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闇香  作者: ヴィルヘルミナ


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第九話 閉じた二人の世界

 夜刀が完全に召喚の準備を整えたのは、私が日記を読んでから二日後のこと。私は身を清めつつ、ひたすらきよねの浄化を祈り続けていた。

 夜明け前に夜刀の家を出発した車は、零音の自宅方向へと向かう。夜刀はカーキ色のジャケットに白いTシャツ。黒のカーゴパンツにブーツ。私は夜刀指定の薄いピンクのシャツにジーンズ姿。

「零音さんも一緒に?」

「ああ。愛流と零音を呪ったのはそれぞれ違うきよねかもしれないが、力の根源は一つだ。とっとと願いを聞いて、叶えられるものは叶えて二人の〝闇香の呪い〟を解く」

 私たちを呪ったのが、それぞれ別のきよねという可能性を今まで考えていなかった。個別の願いを叶えるにしても、どんな願いなのか想像もつかない。

「絶対に叶えられない無茶な願いだったら、どうするの? 例えば、命をよこせとか、生き返らせろとか、体を使わせろとか」

「……俺も神降ろしをする」

 その言葉に驚いて、夜刀を見つめる。

「ちょ。肉弾戦で殲滅しちゃう女神様を降ろすの?」

「ちーがーう。お前、緊張感を粉々にするなよな。俺が降ろす神は月読(つきよみ)様だ。肉弾戦には絶対にならない……はずだ」

「最後が願望になってるわよ」

 断言できないのは一体どういうことだろうか。月読様と言えば、天照大神様の弟君という程度の知識はある。

「穏やかで静かなる月の神とか言われているが、どうも嘘くさいんだよな……」

「神様が嘘ついたりするの?」

「そういう意味じゃなくてだな。人々の月読様への評価がアヤシイってことだ。そもそも公の場には滅多にお出にならないし、神話や伝承も少ないが……(つるぎ)をお持ちだ」

 確かに太陽神でもある天照大神様と比べて、月神である月読様の話は聞いたことが無かった。

「それって、問答無用ですぱっと斬るから、生き残って語る者がいなかったとかいうオチ?」

「日本書紀にはキレて相手を斬り殺した描写がある。まぁ、それで五穀や牛馬が生まれたという話だがな。古事記では弟の須佐之男(すさのお)様が斬り殺したことになってる」

 どちらにしても斬り殺したのか。神話は意外と残酷描写が散見することは知っている。剣と聞いて、ふと思い出した。

「あ、最初に会った時持ってた金色の太刀が月読様の剣?」

「その一つだ。……あの鎧武者は想定以上に強かった。戦いを長引かせたくなくて、初めて借りた」

「あれが初めてだったの? 普通に使ってたわよね?」

 言われてみれば、あの金色の太刀を見たのは一度きり。それ以降の除霊では見ていなかった。

「……夜間バイトとはいえ、朝帰りなんて嫌だろ? 剣が無ければ、朝日で弱るまで持久戦コースだったんだ」

 それはもしかして、私の為だったのだろうか。早く帰りたいと思っていたのが顔に出ていたのかもしれないと冷や汗が流れそう。

「八條家の人って、皆、神降ろしできちゃうの?」

「ごく稀に神降ろしができる人間が出るだけで、皆ではないな。……俺は当主になる前の和人が神降ろししてるのを見て、真似してみたら月読様が現れた。神の名は言うなよ。当主にも誰にも報告してないから、知ってるのはお前だけだ」

 永遠の中二病。失礼とは思いつつ、そんな単語が頭をよぎる。神降ろしの真似してみたら出来ましたなんて、他の霊能力者が聞いたら憤死しそう。


 神々の話をしている間に、零音の自宅があるタワーマンションが見えてきた。夜明け前の静かな街角で、零音は有線のイヤホンで音楽を聴きながら佇んでいる。白いサマージャケットに薄水色のシャツ。白のジーンズに青革のスニーカー。その姿は、何故か淡い光をまとっているように見えた。

