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闇香  作者: ヴィルヘルミナ


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第八話 地下室のコレクション

 ――耳元で鈴が鳴った。瞬きの一瞬で、私は暗く冷たい水の中。たゆたう体はゆらゆらとゆらゆらと。

『――何故、私は独りなのか。何故、あの方は帰ってこないのか』

 繰り返し繰り返し〝私〟は考える。

『どんな形でも帰ってくると、あの方はおっしゃった。だから私も、どんなにつらいことがあっても生きようと誓った』

 目から溢れる涙は水と混ざることなく玉となり、揺れる水面へ向かって上昇していく。伸ばした手は水面へ届かず、助けを求める声は水に溶けるのみ。

『独りは嫌』 

 それは寂しく壮絶で渇いた想い。凍えて震える魂の絶叫。……そう、独りは寂しいから、寄り添い合えばきっと寂しくなくなる。一つになれば……。


 ゆらゆらとした緩やかな揺れが、強く揺さぶるような揺れへと変化していく。冷たいと感じていた水の感触は消え、暖かな温度が体を包み込んだ。

「愛流! 戻ってこい!」

 目を開くと夜刀の必死な顔。ぼんやりとした頭で視線を巡らすと私は床に座り、傍らで跪いた夜刀に上半身を抱き締められていた。

「……何が起きたの?」

「良かった……戻ってきた……」

 ほっと安堵の息を吐いた夜刀は、私を抱き締める。

「あいつらの意識に共鳴して同調しかかっていた。……早くここから離れよう」

 私を抱き上げようとした夜刀の腕を押さえ、手を借りながら立ち上がる。

「愛流、大丈夫か?」

「……気合と根性で乗り切る。私は私だもの」

 冷たい水を体感した恐怖で震える脚を拳で叩いて、引き寄せられそうな心を奮い立たせる。

 水槽の中、足を縄で縛られ重石を付けられた白い女たちは、助けを求めるように空に向かって顔を上げ、後ろ手に縛られた縄が解けた数名は手を伸ばし揺れていた。

「……何人いるのかしら?」

「たぶん、二十二人かな」

 水槽に手をついて見つめる零音は遺体の数を数えていたらしい。結城は床にへたり込み、スマホを抱えて震えていた。

「……成山って、きよねという妻を持ちながら、若い女性を殺してコレクションにしていたのかしら」

 表の顔は愛妻家。裏の顔はここでソファに座り、ワインを飲みながら死蝋(しろう)化した女たちを見つめるコレクター。

「でも、私が見せられた記憶のきよねは水槽の中にいた。どうしてかしら? きよねは六十歳まで生きてたのに。きよねも私みたいに、同調してしまったのかしら」

 白い女たちの霊に引き寄せられて、同調してしまったのだろうか。

「近すぎるから、ここで考えるな。ひとまず外に出て、警察を呼ぼう」

 床に散らばった数冊の本を拾い上げ、夜刀は私の手を引いて階段へと向かった。


 零音が警察に通報して十五分が経過しても誰も来ない。蔵の前で何もせずに待っていることもできなくて、夜刀は私が見た丸い空が見えた場所を探し始めた。

「丸い空……井戸……じゃないよな。場所がずれてる」

 考え込んだ夜刀は目を細め、周囲を見回して雑草が茂る一角を指さした。茶色くなったレンガで囲まれていて、古い花壇にも見える。

「花壇?」

「おそらく埋められてる……スコップか何かないか?」

 夜刀が結城に問い掛け、結城はすぐにスコップを担いできた。

「な、何が埋められてるんだ? また死体か?」

「いや。さっきの水槽の入り口だ」

 何でもないことのように告げた夜刀の前で、驚いた結城はスコップを取り落とした。夜刀と零音は無言で拾い上げ、花壇の土を掘り返す。

 土は表面に被せてあっただけで、レンガの高さと同じだけしかなかった。二人は素早い手つきで土を取り除いていく。

「……これだな」

 土の下には、八十センチ四方の鉄の黒い扉。あちこちが錆びていて、端は触れると崩れそう。夜刀と零音、結城の三人で協力して持ち上げると空洞が現れて、直径六十センチ、厚さ十センチはある丸い石のフタ。そのフタをずらしてみると、暗い水面が見えた。

「……ここから死体を放り込んだ……か」

「御遺体は割と規則的に並んでたけど、ここから放り込んだだけで並べられるものかな?」

「蔵の下に、もう一つ開口部がある。照明は水槽の斜め上から当たっていたから、メンテナンス用に小部屋か何かありそうだな。底に沈んだ石を引っ掛ける道具があれば、事足りるだろ」

