第七話 三人の霊能力者
優先するべきはどちらかと話し合った結果、元使用人の現在の状況を確認して当時の様子を聞くことを選んだ。新たな撮影場所を作られたら被害者が増えていくだけという判断。
翌朝、自宅に戻っていた零音を車で迎えに行くと、零音の住居は駅近の四十六階建てのタワーマンションだった。周囲には目立つ高層ビルもなく、一本の柱が日の出の光を背にしてそびえ立つ光景が、ある意味神々しく見える。
「うわー。超高そうー」
「あいつ……凄いトコ住んでるな」
ハンドルにもたれつつ放たれた夜刀の呆れたような声に、羨望ではない何かが含まれているような気がした。
「ちょ。何かあるの?」
「……ここは古戦場だった所だな。その後処刑場。……供養もせずに建ててやがる……よく建てられたよな……」
目を細めた夜刀には一体何が見えているというのだろうか。古戦場に処刑場。強烈な言葉の羅列に眩暈がしそう。
「私、霊とか見えなくて本当に良かった!」
「普段見えない人間が見える霊は、相当ヤバいっていうのは理解しとけよ」
それはきよねのことなのか。そんなやり取りをしていると、黒のスポーツバッグを肩に担いだ零音が走ってきた。茶髪にグリーングレイのカラコン、藍色の麻のテーラードジャケット、白Tシャツにベージュのスリムパンツ。茶革のカジュアルシューズと、爽やかでもどこか派手な印象が漂う。
「おはよー。待たせてごめん!」
「たった今、来たところだ」
颯爽と登場した零音の存在感に気圧されつつ、確かに今来たところと同意するように頷く。挨拶を交わし、私は後部座席へと移動する。
「愛流、何で後ろに座るんだ?」
「だって私、ナビできないもの。零音さんの方が地図読めるし確実でしょ?」
仲のいい二人の邪魔はしたくないという本音はかろうじて飲み込む。後ろでそっと見守らせていただきます。
何故か口を引き結んだ夜刀の顔を見て、零音が困ったような顔をする。
「えーっと、僕は自分の車にしようかな……」
「それは困る。俺が霊力を使いすぎた時に、また運転を頼みたい」
ふと、夜刀は零音が好きというのを知られなくないのではないかと閃いた。好きな子が隣に来ると、不機嫌を装う男の子。小学生かと心の中で突っ込みながら、自分の考えにそうかそうかと納得する。
「おい、愛流。何だその不気味な笑いは」
「え? 何でもないわよ。早く出発しましょ」
ぐふふふふ。そんな含み笑いが声に出てしまっていたらしい。私は余所行きの顔を整えて、夜刀に答えた。
元使用人は二人とも辺鄙な山奥に住んでいた。地図で確認すると車が走行可能な道はあっても、周辺に人家はない。成山邸で働いていた使用人たちは、全員が退職の際に多額の退職金が支払われ、その後は家を建てて暮らしていた。私は、その退職金が口止め料だったのではないかと雅の調査結果を聞いて思った。
「どっちも夜中にヤバいライブ配信するのにぴったりな条件が揃ってるな」
「夜刀、不吉なこと言うのやめて。またどこかにミイラ死体がひっそりと転がるとか洒落にもならないもの」
三百体以上のミイラは、すでに見つかっていることもあれば、まだ見つかっていないこともあるだろう。行方不明のまま存在が消えていく虚しさは想像するだけでも切ない。
早朝に出発し、早めのお昼ご飯を済ませて目的地近辺に到着したのは午後一時過ぎ。森に近づいても、今回は白い煙も緊急車両の姿もなくてほっとする。
「妙だな。全然何も感じない。……ダメだ、普通だ」
車が走るのは田舎の道路。最寄りのファミレスは遥か前に過ぎ、そろそろコンビニが見えてくる。延々と広がる青々とした水田の稲にはみっしりと実がついていて、重そうに揺れていた。
「普通でいいじゃない。何がダメなの?」
「こっちでなかったら、もう片方が当たりってことだろ。当時の話を聞いたら、とっとと帰るか、もう片方に直行するか考えないとな」
そういう意味か、と助手席の零音の手元を見ると次の目的地の地図を開いていた。
「そうだね……この距離で直行するのは厳しいかな……今から一時間で話を終わらせたとして午後二時出発、どんなに急いでも午後六時。日没までほとんど時間がない。泊まりか出直すかのどちらかだね」
太陽の光が弱まると、陰の気が強くなって悪霊の力が増す。恨みや想いが重くなって悪霊の行動が激化しやすくなる。これは人間も同じで、夜には他者への気持ちが重くなりやすいから、思考を切り替えて自分のことを大事に考える方がいいと、私と零音は夜刀から聞いていた。
「日中でも人を異界に引きずり込む霊だからな。夜はさらに警戒が必要になる」
車はゆっくりと角を曲がり、元使用人の家へと近づく。木々の中、あちこちが黒ずんだ灰色のブロック塀が見えてきた。
「森の中のブロック塀って不自然ね」
二メートル近くまで積み上げられたブロックの上には錆びた鉄条網と鉄の棘。何かに警戒するにしても、もっとスマートな方法があるはず。
更に曲がると土の道。頑丈そうな鉄の扉の前で車を降りる。
「こんなに警戒する程の退職金をもらったってことかしら?」
前の撮影場所だった米見の家も、周囲は鉄条網と熊の罠。ドーベルマンを飼って何かに警戒している様子だった。
「そうかもな。成山は子供がいなかったから、もしかしたら遺産でも受け継いだかもしれないな」
そうだった。成山ときよねの間に子供はおらず、きよねが六十歳で亡くなり、その一年後に成山が八十六歳で亡くなっている。死後すぐに成山邸は売却され、その代金は誰が受け取ったのか不明。金融取引が明確に記録され、本人確認が厳格化された今と違って、昭和六十年当時はペットの名前や借名でも銀行口座を作ることができたと聞いたことがあるから、おそらく偽名でも口座は作れただろう。まさかという疑念が頭の中を掠めていく。