「零音、待たせたな」

「夜刀、おはよー。愛流さんもおはよー。大丈夫、今来た所だよ」

 すがすがしい爽やかさの零音に、内心圧倒されつつ挨拶を返す。助手席を零音へと譲り、私は後部座席へと収まった。

 これから向かう場所は、きよねが『登藤きよね』だった頃に住んでいた村。現在は廃村となり、誰も住んではいない。

「今回も車のナビは使わないの?」

「ああ。陽の気が最高値になる午後二時までに終わらせたいからな。邪魔されると困る」

 太陽が昇ると同時に陽の気が上がり、午後二時に頂点を迎えて徐々に下がっていく。同様に陰の気は日が落ちると同時に上がり、午前二時に頂点を迎える。幽霊たちが活発化するのは、陰の気が満ちて動きやすいという理由らしい。

「場所は……ここか……。あー、近くを何回か走ったことがあるから最短ルートがわかるよ。ナビは僕に任せて」

 そう言って笑う零音の的確な道案内が始まって、車は軽快に走りだした。


 高速道路を制限速度ギリギリで走り抜け、車は山道を走っていた。出発から四時間半が過ぎて、今は午前九時前。夜刀の予定より二時間早く目的地の付近に到達しようとしていた。

 廃止された路線バスの停留所の建物は崩れかけていて、道路沿いの建物も全て廃墟になっている。舗装された道を外れて土の道に入ると、耕作放棄地と思われる草原が左右に広がっていた。

「……昔はこの辺りで珍しい薬草が採れて、豊かな村だったらしい。事業に失敗して借金を作ったのは、きよねの嫁ぎ先の義父母だったそうだ」

「そんな……」

 離縁して実家に戻っていれば、きよねは酷い目に合わずにすんだのではと思ってしまう。夫の聡一をいつまでも待ちたいと思う純粋な気持ちが仇になったのか。

「そろそろ道が狭くなる。この辺りで停めた方がよさそうだね」

 零音の勧めを聞いて、夜刀は車を停めた。

「念の為、愛流と零音にスペアキーを預ける。俺に万が一のことがあれば、この車を使って逃げろ」

「ちょ。何怖いこと言ってるの? 夜刀を置いて逃げる訳ないでしょ」

「愛流、お前の想像してることとは別だぞ。神降ろしをした俺は、自分の体が制御できなくなる可能性が高い。指定したターゲット以降は敵味方関係なく攻撃するかもしれないから逃げろってことだ。式神以上に霊力を消費されるし、召喚場所の周辺でしか動けないから一時間もすれば解放されるはずだ」

「もしかして、神降ろしを実行したことはないの?」

「ああ。だが大丈夫だ。約束は交わしているから召喚の失敗はない」

 自信満々な顔で誇られても、不安は募る。

「剣を持った神様から逃げるとか無理ゲーでしょ?」

「つ、つるぎを持った神? それってどういうことか聞いてもいいかな?」

 私たちの会話を聞いていた零音が説明を求めてきた。答えようとした夜刀より先に、概略を口にする。リスクの情報は共有しておきたい。

「夜刀の最終奥義は神様を自分に憑依させる神降ろしなのよ。でも一度も実行したことはなくて、敵味方識別できるかわからない神様が剣持ってる、っていう話なの」

「そ、それはとってもヤバい話だと思うな」

「しばらくは霊力で動きを抑える。その間に逃げてくれ」

 何という無理ゲー。零音も同じ感想を持ったらしく、見合わせた顔は正直に物語っている。月読様が分別のある方であることを願いつつ、手渡された車のスマートキーを私と零音はそれぞれ服のポケットに入れた。


 あぜ道には雑草除けの小石が撒かれていても、耕作放棄地に挟まれているからか緑が少しずつ浸食している。踏み固められた小石の上を歩き、丘の上を目指す。きよねに見せられた水田が広がる光景とは異なり、荒れた田畑が視界を埋める。