 二人の会話は淡々としていて、現実味を感じない。……今、ここにいる私は何をしているのか。ゆらゆらと揺れる水が呼んでいる気がする。

「愛流! ダメだ。今は何も考えるな」

「あ、ごめん……」

 丸い窓に向かって歩き出そうとしていた私は、夜刀に手を強く握られて我に返った。

「謝らなくていい。気合と根性で乗り切るんだろ?」

 微笑んだ夜刀とそんなやり取りをしている間に、零音と結城は石のフタを戻した。暗い水面が見えなくなると、ふっと体が軽くなった。

「うおー! せっかく高く売れると思ったんだけどなー!」

 疲れて地面に座り込んだ結城が空を見上げて叫ぶ。二十二人の女性の遺体が沈んだ巨大水槽。これではいくら建物を改修しても、土地自体が忌み嫌われそう。

「ついでに言っておくと、おそらくそこの井戸にも数名投げ込まれてる。男と女、両方だ」

 夜刀の追撃を受けた結城はヤケを起こしたのか、大の字になって地面に倒れ込んだ。



 警察の到着は一時間後。成山邸は霊が邪魔をして侵入できない廃墟としてネットの一部で有名らしく、無断侵入を試みて怪我をする者や悪戯が頻発していて今回もその類だと思われていた。それでも、のんびりとパトカーで現れた警官二人の笑顔が真剣な表情になるまで、時間は掛からなかった。

 零音と結城が警官二人を地下へと案内し、その後すぐに警察の捜査の為に成山邸全域が封鎖された。



 零音と結城が第一発見者として警察の事情聴取を受ける間、夜刀と私は警察署前のファミレスで時間を過ごしていた。四人掛けのテーブルに、夜刀と向かい合って座っている。

「……夜刀、食欲あるのね……」

 あんな死体を見た後なのに……という言葉は飲み込む。ファミレスに入って二時間。私がチョコレートケーキをフォークでつつきまわしている間に夜刀は次々と料理を頼み、すでに八人前を完食してタブレット端末に表示されたメニューを見ていた。

「かなり霊力を消費したからな。寝るか喰うかしないと回復できない」

「霊力って、食べても回復するのね」

 体力を回復すれば霊力も戻るだろうという想像は簡単でも、寝るだけでなく食べて回復は意外。

「効率はかなり悪いが、寝る事ができない時は仕方ないな。……次はステーキにするか……」

 ちらりと覗いたタブレットの画面に見えたのはレアステーキ三百グラム。ぽちりと指先が動いて注文が完了した。

「さっきから肉系ばっかりだけど、魚とか精進料理とかじゃなくてもいいの?」

「ああ。そういう制約を付けてる方が効率はいいとは聞くが、俺の場合はどちらもあまり変わらない。それなら好きな物喰った方がいいだろ」

「いろいろ見えちゃうのって、疲れない?」

「慣れた。普段は霊力を温存して極力無視してるから、疲れることはないな」

 規格外の霊能力者。そんなフレーズが頭に浮かぶ。

「……ずっと言おうか迷ってたんだけど……あの、きよねさんの最初の旦那さん……なんとなーく零音さんに似てる気がしてたの。何か、今日の零音さん、変だったでしょ? 肖像画じっと見てたり、水槽をずっと覗き込んだり……」

「確かに今日の零音は異質な感じはあった。ただ……きよねと繋がってるのは呪いだけなんだ。もしも前世での縁があったとしたら、何らかの形で繋がりが見える。……まぁ、俺は前世の縁だの色恋沙汰は専門じゃないから断言するのはマズいかもしれないな」

 呪い以外に繋がりがないと言われれば、やっぱり私の気のせいかも。気を取り直して、夜刀の隣の座席に置かれたカバンを指さす。

「さっき持ち出した本。それって、いいの?」

 事件現場から物を持ち出して良い訳がないとわかっていても、確認してみる。

「……ダメだろうな。事件に絡む物だが、読む時間がなかったから仕方ない」

「そ、それって!」

 証拠隠滅と言い掛けた口を手で押さえて止める。あまりにもヤバすぎてどうしたらいいのか迷う私の前で、夜刀は余裕の笑みを見せた。

「何とかするから、お前は気にするな。いざとなったら式神を使って返す」

 自信たっぷりな笑顔で言いきられると、これ以上の追及は難しそう。

「随分便利なのね。式神って」

 内側から部屋の鍵を開けたり、本を本棚に戻したりできるなら、他にももっといろんなことが可能ではないだろうか。

「久々に使ったから妙に張り切ってる。黙ってると霊力を際限なく喰うから、厄介なんだ」

「久々って、どのくらい? 一年とか?」

「最後に使ったのは俺が高校二年の時だな……。八年前か。日記を戻したら、またしばらくは使わないな」

 八年ぶりと聞けば、式神が張り切るのも分かる気がした。

「日記? 本じゃなかったのね……」

「昭和何年って背表紙に手書きで書いてあっただろ。あれでどうして本だと思うんだ?」

「そ、そう言われても……今は日記って言ったら、スマホアプリでしょ」

 あの混乱極まる状況で冷静に本の背表紙なんて確認できるわけがなかった。落ち着いて考えると、日記かと理解はできる。

「昭和二十一年から、一年一冊で昭和六十年まであった。全部は持ち出せなかったから、とりあえず知りたい所だけ抜いてきた」

 夜刀が鞄を開いてちらりと見せてくれたのは、昭和二十一年から二十三年、昭和五十九年と六十年の五冊。

「何故、最初と最後なの? もしかして、夜刀って小説とかマンガとか、ラストを先に読んで確認してから読むタイプ?」

「何だそりゃ。俺は最初から読むぞ。話のオチがわかったらつまらないだろ。……何故選んだかっていうのは、まず、昭和二十一年は成山ときよねが結婚した年だ。昭和二十二年は、二枚目の肖像画が描かれた年。最後の昭和六十年はきよねが死亡した年。その前後一年の情報をまずは知りたいと思った」

