3話◇ド屑
真っ黒い靄に覆われた私の腕。本来ならば突き刺してもビクともしないはずの攻撃も、今なら致命的な一撃になる感覚がある。これが火事場の馬鹿力なのだろうか。それは分からない。
私の槍による一突きを受けた白熊はそのまま真後ろに重心が傾いた。
ゆっくりと支えが何も無い後方へと倒れていく。その下は一気に地面。落下すれば一溜りもないだろう。
落ちていく白熊――。黄色い領域がミカンの元へと収束していった。着物の姿は消え普通の制服はと元に戻った。そのまま疲れたのか座り込んで空を見上げていた。
「やった。やったよ。倒したんだよ!」私は喜んで大きく勝利を宣言した。
一方で、そこに居合わせたメリカは落下した白熊を確認しに建物の崖へと向かった。そして、その近くで腰から崩れ落ちていた。
穏やかな春風。さっきまでの喧騒のせいで余計にそう感じる。
ふとメリカは立ち上がって踵を返す。力強く踏み歩きながら私の方へと向かってくる。少し俯きがちだからか、それとも前髪で顔が隠れてしまったからか表情は読み取れない。
「あんただけは絶対に許さない。殺してやる。」
勢いよく突き飛ばされた。端じゃないため落ちる心配はない。ただ、その場に仰向けになってしまった。
彼女はそのまま馬乗りになる。私はそこからまともに動けなくなってしまった。
すぐに両手が私の首元へ。そして強く絞められる。腕を掴んで離そうと頑張ってもビクともしない。
「殺すなって言ってたじゃん。聞いてなかった? もう、遅いけどさぁ。だから、死ね。死ね。」
苦しい――。
息ができない。力が入らない。もう何にもできない。ああ、死ぬ。
「何してんのっ!」
一気に空気が流れ込んできた。呼吸が早くなるのが感じる。すぐに起き上がって素早く深呼吸をした。
近くにいるミカン。この状況を助けてくれた。
「ねぇ、邪魔しないでよ。邪魔しないでっ!」
「メリカ、落ち着いて!」
「落ち着いていられる訳ないじゃん。そもそも、何、そいつ。あたし、知らないんだけど。こんな奴、いた?」
「最近、隣に引っ越してきた友達。」
「ふーん。ねぇ、そんな奴の方に付くなんて言わないよね? だって、あたしらずーっと仲の良い幼なじみじゃない?」
殺意の波動が空気を濁す。空気が重い。
体が少しだけ小刻みに震えている。それは寒いせいじゃなかった。
「あっ、そうだ。ねぇ、ミカン。さっきみたいに武器取り出してよ。」
「やだよ。それで殺すつもりだろ?」
「それが?」
顔が傾けられる。長い髪が顔を覆っていく。表情が分かりづらくなって余計に恐ろしさを感じさせる。
学校の怪談とはまた違った怖さを感じていた。
「ねぇ、早くして。殺さなきゃ。気が済まない。それとも返してくれる? まあ、無理だから殺す訳だけど。」
「ねぇ、正気に戻って!」
「安心して、正気だから。早くして。」
じりじりと来る恐怖。白熊のサッと来る恐怖とはまた違う恐ろしさがそこにはあった。
けれども、今はミカンがいる。手を広げて守ってくれようとしている。
「そんな要求飲める訳ない。話し合おう。悩んでいること全て聞いたるから。」
「そういうことじゃないよ。――ほんとに。早く私の指示を聞いてよ。黙って武器を作ってよ。早く。早く。早く。」
一方通行の矛先。
張り詰めた状況。
「あーもう。従って。従え。従えって言ってんの! 早く!」
怒りのままに飛び出してきた。
もう衝突は寸劇。
そんな所に飛び出して引っ掻きをおみまいするノラ。それによってメリカは一時的に足が止まった。
「ここにいても何にもならない。逃げよっ」と私の手を掴んで走っていく。
梯子を降りて校舎を進む。そして、幾分か走って降りて一階へと降りた。追いかけてくる気配はない。
靴に履き替えて外へと出る。周りをキョロキョロと確認し終えてから、そのまま学校を後にした。
◆
今日は本当に摩訶不思議な一日だ。まだ昼になったばかりと言うのに、有り得ないことが立て続けに起こってしまった。まるで想像もできない程の不幸を引き寄せる呪いに掛かったみたいだ。もしかしたらこの呪いはまだ続くのではないかと勘ぐってしまう。
相変わらず人のいない道。通り過ぎ去るのは機械でできた物か走り去る車ぐらい。
少し先に突然ロボットが壊れた。その時の衝撃音に思わず震え上がった。また、何が起きてしまうのではないかと身構えたが杞憂だった。
そこに人らしき影を見た。珍しく思って目線を向ける。よく見ると人間ではなくて人型ロボットだった。しかし、目を細めて見ないと分からないぐらいほぼ人間みたいに精密にできた存在だった。
そのロボットが機械を持ってどこかへと去っていった。それは軽やかに家の屋根を飛び移りながら進む。その圧倒的パフォーマンスに見とれてしまいそうだ。
「あれは……バアルだよ。」
そんな説明に思わず「あれが……バアル?」と首を傾げてしまった。
「まあ、本当はバアルじゃないんだけど……。」
「いや、どういうこと?」
何を言っているのか理解できなかった。バアルなのに、バアルじゃない?