 私の手を引いて歩く夜刀は、商売道具である人形を持ってはいなかった。きよねに対して、除霊するのではなく願いを聞くという姿勢を示す為だと言っていた。

 ……もしもきよねの願いが、仮初めの夫として夜刀と一緒に過ごすことだったら。〝闇香の呪い〟の解呪条件を知ってから幾度となく考えても、何故かそれは嫌だと思ってしまう。夜刀と私は友人で、夜刀が好きなのは零音なのに。

 やがて夜刀は足を止めた。

「愛流、この場所であってるか?」

「……あってる。ここだった」

 きよねが聡一と約束を交わした場所は、水田が荒れ地へと変貌していても、その面影は微かに残っていた。冷やりとした秋の風が吹き、隣に立つ零音に聡一の幻影が重なった。髪型や服装が違っても、やはり似ているという気がしてしまう。呪い以外に零音ときよねとは何のつながりもないと夜刀は言ったけれど、本当にそうだろうか。何らかの理由があって、縁が切れたということはないだろうか。

 夜刀は周囲を確認し、平坦な場所へと私たちを案内した。

「よし。ここできよねを呼ぶ。愛流、零音、俺の三メートル後ろ辺りに並んで立ってくれ」

 深呼吸で息を整え、夜刀は直径三センチの水晶玉を五つ地面へと置く。夜刀が二本の指で空気を斬るように横へと動かすと、水晶玉が白く発光して地面に一メートルの五芒星を描いた。

「これから、この場所はこの世と異界との境界になる。その位置から動かないでくれ」

 一礼した夜刀が手を二度叩くと、周囲の空気が変わった。青く晴れ渡っていた空や景色が、黒いサングラスを掛けた時に見える不自然な色彩へと変わる。

 夜刀が手にした護符が赤い炎を上げながら、白い五芒星へと舞い落ちる。

「来るぞ」

 静かな一言の直後、周囲で鈴の音が鳴った。一つの鈴の音は、徐々に増えていく。耳を塞ぎたくなるような音の渦に全身が包まれて、見えない水が足元から這いあがってくる。

「夜刀! 水が!」

 隣の零音も私と同じように水を感じていることが表情で分かった。

「愛流、零音、ここに水は無い! 落ち着け!」

 夜刀の断言を聞いて、水の感覚が消え去った。まるで何も無かったかのように、体が軽い。

「水があると思うから、自ら水を引き寄せる。路上で水死した者は、記憶に刻まれた水の感触を自ら再現し、大気中に含まれる水を集めて溺死した。ここに水は無いとしっかりと意識していれば、幻覚に取り込まれない」

 説明されれば、すんなりと納得できた。水に濡れたままだった遺体は、体が死んでも魂がずっと水を集めていたのだろう。

 白い光の五芒星の中央が黒く染まり、地面がどろりとした泥のように変化して、空気の泡がはじけては消える。

「……俺は貴女の願いを聞きたい」

 夜刀の声に普段とは違っていて、従わざるを得ない圧力を感じる。黒い泥が泡立った後、柱のように噴き上がった。

「俺は貴女の願いを聞きたい」

 噴き上がる泥を目の前にしても、夜刀は静かに繰り返す。その言葉には何の感情も載せられていない。怒りもなく憐憫もなく、ただ静謐で、静かな満月の夜を連想させる。

 噴き上がっていた泥の勢いが緩やかになり、やがて人の影を形作る。長い黒髪に白いリボン。華奢な体に白いワンピースと白い靴。

「ひっ!」

 黙っていようと思ったのに、あまりにも不気味で悲鳴が零れた。現れた白いワンピース姿のきよねの顔は、次々と別人の顔へと変化している。慌てて手で口を押えても、三十一人の集合霊を目の前にして恐怖しかなかった。