 夜刀は肖像画に特に関心を示していないと思っていたのに、ちゃんと描かれた年を見ていた。

「……読むの?」

「お前は読まなくていい。大丈夫だから、心配するな」

 明るく笑う夜刀が少し無理をしているように見えて、私の心が痛んだ。



 事情聴取を終えた零音を拾って自宅まで送り、夜刀の家へ戻ったのは午前二時過ぎ。翌日、私たちが目覚めたのは夕方の午後五時を過ぎていた。

「あー。良く寝たー。久々に気分爽快だな」

「確かに。すっごい寝たらすっきりした」

 昨夜食べ過ぎた夜刀と食欲ゼロの私は、トマトジュースを飲みながら居間のソファでくつろぐ。テーブルの上には今日の新聞が三種類。

「日記、読んだ?」

「これからだ。霊力も完全に戻ったから、普通に読める。霊力が枯渇した状態で読むものじゃないからな」

 あまり気が乗らない。そんな空気を醸し出しつつ、夜刀はパソコンの電源を入れて動画サイトのニュースを流し始める。自動で流れていくニュースは世界情勢から始まって、日本の政治、事件と流れていく。

「……昨日の事件はまだニュースになってないのね。女性が二十二名遺体で見つかったなんて、インパクト大きいのに」

「あれだけの規模だから、警察も発表は慎重になると思うぞ。女性の身元を調べるのも一苦労だ。一通り遺体と状況を調べてから記者発表になるだろう」

 特に大きなニュースはなさそうだと、動画サイトのトップページへアクセスすると、急上昇と赤文字で表示された動画に視線が奪われた。

 再生回数が三百万回を超える動画は、マンションの一室の中央で大袈裟な身振り手振りで話す赤い作業服姿の結城だった。動画のタイトルは『山奥の廃墟で二十二名の美女の水死体発見!』。発見の状況を大袈裟に語りながらスマホで撮影していた動画を流し、遺体にはぼかしが掛けられていたものの、水中にゆれる白い女性たちの姿がぼんやりとわかる。

「あいつ……!」

「ちょ。これ、マズいんじゃないの? 警察から口止めとかあるんじゃないの?」

「説明してもわからない馬鹿だったってことだろ。それか屋敷が売れそうにないから、動画で稼ごうっていう短絡的な思考か……」

 夜刀はすぐに雅へと電話を掛け、動画の削除を依頼した。

「一般人の訴えより、弁護士からの方が動画サイトの対応も早いからな」

 そう言いつつ、夜刀はスマホで番号を表示しながら、電話を掛ける。夜刀はいつも家にいる時は居間の黒電話を使用していて、私のスマホにも夜刀の自宅とスマホの番号が登録されている。

「――あ、すまん。寝てたか。後で掛け直す……いいのか?」

 電話の相手は寝ていたらしい。

「――体調はどうだ? ああ、それなら良かった」

 やけに優しい口調がちりりと心に刺さるのは何故なのか。

「――昨日の結城ってヤツがマズい動画を出してる。悪いが連絡先を教えてくれ」

 そのやり取りで、電話の相手は零音と気が付いた。成程。口調が柔らかくなった訳がわかった。

「――まだ眠気があるなら、解消するまで寝た方がいい。ああ、おやすみ」

 何かこう、電話を横で聞いているだけで気恥ずかしさを感じる。聞いてはいけない個人的な会話のようで。

「間に合うといいが……」

 零音の電話を切り、祈るようにつぶやいた夜刀は、スマホにメモをした番号を見ながら電話を掛ける。黒いレトロな受話器を耳に当て待っていても相手は電話に出る様子もない。

「ダメか……」

 溜息を吐いた夜刀は受話器を置いた。

「もしかして、結城さんが危ないの?」

「ああ。きよねも他の霊も映ってはいないが、あの屋敷自体が長年凝り固まった黒い穢れの塊だ。蔵と地下室はさらに凝縮された悪意と穢れの闇。それを何の霊的処置もせずに多くの人の目に晒す行為は、神や上位の存在の怒りと不興を買う。ようするに神罰があるってことだ」

 動画を視聴する者、一人一人に、様々な守護霊や守護存在が憑いている。中には神や上位の存在が護る者もいる。その目を通して映像が伝わり、神罰へと繋がる。

「……俺にはどうしようもないな。結城の守護霊の加護を信じるしかない」

 夜刀が諦めた三時間後、再生回数・千二百万回を超えた動画は運営会社に削除され、翌朝、マンションから転落した結城の遺体が発見された。



 ネットで公開されて注目を浴びたデータが削除されると増えるというのは本当の話で、土岐川の吐血動画と同様に、水槽死体の動画はコピーや切り取られたショート動画がネット上に溢れかえっていた。吐血動画よりも水槽死体動画の方が再生回数が高く、たった二日でインターネット・ミームとして世界中へと広がっていた。

