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起4

起4 わずかな下心


「篠崎さんですね。ええ、確かに――里親を募集していた猫を引き取ってくださいました」

ペットショップの店員は答えた。胸元につけた名札には「白石」と記されている。

「引き取ったとき、男性も一緒にいませんでしたか?」

黒川の問いに、白石は少し首をかしげた。

「どうでしょう。契約書には篠崎さんの名前しかなかったので……正直、そこまでは。日にちによっては別のスタッフが対応していたかもしれませんし」

「なるほど。ありがとうございました」

一礼して店を出る黒川を見送りながら、白石は手元のスマホを取り出した。画面を数回タップし、通話のボタンを押す。


ほぼ同じタイミングで、高橋のスマホが震えた。画面には「陽菜」の名前。LINEのメッセージだった。

――仕事中だよね?ごめんね。

高橋はすぐに返信を打つ。

――大丈夫。どうした?

返信が届くまでの間もなく、陽菜から新しいメッセージが届く。

――猫のことなんだけど、このまま美月の部屋で世話するの、やっぱり難しいかなって。

――毎回通うの大変?

――それもあるけど、私がいないとき、ケージに閉じ込めっぱなしでかわいそうでさ。

――そっか。

――それで、うちに連れて帰ろうかと思って。

――え?そっちか。売るのかと思った。

――そんなことしたら美月に一生恨まれる。

――だよね。旦那さんは大丈夫なの?

――うん、美月のことも話したし、ちゃんと了承もらってるよ。

――それなら良かったね。

少しの間が空いたあと、陽菜から新しいメッセージが届いた。

――それで、お願いがあるんだけど。

――なに?

――猫だけじゃなくて、ケージとか餌とか、いろいろあるから……一緒に運ぶの手伝ってもらえないかなって。

高橋は即座に返した。

――もちろん、任せて。

キャラクターが敬礼しているスタンプを送ると、陽菜からも感謝を込めたスタンプが返ってくる。

――いつがいい?

――そっちは?◯月◯日とか空いてる?

高橋は今度は別のキャラクターの「OK」スタンプで返事をした。具体的な時間も決めると、やり取りはそこで終わった。スマホの画面を伏せてテーブルに置いた高橋は、少しだけ天井を仰ぎ、また仕事に取り掛かった。


約束の日。高橋は、美月のマンションの前に立っていた。エントランスで聞いていた部屋番号を呼び出す。

「はーい、いま開けるね」

インターホン越しに陽菜の声が響く。少しして自動ドアが開くと、高橋は静かに中へ入り、部屋の前で再びチャイムを押した。玄関のドアが開き、陽菜が顔を出す。

「いらっしゃい。暑かったでしょ」

「ちょっとね。大丈夫」

靴を脱いで部屋に上がる。独身女性の部屋という空間はどこか落ち着かない。自分の中にある妙な罪悪感に、内心で苦笑する。

「休みの日なのにごめんね。奥さん、怒ってない?」

「うん。事情は説明済み。ケーキを買って帰るっていう条件付きで許可が下りたよ」

軽口を叩いたそのときだった。

部屋の一角、ケージの中から、低く唸るような声が聞こえた。

「ヴゥー…」

猫――グリが、全身を逆立てて高橋を睨んでいる。完全に警戒態勢だ。

初対面の自分への敵意、いや、もしかすると篠崎姉妹に対するわずかな“下心”すら、グリには見透かされているのかもしれない。

「ごめんね。この子、人見知りが激しくて」

陽菜は苦笑しながらグリのキャリーバッグを用意する。

「グリは私がキャリーに入れるから、そっちバッグにエサとか入れてもらっていい?下に車、停めてあるから」

「了解」

2人は黙々と作業を進めていく。時折り家族のことや仕事のことを話しながらではあったが、手際よく、無駄もなかった。

一通りの荷造りが終わったころ、陽菜がふと部屋の奥の棚に目を留める。

「あ、そうだ。あれ、どうしようかな」

指さしたのは、小さなアンティーク調の置物だった。

「これ? なんか使うやつ?」

「それ、実はペットカメラなの。部屋にグリだけ残すとき用に、美月が買って。夜でも猫の動きがちゃんと映るんだよ。美月がいなくなってから、私も寝る前とかにちょっと見てたの」


――そうだ。


高橋も、美月からそのカメラのことは聞いていた。暗闇の中でも動きを感知できる高性能のやつ。それなのに、どうして今まで思い出さなかったのだろう。

陽菜が言葉を続ける。

「持ってく? いや、とりあえず今日は置いておいて……必要だったらまた取りに来ればいいよね。そもそも、電源抜いたら録画データって消えちゃうのかな?」

自問自答する陽菜に、高橋は返事ができなかった。代わりに、黙ってその置物――カメラを見つめていた。

「……どうした?」

「うん。とりあえず、だよ」

「やっぱり必要?」

「……見てみよう」

「え?」

「失踪した日の動画。美月ちゃんがいなくなった理由――映ってるかもしれない」

静かに、だが確かに、その言葉は部屋の空気を変えた。猫の唸り声も止み、部屋には一瞬、無音が降りる。陽菜はスマホで慌ただしくペットカメラのアプリを立ち上げる

希望と、不安と、何かを知ってしまうかもしれない恐怖と――。

すべてを抱えて、再生ボタンを押した。


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