木々に囲まれた門の前で車を降り、カメラもない古いタイプのインターホンに手を伸ばそうとした時、鉄の扉が開いて土佐犬を連れた六十代の男性が現れた。
「誰だ! ここは俺の私有地だぞ! 不法侵入で通報してやる!」
老人は喚くように怒鳴り、土佐犬は低く唸って私たちを威嚇している。
「福間さん、突然の訪問で申し訳ありません。成山剛次郎氏のことでお聞きしたいことがあります」
夜刀が礼儀正しく頭を下げ、私たちも倣う。一瞬怯んだ老人は激高し、土佐犬の首輪に繋いだ太いリードを外して私たちにけしかけた。
「何故、俺を福間だと知ってる!? あいつらを噛み殺してしまえ!」
福間の命令を聞き、土佐犬は私たちへと向かってきた。夜刀と零音が私をかばった時、耳元で鈴の音が聞こえた。
「何で今なのっ?」
振り返る勇気はない。前から土佐犬、後ろにきよね。絶体絶命を考える間もなく土佐犬の動きは止まり、しっぽを丸めて足の間に挟んだ。
「おい! 何故言うことを聞かんのだ!」
福間がリードで犬を叩くと、犬は全力疾走で門の中へと走って逃げてしまった。
「くそっ! 何だって言うんだ……あれはっ!?」
私たちへと視線を向けた福間は、大きく目を見開いて驚愕の表情を見せた。その視線の先、振り向くと木の陰に白いワンピース姿の華奢な女性。その姿は一瞬で消え失せた。
「ゆ、許してくれ! 俺は、命令されただけだったんだ!」
恐怖に顔を歪め絶叫した福間は、自らの胸をわしづかみにしながら倒れた。
「ど、どうしたんですかっ!」
三人で慌てながら駆け寄り、夜刀が福間を仰向けにすると、目を見開き口からは泡を吹いていた。零音が救急へと電話する間、夜刀が福間の脈を診て歯噛みする。素人の私が見ても血の気がなく呼吸も止まった老人が死んでいるのは明らか。それでも救急の指示に従いながら、夜刀と零音は心臓マッサージを交代で繰り返す。
十五分後に救急隊が到着し、知り合いでも何でもないと告げると救急隊は福間だけを救急車に乗せて去った。どうしたらいいのか門の前で立っていると白い軽トラックが現れて老夫婦が近寄ってきた。
「こんな所で、どうなさったのかね? 迷われたかな?」
「福間富一さんを訪ねてきたのですが、今、ここで倒れて救急車で運ばれました」
「あんれまぁ。さっきのサイレンはその音かね。後で病院によってみるかね」
救急車で運ばれたと知って慌てることなく、二人がほっとしたように見えたのは気のせいか。のんびりとした動作は変わらなかった。
「運ばれた病院がわかるのですか?」
「この辺の救急病院って言うたら、一か所しかないからね」
人の良さそうな老夫婦に、福間は死んだとは言いづらい。もしかしたら病院で蘇生しているかもしれないと、一縷の望みもある。
「先ほど、土佐犬のリードが外れて中へ走って行きました。大丈夫でしょうか」
「リードが外れた? それは大変だ」
零音の言葉を聞いて、初めて二人は顔を青くして慌て始めた。
「一緒に伺いましょうか」
そう申し出た夜刀と零音を盾にして、老夫婦は鉄扉の中へと入る。車の中で待っていていいと言われた私も、一人になるのが怖くて一緒に扉をくぐった。
塀の中の木造家屋は昔ながらの広いお屋敷風。整えられた日本庭園と対照的に土がむき出しの地面には、犬が走ったと思われる足跡が残っていた。
「まさか、放し飼い?」
土佐犬は特定動物に指定されていて、場所によっては飼育許可が必要な犬。放し飼いは許されてはいないはず。
「……本当は禁止されとるんですが、夜は犬を庭に放しているらしい。日中は檻の中だ」
庭の奥、まさに鉄格子で出来たケージは、二畳はありそうな巨大なもの。その最奥で土佐犬は体を小さくしてがくがくと震えていた。
「あんれまぁ。これはどうした?」
驚きつつも老夫婦はほっと安堵の息を吐き、ケージの鍵を掛けた。
「良かった良かった。お前さんがたがいてくれて助かった。お茶でもと言いたいところだが、福間さんがいないと人は中にあげられんでな。申し訳ない」
立ち話の中、老夫婦は通いの使用人とわかった。鍵を預かり昼間に家事を片付け、夕方には去るだけの関係。福間は二十年前に引っ越してきて、過去の話や個人的な話を一切せず、近所とも親しい付き合いは無かった。
本当に何も知らないようだと判断した私たちは、老夫婦の家への招待を断って、福間の家を後にした。
帰りの運転は零音に替わり、車内に明るい曲が流れても雰囲気は暗く、三人とも無言。目の前で人が死ぬのを目撃してしまったのだから仕方ないとも言える。
「……夕飯、何喰う?」
「そうだね……中華料理はどうかな? 賑やかで落ち着かないかもしれないけど」
零音が提案したのは、オープンな厨房での調理パフォーマンスの騒々しさで評判の中華料理のチェーン店。いつもなら避けたくなる店なのに、今日はいいかもしれないと思える不思議。
「私も中華に一票」
お通夜状態の三人が静かな店に行ったら、お店に迷惑をかけてしまいそうな気がする。騒々しい店なら、きっと気も紛れる。
「そうか。それなら中華だ」
夜刀も同意して、最寄りの店へと車は向かう。何を食べようかと考えると少しずつダメージも薄れてきた。
「俺は見れなかったが、きよねが来ていただろう? 福間が最期に叫んだ言葉の意味、どう思う?」
「ああ。消える直前に見たよ。おそらくあの女性の姿を見て『俺は、命令されただけだったんだ』だって言った。夜刀に教えてもらった話から考えると、女性たちを殺したか、死体を隠す手伝いをしたってところかな」