「さっき零音から連絡が来た。もう週刊誌が記事を出してるらしい。警察の正式発表より、週刊誌の方が行動が迅速だな。まぁ正確な情報かどうかは怪しいが」

 昼食の後、夜刀は苦笑しながらパソコンを起動させて週刊誌のサイトを表示した。被害者の多さと状況の異様さの為か警察による正式発表はまだ行われておらず、週刊誌の電子版がどこよりも早く成山邸での事件の詳細をまとめ上げて記事にしていた。

「有料記事か……仕方ないな、登録するか」

「たった三日で記事にできちゃうものなのね」

 水槽死体を発見し、動画が出て削除され、結城は墜落死。私はまだ受けた精神的ショックからは抜け切れていなかった。どこか頭と体がふわふわとしていて、地に足がついていないという感覚を味わっている。夜刀はとにかく休めと言って、私を甘やかしていた。

「ネットで収集した情報だけで中身のない有料記事も多いからな。この記者がどれだけ熱量持って取材しているかに掛かってる。……現地取材してるのか。これは期待できそうだ」

 この事件に力を入れる予定なのか記事タイトルにはナンバーが入っていて、読者数が桁違いに多い。

  

 戦中戦後の混乱期に巨額の財産を築き上げた成山剛次郎は、昭和二十年に地元名主の屋敷を買い、翌年の昭和二十一年に戦争未亡人の登藤きよねを妻として迎えた。

 片足が不自由な成山は、地元では愛妻家として知られており、毎月都会から外商を呼んで妻に高価な宝石や着物を買い与え、屋敷には妻の肖像画を何十枚と飾り、訪れる客には必ず妻との惚気話を聞かせていた。

 妻は日光アレルギーとも呼ばれる光線過敏症を患っており、遠方から頻繁に医者が訪れていたが、症状が回復することはなく悪化の一途をたどった。晩年は庭に出ることも出来なかったが、成山は妻に尽くし続けた。昭和六十年に妻が肺炎で死亡すると、翌年後を追うように同じ肺炎で死亡した。

 一方で村の周辺では未解決事件が発生していた。昭和二十年代から四十年代に掛けて、数年に一度神隠しがあり、行方不明になるのは決まって二十歳前後で腰までの長い黒髪の女性であった。昭和五十年頃になると、その年齢前後は髪を短く切るか染めるかパーマを掛ける風習が広まった。そのおかげか、周辺では神隠しが発生しなくなった。

 記者は類似の神隠し事件が発生していないか範囲を広げて調べ、昭和五十年代には都会の化粧品会社に働き口が決まったと多額の準備金を受け取り、半年から一年を掛けて髪を伸ばした後に失踪する事件が数年に一度起きていたことを発見した。

 失踪事件は広域で発生しており、当時の警察は縄張り意識が強く横の連携が薄かった為、一連の事件として扱われなかった可能性が高いと結論付けている。

 調査の中、成山邸に通っていた二人の開業医は親子で皮膚科専門であったが、死体愛好者(ネクロフィリア)の噂があり、人間の皮で装丁された本を所有していたこと、裏で堕胎や整形等、専門外の医療処置を高額で請け負っていたという噂を聞いた。親の医者は病死、子は昭和六十三年に行方不明になっている。

 今回、地下の水槽で朽ちることなく若く美しいままで発見された二十二名の被害者女性との関連を今後さらに調べていくと締めくくられていた。


 長い小説のような記事を読み終え、胸が痛くなった。妻のきよねを溺愛する傍らで若い女性たちを誘拐して殺し、コレクションしていた夫。もしかしたら、きよねもそれを知っていて、心を痛めていたのかもしれないと想像して切なくなる。

 夜刀は口を引き結び、何かを考え込んでいる。少しして、深い溜息を吐いた。

「誘拐と医者と全部関係はあるっていうのは当たりなんだろうな」

「日記に書いてあったの?」

「いや。日記に書いてあったのは、もっと個人的なことばかりだ」

 日記には相当衝撃的なことが書かれていたらしく、日記の話題になると夜刀の表情が曇る。

「あんなライブ配信で男性を集めて殺したのは、男性に恨みがあったってことかしら」

 あのライブ配信は、誘拐された女性たちの姿を再現しているのかもしれない。成山は不能で手を出せなかったとしても協力者はいる。

 戦争に行って戻ってこなかった夫。多額の金で自分を買った成山。成山に協力した使用人たちと医者。きよねは周囲の男性たちに不信感と恨みを持っていたのか。

「……でも、私を呪った理由が全然想像もつかないんだけど。零音さんも呪われているし。ライブ配信の参加者に接触したっていうだけでしょ?」

「愛流でなくても、幸せそうなヤツなら誰でもいいっていう単純な理由かもしれない。召喚すれば来るのはわかったから、どこか場所を決めて直接願いを聞くつもりだ。……次は絶対逃がさない。お前の命は必ず護る。大丈夫だ」