 私の悲鳴が気に障ったのか、きよねの視線が夜刀を超えて私へと向けられた。虹彩のない黒曜石のような瞳が私を捕らえる。その間も顔は変化し続けていた。

「俺は貴女の願いを聞きたい」

 夜刀の声に一瞬は反応するものの、すぐに私へと視線が戻って来る。きよねの髪がふわりと広がり、私たちの周囲を取り巻くように強い風が吹き始めた。

「俺と話すつもりはないのか?」 

『――お前もあの男たちと同じ。私たちを閉じ込めて縛るのでしょう? 死ぬまで逃げられないように。死んでも逃げられない人形のように』

 冷淡に微笑むきよねの口は動いていないのに声が聞こえる。その声からは絶望と怒りがにじみ出ていて、耳を塞ぎたくなる。

「縛ることは簡単だが、縛らない。ただ、願いを聞くまで帰さない」

 夜刀の手から、ひらひらと白い紙が舞い散った。紙は地に落ちて光を放ち、きよねの足元で光る白い五芒星を籠目で埋めた。

『――私たちに、願いなどあるものか!』

 見開かれた黒い瞳は、絶望に溢れていた。

『――この地獄から助けて欲しいと願っても、誰も助けてくれなかった!』

 きよねの黒髪が乱れ、風は強さを増し暴風へと変化して、地面を抉る。小石と土混じりの風が刃になって、夜刀の腹を貫いた。

「夜刀!」

 腹に大穴を開けられたのに、血は出ていなかった。夜刀の姿は縮んで白い紙人形へと変わり、空中に現れた一本の白い線から怪我一つない夜刀が出てきた。

「あー、あぶねーあぶねー」

 棒読み以上の棒読みながらも余裕の表情を見て、肩の力が抜けていく。

「無事で良かったー」

 ほっとする私の目の前で、再び風の刃が夜刀へと迫る。

「あー、面倒だ! 俺の気遣いも無駄だったようだな!」

 夜刀は風の刃を手刀で叩き折り、完全にキレたという叫び。古風に言えば堪忍袋の緒が切れたという状態だろうか。

「夜刀、神降ろしをするの?」

「いや。それは最終手段。……〝人形師〟を舐めんなよ!」

 夜刀の茶色の瞳が青の光を帯び、その表情が好戦的な笑みへと変わっていく。白い光を発する指が空中に何かを描こうとした時、零音が夜刀の腕を掴んで止めた。

「零音っ?」

「夜刀、きよねさんと話してもいいかな?」

 きよねが起こす暴風の中、何故か零音は優しい微笑みを見せた。


 暴風は強さを増して地面を削っている。夜刀の結界が無ければ、すぐにでも死んでしまいそうで恐ろしい。きよねに攻撃を加えようとしていた夜刀は一瞬だけ逡巡の表情をしたものの、零音の言葉に頷いた。

「ありがとう、夜刀」

「気を抜くなよ」

 微笑む零音に苦笑を返し、夜刀は零音の背中を軽く叩いて送り出す。

「えーっと、きよねさん、僕の話を聞いてもらえないかな」

 冷ややかな表情のきよねに対しても、あくまでも優しく微笑む零音に向かって風の刃が放たれた。危ないと叫ぶ間もなく、刃は白い炎で焼かれて蒸発する。反射的に夜刀を見ると、軽く肩をすくめて苦笑したから、おそらくは夜刀が零音を護っている。

 刻々と変化し続けていたきよねの顔が、一人の顔で固定した。それは私が最初に見たきよねの顔。黒曜石のような瞳が濡れたように輝いた。

『……何故、戻ってきてしまわれたのですか。私は貴方との縁を切りましたのに。今更、約束を果たそうなんて……』

 やはり零音は登藤聡一の生まれ変わりだったのか。夜刀が縁は見えないと言っていたのは、きよねが切ってしまったからなのかも。

「ごめん。前世の記憶は全くないんだ。夜刀からいろいろ聞いたけど、僕には零音として生きてきた記憶だけしかない。……君が待っている夫とは別人かもしれない。だから、君と何を約束したのかわからないんだ」