「あれはバアルが作った同じ姿のロボットなんだよ。うーん。何て言えばいいんだろう。偽物?」
つまり、本体とは別に似たようなロボットがいるということだ。
そんな時、思い出した、とミカンは言った。「そうそう、その偽物のロボット達のことを"ベルフェゴール"って言うんよ。とっても働き者でね、ほとんど休むことなくさっきみたいにロボットの修理とかトラブルを解決したり、治安を取り締まったり、街のために沢山働いてくれるんよ。街にいなくちゃいけない存在かなぁ。」
バアルのロボット――|ベルフェゴールは働き者で、街のために必要不可欠な存在。余計にバアルという存在に興味が湧いてきた。
そんなことを話している時に、ふと「そういやティアラ似合ってるよね」と言われた。そこでティアラを付けっぱなしにしていることに気づいた。こんな姿で堂々と街中を歩いていた私が恥ずかしい。人に合わなくて良かったと本気で思った。
そんな時、後ろに立つ一つの影。
思わず振り返った。
「もしやコハさんですかな?」
そこにいたのはバアル――いや、ベルフェゴールだった。
「この子に何かよう?」
「なんと、本当にコハさんでしたか。ええ、用事があるのです。私はフィリップの町長アデイルである。学校が黄色くなったという理解の範疇を超える報告を受け、偵察しに来た所存。それで、現象が消滅直後に校舎から出てきた怪しげな君達二人を追いかけてきたという訳です。」
「それで……用事は?」
「そこまで急かさなくても……。では、単刀直入に言いましょう。心が痛みますから、本当はこんなことをしたくありませんが、この街のため――。コハさん、あなたを誘拐します。そして、交渉のための人質になって貰います。」
剣が抜かれた。その剣からビリビリと稲妻が走る。
思わず「ひぃっ」と声を上げてしまった。
「ねぇ、コハが何かしたって訳?」
「その子は何も悪くない。私も可哀想と思いますよ。僭越ながら、長としての責務を果たすため。あなた一人の犠牲が、その他大勢を救うからですよ。大人しく投降して頂きたい。でなければ、手荒な真似をしてでも成すべきことを成すまで。先に謝罪でも致しましょうか。後程の怪我の件、恩赦に切る。」
「コハ、逃げて!」
剣が振るわれる。そこにミカンが間に入ってしまった。「退いて下さい。危険ですから。」剣は直前で止められた。
追いの「逃げて」を聞いて、そのまま逃げた。彼女の想いを無駄にしないために。
家までの帰路を急いで進む。
過ぎ去る景色。次々と変わっていく景色。人や車通りが少ないお陰で、何にも考えることなくただ一直線に走ることができた。
当たり前だけど、あのアデイルとか名乗るバアル及びベルフェゴールの姿はもう見えない。家まで後、半キロ程だろう。
走り回ったせいで、もう歩くのが限界だ。
「大丈夫かい?」
そこにピーちゃんがやって来た。
「うん。それよりもミカンちゃんの方こそ、大丈夫かな……?」
「安心しなさい。あの子は無事ですよ。」
背後にはもうソレが追いついていた。
私の腕が掴まれた。もう体内における恐怖のパラメーターは限界突破して、恐怖を感じなくなっている。そのせいだろうか、私はアデイルを睨んでいた。
「ねぇ、ミカンちゃんに何かしたの?」どうして彼がここに辿り着いたのか。
「何もしてませんから安心しなさい。長話をしていただけです。そのお陰で、あの子はここへと辿り着くのに相応の時間がかかるでしょう。私はバアルの力にて空に跳んで一瞬で辿り着きましたが、あの子は徒歩。辿り着く頃には全てが終わっているはずです。」
ひとまず彼女が無事みたいで、少しばかし安堵した。