 そう断言して、夜刀は私に笑顔を見せた。


 

 私が呪われてから三週間が過ぎ、夜刀の家での同居も慣れてきて、いつの間にか毎朝夜刀の人形部屋の窓を開けることが私の日課の一つになっていた。

「おっはよーございまーっす! 今日も皆、可愛いわね!」

 中身がおっさんかもしれないという疑惑は置いておいて、私が精魂込めて制作したドレスを着用した人形たちは可愛くて綺麗。電灯やロウソクの灯りではおどろおどろしく怪しく見えても、朝の光の中では何もかもが明るく照らされる。

 羽箒や布で軽く掃除して、空気の入れ替えが終わると窓を閉じる。UVカット加工されていても、レジンキャスト製の人形たちに長時間の直射日光は大敵。紫外線は樹脂を黄色く変色させてしまう。

「んー。お仲間、減っちゃったわねー」

 私が来た直後は棚を埋め尽くしていた人形たちは、今では八体。夜刀が依頼を一時休止しているので、次々と成仏して減る一方。

「貴女たちも、そろそろ成仏なのかしら」

 強力過ぎて四分割した悪霊が入った人形は、最初は憤怒の表情だったのに、淡い笑みを浮かべるようになっていた。人形用のソファにゆったりと座り、貴石で出来た瞳孔のない瞳は、どこを見ているのかわからなくても神秘的で引き込まれそう。

「寂しくなるわね」

 成仏する前に、もう一度衣装を着せ替えたい。今、作っている衣装が間に合うことを願う。

「おいこら、愛流。現世に引き留めるなよ」

「ひっ! 夜刀、驚かさないでよ! いなくなると部屋が殺風景になるなって思っただけよ」

 もう可愛い悲鳴だとか絹を裂くような悲鳴だとかは諦めた。驚いた時に可愛く演技する余裕なんて持ち合わせていない。夜刀は友人で、男女の関係でもないし。

「殺風景の方がいい。大体、俺みたいな男が部屋に人形並べてるなんて知られたら妙な誤解を生む。本当は現世から悪霊がいなくなればいいが、それは無理な話だからな」

「え? 別にいいじゃない? 何を綺麗で可愛いと思うのも自由だし、コレクションするのも性別関係ないで……」

 そこまで口にして、成山の地下室を思い出した。水槽に浮かぶ死体を見ながらワインを飲む姿は理解できないし許しがたい。

「俺も、犯罪や強要じゃなければ何をコレクションしようが構わないと思うぞ。お前の目玉コレクションとかな」

「ちょ。あれはグラスアイよ。誤解を生む発言は控えて」

 頭に浮かんでいた光景を振り払い、私は夜刀に抗議する。夜刀は笑いながら引き出しを開け、メイクがされていない人形のパーツを布が敷かれた木のトレイに乗せていく。

「久しぶりに人形作るの? まだ霊が入ってない人形があるのに?」

 人形部屋の引き出しには、布に包まれた真新しい人形が何体も収納されている。

「ああ。一体だけな。一時的に霊力を上げるのに瞑想が有効なんだが、俺は普通の瞑想が苦手でな。人形を組む作業を瞑想替わりにしてる」

「瞑想って、座禅組んで目を閉じるっていうものじゃないの?」

「そういう決まりはないな。単に目を閉じて何も考えないとか、自らの内に集中するのが瞑想とよく言われるが、作業に集中して無心になるのも瞑想替わりになる。極端な話、皿洗ってる時に汚れ落としに集中している間も無心になってると言えるから瞑想に似た効果が得られる」

 それは初めて聞く話で驚いた。何かに無心で集中することが重要らしい。

「昼まで作業部屋に籠る。昼を過ぎたら呼んでくれ」

「わかった。私もそれまで人形の衣装作るわね」

 一心不乱に人形の服を作る事も瞑想替わりにできるだろうか。そんなことを考えながら、私は夜刀と人形部屋を出た。


 早めの夕食を終えて、午後七時半。食後のお茶を飲んでいる時に、居間の黒電話が鳴り響いた。スマホの電子音と違って、全身に緊張感を叩きつける音はびっくりする。

「え? 掛かってきた?」

「普通に電話だからな。掛かってもくるさ。一体誰だ? 番号知ってるのは限られてるぞ」

 夜刀が訝しみながら立ち上がって受話器を取ると、相手は零音だった。

「――零音? どうした? いいから落ち着けって」

 ふと笑った夜刀の横顔は優しく見えて、何故かきゅっと心が軋む。夜刀と私は人形繋がりの友人で、今は呪われた者と呪いを解く者の間柄。同じ屋根の下にいても何も起きないということは、夜刀は私に興味がないと結論は出ている。