「私もそう思った。成山さんが八十六歳で亡くなった時、福富さんは二十三歳でしょ? 長年勤めてたのならわかるけど、数年務めただけで立派な家が買えて人を雇えるくらい退職金もらえるなんて、普通じゃないもの」
続けて女性霊のことを言おうとして悩む。何の根拠も無いし自信も無かった。
「愛流? どうした? 何か気が付いたなら教えてくれ。どんな些細なことでもいい」
「ん。……森の中に現れた女性のことなんだけど……微妙に顔が違うような気がするのよね……華奢で長い黒髪。白いワンピースっていうのは共通してるんだけど……」
別人かと言われると難しい。儚げな美人という印象は強く残っていて、距離があったことと木の影のせいで違ってみえた可能性も高い。
「僕も違うと思ったな。何となく目が違うような気がしたんだ。一瞬だったし遠かったから見間違いかもしれないけどね」
零音も同意してくれるのなら心強い。
「難しいな……霊の姿が違って見えることはある。年齢が上下したり、角が生えた鬼に見えたりな。肉体が無いから形は不安定だ。自分が見ている色と他人が見ている色は微妙に違うと言われるように、霊も見ている人間によってその見え方も変わる」
「同じ霊だけど零音さんと私が見ている女性の姿も微妙に違う可能性もあるってこと?」
「ああ。発している陰の気は同一だから、見えなくても同じ霊だと俺にはわかる」
陰の気が同じだというのなら、単に違ってみえただけなのか。そう言われると、国民服の男性と零音が似ているように思うのも気のせいかも。そのことを言うかどうか考えている間に、車は中華料理店へと到着した。
翌朝、気を取り直した私たちは、もう一人の使用人の家へと向かって車を走らせていた。
「昨日の件で、何か連絡はあったか?」
「ないよ。ずっと気にしてはいるんだけど、事情聴取とかはないのかな?」
「通りすがりと言ってあるからな。外傷は無しで突然死と診断されたら、事件性は疑われないんじゃないか?」
第一発見者として事情聴取された場合にと、口裏は合わせてあるのに警察から何の連絡もなくて拍子抜け。名前は告げていなくても、零音のスマホで通報しているから個人特定はできるはず。
「唯一心配なのは、心臓マッサージで肋骨折ってないかってことだな」
「それは僕も心配だな。あの状況で冷静になんて無理だったからね」
二人は乾いた笑いを車内に響かせる。二人とも救命措置に慣れていて、落ち着いているように見えたのに意外。
「草場さんも同じことになったりしない?」
向かっているのは草場清吾という男性の家。使用人の中で一番若く、成山の死亡時に二十一歳。現在五十八歳で、この人も山の中の一軒家で暮らしている。
「会ったら問答無用で俺の結界に引きずり込む。霊が見えないようにすれば、ショック死も防げるだろ」
「ちょ。それって、お話聞いて解放した後にヤバいでしょ」
夜刀の結界から出た後、きよねを見てしまうのではないか。
「それは仕方ない。理由は不明だが、自業自得だろ。きよねは姿を見せただけで、福間に何もしていなかった」
「あ、そうなんだ……。てっきり呪いか何かで死んだのかと……え? ちょっと待って、もしかして、私たちがきよねさんを案内してる?」
三十数年、警戒しながらも無事に過ごしていた福間が、突然きよねの姿を見た。その原因といえば、私たちが尋ねたからとしか思えない。
「……愛流に掛けられた呪いは止まっているが、きよねには縁が繋がっているままだ。愛流の思考や見たものは知られないように遮断していても、お前が動けばその後ろを着いてくることはできる。結界の外に張り付いているかもな」
「ちょ。それじゃあ、今から行く草場さんも危ないじゃない」
「そうは限らないよ。姿を見ても自責で死んだりしないかもしれないし、もしかしたらすでに別のルートで撮影場所になっているかもしれないよ」
夜刀も零音も、何かを振り切ったような清々しい笑顔。昨日のお通夜状態の顔とは全く違っている。一夜にして豹変した理由は何なのか。
「俺の最優先は、愛流の呪いを解くことだけだ。他はどうでもいい」
「僕の最優先は、僕の呪いを解くことかな。呪いの理由を知りたいだけなんだよね」
見た目は正反対でも、実は似た者同士。だから夜刀は零音が好きなのか。仲良く笑いあう二人を後部座席から眺めつつ、私は複雑な気持ちを抱え込んでいた。
山へと向かうなだらかな丘の途中、夜刀は車を停めた。周囲は青々とした水田と畑。夏の終わりの空が広がり、暑さもありながら吹き抜ける風は涼しさを含んでいる。実家で過ごした夏休みの空を思い出して、懐かしさを感じるのどかな風景。
「何? ガス欠?」
「お前、さっきガススタで満タンにしたの見てただろ? ……今回も普通だ。何も感じない」
夜刀は目を細めた後、溜息一つ。
「それなら、撮影場所は準備中っていうことじゃないかな。家一軒を乗っ取るのって時間かかりそうだよね。時々配信サイトをチェックしてるけど、復活する様子はないし、サイトの閉鎖がネットで話題になっていないのが不気味なんだよね」
「誰かのリークで警察に摘発でもされたかと思って、静かに再開を待ってるんじゃないか?」
秘密を守って再開を待つ。そうまでして見たいと思うようなライブ配信なのだろうかと首を傾げそうになる。
車は再び動き出し、元使用人の草場清吾氏の家へと向かう。こちらもやっぱり森の中の一軒家。零音が持つ地図を後ろから覗き込んで気が付いた。