強く掴まれた腕は虚しくも何も動かせない。
「ここから運ぶのに抵抗されたらたまりませんね。そうですね、では、気絶して貰いましょうか。」
全身に電気が走った。思わず悲鳴を上げてしまった。全身が痛い。意識は残っていて痛みが全身を巡る感覚がある。
「コハを離せ!」
掴んでいた手が離れた。けれども、全身が麻痺して体が自由には動かない。
「電子レンジが動いて喋る……か。油断できませんね。本当に奇天烈だ!」
振られた剣が電子レンジを凹ませる。剣でも箱の形を変形させるだけで切れないようだ。だが、何度も何度も切られ見るも耐えない姿へと変わっていった。見たくもない光景だ。その度に心にダメージが加わる。
それでも「コハを守るために……僕は何度でも立ち向かう」と壊れかけながらも立ち向かう。
心が痛い。目の前で壊れゆく命に心に重い攻撃が加わってくる。もう耐えられない。
「もう止めて。私、大人しく捕まるから!」
「そうはならない。この謎の物体を見逃せば、きっと誘拐は失敗すると、思いますからね。それだけではない。何かしらの最悪を起こす可能性もある。」
振りかぶった剣が降ろされる。きっとその攻撃を受ければピーちゃんは破壊される。そこで「止めて」と言った所で、止めてくれる訳はなかった。
何もできない。
何かできる存在じゃない。なぜなら私は色のない存在。特別な力も行動力も何もかもを持ち合わせていない、無力な人間だから。
祈ることしかできない。けど、祈っても意味がない。
ああ、この時、私に何か力があれば――。
【ソルティーブラック・ダイヤモンド】
ピーちゃんは黒い透明な結晶の中に入っていた。振り下ろされた剣が結晶を叩きつけるがビクともしない。
この辺り一体が真っ黒に染まった。漆色の領域だ。その領域内では私の思うがままにそのクリスタルを召喚・消滅ができる。そして、そのクリスタルはダイヤモンド並の硬さを誇る。
クリスタルに映る私の姿。黒の宝石が光っている。ミカンが振袖姿に変身したように、私はドレス姿に変身した。真っ黒なドレス衣装。本格的な化粧をしたことなかったけど、この時、自動的におめかしされた。まるでお姫様みたいな姿。結晶に映る自分自身を見て、思わず「可愛い――」と声が漏れてしまっていた。
「凄いっ。僕の体が治っていく。」
私の脳内に入り込むこの能力のトリセツ。それはただの結晶ではない。結晶に触れた物体・生物は修復及び回復する。ただし、生物において傷口を治す際、塩を塗り込むような痛みが襲うらしい。
この能力のタイムリミットは十二分間。それ以上経つと能力が自動的に解けてしまう。
「これでまた戦えるようになったよ。ありがとう!」
振るう剣と突撃する体当たり攻撃。ピーちゃんは器用にも結晶に飛び移りながら体当たり攻撃を繰り広げていった。どんなに歪んでもすぐに元通りになる。
「なるほど。自在に操られ、壊れることもなく、働かせ放題……ということでしょうか?」
「違う。僕はコハのために、自らの意思で行っているんだ。」
激しい攻撃のやり取り。
私に向かう攻撃は結晶によって守られる。ピーちゃんを邪魔しないように気をつけながら結晶でサポートして行く。
ただ、一向に倒しきれない。
私は防御や回復に特化した能力のために、攻撃は全てピーちゃんにお任せだ。だから、ほんの少しずつしか削りきれない。
「普通の人間ならばパフォーマンスは減少。最悪の場合、疲労で戦力外となってしまう。ただ、私は違います。この体は疲労を感じない。諦めなさい。」
終わらない戦い。黒と黄色い閃光が混じり合う。
「頑張れ。ピーちゃん。絶対に死なないでピーちゃん。」