「は? 画家の孫がライブ配信やってる? 肖像画描いたヤツの孫か? 今? 愛流、パソコン起動させてくれ」

 夜刀に指示されるまま、パソコンの電源を入れて動画サイトを表示する。ライブ中動画を検索すると、画面にずらりと見本画像(サムネイル)が並んだ。

「夜刀、どれ?」

 正直言って似たような画像ばかりでわからない。

「零音、どれだ? ……『大暴露、水槽死体の被害者は三十一名』……愛流、上から二段目、右端の動画だ」

 受話器を持ったままの夜刀が指さす画像をクリックすると、生活感溢れる部屋の中央で冴えない中年男が興奮気味に話していた。ぼさぼさの黒髪に、黒いTシャツとジーンズという普段着で、手に持つ古ぼけたカラー写真には成山邸の蔵で見た肖像画が一枚ずつ写っていた。ライブ配信を見ている数は一万人を超え、付属のチャットで交わされるコメントは膨大過ぎて、目では追えない速さで画面を流れていく。

『――今、お見せしたのが、成山邸に飾られた肖像画の写真です。僕の祖父、沼木亮一郎は二十二歳の頃から六十一歳になるまでの三十九年、成山邸に出入りして妻のきよねさんの肖像画を描き続けてきました』

 ライブ配信は始まった直後で、写真を一枚一枚画面いっぱいに写したところだったらしい。男は三十代半ばで、時折大写しになる指や手にカラフルな絵の具がほんの少しだけ残っている。孫も画家なのだろうか。

『肖像画の数は合計三十一枚。おわかりかと思いますが、きよねさんは、若いままの姿で描かれています。僕も現在絵描きを生業にしていますが、女性も男性も、今現在の姿でなく、若く描いて欲しいと頼まれることは多々あります。絵描きの立場から見ると、それは不思議とは思いません』

『正直言って、祖父の絵はほとんど売れていません。それでも家を建て、家族で普通以上の生活ができたのは、この肖像画を描いていたからだと聞いています』

 その言葉からは、画家も成山の協力者ではなかったのかと疑問が沸いた。高額の報酬は口止め料でもあったのかも。

『僕が小学生の頃、酒を飲み過ぎた祖父が一度だけ口を滑らせました。『肖像画に描いた「きよね」は全員別人だった』と。……その三日後、祖父は事故で亡くなりました』

 そこで視聴者数が急激に跳ね上がった。

「全員別人?」

 絵のモデルが全部違うのなら、肖像画が微妙に違っているのも理解できる。

『水槽で見つかった死体は二十二名だそうですが、肖像画は三十一枚。つまり、三十一名の「きよね」がいる。残り九名の遺体がどこかに……』

 ――画面の中から、鈴の音が聞こえた。

「逃げて!」

 画面に警告を叫んでも相手には聞こえないとはわかっていた。それでも叫ぶしかなかった。男が言葉を詰まらせ、驚愕を示すかのように目を見開く。

『うわあああああああああ! く、来るなああああ!』

 恐怖に顔を歪めて絶叫した男はカメラを倒し、倒れた画面の中で周囲の物をまき散らしながら開け放たれた窓へと向かっていく背中が見える。

「見るな!」

 受話器を放り投げて駆け寄ってきた夜刀は、私の目と耳を包むように強く抱きしめた。


 ライブ配信中に画家の孫が飛び降り自殺という衝撃的な事件の翌日、ようやく警察の発表が行われた。

 水槽に沈んでいたのは二十二名の十代から三十代の女性。全員が死蝋化していたのは、汲み上げられた地下水によって一定の温度に保たれていたことと、近隣の土壌に含まれている特殊な成分が水に溶けていた等、複数の条件が揃っていたと判明。巨大水槽は遺体の保管を目的として設計されたもので、地下室から設計図が発見されていた。

 屋敷内の徹底捜索の結果、井戸の中からも白骨死体が発見されており、八名の女性と五名の男性と判明している。最新の科学鑑定と所持品により三十五名のうち六名の身元が判明しているものの、個人情報保護の観点から被害者氏名の公表はなし。引き続き、成山剛次郎氏と事件の関係性を捜査するという、マスコミの質問を受け付けない簡単な発表で終わった。

 警察発表のライブ配信が終わり、居間のソファで並んで座っていた夜刀と溜息をついて脱力する。もっと何か決定的なことが発表されるのではないかという期待は外れた。テーブルの上に置かれた緑茶は手をつけることなく冷めきっていた。

「随分短い記者会見なのね」

「まだ捜査途中で被害者も確定していないし、容疑者も確定していないから仕方ないな。この状況でも発表する必要があったのは、ネットで話題になりすぎたからだろう。おそらく問い合わせの電話やメールが殺到したとかいうのが理由だろ」

 何か事件があると自分に関係がなくても電話をしたりメールを送る人がいる。その対応に時間を割かれることで捜査の妨げになるということが理解できないのか、自分の行動は絶対正義と信じているのか、それとも捜査を妨害したいのか。