「そういえば、三軒とも川とか池って近くにないのね」
「田んぼの横に水路があっただろ。あと、農業用の溜め池」
夜刀の指摘は確かにそう。水田や畑の近くには水路が流れていたし、溜め池も見た。
「違うの。ちゃんと名前が付いた川とか池ってこと。一キロ四方にはないでしょ」
零音が昨日訪れた福間の家の地図を開くと、やはり周囲一キロには川も池も無い。撮影場所だった米見の家も同じ。
「……きよねが川とか池から来ると考えていたとか? ……土岐川が吐血した時、噴水の方から現れたと言ってたな?」
「そう。……あ、そうか。川は無かったから違うのかな……」
「あの近くに事故が頻発して暗渠化された川があったはずだ。子供の頃の記憶だから正確には思い出せないがちょうど公園の下かもしれない」
暗渠といえば、フタをされて地下に隠された川。ド田舎から出てきた私にとっては全く知らない情報。
「お前が幻影を見せられた警察署の近くにも川が流れてる。……そういえば福間の家、立派な日本庭園だったのに池はなかったな」
私はシェアハウスの近くにも川が流れていたことを思い出し、この呪いが解けたら引っ越そうと決意した。
森の中への一本道は昼間でも暗い。かろうじて舗装はされていても、あちこちがひび割れていて車ががたがたと揺れる。
「ひー。酔いそうー」
「しゃべるな。舌噛むぞ」
「もうすぐ着くよ。頑張って」
そんなやり取りをしていると、茶色に錆びたトタン板の壁が木々の間から姿を見せた。二メートルはありそうな壁には新旧入り混じる御札が何枚も貼り付けられていて、地面から一メートルの高さには紙垂が下がる縄が張り巡らされている。
「うっわー。バチ当たりそう」
ありとあらゆる神様や仏様の御札、紙垂の下には赤ペンキで描かれた鳥居。さらには朽ちかけた木の十字架が立てかけられていて、ご利益よりも怒られそうな気がする。
「あ、あれが玄関かな?」
零音の乾いた笑いと共に指し示されたのは、頑丈そうな鉄の扉。扉にはラーの目が描かれ、両脇には巨大な狛犬が置かれた石柱とスフィンクスが置かれた石柱。龍が巻き付く龍柱。トーテムポール。人間サイズのお地蔵様や仏様がずらり。他にも石や木で出来た縁起物が朽ちかけている。
「ちょ。博物館じゃあるまいし」
「もっと大事にした方がいいんじゃないかな……」
「動揺しなくていい。何も入ってない、ただの置物だ」
慌てているのは私と零音だけで、夜刀は苦笑するのみ。何も入っていないと言われても、これだけ集合されると不気味さは増す。
車を停め、扉の前に立つとごちゃごちゃとした圧迫感が押し寄せてくる。扉へ近づこうとした零音を夜刀は止めた。
「ヤバい。罠が仕掛けてある。ここにも、そこにも」
夜刀が指さした先には、尖らせた竹や木の杭が隠れているのが見えた。
「これって、やりすぎじゃない?」
どうしたらいいのかと思っていると、郵便局員のバイクがこちらに向かってやってきた。
「あれ、どうしたんですか?」
「えーっと、実は困っているので助けて頂けたら有難いのですが……」
「ああ、私で出来る事なら」
「僕たち、こちらにお住まいの草場清吾さんに会いに来たのですが、インターホンがどこにあるのかわからなくて困っているんです」
零音の柔らかな笑顔と物腰は、初めて会う人間の警戒心を溶かしてしまうらしい。最初は不審そうな顔をしていた局員も笑顔になっていく。
「ああ、それなら簡単だ。……草場さーん! 郵便でーす!」
バイクの荷台から封書を持って近づいてきた局員は仏像たちには近づかず、扉に向かって大声を張り上げた。
『おう! そこに置いてけ!』
扉の中から大声で返答が聞こえ、局員は封書を地面へと置き、手近な石を上に乗せて風で飛ばされないようにした。あまりにも雑で原始的な方法に目を丸くしてしまう。
「草場さーん! お客が来てるよー!」
『客!? 誰だ!? 客が来るなんて聞いとらん!』
直後に、がらがらと何かが崩れ落ちる音、どたどたと階段を降りる乱暴な足音が聞こえてきた。しまったという顔をした局員は、そそくさとバイクに乗って逃げていった。
「逃げ足早っ!」
速度違反を疑うような速さでバイクの姿は消えた。内側からは、がちゃがちゃがらがらと騒がしい音が響くだけ。
しばらくしてようやく扉が開いたと思いきや、猟銃を構えた六十代前後の男が現れた。白髪頭はぼさぼさ、着ている服はあちこちが破れ、いつ洗ったのか疑問に思うくらいに汚れている。目をぎらつかせ憤怒の顔で睨むのは、あきらかに私。怖くて固まっていると、夜刀が背中にかばってくれた。
「人間か。何の用だ?」
地面に落ちる影を視線で確認し、草場はほっと安堵の息を吐いて猟銃を下げた。
「……八條夜刀と申します。拝み屋を生業にしています」
「拝み屋? な、何が見えるんだ?」
草場は明らかに狼狽し始め、その眼には怯えの色が濃くなっていく。
「白いワンピースを着た長い髪の女性の霊との縁が見えます」
夜刀の言葉を聞いて、草場は項垂れ、がくがくと体を震わせた。
「事情を聞かせて頂ければ、何かお手伝いできるかもしれません」
「そ、それは……な、中で話そう。……!」
――耳元で、鈴が鳴った。
顔を上げた草場は、私たちを見て再び憤怒の顔になり、銃口を私たちへと向けた。歯噛みした夜刀が私を完全に背に庇い、その前に零音が立つ。
「やっぱり来やがったな! 俺はあいつらみたいに殺されないぞ!」
至近距離で銃声が響き、耳が痛くてたまらない。銃弾は私たちではなく、その後ろの空間へと撃たれていた。ちらりと振り向くと白いワンピースのきよねの姿。口を歪めて禍々しく笑っているように見えて、背筋が凍り付く。
