホを手に取る。
ミカンからだった。
もしもし、そんな言葉から始まる気持ちの伝え合い。最初の言葉は『ごめん――』だった。
初めの数十分は謝罪の時間だった。
『メリカがさ、コハには近づかないでって釘を刺してね。それでもワシはコハに謝罪したかったんよ。』
「そこまでして……ありがとね。」
そんな彼女はどこか疲れているような感じがした。
『やっぱり分かる? 最近さ、メリカが、ずっとあの日のことを責めてきてさ。それなりのワシも疲れてもうた……。』
「離れることはできないの?」
『ワシとメリカは幼なじみだから……ね。流石に――。』
「迷ったなら離れた方がいいと思う。だって、友達だからって自分が潰れたら、それこそ元も子もないから。今日ね、国語の授業でことわざについて勉強したんだけど、こんなことわざを学んだんだ。『君子危うきに近寄らず』――危険には近寄らないとか遠ざかるとか、そんなことわざなんだけどね。ミカンちゃんが、これ以上心が潰れるなら遠ざかるのも大切なんじゃないかなって。」
『君子危うきに近寄らず……ね。いいことわざだね。』
それから他愛ない会話をして寝落ちするまで、閉じることはなかった。そのまま夢の中へと落ちていくまで会話した。
◆
ここはどこだろうか。
薄暗い所だ。目を凝らせばここが箱の中ということに気付けた。壁が私を囲んでいる。
壁に突撃してみる。まったくビクともしない。ようやく穴を開けたと思った途端に破壊した箇所が修復されていく。
幾ら壊しても壊しても修復されていく。
すぐに修復される理由が"私"であることに気付いた。私は回復と修復を掌る能力の使用者だ。だからこそ、私を閉じ込める箱も勝手に修復されていく。
ふと遠くで同じように箱に閉じ込められているアロが見えた。彼はその箱を爆発でこじ開けた。
私は私を恨んだ――。
私はどんなに足掻いても壁を壊せない。私の能力で修復されていくだけだ。
いいな――。壁を破壊できる力があればな。きっと箱の外へと抜け出せるのに。前へと進めるのに。
こんな回復系能力じゃなくて攻撃系能力だったら、きっと――。私は無力な私を恨んだ。
そこでその世界がパッと消えた。
朝日を見て、全てを悟った。夢の中の御伽噺だったみたいだ。パジャマ姿の私が布団を蹴飛ばした。
◆
六月中旬。夏休みまで残り一ヶ月――。
◆
旅に必要な物の大半はネットで注文して揃えたが、直に何かあるか見たいと言い出したため、ホームセンターへと向かった。
周りを見渡しても店員は見かけない。代わりに、カメラが大量に完備されている。万引きや不審行動などしようものならすぐにでも発覚して、ベルフェゴールが出動する仕組みのようだ。
私は大型店が嫌いだった。なぜなら中に人が沢山いるからだ。私はいつも車酔いするかの如く気持ち悪くなる。私は私に自信がない。大人になってハキハキに化粧と服のスタイリングをすれば自信がつくのかも知れない。いや、きっと大人になっても私には無理だろう。そんな私は他人からどう思われているのか、脳裏の中で勝手に想像されてしまう。人が多ければ多いほど必ず私を見る人がいて、それに気づいて想像される。もちろん、その想像は良いことではなく私を中傷する悪いものだ。それが頭の片隅を占拠するせいで気持ち悪くなるのだ。
くだらない妄想で自分を傷つける、そんな自分が嫌いだ。
だけど、このフィリップの街は違うみたいだ。全てがリモートで完結する街のため、見渡せとも見渡せども人の姿はない。頭を悩ます必要もない。
私は静けさが敷き渡るこの大型店の空気を吸い込んだ。去年と違い空気が綺麗だ。
脚立を見たいというアロ。しかし、脚立はどの売り場にあるのだろうか。
ふとそこにいた一人の男の人。その人が「資材館にありますにょ」と教えてくれた。「ありがとう、店員さん」と伝えると「ぽきは店員さんじゃないんですにょ。ただのネジのマニアのす」と返された。
資材館へと向かった。
下半身が安定感のある台になっている細かい手の付いたロボット。その後ろをカゴのロボットが自動で付いていく。ロボットは商品棚の前へと行くと体が伸びて、棚に手を伸ばす。安定した動きでカゴへと商品を置いた。
その様子を見て、改めて普通に生活する分には家で全て完了する技術の凄さを実感した。わざわざ出歩く必要のないこの街で、わざわざ出歩いてやってきた私がほんの少しだけ恥ずかしく感じてしまった。
資材館へと辿り着いた。アロは脚立を触って確認する。「持ち運べるのか、ちゃんと使えるのか、買い直すことができないからな。きっちりと選ばなきゃならない。」そう言って、一つの脚立を選んだ。