「所持品があるって、どういうこと? 何か身元が分かるお守りとか持ってたとかかしら」

 女性たちは全員白い長襦袢姿で、身元が分かるとすれば例えばお守りの中に書付けがあるとか、そういった物しか想像できない。

「井戸にいた男だと思う。……行方不明になってる医者の息子は写真と俺が見た顔と一致した」 

 夜刀がさらりと怖いことを言っているような気がする。本当に霊が見えなくて良かった。

「井戸に女性が八名……合計すると三十名でしょ? 一人足りない……あ、そうか。きよねさんはお墓に埋葬されてるのか」

「……墓に入ってるのは最後の『きよね』で、最初の『きよね』じゃない」

「何それ。最後と最初? 意味わかんない」

「俺も意味はわかりたくなかった」

 夜刀は大きく溜息を吐いて項垂れる。

「成山は最初の『きよね』を殺した後、次々と『きよね』を取り替えていた。三十九年間で合計三十一名。井戸に投げ込まれていたのは、死蝋化に失敗した遺体だ。環境や条件を整えていても、何らかの理由で腐乱してしまうことがあったらしい。放っておくと他の遺体にも影響があるから、水槽から引き上げられて井戸に投げ込まれた」

 夜刀の言葉を理解するまで、数秒掛かった。

「……登藤きよねさんは……六十歳で死んだんじゃなかったの?」

「ああ。再婚して一年後には、次の女性に取り替えられた」

「取り替えられたって……え、待って。意味わかんない。……殺されたの?」

「……明確に殺したとは書かれていなかったが……おそらくはそうだろう」

 夜刀の口調は重く、表情は硬い。

「おそらくって……」

「日記を全部ざっと目を通したが、決定的な言葉はなかった。意図して書かなかったのか、それとも狂人の美学なのかは俺にはわからなかった」

「……日記を全部? 日記は返したって言ってなかった?」

「そこの箱の中にある」

 夜刀が指さした先は居間の片隅に置かれた、白い御札が貼られた段ボール箱。六冊の日記を式神に返還させた翌日、霊力をごっそり喰われてぐったりしていたことを思い出す。それなのに、何故ここに全部の日記があるのか。

「……返した後に警察の調査が始まったが、霊障が酷かったらしくて八條本家に(はらえ)の依頼が回ってきた。それで送り先をここにしてもらった」

「じゃあ、警察は日記に書かれたことをまだ知らないってこと?」

「いや。霊障に強いヤツが複写機でコピーを取ったそうだ。そのコピーを元にして裏付け捜査が行われてる。……もう俺が祓の神事を行ってるから、ここに置いてあっても危険はない。今日、警察に送り返すから心配するな」

 私が黙って箱を見ているのを、怖がっていると夜刀は捉えたらしい。確かに怖いと思う気持ちもある。それ以上に、私は三十一人の女性が殺された理由が知りたかった。

「読んでみていい?」

「俺の正直な気持ちを言えば、読まない方がいい。…………どうするのが正解なんだろうな……お前は呪いを受けた当事者だから、何があったのか正確に知りたいと思う気持ちもわかる」

「……そんなに酷い内容なの?」

「ああ。俺が関わった件の中でも、トップクラスの狂人の日記だ。内容は鬼畜の所業以上に凄惨だから読むなら覚悟がいる。成山は人間じゃない。鬼か悪魔だ」

 そう言われると恐ろしくなってくる。様々な悪霊を祓ってきた夜刀ですら、鬼か悪魔と言い捨てる男の日記。

「夜刀……それじゃあ、女性たちが殺された理由がわかる部分だけ、見せてくれる?」

 全部を見るのは無謀でも一部だけなら。私の願いを聞いた夜刀は深く息を整え、箱に貼られた御札を剥がして中から一冊の日記を取り出した。

「…………日記は結婚式の日から始まっている」

 夜刀が開いた日記は古ぼけた茶色の皮張りの本で、中にはうっすらと罫線が印刷されたページに万年筆で縦に文字が書かれている。私は触れない方がいいらしく、隣に座った夜刀の手元を覗き込むようにして日記を読む。