 対する零音の言葉には、寂しさと謝罪の気持ちが含まれていた。

「君には迷惑かもしれないけど、初めて見た時から僕は君に恋をした。前世とか関係なく、これは零音としての想いだ」

 まさか。そんなことが。零音の告白が衝撃過ぎて思考が真っ白になりそう。夜刀も驚きの表情で零音を見ている。零音がきよねを初めて見たのは、弟の達樹が持っていた動画データに映った一瞬だけ。あの瞬間で恋に落ちるなんて私には無理。

『……私は心も体も穢れてしまっております。毎夜、慰み者にされ拒んでいたはずなのに、いつの間にか私の体は肉欲に屈していた。死者となり、体を無くしても体が疼くのです。私の名を受け継いだ者たちも同じ』

 運命を弄んだ男たちを心の底から恨みつつも、体は男を求める苦しみにきよねは涙を流した。心と体の捻じれを解消できないまま、魂は水槽でたゆたう地獄。

 過激なライブ配信で男たちを呼び寄せて、すべてを搾り取り不要になれば捨てる。それは彼女たちがされたことを返しているだけ。疼きと渇きを鎮める為であり、男たちへの復讐でもあった。

「それでも君が好きだという僕の気持ちは変わらないよ。この痣ができてから、僕はずっと『寂しさ』を感じていた。最初は自分の気持ちかと思っていたけど、そうじゃなかった。この『寂しさ』は君の感情だろう?」

 私はこの呪いから何を感じていただろうか。きよねに対する共感と同情は時折感じても、きよね個人の『寂しさ』には気が付けなかった。 

「君が寂しいなら、僕が一緒に逝く。君の世界に連れていってくれないかな」

 それは死ぬということか。きよねに手を差し伸べた零音の言葉は理解不能。止めなければと思うのに、きよねと零音の二人の世界は出来上がっていて割り込むことは難しい。

 美しい黒曜石の瞳から煌めく涙がはらはらと流れ落ちていく。艶めく黒髪は光の粒をまとったように輝き、柔らかな風が白いワンピースの裾を揺らす。吹き荒れていた暴風はぴたりと止み、禍々しい悪霊という空気は消え去った。

『……私と共に逝くとおっしゃるのですか?』

「そうだよ。どのみち、僕の命はもうわずかだ」

 そうだった。私は夜刀によって〝闇香の呪い〟の進行を止められているけれど、零音は断っている。命乞いをすることなく、零音はきよねに向かって歩き出し、夜刀の結界から出て行った。

「捕まえた」

 零音はきよねの手を取って、優しく抱き締める。きよねは抵抗することもなく、零音の腕の中で大粒の涙を流す。

「零音、お前は本当にそれでいいのか?」

「ああ。これは僕の本当の願いだ。呪いを受けたと知ってから、この願いの為に家も会社も全部処分してきた。……事情があって、僕の家族は達樹だけだったんだ。でも達樹はもういない」

 呆れつつも優しい声で問いかけた夜刀に、零音は笑顔で言葉を返した。

「夜刀、愛流さん、短い間だったけど本当に楽しかったよ。ありがとう」

 零音の表情は清々しくて爽やかで、この世界に何の未練もないように見える。その胸に抱きしめられたきよねと一瞬だけ目が合った。その視線が意味するものが理解できないでいると、二人は抱き合ったままで煙のように消えた。

 白く輝いていた五芒星は光の粒になってはじけ飛び、私を包んでいた花の香りが綺麗さっぱり消え去り、呪いの痣も消えていた。

「良かった……呪いも消えたか。……愛流、どうした?」

「……何でもない」

 きよねは零音を連れて成仏したのだろうか。その一瞬の違和感を言語化することはためらわれた。儚げな美人に対する嫉妬だと思われるかもしれない。そう思ったから口にはできなかった。

「零音は、あれでよかったのかな」

 動画配信で人気もあって、かなりの額を稼いでいた。運も強くて順風満帆でたくさんのファンに囲まれていたのに、孤独を心に抱いていた。きよねの『寂しさ』と同調したからこその選択ではなかったか。