「殺してやる! お前らを殺して俺は自由になるんだ!」
目を血走らせた草場は銃を持ち、私たちの横を走り抜けて森へと向かう。その時、バイクに乗った警官二人がこちらに向かって来ているのが見えた。
「草場! お前、何するつもりだ!」
慌ててバイクを止めた警官の一人が草場を追い、もう一人が無線で応援を呼ぶ。
「俺は自由だああああ!」
叫び声の後、森の中から再び銃声が響いた。
「おい! 草場! しっかりしろ! 救急車! 救急車を呼んでくれ!」
警官の叫び声と無線で救急車を呼ぶ警官の声が、無言で立ち尽くす私たちを取り囲んでいた。
草場は搬送先の病院で死亡が確認され、村の駐在所で軽く事情を聞かれた私たちはお茶を頂いていた。草場は過去に家へ近づいた人間と大小さまざまな傷害事件を起こしており、村の全員から警戒されていた。逃げた郵便局員は、すぐに駐在所へ助けを求めてくれたらしい。
「傷害事件を起こしたのに、猟銃を持てるんですか?」
「いやー。それは……事件を起こしても、草場が大金を支払ってしまうから、皆、被害届を取り下げてしまってね。実は一度も立件できてないんだ」
そのいろいろを思い出したのか、警官は溜息を吐きながら苦笑する。
「猟銃による自殺で終了。……ということになるだろうね」
「えーっと、この場合も自殺になりますか? 草場さんは何かに向かって撃ったんですよね?」
零音が私の疑問を代弁してくれた。
「私には、そう見えた。……だけど、散弾は草場の体を吹き飛ばした。銃の暴発とも違う。撃った先にあった木々に何の傷もない。見えない壁が弾き返したようにも思えるが、映画と違って銃弾の進路は見えないからね。本当にわからない」
「それなら事故になるのではありませんか?」
夜刀の指摘に、警官は目を泳がせる。
「まあ、いろいろと事情があってね。……猟銃での事故にすると本当にいろいろと後が面倒なんだ」
囁くような小声で告げられた言葉は本心なのだろう。家の周囲での動画撮影の許可を取りたくて草場を訪ねた、という虚偽説明をしている私たちにも後ろめたさはある。一応の連絡先だけを残し、私たちは帰路に着いた。
帰路の運転は零音。明るいポップスが流れていても、やっぱり車内はお通夜状態。
「……覚悟はしたつもりだったんだがな。実際死なれると後味が悪い」
「そうだね。僕も覚悟してたつもりでいた」
銃口を向けられた時点で、私には可哀想とかいう思いは綺麗さっぱり消えていたのに二人は罪悪感めいたものがあるらしい。
「零音さん、きよねさんの顔見た?」
「……見た。別人みたいに笑ってたね」
本当にそう思う。これまでの清楚な印象は消えて、禍々しく笑う顔が記憶を塗り替えて恐怖を感じる。
「『俺はあいつらみたいに殺されたりしない』と言ってたけど、米見さんと福間さんが死んだのを知ってたのかな?」
「ニュースをチェックしていたなら米見の方はわかるだろうが、福間の方はローカルニュースにもなってなかった。生き残っていた三人がこれだけ警戒して暮らしていたことを考えると、昔からきよねに殺された使用人がいるのかもしれない」
大金を持っていても、毎日怯えて暮らす日々。三人は一体何をしたのかという謎を抱えて、私は小さく溜息を吐いた。
翌朝、若干の疲れを感じつつも私たちは車で成山邸へと出発した。
「愛流、本当に大丈夫なのか?」
「疲れているなら、眠った方がいいよ」
夜刀と零音の気遣いは嬉しくても、謎と呪いを抱えたままでは熟睡できず、夜中に何度も目が覚めてしまう。休息を取って長引かせるより、さっさと解決したい思いが先走っている。
「大丈夫。眠くなったら寝ます。それより、二人は大丈夫なの? 車の運転って疲れるでしょ?」
「男と女の体力比べるなよ」
「動画撮影の時は、もっと過酷だからね。これくらいは何ともないよ」
零音は二年間毎日休みなく撮影をしていたこともあるらしく、社員が増えてからは楽をしていると笑う。
「撮影よりも動画編集の方が大変なことが多いんだ。夜中まで編集作業して、早朝に撮影へ出掛ける生活で鍛えられたよ」
今は週に三日撮影、一日企画会議という名の飲み会、あとは休日といいつつネタ探しか、趣味の車の運転と聞くと、実際の休みはなさそう。
やがて車は山道に入り目的地が見えてきた。
「今の成山邸を所有しているのは、『廃墟deお宝掘り出し隊』っていう動画配信グループなんだ。隊長の結城に連絡は取ってあるから安心していいよ」
隊長と聞いて、あの謎な戦隊もの風の決めポーズを思い出してしまった。グループの絶望的なネーミングセンスの無さに笑ってしまう。
「あ、先日の続きの井戸の動画って、公開されてました?」
「それが編集に行き詰っているんだって。何度エンコードを掛けても、公開用データが生成されなくて困ってるそうだよ。とりあえず、過去の企画の未公開動画でお茶を濁してる状況だって」
「それは幸いだな。あんな動画を長々と見たら、体調崩すヤツが続出するぞ」
一瞬の画像で死体があると言った夜刀には何が見えているのか。自分に何も見えないことに思わず感謝。お屋敷を取り囲む土壁が見えた途端に夜刀がぎりりと歯噛みする音が聞こえた。
「……マジかよ……ヤバ過ぎて笑えんぞ」
「な、何がヤバいの?」
「動画で見た時には無かったが、屋敷全体が真っ黒な穢れに覆われてる。愛流も零音も俺のそばから離れるなよ」
私の目に映るのは青々とした木々が取り囲み、物悲しさを感じさせる日本家屋の廃墟。駐車場として指定された空き地には、ワンボックスカーと軽トラックが数台と派手な赤色のスポーツカーが一台止まっている。夜刀はスポーツカーから離れた場所に車を停めた。車から降りるとセミの鳴き声が耳につく。