今の私にできることは、強い祈りと、能力で全力でサポートすることのみ。それに全てをかけるしかない。
凹んでも歪んでも何度でも修復され、立ち向かっていくその姿に心打たれる。
体当たりが溝に入った。機械の体が一部外れていった。
「その能力は致命的な欠陥を孕んでいますね。このように、敵であるはずの私をも回復……いえ、修復させますからね。」
アデイルもピーちゃんも私の力によって修復される。勝つことのない戦いとなっていた。まるで不毛な争いにさえ見えてくる。その度に傷つく姿が私の心に直接ダメージを与えてくる。本当に嫌だ。傷がつくような対外的な痛みを食らった方がまだマシにさえ思えてくる。
能力を展開してから十二分が経った。
黒い領域が私の元へと収束していく。特別な力が抜けていくのが抜けていくのが分かる。
ついに私を守っていた結晶も消滅した。
息が苦しい。疲労感が半端ない。まるでずっと走っていて、限界を迎えて立ち止まった時の感覚だ。
「それでは終わりにしましょう。」
高く抱えられる剣。もうこれ以上、ピーちゃんを虐めるのは止めて。強く希っていた。その気持ちが限界を迎えたはずの足を動かしていた。
上から抱えて被さるようにピーちゃんを囲む。そこに向かって振り下ろされる鋭い刃。
唐突な行動の後に、脳が遅れて「あ、死んだ」と反応する。
昨日まで勇気を振り絞って行動なんて、私には縁のない話だと思っていた。けれども、今私はこうして動いている。自分のためじゃない。きっと誰かのことを想像したからこそ動けたんだ。白熊の件も今の件も。最後に、そんな新たな自分に気付けて満足していた。いや、どうせ死ぬなら満足な状態で死にたいと脳が訴えかけていたからかも知れない。何にせよ今の私は、穏やかに目を瞑った。
カキンッ――。
剣がぶつかり合う音だけが聞こえる。思わず顔を上げるとアデイルと見知らぬ人が剣で戦っていた。
「くっ、迷い込んだ謎の剣士か……。何のために庇う?」
「理由なんかいるか?」
力強い振りがアデイルの持っていた剣を吹き飛ばした。そして、回転しながら真っ直ぐ蹴りを入れてソレを吹き飛ばした。そのまま家の石垣を超えていく。
「なんかよく分からねぇけど、命を狙われてるんだろ? 逃げるぞ!」
突然現れた彼は剣を鞘に納めた後、すぐに私の手を取ってくれた。が、もう私の足は「動かないの」――。
走ることは疎か、歩くことも、おんぶさえも不可能。挙句の果てに、私はお姫様抱っこをされた。
その時に見える彼の顔。サラリとした金髪の髪が揺れている。とても素晴らしい面立ちだ。ここからだと太陽の日差しの射し込み具合も相まって言葉に絶し難い程にカッコよく見える。
幾分か進んだと思われる。
屋根のついたどこかの空き地。周りは石垣で囲まれている。
「ここまで来れば、さっきの奴も早々、追いつけないだろうな。」
私はそこにあった材木に腰かけられた。彼はその材木に足をかけた。ピーちゃんはすぐ近くの地面に居る。
「本当にありがとうございました。」
「気にすんな。危機に陥る人を助ける。騎士として当然の事だ。」
さらりとした言葉。まさに例には及ばない的な態度だ。
「それにしても何事なんだ? ただ事じゃないように見えたけど。」
「私にも分かりません。ただ、あのアデイルとか言う人――機械が突然、誘拐するとか言い出して……。」
「誘拐か……。物騒だな。」
「あの……お名前は何て呼べばいいのでしょうか。」
「俺はアロだ。今は流浪の剣士って所だな。」
「私、コハって言います。」
「あっ、僕はピーだよ。よろしくね。」
私達は三人でそれぞれ顔を見合った。