『昭和二十一年八月二十日

 ついに初恋の少女を手に入れた。

 使用人たちに激しく犯され、長い黒髪が乱れる姿は艶めかしく美しい。

 嫌だと叫ぶ口に猿ぐつわをしても、その美しさは損なわれない。

 嗚呼、きよねは美しい。

 本当に素晴らしい。』


 衝撃で何の言葉も出てこない。沈黙していると、夜刀は日記のページをめくって先の日付を開いていく。


『昭和二十一年十二月三日

 きよねがつまらない人形になってしまった。

 これまでは力尽きるまで抵抗していたというのに、最近はそういった抵抗がみられない。

 嗚呼、つまらない。

 快楽に溺れてしまったのだろうか。

 本当につまらない。』


 そこから続く、つまらないという単語の羅列が目を滑っていく。夜刀は日記を閉じ、次の日記を箱から取り出して開く。


『昭和二十二年一月五日

 医者の勧めで、地下に収蔵庫を作ることにした。

 職人も紹介してもらう予定だ。

 素晴らしい物ができあがるに違いない。

 嗚呼、楽しみで仕方ない。』


『昭和二十二年十月三日

 待ちに待った素晴らしい収蔵庫が出来上がった。

 座り心地の良いソファを置き、最高級のワインを集めた私の隠れ家。

 妖しくも美しい水の揺らめきが、私の心を惑わせる。

 ここにきよねを並べれば、とても美しいことだろう。

 嗚呼、何と素晴らしいことだろう。』


『昭和二十二年十月十日

 古いきよねを収蔵した。ゆらゆらとゆれる黒髪は美しく艶めかしい。

 いつまでも時を忘れて眺めていられる。

 きよねを愛でながら飲む酒は美味い。

 嗚呼、私の人生に楽しみが増えた。

 嗚呼、きよねは美しい』


『昭和二十二年十月十二日

 きよねが新しくなって私の手に戻ってきた。

 黒髪を振り乱し泣き叫びながら犯される姿は、やはり美しい。

 やはりきよねはこうあるべきだ。

 嗚呼、きよねは素晴らしい。』


「……三十九年間、鬼畜の所業を繰り返した成山の最後の日記がこれだ」

 夜刀は別の日記を取り、ページを開いた。


『昭和六十年十一月三日

 きよねが肺炎で死んでしまった。

 新しいきよねを探してもらっているが、なかなか難しいらしい。

 金に糸目は付けぬ。

 早く新しいきよねが欲しい。』


 途中からは、字を目で追うだけ。頭が理解を拒否していた。何の言葉も口に出せないままでいると、夜刀は日記を閉じて箱へと戻した。

「……理解できない」

「俺も理解できなかった」

 女性の意思を無視して物のように扱い、物のようにコレクションする。醜悪すぎる狂気を抱えた男が実在していたことに寒気と吐き気がする。

「……狂ってる……」

 きよねの受けた苦しみを思うと、悲しみが涙になって溢れてくる。抵抗しなくなったからという理不尽な理由で殺され、水に沈められた。成山と、助けることなく彼女たちを一方的に弄んだ男たちに対する怒りの感情が込み上げてきて、爆発寸前。拳を握りしめた時、隣に座っていた夜刀が突然私を抱き寄せた。

「ちょ! 何するのよ!」

「愛流、落ち着け。きよねに同情するな。怒るな。共感しすぎるとお前の魂が連れていかれる」

 夜刀の言葉で暗く冷たい水の中に連れ込まれそうになったことを思い出し、熱くなっていた頭が急速に冷えていく。力強い腕の中、夜刀の早過ぎる鼓動が聞こえる。

「お前は今、本当にヤバい状況にいる。怒りは瞬間的に強い力のエネルギーを発するから、俺の結界を破ることができるかもしれない」

「……結界が破れたらどうなるの?」

「〝闇香の呪い〟が一気に進む。俺は愛流を失いたくない。俺は愛流にここにいて欲しい」

「……この感情をどうしたらいいの? 胸が苦しい」 

 理不尽への怒りは、不甲斐ない自分への後悔へと変化していく。どうして私は何もしてあげられないのかという、無力への絶望。あまりにも可哀想で苦しくて、つらくて涙が溢れてくる。

「あれはお前が体験したことじゃない。今だけでいいから、分けて考えるんだ。可哀想と同情するだけでは、きよねは救われない。悪霊と化したきよねの魂が安らかに神上がりできるように祈ることが一番だ」

 神上がりとは成仏すること。

「祈ってどうなるの? 何の意味があるの?」

 何もしてあげられないと理性では分かっているから、だからこそ心が苦しい。

「祈りは陰の気を浄化して陽の気へと変える手伝いをする。悪霊が持つ陰の気を浄化できれば神上がりできるのは知っているだろ? 一人一人は小さな力でも、集まれば祈りは強くなる。……きよねは三十一名の女性が一つになった集合霊だ。一人一人の霊力は弱くても、集まれば強くなるのは陰の気も同じだ。多くの人がきよねが安らかに逝けるように祈ってくれればいいが、可哀想だと思ってしまえば、陰の気が強化されていく。恨みと憎しみから解放されなければ、きよねの苦しみが続くだけだ」

 それはとても難しいことだと思う。この理不尽な事件の詳細を知ってしまったら、きっと大多数の人が可哀想だと思ってしまうことだろう。

「すでにきよねに対する同情の念が広まっているせいだと思うが、〝闇香の呪い〟の力も強まっている。この日記が世間に公表される前に、きよねを召喚する。それまでは、きよねの浄化を願ってくれ。大丈夫。愛流は俺が護る」

「……ごめんなさい。今だけ泣いていい? 泣いたら浄化を願うから」

 つらい体験をしたのは私ではない。分けて理解しようとしても、悔しくて苦しい。実際を知らないのに可哀想だと思うのは傲慢なのかもしれない。

「好きなだけ泣いていいぞ。……優しいな。愛流は」

「優しくなんてないの。きっと傲慢なのよ」

 夜刀の早すぎる鼓動の中、私はきよねの悔しさを想って涙を流した。

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