成山邸の門は全開で、『御用のある方は、中に入ってお声を掛けて下さい』と油性ペンで書かれた段ボール紙が置かれているだけ。夜刀と零音が遠慮なく入っていく後ろを着いていく。
「夜刀、どこにいくんだ?」
「馬鹿の気配がする。愛流、念のために俺の手を握っていろ」
零音の言葉に苦笑で返し、私の手を握った夜刀は歩いていく。何故手を繋がなければいけないのかと抵抗してみても、力強い手は解けそうにないから諦めた。
案内もなく初めての場所だというのに夜刀は裏庭の井戸へとたどり着いた。直径一メートル程の古い井戸の前には白木の祭壇が置かれ、白い神職の服を着た二十代後半の男性が祓串を振っている。その背後には、カラフルな作業服を着た男性たちと、グレーの作業着を着た男性たちが神妙な面持ちで直立していた。突然現れた私たちに一瞬注目が集まったけれど、男性たちはすぐに祭壇の方へと目を向け、赤い作業服を着た男性が、こちらへ並べと手招きをする。
手招きに応じて、男性たちの後ろへと並ぶと、祭壇と井戸に貼られた大きな護符が貼られているのが良く見えた。
「……似非野郎……」
ぼそりと呟かれた夜刀の言葉には、呆れが滲む。祓串の動きが止まると、うるさく鳴いていたセミの声が消えた。
「これにて、儀式は終了です。悪霊は鎮まりました」
芝居がかった声で宣言した神職が振り返った時、周囲に鈴の音が鳴った。男性たちもあちこちを見回しているから、私だけでなくきっと全員に聞こえている。
「これは神の祝福の鈴の音です」
微笑む神職の右肩に、青白い華奢な手が置かれた。
「うわああっ!」
気が付いた誰かが叫び、驚いてしりもちをつく者や、逃げようとして他人を巻き込んで地面に倒れ込む者、逃げようとする者に縋りつく者もいて、結局は誰も逃げられずに大混乱。私は夜刀と零音に庇われて無事。
「何を驚いているのですか?」
見えていないのは神職のみ。背後から禍々しく笑うきよねの姿が現れた。
「う、後ろ!」
作業服の男性たちが、神職の背後を指さした時点で、ようやく異常を感じた神職はゆっくりと振り返った。
「ぎゃあああああああああ!」
きよねを見て恐怖の叫び声を上げた神職は、払串をきよねに投げつけ、脱兎のごとく走り去った。
「愛流、零音、そこから動くな!」
夜刀の手が離れると、私と零音の足元に白い光の円が描かれた。夜刀は作業員たちを避け、きよねに向かって走って行く。夜刀の手から撒かれた白い短冊が白い光を帯びた茨になって、きよねの周囲を囲む。
「お前の願いは何だ!? 何故、愛流を呪った!?」
夜刀が問いかけても、きよねはますます禍々しい笑みを見せるだけ。対峙の緊張感の中、大きな破裂音が響いた。
「うあああああああああ!」
ごろごろと地面を転がる作業服の男は顔から血を流し、スマホと思われる残骸が散らばっている。どうやらこの状況を撮影しようとしていたらしい。
「しまった! 逃げられた!」
白い茨の檻に捕らわれたきよねの姿は消え、けたたましいセミの鳴き声が戻ってきた。
スマホの爆発でケガをした男性は病院へと送られ、私たちはグループのまとめ役である結城と朽ちかけた縁側に座って話し込んでいた。立派だったであろう日本庭園はすっかり荒れ放題でジャングル状態。
「いやー、ほーんと驚いたねー。あれ、マジで幽霊っしょ。変なことばっか起こるから気休めに霊能力者呼んだのに、本物出てくるとは思わなかったよ」
赤い作業服に白いヘアバンドを付けた結城は三十代半ばの男性。流石リーダーといった雰囲気で、動揺するメンバーを明るい態度で励まして近くのファミレスで休憩してくるようにと指示を出していた。
「あれは似非霊能力者だ。あんなデタラメなヤツ、よく見つけてきたな」
夜刀が大きく溜息を吐く。
「えーっと、彼は動画配信で結構有名なんだ。僕もニセモノとは思ってなかったよ」
苦笑する零音から、似非霊能力者のチャンネル登録者数が二百万人超えと聞いて驚く。脱兎のごとく消えた似非霊能力者は、赤いスポーツカーと共に姿を消していた。
「装束はぺラい贋物だし、さっきの護符の形状は正しいが逆に貼ってあった。あの状態だと、霊を鎮めるのではなく、霊を招聘することになる」
残された護符は真っ先に夜刀が破り捨て、火にくべられた。
「『しょうへい』って何?」
「丁重に招くってことだ。まぁ、正しく貼られていても、きよねレベルだと鎮められないだろうな」
夜刀も初めてきよねの姿を見ていた。長い黒髪に白いワンピース。禍々しい笑顔は、昨日みた顔よりも別人のように恐ろしいものだった。
「八條さんは本物でしょ? いやー、凄くカッコよかったよねー。まるでアニメのヒーローみたいでさー」
「本物だから言っておく。今すぐにこの屋敷から逃げた方がいい。死人が出るぞ」
夜刀の忠告に、結城は首を横に振った。
「本当は俺も逃げたいんだけど、ここ買うのに借金しててさ。……何とかして復活させて売らないとダメなんだ」
結城のグループは廃墟を格安で購入し、改修と刷新を行って高値転売することを繰り返しつつ、動画配信で稼いでいた。ファンが増えて名前と活動が知られるようになり、ネットニュース等に取り上げられるようになると、逆に物件が売れなくなってしまったと愚痴を吐く。
「まさか、有名になったら売れなくなるなんて思わなかったからさー。今は二軒が売り出し中。冷やかしの見学は多くても全然売れなくて、手数料だけ取られてる」