「脚立ってそんなに大切なんだ。」
「旅をすると有難みが分かる。小高い崖への移動手段があるとないとでは大きく変わる。遠回りする道は時間だけじゃなく、疲労に繋がるからな。」
続いてキャンピングセットをまとめて、それをローラーで転がして運ぶための荷台を探した。テント用具や脚立が入る細長の布の荷台ケース。けど、これを運ぶのは骨が折れそうだ。しかし、持つしかないのかー。誰か持ってくれないかな、と思った。
そこに「これ、僕に運ばせてよ」と電子レンジが立候補。実際に脚立とテント用具をケースに入れた荷台を頑丈の縄で括り付けてピーに固定する。とっても重いそれを楽々と運んでいた。
「ちょっと倒れるのが怖いから荷台が広い奴を買おう。」
私達は大きめの荷台を購入した。
続いて、水を得るための装置を作るために鍋なども購入した。
選んだ脚立や荷台、他に必要な物は無人レジで購入する。こちらも人はいない代わりにカメラが豊富である。おばあちゃんから預かった財布から必要経費が落ちていった。
ついでに店内を廊下で連結して繋がっていたショッピングストアへと行き、非常食を買い漁った。やはり食べ物がないと困る。
これであらかた旅に必要な物が揃った。
後は家に帰るだけだ。
前まで疲れていたミカンの顔はご機嫌とはいかないけど、それなりに良い感じがする。
「前みたいにしつこく関わられることもなくなったしね。」
メリカの件だ。あの時のように責められることはなくなったのだろう。ミカンはあしらうかのような言いぶりで「彼氏でもできたんかもね」と付け加えた。
ひとまず気持ち的に楽になったようでホッと思う。
歩きながら口を開く。
「旅に必要な物はあらかた揃ったね。」
「うん。初めてだよ。ちょっとドキドキ。」
「三人と一台……それと猫もついてくるんだっけ?」
そこに彼が割り込んできた。
「あ、そういや、一人、どうしても俺らの旅に同行したいって奴がいるんだが……。」
そんな他愛ない伝言に軽く「いいんじゃない?」と返した。アロが街でできた友達とかだろうか。どんな人なのかちょっと気になった。
「じゃあ、四人と一台と一匹での旅だね。」
初めての冒険の予感に期待だけが膨らんでいった。
◆
七月一日――。
◆
「お邪魔します」の声。
今日は旅の前の最後の確認だ。
椅子から降りて部屋を出て、そして階段を勢いよく降りたので、ちょっぴり彼は驚いていた。
次々に集まっていくメンバー。
居間に置かれた机に開かれた地図。それがバアルまでの道程を示している。
初めは更地のような場所を進む。高低差が分からないけど、ある程度は脚立もあることだし進めると過信している。それなりのルートを進むと数日歩き続けた場所にバアルの拠点があるみたいだ。
ノラがにゃあと鳴き、毛繕いを始める。ノラの餌も用意万端だ。
「楽しみだねっ」というテレパシーに「そうだね」と答えた。
「言ってたどうしても同行したい奴が来た」と玄関へと向かう。そして、「お邪魔します」の声が響く。その声を聞いた瞬間、身の毛がよだつ。鳥肌が立つ。考えれば考えるほど吐き気を催しそうだ。
居間に入ってきたアロとメリカ。
私の家だと知らなかったのだろう。「なんでアンタがいんのよ」と小さく言っていたのが聞こえた。逆にこっちの台詞だ。
私的にはコイツがついてくるのは大反対だ。ただ、おおっぴろげに言える程、大胆な性格でもない。いつもの癖で言葉を飲み込んだ。
彼女は何かをブツブツ言っているような感じだ。
最悪な空気感だ。
リーダーを任されたアロが旅についてまとめてくれてるのに、一切それが耳に入ってこない。
醜悪な瞳が睨んでいる。だから、私も睨み返す。殺伐とした雰囲気の中、旅についての最後の確認が終わってしまった。
その場はお開きとなり、気まずそうにミカンが退出。アロもそれに続く。さらにそこに続くメリカ。
すれ違いざまに放たれる言葉。「あたし、まだアンタのこと許してないから。余計なことしたら殺すから」とだけその場に残して去っていった。
本当に彼女は旅に参加するのだろうか。いや、参加するだろう。そんな雰囲気を醸し出していた。
私は覚束無い足取りで階段を登った。
椅子に座って、だらんと脱力する。そして、後ろに沿った瞼に腕で被せて暗闇にした。
私は盛大なため息だけ部屋に響かせていた。
そして、バイブが鳴る。スマホだ。
手に取るとミカンからの電話だった。着信にしてスマホを耳に当てた。
『ちょっとね、迷ってることがあるんだ。……旅に行くのが憂鬱になっちゃって。』
少し弱々しいような声。その声がどこかいたたまれなかった。