「本人の選択だからな。好きな女を追いかける為に命を捨てた。ただ、それだけの話だ。……馬鹿だとは思うが、うらやましくもあるな」

 夜刀は大きく息を吐き、体を伸ばしながら両手を空へと上げる。

「うらやましい? 夜刀も零音と逝きたかったの? 零音が好きだったんでしょ?」

 私の言葉を聞いて、夜刀は明らかにうろたえた。やはり図星。

「ちーがーう。お前そろそろ、自分のご都合主義の鈍感さに気が付けよ」

「ご都合主義の鈍感さ? 何それ?」

「あー。はいはい。俺も馬鹿です。ありがとうございましたっ」

「ちょ。意味わかんないんだけど!」

 私の問いに、夜刀は説明することなく歩き出した。


 

 草原を二人で歩きながら、青い空を見上げる。まだまだ気温は高くても、吹き抜ける風は秋の冷たさ。

「私だったら、好きな人には何が何でもこの世で生きていて欲しいって思う」

「独り生き残って幸せになれって言いたいのか?」

 そう言って夜刀が口を引き結ぶ。

「違うわよ。残りの人生、独り身を貫いて私のことを忘れずに生きて欲しいの。ついでに月命日にはスイーツとか美味しい物をお供えして欲しい。誕生日にはケーキよ、ケーキ! 夏にはバニラアイス!」

「なんだそりゃ。すげーワガママな女だな。……まぁ、愛流らしいな」

 夜刀に笑われても全然平気。この先、私に恋人が出来たなら、必ず確認しておきたいと思う。人生何が起きるか先の事はわからないし。

「さーて。呪いも解けたし、心機一転就活頑張るぞー!」

「は? お前、まだ企業をぶっ壊しに行くつもりか?」

「入社決まったら、力抜いて適当にすればいいんでしょ?」

「……それが正解だといいがな」

 呪いが解けた以上、夜刀に迷惑は掛けられない。シェアハウスは引き払って、新しい部屋も探したい。

「……俺としては……だな……その……愛流と一生……」

「あれ? 車が二台?」

 夜刀の車の隣に、黒塗りの高級国産車が停まっているのが見える。あれは雅の車ではないだろうか。夜刀は大きく溜息を吐いて周囲を見回すと、車とは別の方向へと歩き始めた。

 程なくして林に囲まれた草原の中、着物姿の和人とダークスーツ姿の雅が話しながら歩いているのが見えた。その光景は、やはりヤクザの若頭と護衛でしかなくて笑いそうになる。

「……当主、何故ここにいらっしゃるんです?」

 夜刀の言葉は丁寧でも、拗ねた子供のような雰囲気が若干漂う。

「夜刀がどう解決するのか見届けたくてね。久々に失敗して悔しがる顔を見られなくて残念だよ」

 和人のにこにこ顔がちょっと怖い。もしかしたらこの人は実は性格が悪いのではないだろうか。横に立つ雅がこめかみを押さえている。

「失敗と言えば失敗です。俺は零音が死ぬのを止められなかった」

 それは私も同じ。二人が抱き合う光景を見ていたら、誰も止められないと思う。閉じた二人の世界に割り込む隙は無かった。

「死んだ? そうかな? あの子は自分の心のままに自由を選択したのではないかな」

 首を傾げる和人の言葉が私の違和感にしっくりきた。零音は死んでいないような気がする。

「当主、それはどういう意味ですか?」

「夜刀が大人になったらわかるんじゃないかな」

「もう俺は大人です。子供扱いはやめてもらえますか」

 二人の会話を聞き流しながら、ふと青い空を見上げると、微かに甘い花の香りが通り過ぎたような気がした。

「愛流、どうした?」

「……あの闇香の匂い、好きだったなって」


 甘い甘い闇の花の香り。結局、その花の正体は分からずじまい。

 この世界のどこかで咲く花なのか。それとも、異界で咲く花なのか。

 いつの日にかその花を、私は目にすることが出来るだろうか。

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