どんなに立派に再生されても元は廃墟の改築だとわかったら、買いたくはないと思う。話を聞いている最中、メンバーの一人がやってきた。
「結城、もう一人霊能力者来たけど、どうする?」
「は? 今日じゃなく、明日ってお願いしてなかったか?」
「何か嫌な感じがするから早く来たって言ってる。連れてきていいか?」
結城は会うことを承諾し、現れた痩身の男性は、Tシャツにジーンズ姿の三十代前後。顔色は蒼白で、すでに体を震わせていて歩くのも覚束ない状況。
「……悪いが、ここの霊は強すぎて俺には祓えない。……何だ。〝浄化の巫女〟がいるじゃないか。だが、今のうちに早く逃げた方がいい」
ワニと名乗った男は、私の顔を見て安堵の息を吐いた。
「え、何? 彼女さん、巫女さんなの? 霊能力者と巫女さんのカップル? うわー、動画配信やらない? すっげーカッコイイじゃん! もしかして、零音が企画中?」
場違いに盛り上がる結城を無視して、夜刀はワニに顔を向けた。
「貴方には何が見えますか?」
「……この屋敷全体に黒いもやのような穢れが見える。……俺がここまで入ってこれたのは、おそらく彼女の歩いた道をたどってきたからだ。それも徐々に穢されてきている」
彼女というのは私のことか。平静を装うつもりでも、動揺は隠せない。
「他には? 遠隔で見えたものを教えて下さい」
「……井戸の中と……蔵の下。おぞましい闇が見えた。恐ろしくてそれ以上は見ていない。とにかく、ここは危険だと知らせに来た」
「蔵? ここに蔵があるのか?」
夜刀が結城に尋ねると、あると答えが返ってきた。公開していない情報を遠隔で見ることができるなら、ワニは本物の霊能力があるのだろう。
「蔵に近づいて見ますか?」
「無理だ。あんな闇、見たことない。闇がゆらゆらと揺れているんだ。俺には耐えられない! 金は要らない! 俺は言うべきことは言ったぞ! 死にたくなければ逃げろ!」
そう叫んだワニも、走り去った。
裏庭の井戸の隣に建っていたのが蔵だった。白っぽい土壁は汚れ、あちこち表面が崩れ落ちていても瓦はしっかりと屋根を形成していた。
「ここはまだ開けてなかったんだ。開封動画撮る予定だったから」
廃墟の引き出しの中で見つけたという鍵束の鍵を試し、その一本で大きな錠前が開いた。重そうな鉄の扉を結城と零音が開くと何か異質で重苦しい匂いと冷やりとした空気が周囲に広がる。
「また扉?」
懐中電灯で照らされた扉の中にはスノコが敷かれた細長い二畳程度の空間があり、再び錠前が掛かった鉄の扉。スノコの隙間からは冷気が上がってくる。一体何を保管しているのだろうか。
鍵束の鍵で錠前が開き、二枚目の扉が開かれると黒く磨かれた木の床が広がっていた。壁は黒く塗られていて、既視感を覚えつつ、部屋の端に大量に立てかけられた縦一メートル横六十センチくらいの板状の荷物に目が引かれた。すべて新聞紙に包まれて麻紐で縛られている。
「えー、何だよ。これだけ? 壺とか掛け軸とか期待してたのにー!」
結城はぶつぶつと文句を言いながら土足で板間へと上がり、あちこちにLEDの投光器を設置して部屋が明るく照らされた。
「へー。昭和六十一年の新聞かー。綺麗に残ってるなー」
冷やりとした蔵の中はからりと適度に乾燥していて、どこからか風が吹き込んでいる。結城は無造作に麻紐を切り、新聞紙の包装を解き始めた。
「夜刀、どうしたの? 何か見える?」
扉が開かれてから、夜刀は沈黙したまま。
「ああ。最悪だ」
夜刀が苦しそうな声で答えた時、結城が叫び声を上げた。
「うああああああ! あの女だ!」
新聞紙の中から現れたのは、長い黒髪に白いリボン、白い着物姿のきよねの古ぼけた油絵の肖像画。上半身が描かれていて、淡い笑顔にどこか寂しそうな雰囲気を感じる。零音が絵を裏返すと、額縁の裏に筆で文字が書かれていた。
「……昭和二十一年八月……モデル・成山きよね……画・沼木亮一郎。結城さん、僕が開封してもいいかな?」
零音は憑りつかれたように新聞紙に包まれた絵を開封していく。一枚、一枚と開くうち、夜刀も無言で手伝い始め、結城も再び作業に加わる。絵に触れたくなかった私は、散乱する新聞紙と麻紐を集めてまとめる。
すべての梱包が解かれると、三十一枚の額装された肖像画が現れた。描かれた年代は昭和二十一年から昭和六十年。きよねの姿は常に二十代前半の若々しいままで、着物の模様は変わっても白が基調。画家も変わらず沼木亮一郎。
「順番に並べてみようか」
零音の提案を受けて裏を確認しながら順番を整える。壁に十枚を並べて気が付いた。
「……全部、きよねさん……なのよね?」
「違和感があるね。一枚目から順番に見るとわかりにくいけど、一枚目と十枚目を並べると別人に見える」
歳を取った変化なのか画家の画風の変化なのかと考えてもわからない。歳を取ったきよねをモデルにして、若い頃を想像して描いたと考えてみても違和感は拭えなかった。
「これ、売れるかなー? 幽霊の絵として」
「えーっと、それは難しいんじゃないかな。幽霊といっても著名人でもなく、結局は一個人の肖像画だからね。霊を見ていない人に取っては普通の絵でしかない。画家の名前も聞いたことがないし、このサイズだと普通の家では気軽に飾れないのが問題になるから、値段は付かないんじゃないかな」
結城と零音のやり取りを聞いていて、成程と思った。額のサイズは縦一メートル、横六十センチ。五十インチのテレビを縦にした絵を飾る壁を確保できる家でないと買おうとも思わないだろう。ポスターの額と違って、油絵の額は重さも厚みもある。
「じゃあ、家と一緒におまけで付けるかー」
自らも霊を見て、夜刀とワニの霊能力者二人に危険と言われても結城はまだ改築して売るつもりなのか。
「そういえば、この屋敷を買った時の不動産屋に聞いた噂なんだけど、成山っていうのは、戦時中から闇市で金儲けした成金で、借金をカタにして二十歳以上若い女を妻にして死ぬまで溺愛してたらしいんだよ」
「借金?」
「女の親が事業に失敗して莫大な借金を残して自殺したらしいんだよねー。その借金を全額現金で成山が支払ったってー」
それならきよねが再婚した理由がわかる。借金がなければ、独り身で聡一の帰りをずっと待っていたように思う。
「でさー、ここからが面白い話なんだけど、成山は子供の頃からアレが不能だった訳よー。それが理由かどうかはわからないけど、奥さんを人形のように可愛がって外には決して出さずに都会から百貨店の外商を呼びつけては、毎月高価な宝石や着物を買い与えてた!」
その高価な宝石や着物は成山の死後、一体誰に相続されたのだろうか。という疑問が頭の片隅を通り過ぎていく。屋敷の売却代金と共に、使用人たちが山分けする光景を想像して震える。
「外商が訪問すると成山が応対して、奥さんは少し開いた障子の向こうで正座してる。成山が宝石だの着物を障子の間から奥さんに見せると、欲しい場合は頷くし、要らない場合は首を横に振る。想像するとホラーでしょー?」
暗い部屋の中に灯されたロウソクの炎で障子に映るきよねの影が頭に浮かんでしまった。妻を溺愛するあまりの監禁。物語では面白そうでも、リアルになると怖すぎる。
六十歳になっても愛されていたきよねが、何故私に、水の中で聡一を待ち続けるきよねと、揺れる女性たちの姿を見せたのか。……成山からの愛は一方的過ぎて、きよねの心は死んでしまっていたのかもしれないと考えると切ない。
ふと周囲を見回して気が付いた。無言のままの夜刀の顔色が悪い。
「夜刀、大丈夫? 外に出る?」
「……いや。気分が悪いだけだ。体調は悪くはないから心配するな」
目を細めた夜刀は静かに息を吐き、背筋を伸ばして柏手を打つ。
「うおっ! 一体、何だよ? まさか霊とか見えてるの?」
突然のことに驚いた結城が飛び上がって夜刀に抗議する。
「……地下室がある。……その辺りに入り口があるはずだ」
夜刀が指さしたのは床。零音と結城が床に触れて異常を探す。
「ここ、開きそうだよ」
零音の指が小さな欠けを探し当て、床板を爪で持ち上げる。三十センチ四方の穴の中には鍵穴と鉄のハンドルが隠されていて、結城が鍵束の鍵を試すと一本が適合してかちりと音を立てた。
「で、このハンドルを引くのか?」
結城が鉄のハンドルを引くと、ぱくりと音を立てて床板の一部が開き、地下へと降りる階段が現れた。
「おおー、これすげー。え、こんな仕掛けがあるなんて絶対高値で売れるって! うおー、動画撮りてーなー! スマホ置いてきちゃったよー」
きよねの姿を見て絵に驚いても、動画撮影のことだけは忘れないのか。結城の場違いな明るさが、この重苦しい空気の中ではとても有難いとすら感じる。
「……お前には見せたくないが……一人で残すのは危ない」
結城が先頭、次に零音が階段を降り、夜刀は溜息を吐きながら私の手を取った。一体夜刀には何が見えているのかさっぱりわからない。
地下への階段はコンクリートで固められていてしっかりとしている。じめじめした場所を想像していたのに、どこからか風が流れていて、湿り気を感じなかった。
「まーた扉かー。一体、何回開けるんだよー」
懐中電灯で照らされた黒い鉄の扉も、鍵束の鍵で開いた。ゆっくりと開くと、そこは真っ暗な地下室。立派なソファと小さなテーブルが置かれていた。
「俺、上から投光器持ってくる。ついでにスマホも!」
小さな懐中電灯では物足りなくなったのか、結城は階段を駆け上がっていく。真っ暗になりかけた所を、零音が苦笑しながらスマホの灯りで周囲を照らした。
「あれ? スイッチがあるよ。点けていいかな?」
「廃墟に電気が通ってるとは思えないが……」
それはそう思う。試してみようと零音がスイッチを押すと天井のシャンデリアが灯った。中央に立派なソファと小さなテーブル。正面の壁一面がワインの収蔵庫になっていて、高そうなグラスも置かれている。左の壁の棚には、背表紙に年代が書かれた本がぎっしり。右の壁は黒いツヤのある石が貼られていて、室内を反射して映し出している。
「……正規の方法でなく、近くの電線から盗電してるのかもな」
「ここがさっき、ワニさんが言ってた揺れる闇の場所?」
「……ああ。……警察に通報しよう」
そう言いながら、夜刀は本棚から数冊を抜き取って脇に挟む。
「盗電してるって通報するの?」
私の問いに振り向いた夜刀は、静かに黒い壁を指さした。
「そこに複数の女性の遺体がある」
「壁の中?」
ソファは黒い壁を向いていて、嫌な想像が駆け巡った所で、どたどたと階段を駆け下りてくる音が響く。
「お待たせーって、あれ? 電気点いてんじゃん。なーんだ。ちょっとだけ撮影していいかな?」
戻ってきた結城は、うきうきとした声でスマホをかざす。
「うおっ! 超高そうなワインだなー。全然わかんないけど! お? このボタン何?」
ワイン棚に隠れた所に、赤いボタンが設置されていた。
「待て、触るな!」
夜刀の制止は間に合わず、結城はボタンを押し、黒い壁の中に灯りが点いた。黒いツヤのある石と思っていたのはガラスで、それは巨大な水槽だった。
「う、嘘……」
水の中、白い長襦袢を着た若い女性たちの死体がゆらゆらと揺らめいていた。




